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アリスとアンジェイの幼い約束③


 フランコルム王国では、貴族の子女は、十五歳になると成人したと見なされ、社交界にデビューする。

 その成人祝いとして、アリスは父に、アンジェイのものと同じデザインの指輪を作ってもらった。

 父には「三重天寵の印を隠すため」、使用人たちには「同じ指輪をすることで、アンジェイはイース伯爵令嬢のものだと、公に知らしめるため」と告げて。

 アンジェイには「お揃いが嬉しいから」と言った。

 本心は誰にも言わなかった。


 デビュー前夜、その指輪を見せながら、アリスはアンジェイに尋ねたのである。

「アンジェイは私の力がどんなものなのか知りたくない?」

「アリスが私に知らせる必要があると思うのなら」

「知らなくていいの? 私、アンジェイに知らせずに、こっそり力を使っちゃうかもよ?」

「その力がどんな力であろうと、私は私の務めを果たすだけだ」

「もう使っているのかもしれない。だから、アンジェイは私を守らなきゃならないと思い込んでいるのかもしれない」

「それは違うだろう。私は、アリスが三重天寵を授かる前から、アリスを守るために、アリスの側にいた」

「そうね」

 アリスを信じているアンジェイの瞳、眼差し。アリスは、少し胸が痛んだ。

 実はアリスは、幼い頃に、アンジェイに対して天寵の力を使ったことがあったのだ。

 三重天寵を授かって半年。大好きな祖父が亡くなって、心が不安に揺れていた頃。東の庭のりんごの木の下で。


「アンジェイ。アンジェイが自分の命以上に大切に思っている人は誰」

 アリスの問いに、アンジェイは、

「母とアリスお嬢様です」

 と答えた。

「二人だけ?」

「母と僕を救ってくれた大旦那様に対しても同じ気持ちでいましたが……」

「うん……」

「他には、旦那様と奥方様。アリスお嬢様の大切な方々は、私にとっても大切な方々です。他には、この館に来た私と母に親切にしてくれた人たち。故郷で僕と母に優しくしてくれた人たち」

「アンジェイには、自分の命より大切な人がたくさんいるのね。アンジェイの命がいくつあっても足りないくらい」

 自分が大勢いる大切な人たちの中の一人にすぎないことに不満を全く感じなかったと言えば、それは嘘になる。だがアリスは、アンジェイの答えに安堵もした。そして、それが普通なのだと思ったのである。

「私もアンジェイが大好きよ。私が天寵の力を使ったことは忘れてね」

 三重天寵の力は本当に与えられていた。その力は決して危険なものではない。むしろ、とても素敵な力である。

 その確信を得て、アリスは母の部屋に向かったのである。そして、母にアンジェイと同じことを尋ねた。アンジェイと同じような答えが返ってくると信じて。だが。

「ラウル・デシャン」

 母の唇からは、アリスが聞いたことのない男の名前が出てきたのだ。

「……ラウルというのは誰」

「ラウルは私の青春そのものだった人よ」

 意味がわからない。アリスは重ねて問うた。

「私は? お父様は?」

「……」

 母からの答えはなかった。

 アリスに問われた者は、自分の命以上に大切に思う人のことしか答えられない。問われた者が答えを返してこないということはそういうことなのだ――。


 だが、本当にそうなのだろうか? 混乱したアリスは、目につく者たち相手に片端から天寵の力を使ってみたのである。そして、アンジェイの答えが普通でないことを知った。

『旦那様』と答えるに決まっていると思っていた家令の答えは「私と子どもたち」だった。

 ことあるごとに「アリスお嬢様がいちばん大切です」と言っていた侍女頭は「私自身」と答えた。

 小間使いの一人は「自分と実家の兄弟たち」

 料理人は、子どもの名だけを答えた。

 屋敷内の使用人だけでなく、館に出入りしている商人にまで、アリスは誰彼構わず聞いてまわったのだが、最も多い答えは「自分だけ」。次に多い答えは「誰もいない」だった。自分自身を大切だと考えていない人間すら、複数いたのだ。

 こんなことがあるだろうか。あっていいのだろうか。

 混乱したアリスは、もう一度アンジェイに問うた。アンジェイの答えは変わらなかった。

「母とアリスお嬢様です。それから、旦那様と奥方様。この館にきた私と母に親切にしてくれた人たち。故郷で僕と母に優しくしてくれた人たち」

「嘘じゃないわね?」

「嘘をつく必要がありますか?」

「……」

 嘘をつく必要がある人はいる。みんなが嘘をついている。母も、アリスに優しく接してくれていた使用人たちも。

 アンジェイだけが「アリス」と答えてくれた。普段はそんなことを言わないアンジェイだけが。

「アンジェイ!」

 アリスはアンジェイの首にしがみついて、声をあげて、わんわん泣いてしまったのである。

 母が決して自分を見てくれなかった理由。母には家族より大切な人がいたこと。

 イース伯爵家の使用人たちの誰一人、『お嬢様』や『旦那様』を自分の命以上に大切と思っていなかったこと。

 それを当たり前のことと考えるには、三歳のアリスは幼すぎたのだ。

 アンジェイがいてくれたから、アリスは絶望せずに済んだ。

 その日から、アリスが生きていられるのは『アンジェイがいてくれるから』になった。



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