【リナ】今度は、私が
──なんだか、良くないことになっている。
そう思うのに、何がどう良くないのか、うまく言葉にできない。
「じゃあ、リナ。良い夢を」
セシリアさんの腕に抱きしめられて、私はその胸の中で、そっと息を吐いた。
「……はい。セシリアさんも」
名残惜しく腕を離されてから、私は精一杯、笑顔を作る。
ちゃんと笑えただろうか。
少しだけ、ぎこちなかった気もする。
セシリアさんは、そういうところにとても敏感だ。
私の表情をじっと見つめたあと、わずかに眉根を寄せる。
「……リナ?」
頬に触れた手は、少しだけ荒れている。
毎日、たくさんの子どもたちの世話をして、働き続けてきた人の手。
それでも、とても温かい。
私は、その手にそっと自分の手を重ねた。
このまま──
全部、言ってしまおうか。
私が、怖いと思っていること。
自分のせいで、大好きな人が傷ついているかもしれないこと。
……クラリス様を傷つけるくらいなら、貴族の養子になんてなれなくてもいいこと。
でも、そんなことを言ったら。
セシリアさんは、きっと悲しむ。
それでも──
「セシリア。リナ嬢はお疲れだ」
言葉を探している私の背後から、低く落ち着いた声がした。
「一日中、あちこちに呼ばれていたのだ。今は休ませてあげよう」
ガルストン様が、セシリアさんの肩にそっと手を置く。
その仕草は、優しくて、自然で──まるで、昔からそうしてきたみたいだった。
セシリアさんは、はっとしたように口元を押さえる。
「そうですね……ごめんなさい、リナ。気づかなくて」
「う、ううん。私は……大丈夫だよ、セシリアさん」
本当は、全然大丈夫じゃない。
でも、そう言うしかなかった。
胸の奥まで上がってきていた言葉は、そのまま、押し戻される。
私は、セシリアさんの後ろに立つガルストン様を、ちらりと見た。
視線に気づいた彼は、何も言わず、ほんのわずかに口の端を上げただけだった。
それだけで。
なぜか、何も言えなくなった。
ガルストン様は、そのままセシリアさんを静かにエスコートし、部屋を出ていく。
扉が閉まったあと。
私は、一人きりになった部屋で、小さく息を吐いた。
──やっぱり、良くないことになっている。
部屋に一人になり、私はふかふかのベッドに腰を下ろした。
ここはお城の中の客室らしい。今日はここに泊まるように言われている。
天蓋付きの大きなベッドに、淡い色の上掛け。
磨き上げられた床には柔らかな絨毯が敷かれ、壁には上品な装飾が施されている。
小さなテーブルの上には花が活けられ、ほのかにいい香りが漂っていた。
どこを見ても、静かで、綺麗で、まるで絵本の中みたいな部屋だ。
孤児院で暮らしていた頃との落差に、ため息が漏れる。
貴族って、すごいなぁ……
クラリス様の公爵邸にお泊りしたときも思ったけれど、やっぱり貴族と平民は、身分が違うのだ。
──それなのに、なんで。
私はそのままベッドに体をあずけた。
なんでそういうことになったのか、全然わからないけれど。
どうやら、私がアレクシス殿下の婚約者になる、という話が出ているらしい。
本当に意味がわからない。
私はただの平民だ。
「封印の鍵」という力を持っているらしいが、それはそれ、これはこれ。
何をどうしたら、私を殿下の婚約者にしようなんて考えが出てくるのか、さっぱりだ。
……どうせ誰かのお嫁さんになるなら、クラリス様の──
そこまで考えて、私は手元にあった枕を手に取り、ぼすっと顔に当てた。
きゃー、きゃー、きゃーっ!!
自分の想像に自分で恥ずかしくなって、思わず身悶えてしまう。
……もちろん、そんなことができないのはわかっている。
だから、私はクラリス様の幸せを願った。
クラリス様が、クラリス様の好きな人と幸せになってくれることを、祈った。
──そして。
たぶん、クラリス様は。
自分の気持ちに、気づき始めている。
アレクシス殿下の想いが、クラリス様に届いたのだと。
私は……本当に嬉しかった。
それと同時に感じた少しの寂しさは、大事に、大事に、しまっておくと決めた。
なのに。
──今のままでは、私の存在が……クラリス様の幸せの、邪魔になってしまう。
顔を埋めていた枕をそっと外し、私は身を起こした。
みんなが、私のしたことを褒めてくれた。
「封印の鍵」の力で、この世界を救ったのだと、喜んでくれた。
でも、違う。
本当に世界を救ったのは──クラリス様だ。
クラリス様がいなかったら、私は「封印の鍵」を得ることができなかった。
クラリス様がいなかったら、私は「古代の神」に負けていた。
クラリス様がいなかったら……
気づくと、目からぽろぽろと涙がこぼれていた。
大好きな人の、邪魔をしたくない。
クラリス様に、悲しい思いをしてほしくない。
……クラリス様に、会いたい。
私は乱暴に目元を拭うと、ベッドから飛び降りた。
──会いに行こう。
きっと、クラリス様は困っている。
自分の気持ちと、今のよくわからない状況の中で、身動きが取れなくなって立ち尽くしている。
もしそうなら。
今度は──私が、クラリス様を助ける番だ。
そう思った瞬間、もういても立ってもいられなくなった。
外はもう暗い。
もしかしたら、外に出してもらえないかもしれない。
でも、それでも。
クラリス様に会いに行くんだ。
きっと──“彼”なら、力を貸してくれる。
私は部屋の扉をそっと開け、扉の脇に立つ人物を探した。
思った通り──“彼”は、そこにいた。
「──リナ殿……?」
“彼”──ライオネル先生は、アイスグレーの瞳を大きく見開いた。
先生は、この城にいる間、私の護衛についてくれることになっている。
だから、部屋の前にいてくれると思ったのだ。
そして──ライオネル先生は。
きっと、クラリス様のために、力になってくれる。
「ライオネル先生──お願いが、あります」
私は、強い決意を込めて、ライオネル先生を見つめた。
ライオネル先生もまた──
唇を引き結び、私の目をまっすぐに見つめ返してくれた。
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次回は2月13日(金) 19:00更新予定です。
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