貴族の矜持
私たちがローザルディアから戻って、数日後。
ルークとともに、父から客間へ呼び出された。
「なんだろうね、こんなときに……」
ルークが、少し疲れた声で呟く。
彼は私のために、宮廷内を忙しく動き回ってくれていた。
宮廷内の意見は、完全に二分されている。
私を王太子妃に望む声。
そして、ガルストンの提言どおり、リナを王太子妃に据えるべきだという声。
後者には、今のエヴァレット家の権力の強さを危惧する貴族たちの思惑も含まれていた。
同時に、ガルストンが口にした“平民差別の是正”という大義に、賛同する声も少なくない。
──国として、何らかの答えを出さなければならない段階に来ている。
その中で、ルークは私の立場を守るため、宮廷内の貴族たちに積極的に接触していた。
彼はまだ学生だ。
それでも、筆頭公爵家の次期当主と目される存在でもある。
その立場を背負いながら、貴族として。
私と、アレクシスのために──奔走してくれていた。
慣れない立ち回りに、疲労が溜まらないはずがない。
感謝と同時に、申し訳なさが胸に込み上げる。
「……ごめんなさい、ルーク」
私の謝罪に、ルークは目を丸くした。
けれどすぐに、苦笑を浮かべる。
「言っただろ? 『今度はちゃんと、守るから』って──」
ルークの手が、私の頭にそっと置かれる。
この一年で、彼はずいぶん背が伸びた。
空色の瞳が、私を見下ろしている。
「姉さんのことも、リナのことも──絶対、僕が守るから」
愛おしむように触れられる感触が、胸の奥に温かい感情を広げていく。
……本当に。
立派で。
誇らしくて。
私の、自慢の弟だ。
客間の扉が開き、そこに広がる光景に、私とルークは言葉を失った。
──公爵邸にいるはずのない人物が、そこにいたからだ。
その人物の向かいに座る父の視線が、こちらへ向けられる。
それと同時に、その人物もまた、静かにこちらへと視線を移した。
「お邪魔しております──クラリス嬢、ルーク殿」
彼──ガルストン・フォーレンスは、いつもと変わらぬ薄い微笑を、その顔に浮かべていた。
「なんで──」
思わず悪態をつきかけたルークが、しかし言葉を飲み込み、唇を噛む。
私や父だけならまだしも、ここにはガルストンがいる。
彼の前で感情を露わにすることは、貴族として許されない。
すぐに気持ちを切り替えることは難しいのだろう。
それでもルークは、自分の内から溢れ出そうとする感情を、必死に抑え込んでいるように見えた。
「──座りなさい」
相変わらず無表情な父からは、感情の揺らぎは読み取れない。
だが、その静かな一言には、場を支配するだけの力があった。
促されるまま、私たちは空いているソファに腰を下ろす。
私たちが座ったのを見計らって、ガルストンは口を開いた。
「エドワード殿と、昔話をしておりました」
「昔話……?」
ルークが警戒の色を含ませた声で、ガルストンを睨みつける。
しかし彼はそれを受け流すように、ゆっくりと頷いた。
「ええ。エドワード殿とは、学園で同じ時間を過ごしましたから。そのときのことを」
陛下や宰相である父、騎士団長ヴィンセントなど、彼らは同年代で、同じ時代にエリューシア学園に在籍していた。
──一体、どんなカオスな学園だったのだろうか。
想像しただけで、背筋がひやりとする。
その中に、どうやらガルストンも含まれていたらしい。
……少しだけ、同情してしまう。
ルークも同じ気持ちだったらしく、その表情は複雑そうだった。
「あのときは、私の父が宰相を務めておりましたが、当時のエヴァレット公爵も聡明な方でした。彼女に意見を伺うため、私は父とよく、こちらにお邪魔しておりました」
先代のエヴァレット公爵──私の祖母で、父の母に当たる人物。
彼女は女公爵であったため、宰相という地位を得ることはなかったが、その優秀さは認められていた。
相談役のような形で政治にも関わっていたと聞いてはいたが、当時宰相だったガルストンの父と、そこまで交流があったとは思っていなかった。
「……ですが、あなたはお父上から宰相の座を譲り受けることはできなかったわけですね」
隣に座るルークが、鋭さを含んだ声音で、ガルストンを揺さぶろうとする。
父の視線がルークに注がれたが、それを止める様子はなかった。
おそらく、この程度の揺さぶりで、ガルストンが動じるとは思っていないのだろう。
予想通り、ガルストンの笑みは穏やかなままだった。
「当然です。エドワード殿が私より優秀なことは、私が一番よくわかっております」
自分よりふさわしい人物がいるなら、その人物がそれに見合った地位につくべき──
負け惜しみではない。
本心であると理解してしまったからこそ、ルークは口をつぐんだ。
ガルストンの視線が、今度は私に向けられる。
その冷たい視線──しかし、どこか憂いを含んだ視線を、私は真正面から受け止めた。
「……エヴァレット家は、優秀な一族です。その実力は、筆頭公爵家に──貴族の頂点に、ふさわしい」
その言葉には、嫌味など一切含まれていなかった。
心の底から、彼がそう思っているのだと伝わってくる。
「ですが──それ故に、この国の理念と反発してしまう」
この国の理念──“民と共に歩む”国であること。
エヴァレット家の存在が、それを阻んでいるのだと、彼は言った。
エヴァレット家は、「封印の鍵」の守護者の一族だ。
常に完璧を求め続け、国において確固たる地位を築いてきた。
それはひとえに、「封印の鍵」の力を持つ者を守るためだった。
しかし──その完璧さは、結果として、貴族の地位をより強固なものにしてしまった。
他の貴族も、エヴァレット家のような存在を目にすることで、貴族であることに過剰な誇りを抱き──
平民を無碍にする者が、少しずつ現れ始めていた。
「ノブレス・オブリージュ──」
それは、貴族の矜持。
高い身分にある者は、その立場ゆえに、弱い立場の者を守る責任がある。
「この国は、貴族と平民、どちらが欠けても成り立ちません。それは建国当初、ローゼリア様が平民の子どもたちの面倒を見ていた頃から、ずっと変わらない理念です」
初代王妃──ローゼリアは、戦乱の最中、貴族も平民も分け隔てなく接し、その命を救おうとした。
王となったエルヴィンは、そんな彼女に惹かれ、そして国としても、彼女の在り方を踏襲した。
「クラリス嬢。あなたは非常に優秀な令嬢だ。だが──」
筆頭公爵家の令嬢。
それが、私が持つ肩書だ。
その肩書が──
「……あなたの地位が、あなたを縛っている」
その声音は淡々としていながらも、どこか苦しさを滲ませていた。
「王太子は、その地位を変えることはできません。ですが、王太子妃は──選ぶことができる」
私が、筆頭公爵家の令嬢として王太子妃になることで。
貴族が、さらに貴族の内側へと閉じこもっていくことを、彼は懸念していた。
「……今しか、ないのです」
誰かが言った。
正義の反対は、また別の正義だと──
「これからの国を、どのように導いていくのか──民に示す機会は」
ガルストンの言葉は──
私の中に、重くのしかかった。
あのあと。
私は、結局、ガルストンに答えを返すことができなかった。
ガルストン自身もまた、私から答えを聞き出せるとは思っていなかったのだろう。
彼はそれ以上、何も言わずに席を立った。
ガルストンを見送りに行った父が客間に戻り、再びソファに腰を下ろす。
──沈黙が、降りる。
それに耐えきれなくなったかのように、ルークがソファの背もたれに勢いよくもたれかかり、頭を掻きむしった。
「……あんなの……姉さんのせいじゃないじゃないか……っ!」
ガルストンの言葉は、本心だった。
あれは、貴族としての駆け引きなど一切含まれていない──彼の、本当の思いだ。
だからこそ、ルークも処理しきれない感情を持て余しているようだった。
「大体……あいつは、貴族至上主義じゃないのかよ……」
ルークの困惑も、理解できた。
ヴィステリア公爵夫人を後ろ盾に持つガルストンは、貴族至上主義と見られていた。
その彼が語る、この国の理想は──
彼自身の立場と、あまりにも相反している。
だが、その疑問に対しては、父が答えを持っていた。
「……ガルストンは、長年、平民の孤児院を支援している」
父の言葉に、私とルークは驚いて目を見開いた。
……ガルストンが?
父とは対照的に、常に薄い笑みを浮かべ、感情を読ませないガルストン。
そんな彼が、平民に対して慈善事業を続けているという事実は、私たちに強い衝撃を与えた。
それは、おそらく貴族の誰も知らない事実だろう。
宰相である父が知っている以上──「王家の影」であるゼノの調査によるものに違いない。
そこで──
私は、一つの事実にたどり着いた。
孤児院……「星の祈り」。
リナが育った、孤児院。
孤児院の院長であるセシリアと、ガルストンの距離の近さは、貴族と平民のそれとは思えなかった。
ガルストンが長年、彼女の孤児院を支援し続けてきたからこその、信頼関係。
その結論に至ったことで──
ガルストンの言葉が、さらに重みを増した。
「……クラリス」
父に名を呼ばれ、私は顔を上げる。
そして、父を見返した。
──ガルストンの主張は、もっともだ。
彼の提案が、この国の未来を、より良きものへ導く可能性もある。
けれど。
私は──もう、決めたのだ。
自分で、自分の道を選ぶと。
それならば。
私は、自分の答えを示さなければならない。
──アレクシスと共に。
私の視線に、私の意思を感じ取ったのかもしれない。
父の口元に、珍しくかすかな微笑みが浮かんだ。
「……私は、お前の選択を尊重しよう」
お読みいただきありがとうございます。
次回は3月10日(火) 19:00更新予定です。
感想・ブクマ・ポイントで応援いただけると、とても励みになります。
どうぞよろしくお願いいたします。




