王女ユースティアからの婚約命令②
フランコルム王国では、大抵の貴族の家が、専門の造園家を雇い、凝った園造りを行なう。だが、イース伯爵家の東の庭には、りんごの木の他には緑の芝生があるだけ。花壇や生け垣、彫像の類は何もない。
それは、東の庭がお転婆なアリスの遊び場だったからだ。
幼い頃は、この庭で毎日のようにアンジェイと駆けっこをしていた。簡単な護身術や武器の扱いもこの庭で学び、ごくまれにダンスの練習をしたこともあった。
その庭を歩いて館に戻る。父の書斎に入る頃には、幼い頃の感傷の痛みは、アリスの中からほとんど消え去っていた。
アリスの父ユーグ・ドゥ・イースは、イース伯爵としては三代目に当たる。
イース家は、つい百年前まではただの農民だった。
農地を開墾し、土地を手に入れ、その土地の領主として男爵位を得たのが百年前。その後、更に領地と経済力を拡大し、初代イース伯爵となったのが、アリスの曾祖父である。
第二代イース伯――アリスの祖父は戦好きで、十八年前の北方ヒュペルオイアス帝国南下防衛戦で軍功を挙げ、イース伯爵家の名を国中に知らしめた。
その息子の三代目イース伯爵――アリスの父は、二代目とは打って変わって物静かな学者肌。植物研究――特に、農作物の品種改良と花の新種作出の才に恵まれ、その成果が現在のイース家に大きな経済効果をもたらしている。遠方の領地からのりんごの木の移植も、アリスの父だからできたことと言われていた。
戦好きの祖父とは似ても似つかず、欲も野心もない父。だが、自分が平穏に暮らしていられるのは父の無欲ゆえと、アリスは理解している。性格だけではなく、面差しも穏やかで、眼差しが優しすぎるほどに優しい父を、アリスは心から愛していた。
「お父様、ユースティア様が、また面倒事を持ち込んできたと聞きました」
「アリス、どこに行って――」
学究肌の父らしい、華美の『か』の字もない書斎に入っていくと、待ちかねていた様子の父の声が、アリスを出迎えた。が、すぐに娘の髪にりんごの花びらがついていることに気付いて、言葉を途切らせる。アンジェイが、その花びらを、無言でさりげなく摘まみ取った。
「縁談だ」
自身の迂闊に軽く舌を噛んでから、アリスは父のために皮肉な笑みを作った。
「今度はどこの大貴族の不良息子ですか。それとも、お父様より年上の大金持ちかしら」
「それなら断りようもあるのだが」
イース伯が困り顔になる。
「ユースティア王女のお声掛かりというのもあるのだが、その相手というのが、断る理由を見付けるのが難しい――文句のつけようのない青年なもので、困っているのだ」
「まあ」
文句のつけようのない縁談なのに、断ること前提の父。アリスは思わず微笑んでしまった。
「お相手はベニエ伯爵家の長男。ヴァンサン・ドゥ・ベニエ殿。我が家と同じ伯爵家。経済状態は、まあ我が家よりはいいだろう。おまえより四歳年上。アンジェイと同い年だ。いたって健康。素行が悪いという話も聞かない」
「年齢がアンジェイと同じでも、他が何もかも違うでしょう」
自慢気に言ってから、アリスは微かに首をかしげた。
「ベニエ伯爵家というと、ベニエ商会の?」
「そうだ」
ベニエ商会は、フランコルム王国内で五指に入る大商会である。扱う商品は建築資材から食品まで生活全般。武器以外の多岐に渡っている。王都の生活はベニエ商会なしでは立ち行かないとまで言われていた。
「ベニエ家では、爵位を継ぐ長男以外は、みなベニエ商会の経営に当たらせるんだ。長男以外の子どもたちの方が長男より有能という噂まであるベニエ商会の次期当主が、今回の縁談相手だ」
フランコルム王国の貴族の家では、爵位を継ぐ長男以外は軍人になるか僧侶になって王家の引き立てを期待するのが通例である。ベニエ家は、家を守るために他家とは異なる路線を採り成功した珍しい例だった。
「ベニエ伯爵家は、飛ぶ鳥を落とす勢いの家といっていいだろう。うちの領地でとれた麦や果実の卸し先でもあり、私が作った新種の花の販路の開発もしてくれている。ベニエ家の現当主は私の友人でもあってな」
「あら、それは、お父様には断りにくい相手ですわね」
「この話には、ベニエ伯爵も乗り気といえば乗り気のようなんだが……」
「乗り気? それはさすがに嘘でしょう。私は常に美貌の侍衛を従えている王国一の暴れ馬よ」
「ああ、だから、断られるだろうと笑っていた。それに――この縁談がまとまってしまったら、ベニエ家は大きな災厄に背負い込むことになるだろうとも言っていたな。国中の貴族の妬みを買い、宮廷の貴婦人方の恨みを買い、ベニエ伯爵家もベニエ商会も潰されかねない――と」
「ベニエ商会を潰すことは、王家にも不可能でしょう。とはいえ、ユースティア王女じきじきのお声掛かりなので、ベニエ家側からは断りにくいということですね。わかりました。私がよいようにいたします」
「頼む。ユースティア王女が納得するように収めてくれ」
そう言いながら、イース伯は、机の上の銀盆に置かれていた手紙に手をのばした。
「ヒュペルオイアス州で、新種の宝石が発掘されたそうだ。ユースティア王女の名にちなんで、ユースティアイトと名付けられた。明後日の午後、そのお披露目会を催すとのことで、招待状が届いている」
ヒュペルオイアス州の前身ヒュペルオイアス帝国は、アンジェイの故郷である。イース伯は気遣わしげな視線を、ちらりとアンジェイの上に投げた。その視線に気付いていないはずはないのだが、アンジェイは全く表情を変えない。
「アンジェイ。そういうことだから、明後日は外出よ」
「わかった」
「すまないな、アンジェイ。アリスを頼む」
「旦那様がお謝りになる必要はございません」
「そうよ。この件の元凶はユースティア様の我儘な性格だわ」
「むしろ、おまえの気が強すぎるせいだろう」
「そうかしら」
とぼける愛娘の前で、イース伯爵は盛大に溜め息をついた。




