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ダイカッパーは流れない  作者: 須方三城
第三部 リバーハイド・フルブレイカーズ
60/65

57,ノットベアー・イエスディザスター


 それは、悠久の時流の中で忘れ去られた、悪夢の残滓ざんし


 ――最初、それはただの【くま】だと思われた。


 しかし、違った。

 それは熊などでは無かった。


 限りなく熊に近い外観を持つ、果てしなく熊から遠い生命体――否、【災厄】。


 災厄、即ち現象。

 生命体ですらないそれに最早【死】と言う概念は存在せず。


 人々は、その災厄を眠りに就かせた。


 深い深い、川の水底。

 幾重幾重にと重ねられた次元の層の内へ、その災厄を伏し、沈めた。


 二度と、決して二度と、その災厄が起きる事の無い様に祈りながら――



   ◆



「えぇぇ!? もう終わっちゃったんですか!?」


 満天の星空を水面に映す伏熊ふくま川。

 その河川敷に、ちょっと間の抜けた調子の少女声が響く。


 声の主たる少女は、緑の着物にかろうじて納めた実に豊満極まる乳を揺らしながら飛び跳ねて、不満を顕にしている。

 おお豊満……なんと豊満……!


 ご存知、河童族の姫君、晴華パカ様である。

 薄目で見ると、「パカ」って「バカ」に見えるよね。


「せっかくダイカッパーのお皿持ってきたのに!!」

「……本当に歩いて来たんだな、晴華ちゃん……」

「マジで妖怪バッジの存在意義を全否定しやがったガミ」

「つぅか揺らすなクマ。またしゃぶり尽くされてぇのかおぉん? クマ」


 名誉を挽回すべく、呼ばれてもいないのに駆けつけた晴華だったが……

 もう既に、皿助はザ・キルブリンガーズの首魁たるハイド博士を今まさに打ち破った所。


 晴華に呆れ果てる皿助・クマリエス・ガミジンの背後でハイド博士がごろんと転がっているのがその証拠。


「うぅ……事件が無事解決したのは喜ばしい限りですが……面目返上の機会が……なんでもうちょっと待てなかったんですか!! べーちゃんの居候いそーろー!!」

「わかり辛いレベルで珍しいタイプの間違い方を二連続しているぞ晴華ちゃん」

「え? そうですか? 何にしても、今はそう言う話じゃないですよう……」


 ダイカッパー起動の触媒となる平皿を谷間にしまいながら、晴華はしゅーんと俯いて溜息。


「……ふん……随分と……騒がしい……友達だな……」

「! ハイド博士……もう気が付いたのか」

「気が付いた……だけだがね」


 ハイド博士は身を起こす素振りも見せず、疲労を吐き出す様に深い息を漏らした。


「夜風で頭が冷え、冷静さは充分に取り戻している様子だな。では、先程の繰り返しになるが、正式な説教を始めると……」

「必要、無い」

「!」

「本当は……気付いていたよ……君に言われるまでもなく」


 目を細め、ハイド博士は星を見る。

 星の煌きの美しさに、誰かの美しさを投影している様に見える。


「だが、認めたくなかったんだ……姉が、私以外の男の事を第一にした事を……私が、姉に【失恋】してしまった事を……失恋からの【狂気】と【暴走】……それを理解していながら、目を背けていた。目を背けているだけだと言う事すらも理解しながら、それで構わないと思ってしまっていたんだ」


 感情の暴走を、狂気の沙汰を、身勝手な理屈でラッピングし、デコレートし、あらゆる不都合から目を背け続け、ここまで来た。来てしまった。

 それが、ハイド博士と言う男のバックボーン。

 同情に値する点は無く、情状酌量の余地も無い。

 どこまでも利己的身勝手を突き詰めた男。


 出世のために晴華を狙っていたの冠黒武カンクロウの如く己のエゴを剥き出しにして清々しい程の下衆ぶりを披露していたのならともかく、ハイド博士はそれを美辞麗句で取り繕おうとした……どこまでも救い様の無い意地汚さだ。

 下衆なりの美学や矜持も無い下衆……下衆オブ下衆である。下衆キングと言っても良い。


「……俺は失恋をした事が無い。しかし、世の中にはそれを乗り越えて笑って生きている人がごまんといる事は知っている。お前もそうであれ……お前の笑顔を望んでくれている人物が、少なくとも一人、いるはずだからな」


 鳴子なるこの言っていた、アッちゃんなる人物……ハイド博士の笑顔を、待ち望む誰か。


「ふッ……もっと、いたく罵られるものと思ったのだがな。歳相応に甘いか」

「俺個人としては、未だにお前への怒りは拭い切れていないがな」


 だとしても、打ちのめされて反省の兆候が見える男に追い打ちをかける悪趣味など皿助には無い。


「後でクーたん達には正式に謝罪してもらうぞ。先程礼装に関して非効率だなんだと宣っていたが、礼装は用意しておけ。非効率的だろうと、可能な限り最大限の礼節を以て謝意を示せ」


 謝罪に置いて、誠意の出し惜しみなど到底許されはしない。

 尽くせる限りの礼節を尽くすのが誠実な謝罪と言うものだ。


「…………承知した」

「詫びの品にも期待しているクマ。粗品では勘弁してやらないクマ。珍しい系のお菓子が良いクマ」

「クマリエスさん、一応生命を狙われていたのに結構軽いですね……」

「昔からこう言うお方ガミ。自分が加害者に回るケースの生殺与奪に関しても同様に軽い面があるから注意するガミよ。特に貴様の如く巨乳の輩は」


 ハイド博士を打ち破り、その考えを改めさせ、クマリエスへの謝罪も確約させた。


「よし……これにて、一件落ちゃ……」

「いたァァァーーーッス!!」

「む? おお、蛇尾淀ダビデさん、スーパー☆テイルさん!」


 ちゃんちゃん、と幕引きがなされようとしたまさにその時、向こうから凄まじい勢いで走ってくる大男。

 蛇の尻尾を持つ褐色巨漢、【鵺】のダビデ&スーパー☆テイルだ。


「割と早めにあのネーチャン片付いたからすぐに追いつけるとタカをくくってたのにヨー!! 美術館の方いったら誰もいねぇでやんノ!!」

「申し訳無い……万が一に美術館の展示物に何かあっては不味いと思い、場所を移したんです。……ところで、何をそんなに慌てて?」

「アムさんに頼まれたッス!! 絶対にハイド博士に殺尽機ジ・キルを使わせるなって!! 未完成の品だから何が起こるかわからない危険な代物だって!」

「………………おい、ハイド博士」

「…………す、すまない。頭に血が上って、つい。いや、だがしかし待て、ちゃんと制御はできていた、大した影響は出ないはず……」


 ――その時、だった。


 その場にいた全員が、【違和感】を覚えた。

 具体的に、違和感の正体が何なのかはわからない。


 だがしかし、とにかく、何かがおかしい……いや、何かが不味い!! と直感したッ。


「え……? ちょ、何ですか今のファモサァッ……って感じ……?」

「ッ……今の感覚は……いや申し訳無い晴華ちゃん、俺にもわからない!! だが、確かに感じた……まるで、突然に水の中……いや、別の世界(・・・・)にでも放り込まれたかの様な違和感が確かにあったぞ!?」

「な、なんスかね……」

「さぁナ……嫌な予感だけはビンビンしやがるガ……」

「何か道を歩いてたら路上に貼られてた蜘蛛の糸に顔から突っ込んじゃったみたいな感じだったクマ」

「奇妙だったガミね……皆感じていると言う事は、風邪とかでは無いガミ」

「………………」


 ザワめきの中、ハイド博士だけが、黙々と白衣のポケットから何かを取り出した。

 それは自らの手で改造を加えた端末、裏科学スマホ、略してウホッ。


 ウホッを静かに操作し、ハイド博士はその表情をピクピクと引きつらせていく。


「……! ……おい、ハイド博士……なんとなく察しは付くが聞くぞ。その端末に表示されている無数の赤い数字と、お前のその表情の意味を」

「……まず、本当にすまない……と、言わせて欲しい」


 クールさと余裕さの面影など皆無な声と表情で、ハイド博士は震えている。


「次元数値、時空数値、因果律観測値、あらゆる数字がレッドゾーンだ。それも、低次元世界では到底観測し得ない……観測できてはいけない領域で」

「…………どう言う事だ?」

「端的に言うとだな」


 少し溜めて、


「ここに、局所的な【高次元空間】が形成されつつある……いや、より正確には、ここら一帯が丸ごと【異常な空間へと置換されつつある】と言った所だな」

「……それは、どう言う風に不味いんだ?」

「低次元空間の中にイレギュラーな要因で局所的に誕生した高次元空間など、当然ながら長期的な維持は不可能。各観測数値が外縁境界強度の限界を越える数値に達した時、高次元空間を高次元足らしめるエネルギーの奔流は低次元空間の中で爆発的な拡散現象を起こし………………理解できていない顔だな……そうだ、水蒸気爆発と言うものは知っているかね?」

「【水】が瞬間的な蒸発によって爆発的体積膨張を起こし、まさしく爆発となる現象……と理科で習ったが」


 水は気体になると分子と分子の隙間が広がり体積が増える。

 その体積膨張が瞬間的に行われる事で急速な分子拡散=爆発が発生する、それが水蒸気爆発だ。

 赤く燃える鉄板に水滴を垂らすと水滴が爆ぜ散るだろう。あの現象である。

 揚げ物を作るために熱した油、それに水を入れると油が噴出するのも、油の中に落ちた水が水蒸気爆発を起こして油を打ち上げるためだ。


「要は、あれに近い現象が起き、ここら一帯……おそらくは奥武守おうもり町と恵朱えす市、この二つの町の全域は覆い尽くせるだろうエネルギー大爆発が起きる……と思われる」

「………………大ッッッピンチじゃあないかァァァーーーー!!」


 この河川敷を中心とした大爆発。

 二つの町が爆発に晒されると言うだけでも洒落になっていないが、当然、皿助達もただでは済まないだろう。


「ちょ、貴様!! それどうすれば収まるガミ!? まさか打開策無しとか言わないガミよな!?」

「高次元空間の発生を促しているイレギュラー源を解消すれば、空間は補正されると思うが……」

「そのイレギュラー源とは!? テンセイオーか!? よしわかった指輪を出せ! 今すぐに破壊する!」

「落ち着け美川皿助! テンセイオーは【引き金】になったに過ぎないと思われる! テンセイオーの次元時空干渉が綻びを作り、それを【何か】が押し広げているんだ。今、現在進行中のその【何か】の特定に努めて……、わかったぞ! この一帯を高次元空間へと置換している何らかの【現象】、数値から推測するに、その発生源は川の中に在――」

『きゅまー』


 それは、やたらにエコーがかかった、あざといマスコットキャラの様な声だった。

 

「――は?」


 その場にいた誰もが、言葉を失った。

 伏熊川の水面をゆっくりと突き破って現出した、その存在を目の当たりにしたからだ。


 月光も星々の灯りも、全てが覆い隠されていく。

 河川敷に、皿助達に、頭上から、大きな影が落とされる。


「……く、くま……!?」


 そう、それは、【熊】。

 熊と言うよりも【くま】と言った方がしっくり来るレベルの、可愛らしい子熊。

 明るい色調の栗毛、くりっくりのお目目、丸みのある鼻先、鋭さの足りない白い牙、全体的に丸っこいフォルム。

 完全に未成熟なくまさんそのもの。


 だがしかし、縮尺が狂っている。


 山だ。熊とは山に住むものだが、その川から現れたくまさんはそれそのものが山の様に巨大。

 皿助が知る限り最大級の機動兵器であるドクロアーク・ラージャが直立しても、おそらく目線が合わない。


『きゅっきゅまぁぁぁー』


 巨大にも程があるくまさんはゆっくりと口を広げ、あざとくも巨大な声を上げる。


「………………あ、あれだ……あの、熊? が、空間を置換している……と言うよりも、あの熊? が代謝の様に恒常的に放出しているエネルギーが、高次元空間の構築に足る領域……は、ははは……こんな馬鹿な話があるか……」


 力無く、ハイド博士が笑う。

 全く以て理解不能……いや、理解はできる。

 しかし、それは絶対に有り得ない話だ。


「あれは……正真正銘、一切の枷を嵌めていない純粋な……【高次元生命体】だ……!」




 ――それは、まさしく次元を隔てた未曾有の来訪者。

 かつて、美川家の因子がこの世に誕生するよりも昔……人間界を崩壊の一歩手前にまで追い込んだ、巨大な災厄。

 もはや極一部の貴重文献にしか存在を示唆されていない、真偽すら疑われていた存在。


 ただこの世界にいるだけで、全てが歪む。


 世界が一枚の紙だとすれば、その災厄は炎。

 紙の上に乗った炎は、そこで燃え続け(そんざいす)るだけで、紙を燃やし尽くし、消滅させる。


 紙に刻まれた絵……即ち世に暮らす人々では、本来、どうする事もできない一方的暴威。

 まさしく次元が違う所から蝕まれているのだ、どうしようもない。


 しかし、人々は頑張って奇跡を起こした。

 その炎の侵攻を、特殊な紙で幾重にもくるみ込んで、どうにか押し止めた。


 低次元と高次元の狭間の層、亜次元から抽出したエネルギーを無数に重ね合わせ、どうにか深い深い川の水底へと封じ込めたのである。


 これだけ厳重な封をしておけば、何処ぞの馬鹿が極至近距離で高度な次元干渉でも行わない限り、万全大丈夫であろう。

 当時の人達は冷や汗を拭い、取り戻した安住に両手を掲げて喜んだ。


 ……そんな事など露知らぬ馬鹿が、まさしくその封の直上で高度次元干渉を行う未来が待っているなどとは知らずに……


 今、ハイド博士の馬鹿野郎によって水底より解き放たれたそれは、まさしく掛け値なしの高次元生命体……否。


 ――【高次元災厄(・・)】――


 当時の人々は、熊に激しく類似した外見でありながら熊とは全く違う存在性を持つ事からそれを【亜熊アクマ】と呼んだと言う。


『きゅきゅまぁ~』


 悪意など介在しない。

 ただ存在するだけで全てを滅ぼす純粋な災厄が、無邪気な咆哮を上げた。


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