自分で選ぶ道 2
生徒会室の扉を開けると、中ではノアが一人、黙々と作業をしていた。
ルーク以外の生徒会役員が不在の間、役員でもない彼が、ずっと生徒会の仕事を支えてくれていたのだ。
私の姿に気づいた瞬間、ノアは目を丸くする。
「クラリス様……」
「おはようございます、ノア様」
私は彼のそばに歩み寄り、机の上に広げられていた書類に目を通した。
ぱっと見ただけでも、かなりの量だ。けれど、そのどれもが的確に処理されている。
「わたくしたちが不在の間、生徒会を支えてくださり、ありがとうございます」
「いえ……」
ノアはそう答えながら、どこか気まずそうに視線を彷徨わせた。
その落ち着かない様子に、私は内心で小さく首を傾げる。
すると彼は、少し迷った末に、意を決したように口を開いた。
「その……クラリス様は、大丈夫でしょうか……」
一瞬、何を問われているのかわからなかった。
けれど、すぐに──
彼が、今私が巻き込まれている状況を案じてくれているのだと気づき、その気遣いに胸の奥がじんわりと温かくなった。
謁見の間での出来事は、貴族の間ではすでに広く知られている。
ノアが耳にしていても、何ら不思議ではない。
そういえば、ここへ来る途中も、他の生徒たちの視線をいつもより強く感じていた。
あれはそういうことだったのだと、今さらながら理解する。
だが──
「……わたくしは、大丈夫です」
ノアの目を見つめ、私ははっきりと、そう答えた。
迷いなどない、本心からの返答だった。
ノアの動きが一瞬、止まる。
次の瞬間、彼はみるみるうちに顔を赤くし、慌てたように視線を逸らした。
……あれ? 選択肢を間違えたかしら。
「さ、差し出がましいことを申し上げました……!」
いつも冷静な彼にしては珍しく、明らかに狼狽している。
どうやら、自分が余計なことを言ってしまったと思ったらしい。
ノアの、こういうところ。
相手の立場を思いやり、踏み込みすぎたかもしれないと反省できるところは、貴族にしては珍しく、そして本当に貴重だ。
そんな彼だからこそ──
「……ノア様。もう一度、生徒会に入ることを、考えていただけませんか?」
私の言葉に、ノアははっと顔を上げた。
その表情には、戸惑いがはっきりと浮かんでいる。
それも無理はない。
この提案は、私やアレクシスが何度も口にし、そのたびに彼が断ってきたものだからだ。
彼がいつものように、拒否の言葉を口にする前に。
私は、静かに言葉を重ねた。
「わたくしは──あなたの道を、あなた自身で“選んで”いただきたいのです」
ノアの瞳が、大きく見開かれる。
「クラリス様……」
言葉の真意を測りかねているのか。
それとも、理解したうえで、受け止めることを拒んでいるのか。
どちらなのかは、わからない。
だが、それでも。
私は、彼に“選んで”もらいたかった。
ノアの兄──ユリウス・フィッツジェラルド。
アレクシスの前の生徒会長だ。
彼は、生徒会長の権限を利用し、王太子であるアレクシスに汚点を残そうと画策した。
その背後には、複数の有力な貴族たちがいた。
未来の王を貶め、貸しを作る。
ユリウスは、彼らの支援を受けながら、アレクシスを追い詰めようとしたのだ。
だが──
アレクシスはそれを見事に退け、結果としてユリウスは失脚した。
あのとき。
一年生として生徒会に在籍していたノアは、兄の行為が誤りであると理解していながら、それを止めることができなかった。
彼は、そのことを自らの過失として背負い。
兄の失脚と同時に、生徒会を退いた。
それから彼は、生徒会の外から学園運営を支え続けている。
決して、自分が表舞台に立つことはなく。
兄の犯した過ちを、自分の罪のように感じながら。
──でも、それは。
「ノア様。あなたの道は、あなたのものです。……他者を理由に、それを放棄しないでください」
「──……っ」
……私も、同じだった。
ずっと、自分に言い訳をしていた。
彼女は、ヒロインだから。
彼は、攻略キャラだから。
私は──悪役令嬢だから。
他者や自分の役割を理由に、私は“選ぶ”ことを、放棄しようとしていた。
でも──違う。
私は。
私たちは、自分で自分の道を選ばなければならない。
それがもし、間違った道だったとしても。
自分で選んだ道でなければ──前には、進めないのだ。
ノアのストレートブルーの瞳が、揺れる。
言葉を紡ごうとして、口が開いては閉じ、開いては閉じ──やがて。
「……それは、なかなか厳しいお言葉ですね……」
絞り出すように口にしたその言葉とは裏腹に。
ノアは、泣きそうで、それでいてどこか晴れやかな表情で、微笑んだ。
──ああ、なんて眩しい笑顔。
さすが課金キャラ。
静かに首肯し、生徒会に戻る意思を口にするノアを前に。
心の中で、「やっぱり課金しておけばよかった」と思っていたことは──
墓場まで、持っていこうと思う。
ノアとともに生徒会の仕事を片付け、帰路に着く頃には、すでに日が落ちかけていた。
夕陽を背に、馬車の待合所へと足を向けたとき、低く穏やかな声が耳に届く。
「君は、君の道を見つけたようだ」
──私は、振り返らない。
そこには、誰もいない。
“彼”の声だけが、私の耳に届いているのだと、理解していた。
「……はい」
影越しに届けられた彼の声──ゼノの声は、私の返事に、小さく笑ったように聞こえた。
「ガルストンの背後には、ヴィステリア公爵夫人がいる」
「はい」
「だが──今回の件を操っているのは、ガルストン自身だ」
私は足を止めた。
ゼノが何を伝えようとしているのか──その真意を探る。
「王家の影」。
王家と国のために存在する、それが彼の本質だ。
その彼が、今、私に何を告げようとしているのか。
「君が望むなら──私が、すべてを排除しよう」
──その言葉に、私は息を呑む。
なぜ、と口にするよりも早く。
彼は、静かに言葉を重ねた。
「……君が王太子妃になるのならば、君は王家の人間だ。王家に仇なす者は、私の排除対象となる」
どこか愉しげな色を帯びたその声音は──
私の答えをわかっていて、なお試すかのように紡がれているのだと、すぐにわかった。
ならば、答えは一つだ。
「……必要ありません。私は──いえ、私たちは、自分たちの力で、乗り越えてみせます」
ガルストンの主張は、この国の在り方そのものに、一石を投じたものだった。
それを、反則のような方法で排除したとしても。
問題は、形を変えて残り続ける。
私は。
私たちは──
この国の未来を背負っていくのならば。
力を合わせて、乗り越えなければならないのだ。
「……そうか」
満足そうに。
それでいて、ほんのわずかな寂しさを含んだ声が、耳に残る。
「では、私は見守ることにしよう」
声が、徐々に遠ざかっていく。
消えゆく影が、最後の言葉を落とす。
「……“魔法使い”は、お姫様の幸せを願っている」
──そこにいないと、わかっていても。
私は、振り返らずにはいられなかった。
勢いよく振り返った先には──当然、誰の姿もない。
──聞き違い……?
けれど。
あの響きは──
それからしばらく、私は動くことができず、ただ、何もない空間を見つめ続けていた。
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次回は3月6日(金) 19:00更新予定です。
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