番外編 レンホー・立直は、いかにして麻雀に辿り着いたか
書類は、今日も戻ってきた。
赤字の量を数える気にもなれなかった。
これはレンちゃん――本名:青山蓮の過去の物語だ。
蓮は大学卒業後、憧れだったゲーム制作会社にイラストレーターとして入社した。
ゲームを作る仕事は、決して楽ではない。
彼女もリリース前には会社に泊まり込み、ラフを描いては修正を重ねる日々を送っていた。
ただ、その努力が報われることは少ない。
ある日、コーヒーを飲もうと休憩室に入ると、会話が一瞬だけ止まる。
それは、今日に限った話ではなかった。
蓮は何も言わず、自販機の前に立つ。
その日、蓮は辞表の書き方を調べた。
仕事を辞めた彼女は毎日、昼間から飲み歩く生活を送っていた。
もう彼女を縛るものは何も無いのに、胸の真ん中にいつも空虚な穴が空いている。
その穴を埋めるように、酒を流し込んで、前後不覚になるまで酔いつぶれて。
――気付いたら、知らない天井を見上げていた。
「……? ここどこ……?」
外で飲んでいたはずなのに、屋内だ。
起き上がると、女性の部屋らしいことに安堵した。
少なくとも、変な男にホイホイついて行ったということはなさそう。
「あ、起きた?」
部屋に入ってきた女を見て、「あっ」と声を上げた。
「テンちゃん……!?」
――赤川天満。
大学時代の親友だ。
「なんで、」
「レンちゃんが公園のベンチで酔っ払って寝てたから、連れて帰ったんだ。あのままだと風邪引いちゃうから」
この子にだけは醜態を見られたくなかった。
羞恥心で顔を俯ける。
天満はしゃがんで蓮に視線を合わせた。
「よかったら、事情を聞かせてくれないかな? ただごとじゃないよね」
少しの逡巡のあと、蓮は諦めてこれまでにあったことを話す。
天満はじっと話を聞いてくれた。
「レンちゃん、イヤじゃなければだけど。私とルームシェアしようよ」
「え……?」
「私も家賃折半できる人探してたんだ。部屋もいくつかあるし、レンちゃんなら気心知れてるから私も安心だな」
……結局、天満の厚意に甘えてしまった。
もと住んでいた場所を引き払い、家具や持ち物を移して一緒に住み始めた。
「仕事はこれから、ゆっくり探していけばいいよ。焦らなくていいからね!」
天満は会社勤めらしい。
彼女は人付き合いが上手いし、きっと毎日楽しいんだろうな。
蓮は心がささくれ立つのを感じていた。
こうして、心機一転、仕事探しを始める。
しかし、理由が理由だけに面接で上手く説明できず、難航を極めた。
そんな中で、動画サイトを見ていて麻雀というものを知った。
もちろん、蓮は自分がプロ雀士になれるとは思わない。
それはプロに対する侮辱だ。
彼女が着目したのは、VTuberがたしなみとして麻雀の配信をしていること。
自分がVTuberとして配信をして、少しでも収益を得る。
それで、少しでも天満との2人の家にお金を入れられたら。
そんなささやかな夢を抱いて、蓮は麻雀の勉強を始めた。
とはいえ、最初はルールもよくわからない。
図書館に通い、麻雀に関する本を読み漁って、なんとか概要を掴もうとする。
無職の利点は時間があること。
こうして、いつでも図書館という知識の宝庫にアクセスできる。
最初は半分も理解できなかったけど、気に入った本は自分で買って読み込んだ。
麻雀の基本は4メンツ1雀頭。
役の種類と作り方。
手作りのコツと、待ちの種類を増やす方法。
基本ルールを頭に叩き込み、あとは段位戦やVTuberの参加型配信に潜り、ひたすら打ちまくる。
そうやって、レンホー・立直の原型はできていった。
自分で立ち絵を描き、必要な機材を買う。
購入資金は退職金をはたいた。
痛い出費だったけど、結果的にこの選択は間違いではなかったと思う。
こうして、レンちゃんは当初はひとりで配信活動を始めた。
昼間は受注サイトでイラストの小さな依頼を受け、夜には配信をする。
その生活サイクルは今も変わらない。
そのうち、天満も麻雀に興味を持った。
「ね、レンちゃん。私にも麻雀教えてよ」
彼女に請われるままにルールと遊び方を教える。
天満はわざわざゲームアプリまでインストールしてくれた。
「麻雀って面白いね」
ニコニコ笑う彼女に、麻雀を教えるのは楽しい。
しかし、次の台詞には度肝を抜かれた。
「私も一緒に配信したい! レンちゃん、立ち絵描いてよ!」
しかも、彼女はその場で報酬を振り込んでくれたのだ。
「そんな、お金なんていいよ……」
「何いってんの。プロに対してお金を払うのは当たり前でしょ」
会社で道具のように使い潰されたレンちゃんの胸に、その言葉がスッと染み入る。
「その代わり、素敵な立ち絵を描いてよね!」
「……うん、うん……! 私、頑張るから……!」
目から熱いものが溢れてくるのを止められなかった。
それから、当時の自分が持てる技術の粋を詰め込んで描いた立ち絵が、今のテンホー・立直とレンホー・立直だ。
ずっと灰色だった視界に、テンちゃんが選んだ「赤」が飛び込んできた。
筆を動かすたび、止まっていた時間が動き出す音がした。
そして、そのイラストが、レンちゃんのフリーランスになってからの実績第1号である。
これが、『ツモってあそぼ!』の立ち上げ、そして立直姉妹の始まりの物語。
テンちゃんとレンちゃんは、いつだって隣り合って配信に登場する。
弱くても、楽しい雰囲気の配信を心がけて、少しずつ登録者を増やしていった。
――期待値なんて、あの頃のレンちゃんにはどうでもよかった。
1パーセントでもいい。
この家で、テンちゃんの隣で笑っていられる確率を上げたかった。
ただそれだけだった。
そして、今はユエや純ママといった麻雀仲間もできた。
レンちゃんは、紆余曲折あったけれど、今の生活が何よりもかけがえがなく、大切な居場所だと思っている。
――レンちゃんはそっと目を開けた。
ベッドの近くには、テンちゃんとユエが眠っている。
「あら、目が覚めた?」
純ママが「しーっ」と人差し指を唇に当てながら、毛布をそっと2人にかけていた。
「具合はどう?」
「ええ。もう大丈夫です」
「みたいね。いい顔に戻ったわ」
純ママは満足そうに笑う。
「アタシはそろそろ帰るわよ。漢女とはいえ、女の子の部屋で一夜を明かすのはちょっとね」
「純ママ。……ありがとうございます。卵がゆ、美味しかったです」
「どういたしまして。喜んでもらえてよかった」
目を細めて頷くと、純ママは荷物をまとめて、「じゃあね」と部屋を出ていった。
玄関まで見送ると、改めて鍵をかけ直す。
マンションとは言え、女だけの生活空間だ。
防犯意識を忘れたことはない。
「ふう……」
台所でコップ1杯の水を飲んでから、部屋に戻る。
テンちゃんは純ママのかけてくれた毛布を蹴飛ばして眠っていた。
「相変わらず寝相悪いんだから……」
一方のユエは、まっすぐな姿勢で微動だにしない。
性格が寝相にも出るのかな、と思いながら、テンちゃんに毛布をかけ直す。
「……明日から、また配信頑張ろう」
いや、配信は頑張るようなものでもない。
テンちゃんがいてくれるおかげで、毎日充実している。
リスナーのみんなに心配かけちゃったから、まずはそれを配信冒頭で謝ろう。
レンちゃんは机に雑然と置いた麻雀の教本を手に取る。
眠くなるまで、本をパラパラと読み返してみた。
「……麻雀、楽しいな」
彼女の口は、自然と笑んでいた。




