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『没落寸前の貴族に転生してしまった』〜現代知識という名の魔法で、中世を20世紀へ塗り替える合理的再興録〜  作者: tky
第4章:世界秩序の維持と人類の夢

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第58話:魔王の帰還と、世界で一番温かい朝食

大和皇国の東の空が、薄紫色から柔らかな茜色へと染まり始める頃。


音を置き去りにするステルス輸送機が、海沿いの秘密格納庫へと滑り込むように帰還した。


漆黒の機体から降り立ったリヒトは、小さく息を吐き、乱れたトレンチコートの襟を正した。


つい数時間前まで、彼は地球連邦の首都で冷酷な指揮を執っていた。


旧世界の残党による無軌道なテロリズムを、圧倒的な知略と包囲網で完璧に封じ込めたのだ。


エリザベートの政治力、セシリアの金融支配、ニーナの化学兵器、そしてマルクとカイルの献身。


かつての「神童」たちと共に戦った時間は、彼にとって懐かしく、そして確かに血湧き肉躍るものであった。


(……だが、やはり私には、もうあの玉座は冷たすぎるな)


リヒトは、まだ少し火薬と電子機器の匂いが染み付いているコートを脱ぎながら、別邸へと続く小道を歩いた。


早朝の澄んだ空気が、彼の中に残っていた「魔王」としての冷たい熱を、少しずつ冷ましていく。


家の前に着くと、換気扇から柔らかな白い湯気と共に、出汁の香りが漂ってきた。


その匂いを嗅いだ瞬間、リヒトの顔からすべての緊張が抜け落ちた。


どんな超技術の防壁よりも、どんな強力な軍隊よりも、彼を安心させる「匂い」。


玄関の扉をそっと開けると、台所から小気味よい包丁の音が聞こえてきた。


「……ただいま、サクラ」


リヒトが声をかけると、エプロン姿のサクラが振り返った。


彼女の表情が一瞬だけ驚きに丸くなり、次の瞬間、花が咲くような満面の笑みに変わる。


「おかえりなさい、リヒトさん! ……ふふ、本当に朝食に間に合わせてくれたんですね」


「ああ。約束は守る主義だからね。それに、君の味噌汁を逃すような非合理的なタイムスケジュールは組まないさ」


リヒトは苦笑しながら、台所へと近づく。


サクラは手を拭き、リヒトの顔をじっと見つめた。


その瞳には、彼が昨夜どれほどの修羅場を潜り抜けてきたかを、すべて察しているかのような深い慈愛が湛えられていた。


「……お疲れ様でした。怪我は、ありませんか?」


「私を誰だと思っている。安全な指令室から、チェスの駒を動かしていただけだ。……ただ、少しだけ、旧友たちの『過剰な愛情表現』に疲れたがね」


リヒトの冗談めかした言葉に、サクラはクスクスと笑った。


セシリアやエリザベート、ニーナたちの存在を、サクラは知っている。


世界で最も賢く、美しく、力を持つ女性たちが、リヒトにどれほどの想いを寄せているかも。


それでも、サクラの心に嫉妬や不安は微塵もなかった。


「皆さん、リヒトさんに会えて嬉しかったんでしょうね。……でも、最後に帰ってくるのは、私のところですから」


サクラは背伸びをして、リヒトの頬にそっと手を添えた。


彼女の手は、料理の支度で少し冷たかったが、リヒトの胸の奥をじんわりと温めてくれる。


(……ああ、そうだ。これなんだ)


リヒトは、サクラの手の上に自分の手を重ねながら、静かに目を閉じた。


エリザベートは、彼に「世界を支配する玉座」を約束した。


セシリアは、彼に「無限の富と経済の支配権」を捧げた。


ニーナは、彼に「知性の限界を超える力」を提供した。


だが、彼が本当に欲しかったものは、そのどれでもない。


前世で過労死し、この世界で血を吐くような努力で世界を再構築してきた彼が、最後に辿り着きたかった場所。


それは、この「何の見返りも求められない、ただ穏やかな日常」だった。


「……サクラ。君は、世界で一番強欲な簒奪者かもしれないな」


「え? どういうことですか?」


サクラが小首を傾げる。


「魔王と呼ばれた男の全存在を、ただの一杯の味噌汁と、その笑顔だけで独占しているのだから。……セシリアたちが知ったら、嫉妬で暴動が起きるぞ」


「もう、リヒトさんったら。すぐ大袈裟な言い方をするんですから」


サクラは照れ隠しのように微笑むと、リヒトの背中を軽くポンと叩いた。


「さあ、難しいお話はおしまいです。手を洗ってきてください。ちょうどお豆腐とワカメのお味噌汁ができたところですから」


「ああ。世界で一番価値のある朝食を、いただこう」


数分後。


小さな食卓には、炊き立ての白いご飯と、出汁の効いた味噌汁、そして大和の素朴な惣菜が並べられていた。


一口、味噌汁を啜る。


大豆の豊かな風味と、完璧な温度。


リヒトの全身の細胞に、平和という名の栄養が染み渡っていく。


「……美味しい。アテナに数万回の演算をさせても、この味の最適解は弾き出せないだろうな」


「ふふ、アテナさんには内緒の隠し味が入っていますから」


「隠し味?」


「はい。リヒトさんが無事に帰ってきますようにって、たくさん祈りながら作りました」


その言葉に、リヒトは箸を止め、サクラを真っ直ぐに見つめた。


魔法も神も存在しない、ただ物理法則だけが支配するこの世界。


祈りなどという非合理な行為には、何の効果もないはずだ。


だが、リヒトは今、その「非合理な祈り」こそが、自分の心を救い続けているのだと確信していた。


「……最高の隠し味だ。これ以上の最適解はない」


リヒトの優しい微笑みに、サクラも嬉しそうに頷き返す。


窓の外では、完全に夜が明け、大和の美しい朝陽が二人を包み込んでいた。


世界は今日も、彼が構築したシステムの上で、冷徹に、そして完璧に回り続けている。


だが、この小さな食卓だけは、そのシステムから切り離された、絶対不可侵の聖域だった。


合理主義の魔王は、愛する少女と共に、今日も不器用で幸福な一日を始める。

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