【アレクシス】答え 1
──あの出来事から。
私は、まだクラリスと話せていない。
ローザルディアからの帰還後、溜まっていた王太子としての職務に追われ、ようやく一息つけた頃には、すでに数日が経過していた。
手紙を送ることも考えた。
だが──返ってくるであろう言葉を想像してしまい、結局、筆を取ることはできなかった。
直接、会って話したい。
その思いとは裏腹に、時間が経てば経つほど、胸の奥に不安が積もっていく。
一歩を踏み出す勇気は、逆に削がれていった。
──もし、彼女が。
ガルストンの提言通り、婚約者の座を降りると言ったら。
その想像に行き着くたび、思考はそこで止まり、私は身動きが取れなくなる。
彼女が私を受け入れてくれると──
そう信じていたはずの自信は、いつの間にか、跡形もなく消えていた。
ローザルディアに向かう前。
いや、それ以前から抱えていた、不安定な感情へと、私は逆戻りしてしまったようだった。
父は、何も言わない。
王として、命じることもなければ──
父として、背を押すこともない。
私が、クラリスと共に在りたいと願うのなら。
そのための地盤を固めるのは、他でもない──私自身だ。
しかし。
……私はまだ、答えを見つけられずにいた。
答えを出せずに、時間だけが過ぎていく中で。
リナから父に──陛下に、謁見の要望が届いた。
私も同席するよう命じられ、父と母とともに、謁見の間でリナの到着を待つ。
……この知らせを聞きつけた貴族の中には、リナがクラリスに代わり、婚約者に決まったのだと噂する者もいた。
私はそんな周囲の動きに対して、何一つ、手を打てていない。
一方で、ルークがクラリスのために奔走していることは、口伝えに聞いていた。
ガルストンにつく者、そうでない者──立場を問わず、あらゆる方面に接触し、彼女の立場を守ろうとしているらしい。
そして同時に。
動けない私に対して、彼が苛立ちを募らせているだろうことも、痛いほどわかっていた。
──ちゃんとしてよ。
祝勝の宴で聞いた、ルークの声が脳裏で反芻される。
私は……彼の期待に応えられていない。
その事実が、沈殿物のように、胸の奥に重く溜まっていった。
「──リナ様がおいでになられます」
侍従の声が、謁見の間に響く。
私は背筋を正し、扉へと視線を向けた。
──そこに現れたのは、リナだけではなかった。
なぜか、ヴィンセントとライオネルの姿もある。
「いちいちめんどくせぇなぁ。直接部屋に行って話せばいいじゃねぇか」
「……団長。リナ殿の立場もお考えください」
いつも通り悪態をつきながら入ってくるヴィンセントと、それを静かにたしなめるライオネル。
リナはその二人を背に、緊張した面持ちで、こちらへと歩み出してきた。
右手と右足が、同時に前へ出ている。
……クラリスがいないから、それを指摘する人間もいない。
あまりにも危なっかしい歩き方に、私は内心ひやりとしたが、父はどこか面白そうにその様子を眺めていた。
リナの動きに、というより。
ヴィンセントとライオネルが共に現れたことに対する、期待だろう。
何を見せてくれるのか──
そんなことを考えていることが、表情からありありと伝わってくる。
隣に座る母が、小さくため息をついた。
……私より、よほど子どもだ。
「よい、面をあげよ」
父の前でひざまずいたリナに、軽い調子で声がかかる。
「は、はいっ!」
勢いよく顔を上げたリナの表情は──
何かを決意した者のそれだった。
先ほどまでの緊張が嘘のように、瞳は力強く輝いている。
──ローザルディアで。
「封印の鍵」の力を使い、「古代の神」の本体を封じ込めたときの光景が、脳裏に蘇る。
あのときのリナは、普段の彼女からは想像もできないほど、神々しかった。
「封印の鍵」から放たれる光に包まれたその姿は、まさに“聖女”という言葉がふさわしかった。
そして、今の彼女からも。
私は、あのときと同じ力強さを感じ取っていた。
「さて──今日はどういった用件だ?」
父の言葉に、リナは自らを奮い立たせるように、胸の前で手を組んだ。
それはまるで──
祈りを捧げる信徒のような姿で。
さすがの父も、その様子に表情を引き締める。
「陛下に……お願いがあって、参りました」
リナの視線は揺るがない。
ただひたすら、父へと向けられていた。
その決意を映すように、エメラルドグリーンの瞳が強い光を宿す。
「なるほど、褒美の件か。……申してみよ」
先を促され、リナは小さく頷いた。
そして──
「わ、私を──王立騎士団の一員にしていただきたいです!」
ヴィンセントとライオネルを除き、その場にいた全員が、彼女の言葉にすぐに反応ができなかった。
……王立騎士団に、入る?
思考が追いつかない。
なぜ彼女から、そんな願いが出てくるのか。
確かに、王立騎士団は貴族だけが入れる組織だ。
平民出身のライオネルも、学園で騎士として優秀な成績を修め、騎士爵を得ることで、ようやく入団を許された。
だが。
なぜ、それがリナにとって“褒美”になるのか。
彼女は、一体何を考えて──
「私はっ!」
張り詰めた空気を切り裂くように、リナが声を上げる。
「クラリス様をお守りする権利を、得たいと思っています……!!」
──その答えに。
私は、雷に打たれたような衝撃を受けた。
リナの願いは……
私と、同じだった。
『クラリスの隣に在る権利を得ること』
それが、リナの望み。
騎士団に入り、剣の腕を磨き──
そしていつか、クラリスを守れるように。
彼女の隣に、胸を張って立てるようになること。
そのために。
リナは、自ら動いたのだ。
「──そういうわけだ。別にいいだろ、アル?」
リナが願いを口にするまで静かに成り行きを見守っていたヴィンセントが、驚愕で動きを止めている私たちに向かって、あっけらかんと声を投げる。
「リナのことは、俺たちが面倒を見る。何、多少危なっかしいが、根性も力もあるからな。……王太子妃の護衛が務まるくらいには、育ててやるさ」
豪快に笑うヴィンセント。
隣で苦笑しながらも、静かに頷くライオネル。
「よろしくお願いします、師匠!」と拳を握りしめるリナ。
私は、その三人を──
ただ、呆然と見つめていた。
……皆が、クラリスのために動いている。
それなのに、私は──
「……それが、そなたの望みか」
父は玉座に深く腰を下ろしたまま、ちらりと私を見やった。
その視線に気づきながらも、私は見返すことができなかった。
私の反応がないことを、どう受け取ったのか。
父は小さく息を吐くと、再びリナへと視線を移す。
「そなたの望みは理解した。──だが」
否定を予感させるその言葉に、リナが息を呑むのがわかった。
「そなたの願いは、あくまでクラリスが“王太子妃”になることを前提としたものだろう?」
「……は、はい……」
父を見つめるリナの瞳が、不安げに揺れる。
父はそんな彼女を、どこか同情を含んだ目で見つめた。
「そうであれば──残念だが、そなたの望みは叶えられない」
「……っ!?」
一斉に、その場の視線が父へと集まる。
「な、なぜですか……? 私は、ガルストン様の養子になる気もありませんし、殿下の婚約者になるつもりも──」
皆の視線を受けながら、父はゆっくりと天を仰いだ。
「そなたの意思は承知した。だが──」
そして、淡々と告げる。
「クラリスが、王太子妃になることを望むかは、別の話だ」
──全身を、氷水で冷やされたような感覚。
父は……何を、言おうとしている。
「昨日、私はクラリスから、彼女の望みを聞いた」
「……っ!?」
初耳だった。
クラリスが登城していたとは聞いていない。
父に褒美の話をしたとも、聞いていない。
なぜ、この人は──
私に、何も言わずに。
震える拳を握りしめ、父の横顔を凝視する。
「彼女の名誉に関わることだ。ゆえに、私の口から、彼女が何を望んだのかを語ることはできない」
そう前置きしてから、父は続けた。
「だが──」
一瞬の間。
「クラリスは、もうここにはいない」
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次回は3月13日(金) 19:00更新予定です。
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