第57話:三美神の暗闘と、最も優雅な包囲網
作戦名『ラプラスの悪魔』が発動し、首都の地下で静かなる殲滅戦が幕を開けようとしていた頃。
中央防衛指令室のメインモニターに、突如として二つの通信ウィンドウが強制的に割り込んだ。
セキュリティのファイアウォールを難なく突破して現れたのは、息を呑むほど美しい二人の女性だった。
『あら、リヒト様。大和での泥遊びはもう飽きたのかしら?』
連邦議会議長、エリザベート。
彼女は議長室の豪奢な椅子に身を沈め、赤い唇に蠱惑的な笑みを浮かべていた。
『お帰りなさいませ、リヒト様。……私の許可もなく勝手に口座の資金を動かして軍用機を飛ばすなど、少々契約違反ではありませんか?』
世界中央銀行総裁、セシリア。
彼女は積み上げられた金塊のような金の扇子で口元を隠し、流し目でリヒトを見つめている。
指令室のオペレーターたちが、世界を牛耳る二大巨頭の突然の登場にどよめく中、リヒトは表情一つ変えずにモニターを見返した。
「エリザベート、セシリア。今は作戦中だ。私用電話なら後にしろ」
『私用ではありませんわ』
二人の声が、ピタリと重なった。
画面の向こうで、二人の間に火花が散ったのが目に見えるようだった。
その空気を切り裂くように、白衣姿のニーナがリヒトの背後から身を乗り出した。
「ちょっとちょっと、お二人とも。今はボスと私が、現場で直接作戦を指揮してるんですからね。外野は引っ込んでてくださいよ」
ニーナは誇らしげに胸を張り、リヒトの肩にそっと手を添える。
「私が作った特製ガスで、あの忌々しいネズミどもを一網打尽にするんです。……ね、ボス? 私の貢献度が一番高いですよね?」
ニーナの露骨なアピールに、モニターの向こうの二人の目がスッと細くなった。
『……あら、ニーナ。随分と生意気になったわね。あなたの研究所の予算、来季は議会の承認が少し「遅れる」かもしれないわよ?』
エリザベートが、氷のように冷たい声で脅しをかける。
『ええ、ええ。それに、特殊ガスの材料を調達できたのは、私が裏で市場の価格を操作して、特急で物流のラインを確保してあげたからでしょう?……頭ばかり良くても、金と流通がなければただのガラクタですわ』
セシリアが、扇子の奥でクスクスと笑う。
「なっ……! ずるいですよ、二人とも権力に物を言わせて!」
三人の女性たちの間で繰り広げられる、リヒトの「寵愛」と「手柄」を巡るバチバチの牽制劇。
カイルやマルクは、触らぬ神に祟りなしとばかりに、そっと視線を逸らしてコンソールに張り付いていた。
リヒトは小さく溜息をついた。
「……お前たち。自分の有能さを私に誇示したいのなら、言葉ではなく結果で示せ」
その一言に、三人の顔つきが一瞬にして「仕事の顔」へと切り替わった。
『当然ですわ。すでに「黒の歯車」の背後にある資金源は、三十二のダミー口座をすべて特定しました』
セシリアが、端末を優雅に叩く。
『彼らに資金援助をしていた旧貴族派の口座は、十秒前にすべて凍結。……明日の朝には、彼らはパン一つ買えない一文無しですわ。私の金融網から逃れられるとでも思って?』
「……流石だな、セシリア」
リヒトが短く褒めると、セシリアの頬が微かに紅潮した。
『ふふ、まだまだ。彼らの「政治的生命」を絶つのは私の仕事よ』
エリザベートが、不敵に笑う。
『すでに各メディアに、彼らが首都の「孤児院」のインフラまで標的にしたという捏造……いえ、少し脚色した情報をリークしておいたわ。これで彼らは大衆の敵。どの国境も越えられない。私に逆らったことを、後悔させてあげる』
「……見事な世論操作だ、エリザベート。彼らの退路はこれで完全に塞がれた」
リヒトの賞賛に、エリザベートは満足げに腕を組んだ。
二人の圧倒的な包囲網を見せつけられ、ニーナが焦ったようにリヒトの袖を引く。
「ぼ、ボス! 私のガスだって完璧ですよ! 見てください!」
ニーナがメインモニターを切り替えると、地下冷却システムの監視カメラの映像が映し出された。
マルクの仕掛けたアナログな時限装置が、静かに作動する。
シュー……という微かな音と共に、無色無臭のガスが通気口から散布された。
侵入していた十数名のテロリストたちは、ガスに気付くことすらなく、極度の緊張による発汗と反応した化学物質によって、次々と崩れ落ちていく。
一切の流血も、破壊の拡大もなく、彼らは深い眠りへと落ちた。
「……作戦完了。見事だ、ニーナ。お前の化学は、相変わらず私の期待を裏切らない」
リヒトが振り向いてニーナの頭を軽くポンと叩くと、彼女は顔を真っ赤にして、へへっと無邪気に笑った。
その光景をモニター越しに見ていたセシリアとエリザベートは、無言で殺気を放っていた。
((……あの泥棒猫。現場にいることをいいことに……!))
三人の女性たちは、互いに目配せをし、火花を散らした。
彼女たちの本音は一つだ。
大和皇国でリヒトの隣を独占している、あの「平民の少女」サクラ・シノノメ。
彼女には決して持っていない「力」と「知性」で、リヒトの世界を支え、彼にとって不可欠な存在であり続けること。
それこそが、彼女たちなりの不器用で、圧倒的に有能な「愛情表現」だった。
「……カイル。テロリストの身柄を確保しろ。それと、各インフラの復旧作業を急がせろ」
リヒトは三人の暗闘に気づかぬふりをして、次々と指示を出す。
『了解しました、リヒト様。……それにしても、彼女たちの連携と妨害のバランス、恐ろしいですね』
カイルが小声で囁くと、リヒトはわずかに口角を上げた。
「彼女たちのプライドと競争心が、この世界のシステムをより強固にしている。……計算外の嫉妬も、時として最高の『出力』を生むということだ」
「……ボス、本当に人の心が分かってないのか、分かりすぎてるのか、どっちなんですかね」
マルクが呆れたように頭を掻く。
首都を脅かしたテロリズムは、リヒトの帰還と、彼を愛する三人の「神童」たちの過剰なまでの包囲網によって、たった数時間で完全に鎮圧された。
「さて、大和に戻らなければな」
リヒトはコートを翻し、指令室の扉へと向かう。
『お待ちになって! リヒト様、今夜は私の用意したスイートルームで……』
『ダメよ、私が議会の特別晩餐会に招待するわ!』
「ボス! 私のラボで、新しい爆薬の実験に付き合ってくださいよ!」
三人の悲痛な(?)引き留め工作を背に受けながら、リヒトは振り返らずに手を挙げた。
「すまないが、約束がある。……明日の朝食の味噌汁には、遅れられないのでね」
魔王は、かつての部下たち――いや、世界で最も厄介で愛おしい三人の女性たちを残し、再びサクラの待つ極東の島国へと飛び立っていった。




