第55話:亡霊なき世界の反逆者たち
大和皇国の秘密格納庫から射出された黒い機体。
それは音速を遥かに超え、成層圏の縁を滑るように飛翔していた。
機内の気圧制御と重力キャンセラーは完璧に機能している。
搭乗者であるリヒトは、まるで書斎のソファに座っているかのような静寂の中にいた。
彼の目前には、地球連邦の全インフラ網のステータスが、無数のホログラムパネルとして展開されている。
真っ赤に染まったエラーの海。
その光景は、彼が数年前に叩き潰した「旧世界」の断末魔を思い起こさせた。
「……カイル。状況のアップデートは」
リヒトが短く問うと、通信スクリーンにカイルの疲労に満ちた顔が映し出された。
かつて塾生だった彼は、今や立派な青年となり、連邦の屋台骨を支える首席事務総長となっている。
『リヒト様、被害は依然として拡大中です。第五ブロックの浄水施設も、先ほど物理的な破壊工作を受けました』
「アテナの予測モデルの修正状況は?」
『それが……現在進行形でディープラーニングを回していますが、犯人グループ「黒の歯車」の行動パターンを特定できません』
カイルの声が、焦燥に揺れる。
『彼らの動きは、完全に「確率論」や「効率性」から逸脱しています』
その報告を聞き、リヒトは小さく息を吐いた。
「……だろうな。彼らは、あえて最も『非効率』で『無意味』なルートを選んで侵入しているはずだ」
「AIにとって、それはサイコロの出目を論理で予測するようなものだ」
かつて、リヒトはこの世界を支配していた「秘密結社」を、文字通り根絶やしにした。
最高傑作であった聖女イゾルデすら、圧倒的な物理法則と質量兵器によって消滅させた。
彼らが操る未知の現象すら、リヒトにとっては「未解明の科学」に過ぎなかった。
圧倒的な物量と情報戦の前には、神秘など無力で、すべてが数値化可能な合理性の下に統制された。
それが、リヒト・フォン・アステリアが完成させた世界だった。
だが、今回の敵は違う。
『リヒト様。結社の残党という線は、完全に消去してよろしいのでしょうか?』
「ああ。あの時、私は彼らの根城を特殊な兵器で焼き尽くした」
リヒトは冷たく言い切った。
「生存確率は天文学的な低さだ。塵一つ残してはいない」
「それに、結社は良くも悪くも『世界を支配する』という明確なロジックを持っていた。だが、今回の連中にはそれがない。彼らの目的は、ただの『破壊』と『反逆』だ」
完璧な管理社会。絶対的な平和。
それを息苦しいと感じ、ただ己の衝動のままに、自らの命すら顧みずシステムを壊そうとする者たち。
それは、旧世界の亡霊ではない。
リヒトが作り上げた新世界そのものが生み出した「バグ」だった。
『……非合理な人間の悪意、ですか。アテナが最も苦手とする領域ですね』
カイルの呟きに、リヒトは深く頷いた。
「人間は、パンが満たされれば、次は『不満を持つ権利』を欲しがる生き物だ」
「私が彼らから『貧困』や『戦争』を奪った代償として、彼らは『システムへの反逆』という新たな娯楽を見つけたというわけだ」
通信機の向こうで、カイルが苦渋の表情を浮かべる。
『娯楽、ですか。この被害状況で、それはあまりにも……』
「彼らにとっては、だ。……だが、私のシステムを娯楽の的にするとは、少々不敬が過ぎるな」
リヒトの双眸に、かつて領地を魔改造し、世界を蹂躙した時の冷酷な光が宿る。
「カイル。首都への到着はあと十五分だ。アステリア高等専門学校の旧メンバーを非常招集しろ」
「特に、ニーナとハンスだ。彼らの物理的な『手腕』が必要になる」
『ニーナとハンスを……!? しかし、彼らは現在、重要プロジェクトの責任者を……』
「構わん。特権を使ってでも連れてこい。……これは、データ上の戦争ではない」
「物理的な『力』と『力』の、泥臭い殴り合いになる」
リヒトの命令は絶対だった。
『……了解しました。すぐに向かわせます』
通信が切れ、機内は再び静寂に包まれる。
リヒトは窓の外、眼下に広がる雲海を見下ろした。
間もなく十九歳になる。
彼にとって、この世界での人生のほとんどは、効率化と最適化の連続だった。
隠居してサクラと共に過ごした数ヶ月間は、彼にとって奇跡のような休息だった。
(……サクラ。明日の朝食の約束、守れそうにないかもしれないな)
リヒトは心の中で、静かに詫びた。
完璧な数式で組み上げた世界に、自らの手でパッチを当てなければならない。
「……さて、非合理なるテロリスト諸君」
「君たちの非効率な遊びに、最高の効率で終止符を打ってやろう」
首都の灯りが、厚い雲の切れ間から見え始めた。
魔王の帰還を告げるかのように、漆黒の機体は夜の街へと降下していった。




