第52話:共犯者の玉座と、飾りのない王冠
地球連邦議事堂。
かつて王国の中枢であった豪奢な王城は、今やガラスと鋼鉄で覆われた、近代的な議会施設へとその姿を変えていた。
円形の議場では、世界各地から選出された代表者たちが、連日熱を帯びた議論を交わしている。
その中心、一段高い議長席に座る女性。
かつての第一王女であり、現在は地球連邦議会の初代議長を務める、エリザベート。
彼女の胸元には、権威を示す重い宝石ではなく、磨き上げられた銀色の議員バッジが一つだけ光っていた。
「……静粛に。第三ブロックの環境予算案についてですが、AI『アテナ』の提示した最適化案には、当該地域における『伝統的景観の保護』という心理的変数が十分に組み込まれていません」
エリザベートの凛とした声が、議場全体に響き渡る。
「効率だけで街を区画整理すれば、住民の幸福度は一時的に低下します。……政治とは、システムの演算結果をそのまま押し付けることではありません。人間の感情という非合理を、いかに社会に軟着陸させるかという『技術』です」
彼女の言葉に、反発していた議員たちも次第に納得の表情を浮かべ、席に着いていく。
アステリアが構築した「完璧な管理システム」の中で、彼女は『人間らしさ』の防波堤として、見事に議会をコントロールしていた。
(……ふふ。少しはマシになったかしらね、この退屈な世界も)
エリザベートは、優雅に小槌を鳴らし、午前の審議を終了させた。
誰もいなくなった議長室に戻ると、彼女はふう、と小さく息を吐き、ベルベットのソファに身を沈めた。
視線の先には、壁に掛けられた一枚の古い絵画がある。
それは、彼女がまだ「王女」であった頃、王冠を頂き、豪奢なドレスを纏っていた頃の肖像画だ。
今となっては、遠い昔の喜劇の衣装のように思える。
「……議長。本日の議事進行、見事でした。アテナの予測値を上回る賛成票を獲得しましたね」
ホログラム通信が繋がり、カイルの顔が空中に浮かび上がる。
「お世辞はいいわ、カイル首席事務総長。……あなたの上司が残していった『宿題』の尻拭いをしているだけよ」
エリザベートは、わざと刺々しく言い放った。
「あなたの上司」――リヒト・フォン・アステリア。
王国を内部から食い破り、旧世界を破壊し、そしてすべての権力を投げ捨てて、大和皇国という極東の島国へ隠居してしまった、世界で一番身勝手な男。
「……リヒト様からの定期報告が届いていますよ。読みますか?」
カイルの言葉に、エリザベートは小さく鼻を鳴らした。
「どうせまた、サクラという小娘と新作の菓子を作っただの、畑の土壌改良に成功しただの、そんなくだらない内容でしょう? 私の貴重な執務時間を割く価値があるのかしら」
「……ご明察です。今回は『大和の伝統的な発酵食品における、ナノマシンを用いた発酵時間の短縮実験』について、五千文字ほどの情熱的な記述がありました」
「……呆れた。本当に、ただの暇を持て余した農夫ね」
エリザベートは呆れ顔を作りながらも、その視線はどこか遠くを見ていた。
リヒト・フォン・アステリア。
彼女にとって、あの男は決して「忠臣」などではなかった。
彼らは、古く腐敗した王政を破壊し、新しい時代を築くための「共犯者」だった。
エリザベートは、リヒトの恐るべき頭脳と冷酷な合理性を誰よりも高く評価し、自らの政治的野望のためにそれを利用した。
同時に、リヒトもまた、彼女のカリスマ性と政治的センスを利用して、無用な流血を避けた。
(……私たちは、最高のパートナーになれるはずだった)
エリザベートの胸の奥に、チクリとした痛みが走る。
もし彼女が、王座という古い権威への執着を捨て、もっと早く彼の「本質」に気づいていれば。
彼が本当に求めていたのが、世界を支配する力などではなく、ただ「平穏に生きるための安全な箱庭」だったと、理解できていれば。
「……議長? どうかされましたか?」
カイルの声に、エリザベートは我に返る。
「……いいえ、何でもないわ。……それにしても、サクラ・シノノメ。あの平民の少女は、ある意味で歴史上最も偉大な『征服者』ね」
「……と言いますと?」
「そうでしょう? 世界の軍隊も、帝国の聖女も、教国の信仰も、リヒトを屈服させることはできなかった。……でも、彼女はただ微笑むだけで、あの恐ろしい魔王の首に首輪をかけ、大和の地に縫い留めてしまったのよ」
エリザベートの唇の端が、皮肉げに、しかしどこか羨望を孕んで吊り上がる。
「……愛、という名の首輪をね」
エリザベートは立ち上がり、窓の外を見下ろした。
かつての王都は、今や様々な人種と文化が入り乱れる、地球連邦の中心都市として活気に満ちている。
身分制度は消え去り、誰もが自分の意志で未来を選択できる時代。
それは間違いなく、リヒトと彼女が共に夢見、そして血の滲むような思いで作り上げた世界だった。
「……カイル。リヒトに伝えておきなさい。……あなたが作ったこの退屈で平和な世界は、この私が、誰よりも美しく完璧に統治してあげるって。……だから、安心して、その狭い箱庭で平和を貪っていなさいとね」
「……承知いたしました。そのままお伝えしましょう」
通信が切れ、室内には再び静寂が戻った。
エリザベートは、胸元の議員バッジをそっと撫でる。
王冠はもうない。
血筋による絶対的な権力も、もうない。
だが、今の彼女は、かつての何倍も自由に、そして力強く、世界を動かしている。
(……私は、私の戦い方で、あなたを超えてみせるわ、リヒト)
新世界の議長は、誰に聞かせるでもなく、静かに宣戦布告を呟いた。
彼女もまた、リヒトが残した「合理的な世界」の中で、人間の意志と誇りを燃やし続ける、気高き女王であり続けていた。




