王女ユースティアからの婚約命令④
「アリス。力を使ったのか?」
四半刻後、控え室の扉から出てきたアリスに、アンジェイが尋ねる。
「使うまでもなかったわ」
アリスに続いて部屋から出てきたヴァンサン・ドゥ・ベニエは、話し合い前とは打って変わって嬉しそうに――実に幸せそうに、その頬を上気させていた。
「私を妻に迎えるよう、ヴァンサン殿をかき口説いたのですけれど、ヴァンサン殿には既に愛する女性がいるのだそうです。ラシャリエ子爵ご息女のリリアーナ嬢。ところが、ラシャリエ子爵家では持参金が用意できないので、結婚を諦めていたとのこと。そこで、必ず持参金として使用することを条件に、私がリリアーナ嬢に二千万ソブリンを貸し付けることで話が決まりました」
「は?」
女王のようにヴァンサンを従えたアリスの報告を聞いて、ユースティア王女は目を丸くした。王女は、そんな話を聞きたいわけではなかったのだ。
「もちろん、貸した金には利子をつけて返してもらいます。金利は年三〇パーセント、返済期限は五年」
「アリスタクセンシア・ドゥ・イース! どうして、そんなことに……!」
自分の関わり知らぬところで勝手に話がまとまってしまっている。物言いをつけようとしたユースティア王女の発言を遮ったのは、ベニエ伯爵家の長男だった。
「アリスタクセンス嬢。我がベニエ伯爵家とベニエ商会は、永遠にあなたに感謝いたします」
アリスに跪いて謝意を告げるヴァンサンの様子を見た貴族たちの中から、感嘆の声が上がる。
「さすが三重天寵の姫。ベニエ商会を従わせてしまうとは!」
「いったいどうやって……」
列席者たちは声を潜めることも忘れていた。
「愛し合う二人が結ばれることは、誰にとっても嬉しいことでしょう」
アリスは微笑んでいたが、ユースティア王女とアンジェイは笑っていなかった。
「いくら三重天寵の受者でも、そんな勝手なことが……王女の命令がきけないの!」
「私はヴァンサン殿にふられてしまったんですよ。これ以上、私に恥をかかせないでくださいませ。ユースティア王女殿下」
「うー……」
ぎりぎりと音が聞こえそうなほど奥歯を噛みしめてアリスを睨むユースティア王女を見るヴァンサンは、つい半刻前とは別人のように余裕の風を漂わせていた。
「王女ご自身に天寵がないせいもありますが、妬みもあるのでしょう。アリス様とアンジェイ殿のお二人は人気絶大。王女殿下はお二人を引き離し、あわよくばアンジェイ殿をご自分の従者にしたいと考えている」
「アンジェイはアクセサリーではないわ」
「はい」
三重天寵の力の影響は消えているはずなのだが、ヴァンサンはすっかりアリスの忠臣のようになっている。それが、アリスには不思議なことに感じられた。
控え室で、アリスは確かに力を使った。
「ヴァンサン・ドゥ・ベニエ。あなたには、自分の命以上に大切に思っている人がいるかしら」
髪と瞳の色が変わったアリスに問われたヴァンサンは、一瞬もためらうことなく、アリスの問いに答えた。
「おります」
「誰」
「家族と、ラシャリエ子爵令嬢リリアーナ」
「恋人?」
「はい。幼馴染みです」
「あら素敵。できることなら、ずっと一緒にいたいわよね。わかるわ」
「リリィはとても優しい心の持ち主です」
「なのに、結婚できない事情がある、と」
「リリィの家は名家ですが、持参金の用意ができないほど貧しいのです」
「金品で解決できるのなら、それは大した問題ではないわ」
アリスは安堵の息を漏らし、頷いた。
「あなたに大切な人がいてくれてよかったわ。もしいなかったら、あなたが憎んでいる人の名を聞き出して、良くない提案をしなければならなかった」
知りたい情報を得たあと、
「ヴァンサン・ドゥ・ベニエ。今の会話は忘れなさい」
と命じてから、アリスは指輪をはめ直したのだが――。
ともあれ、今回の縁談も無事に破談にできた。宝石に興味のないアリスは、そのままお披露目会を辞することにしたのである。
「私が誰かと結婚させられたら、アンジェイは私と一緒に婚家に来てくれる?」
出口玄関に通じる廊下を歩むアリスに無言で従うアンジェイに、アリスは尋ねた。
「結婚するなら一緒に行くが、結婚させられるなら――いや、アリスは意に沿わない結婚はしないだろう」
「ええ。そんな事態は、何が何でもぶっ潰すわね。結婚を厭うわけじゃないけれど、永遠に愛せない夫は持ちたくない。それは周囲を不幸にする。私は、公爵夫人や王妃になるより、アンジェイ・ピャストの生涯の友でいたいわ」
「……」
アンジェイからの返事はない。
二人が結婚できないことはわかっているのだ。
アンジェイは平民で、アリスは伯爵令嬢。あまつさえ、王族にもいない三重天寵の受者なのだから。
それきり黙ってしまったアリスとアンジェイの様子を、物陰から窺う二つの影があった。
「あれがイース伯爵の一人娘。アリスタクセンシア・ドゥ・イースか。かなりのじゃじゃ馬のようだが、彼女の身柄を押さえれば、アンジェイ様を話し合いの席に着かせるのは容易だろう」
「アンジェイ様が、本当にあのじゃじゃ馬に飼い慣らされているのでなければいいのだが」
「そんなことがあるはずがない」
囁きを交わす男たちの言葉には、ヒュペルオイアス地方特有の抑揚があった。




