【アレクシス】彼女の不在
祝勝の宴は、これ以上ないほど華やかなものだった。
金糸を織り込んだ天幕、無数の燭台に灯る柔らかな光、所狭しと並ぶ豪奢な料理。
貴族たちは杯を掲げ、勝利と平和を称える言葉を惜しみなく口にしている。
その賑わいの中心で、私はただ立ち尽くしていた。
人々の笑顔も、祝福の声も、どこか遠い。
視線だけが、無意識のうちに人混みを彷徨う。
私は人混みの中にクラリスの姿を探したが、どこにも見つからなかった。
──クラリス……
昼間の謁見の間での出来事。
あの後、父と母とともに王族専用の間に戻り、話した内容が否応なく脳裏に蘇る。
「──ガルストンの言い分は正しい」
ガルストンの行動に憤りを隠せない私に、冷水を浴びせるような言葉だった。
思わず目を見開く私を、父はソファに深く腰掛けたまま、王としての冷静な眼差しで見据えてくる。
「何を……おっしゃっているのですか」
信じられないものを見るように、父を見返す。
私と同じ青い瞳は、感情を排した静けさを湛え、ただ事実だけを見ていた。
父の隣に腰掛ける母は、口を挟むことなく私たちを見守っている。
だが、その柔らかな表情には、確かに憂いの色が滲んでいた。
「冷静になれ。ガルストンは、何も間違ったことを言っていない。それは事実だ」
「それがおかしいではありませんか!」
「──冷静になれと言っている」
低く、しかし有無を言わせぬ声音。
「そうでなければ、お前の大切なものは守れないぞ」
その言葉は、忠告であり、警告でもあった。
私は言葉を失ったまま、拳を握りしめる。
守るべき“大切なもの”が、何を指しているのか──
父が、そして自分自身が、誰よりもよく理解しているからこそ。
自身の憤りをなんとか抑え込んだ私を見て、父はゆっくりと息を吐いた。
「……リナがガルストンの養子となり、お前の婚約者となることは、国としても利がある」
淡々と紡がれる言葉に、歯噛みしたくなる衝動を必死で押し殺す。
「ただの平民を王族として迎えることはできぬ。だが、リナは『封印の鍵』であり、この国にとって不可欠な存在だ。その彼女が侯爵家の地位を得ることができれば──」
父の声が、どこか遠くに響く。
「エルデンローゼ王国は、民と共にある。貴族と平民の身分差はあれど、どちらも王国を支える民だ。……リナを王族に迎え入れることで、それを“体面として”示すことができる」
──そんなことは、わかっている。
私の中の王太子としての冷静な部分は、その理屈を正しく理解していた。
だが──
感情が……どうしても、ついてこない。
「……王としての一存だけで、却下できる提案ではない」
それは、私に突きつけられた宣告だった。
父は、動かない。
ガルストンの提案に対して、王としての権力は行使しない。
そう、父は静かに告げている。
「あなた……」
やり取りを見守っていた母が、思わず声を上げる。
その声音には、かすかな抗議と、抑えきれない不安が滲んでいた。
だが父は、母に視線を向けることなく、深くソファの背もたれに身を預ける。
「……それが、王になるということだ」
──父の言葉は、どこまでも正しかった。
次々と祝いの言葉をかけてくる貴族たちに、王太子としての対応をこなしながら、私はクラリスの姿を探し続けていた。
とにかく、彼女と話がしたかった。
私はまだ、きちんと自分の気持ちを彼女に伝えられていない。
求婚の意思は、きっと伝わっただろう。
けれど、ガルストンの横槍によって、彼女を不安にさせてしまったかもしれない。
だから、伝えたい。
私は──彼女と、共に在りたい。
生涯を共にしたいのは、まぎれもなく彼女なのだと。
その想いを、はっきりと、言葉にして伝えなければならない。
その上で、父から課せられた新たな課題に向き合う。
……クラリスが、私の手を取ってくれたのなら。
私は何の憂いもなく、この困難を乗り越えられる。
そう、疑いなく信じていた。
やがて、扉の方からざわめきが起こる。
視線を向けると、そこにはルークとリナの姿があった。
──クラリスは、いない。
嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
ルークはこちらに気づくと、リナをエスコートして近づいてきた。
彼女の存在に気づいた貴族たちは、自然と道を開く。
向けられる視線は、期待、好奇、称賛、そして──
はっきりとした、打算。
胸の奥が、ざわつく。
私の前まで来たルークは、一瞬だけ視線を伏せてから、静かに告げた。
「……姉さんは、来ないよ」
聞きたくなかった事実に、私は思わず唇を噛んだ。
ルークの隣で、リナが困ったように眉根を寄せ、私とルークを交互に見ている。
「あの……ごめんなさい。私のせいで、何か変なことに……」
本心から困惑しているのだろう。
周囲から向けられる視線に耐えきれないように、リナは小さく肩をすくめた。
いつもなら、このような場で、彼女のそばには必ずクラリスがいた。
そしてリナは、その存在に支えられるようにして、かろうじて平静を保っていた。
しかし、今──
彼女は、この場にいない。
ルークが付き添っているとはいえ、リナのそばに立てないほど、クラリスは傷ついているということなのか。
おそらく彼女は、私の父と同じ結論に辿り着いている。
ガルストンの提言が国の利になることを理解し、そのうえで──
自ら身を引こうとしているのではないか。
そんな最悪の予感が、脳裏をよぎる。
「まぁ、ご覧になって。殿下と聖女様が……」
「本当に……お似合いですこと」
貴族たちのひそやかな囁きが、耳に刺さる。
リナにも届いたのだろう。彼女の表情は、さらに曇っていった。
自分の存在が、クラリスを傷つけてしまったのではないか。
そんな思いに、彼女が囚われているのは明らかだった。
「リナのせいじゃないよ」
その空気を断ち切るように、ルークがきっぱりと言い放つ。
だが──
その視線は、リナではなく、まっすぐに私へと向けられていた。
責めるように。
問い詰めるように。
鋭く、迷いのない視線。
「……ちゃんとしてよ。じゃないと──」
言葉は、そこで途切れた。
──僕が、姉さんをさらっていくから。
口にされずとも、その意図は痛いほど伝わってくる。
私は、ルークの視線を真正面から受け止めた。
──そんなことは、させない。
言葉にせず、視線だけでそう返す。
二人の間に、張り詰めた沈黙が落ちた。
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次回は2月10日(火) 19:00更新予定です。
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