王女ユースティアからの婚約命令③
新たに発見された宝石のお披露目会の会場は、王宮ではなく迎賓館の大ホールだった。
現在はフランコルム王国の一州となっているヒュペルオイアス州は、元はヒュペルオイアス帝国という強大な帝国だった。国土はフランコルム王国の倍、人口は半分。土地は有り余っているが、寒冷な気候のため実りは少ない。フランコルム王国を侵略する形で南下を始めた帝国とフランコルム王国の間で戦争が始まり、結局食料と人口に恵まれたフランコルム王国が勝利を収めたのが十八年前。王国は帝国を属国化せず、植民地化もせず、その自治権を奪って王国に併合した。
つまり、ヒュペルオイアス州からの献上は従属国の朝貢ではないのだが、このお披露目会はユースティア王女の我儘によるものだから、王宮で催すことはできなかったのだろう。
それでも、この迎賓館はイース伯爵邸の三倍広く、五倍豪奢で、天井も二倍高かったのだが。
「イース伯爵ご令嬢アリスタクセンシア様、ご来場でございます」
アリスがアンジェイを従えてホールに入ると、先に入場していた招待客の列のあちこちで、さざ波のような溜め息が生まれた。
「相変わらず、お美しいお二人。冷たい宝石などより、あのお二人を見ている方がよほど目の保養になりますわ」
「そうは言っても、アンジェイ様はただの侍衛。身分は平民、立場は使用人。爵位も領地もなく、あるのは才能と美貌だけですわよ?」
「あなたこそ、ただの侍衛に敬称をつけるなんて」
「これは尊称ではなく美称。アンジェイ様を呼び捨てになんかできませんわ」
「それにしても、いつものことながら、お二人の距離が近すぎません? アリス嬢は未婚の令嬢ですのに」
「アリスタクセンス嬢は三重天寵の姫。滅多なことは言わぬ方がいい。アリスタクセンス嬢の名誉を傷付けたり危害を加えたりしようものなら、どんな災厄に見舞われるかわからない」
主に女性陣が作る溜め息とお喋りの波を、主に男性陣が抑えようとする。
さざ波の音がやむのと、ホール正面奥の席に着いている王女の前にアリスが立つのが、ほぼ同時。王女へのカーテシーを免除されているアリスは、浅く腰だけを折った。
「ユースティア様。本日はお招きありがとうございます」
「相変わらず、身体だけでなく態度も大きいこと」
アリスより二歳年上のたんぽぽ色の髪をした王女は、高座から、アリスに向かって顎をしゃくってみせた。
それをアリスが涼しい顔で受け流す。
「ユースティア様も、相変わらず、身長だけでなく、お心まで小さいようですわね。私は、我が国の女性の平均身長より、頭半分背が高いだけですわ」
「私だって、我が国の女性の平均身長より、頭半分背が低いだけよ」
つまり、二人の間には頭一つ分の身長差がある。ユースティア王女は、決して女性の高身長を非難しているのではない。彼女はただ、二人の違いが気に入らないだけなのだった。
「それにしても地味なドレスだこと」
今日のアリスは濃紺に銀の刺繍が施された後部裾引きのドレス、アンジェイは紺の刺繍が施された銀鼠色のルダンゴトをまとっていた。ユースティア王女は、アリスのドレスが真紅であっても難癖をつけただろう。
「アンジェイの瞳の色に合わせました」
「うぐ」
言葉に詰まったユースティア王女は、しかし、すぐに反撃に出た。
「アンジェイの瞳にしては輝きが足りないわ」
「その意見には、私も同意いたしますわ」
アリスの同意で、本日の小手調べは終了。アリスの背後に立つアンジェイを気にしながら、ユースティア王女は本題に入った。
「今日は、ユースティアイトのお披露目より、あなたとベニエ伯爵令息ヴァンサン・ドゥ・ベニエとの婚約発表をメインにしたいと思っているのだけど」
ホールが、招待客たちの作るざわめきで満ち始める。王女の提案を不安がる者が半分、失笑を耐えている者が半分。そういうざわめきだった。
「私はヴァンサン・ドゥ・ベニエ殿とお会いしたこともございませんのに」
アリスが微笑むと、
「今日会えるわ。まさか、二人の仲介の労をとった私の顔を潰したりはしないわよね?」
王女も、負けじと笑みを返してきた。
「当人同士が承知しておりませんのに」
「王女の私が仲介の労をとったの! その意味をよくよく考え――」
「私は、ヴァンサン殿と二人きりでお話をしたく思います。彼は、我が父が『文句のつけようのない好青年』と太鼓判を押した方。我が父の目が確かかどうか、確認してみたいのです」
「まあ!」
ユースティア王女が、アリスの言葉に瞳を輝かせる。うきうきした様子で、王女は頷いた。
「もちろん、よろしくってよ。では、その間、皆はヒュペルオイアス産の新しい宝石をご覧になっていらして。まったく、ヒュペルオイアス州は地下資源の宝庫。属国化も植民地化もせず、王国に併合した前国王陛下は本当に慧眼でした」
ヒュペルオイアス帝国がアンジェイの故国だということを知らない王女の声は弾んでいる。
唇を噛んだアリスを、低い声でアンジェイがなだめた。
「余計なことは考えなくていい。私は気にしていない」
「私が不快なの」
「私は、滅んでしまった国のことより、アリスが愛してもいない男の妻にされることの方が不愉快だ」
アンジェイの声の落ち着きが、アリスに気を取り直させる。アリスは、薄く透明な仮面で、自分の表情を隠した。
「では、ヴァンサン・ドゥ・ベニエ殿。私と共に控え室においでいただけますか」
アリスの指名を受け、ホールの長絨毯の両脇に立っている列席者たちの中から一人の青年が気まずそうな顔で、アリスの前に進み出てくる。
彼は確かに、ベニエ家の長男らしい好青年のようだった。
アンジェイを伴って廊下に出たアリスは、傍目にもわかるほどはっきりと両の肩を落とした。ユースティア王女と相対する時には、どうしても肩に力が入る。
「アリスタクセンシア嬢。僕は……」
ベニエ家の長男が、いかにも恐る恐るといった体で、アリスの名を呼ぶ。アリスは、その先を彼に言わせなかった。
「ヴァンサン・ドゥ・ベニエ殿。あなた、自分に、身分以外にアンジェイに勝てる要素があると思っていて?」
「いいえ、まさか」
「謙虚すぎるのも問題だわ」
つい眉間に皺が寄ってしまう。アリスはヴァンサンと共に控え室に入ると、
「アンジェイ。誰も入れないで」
とアンジェイに命じ、扉を閉じた。
若い男女が、さして広くもない部屋に二人きり。萎縮しているのは、ベニエ商会の長男の方だった。
「ヴァンサン・ドゥ・ベニエ。あなた、恋人はいないの?」
「は?」
ヴァンサンの萎縮が困惑に変わる。アリスは彼に畳みかけた。
「あなた、私が三重天寵の受者だということはご存じね」
「も……もちろんです」
天の神に、たった一つではなく、二つでもなく、三重の祝福を与えられた人間。
そこまで神に愛された人間は、現在この国にアリス一人しか確認されていない。フランコルム王国の歴史上でも、僅か三人。女性としては史上初。その事実があるから、アリスは王国の王女とも対等な口がきけているのだ。
「私の三重天寵の力がどんなものか知りたくない? 私と神以外は知らない力よ」
「い……いえ」
ヴァンサンは完全に怯えていた。アリスが、彼の前で、右手の人差し指にはめていた金と銀と青銅の指輪を外してみせる。
「特別に教えてあげるわ。いい機会だから、目を逸らさないで、よく見て。私の人差し指に、細い絹糸で作ったような三本の輪が走っているでしょう? この三本の線が三重天寵の証なの」
アリスの銀朱の髪が完全な銀色に変わり、灰紫の瞳が完全な紫色に変わる。同時に、ヴァンサンの瞳から、意思の存在を示す輝きが消えた。




