ヒュペルオイアス帝国の拉致監禁犯たちとの対決②
そこで、アリスは夢から覚めた。
即座に、自分が置かれている状況を思い出す。
アリスは両手を後ろ手に縄で縛られ、椅子に座らされていた。
拉致監禁犯は二人。
薄茶色の髪の男が、ヒュペルオイアス帝国の元内務大臣ヤロスラフ・ヴァーサリの息子ミロシュ・ヴァーサリ。
赤褐色の髪の男が、ヒュペルオイアス帝国の元侍従長オレーグ・フォルクの息子ハラート・フォルク。
おそらく、エムリーが言っていた、帝国残党二派のうち、性急で急進派の子世代の方。
薄目でそれだけ確認してから、アリスは対応策を考えた。
逃げ出すことはできるだろう。ここがどこなのかはわからないが、自由になることが先決だった。
「いたっ……」
拉致監禁犯の気を引くために、アリスは低い呻き声を洩らして、はっきり目を開けた。
薄茶色の髪のミロシュ・ヴァーサリが、掛けていた椅子から立ち上がり、アリスの方に歩み寄ってくる。
照明はガス灯ではなく電気。家具のほとんどが白いカバーで覆われている。察するに、ここは地方領主に貸し出されるタウンハウス。拉致監禁犯は、住人の不在をいいことに、不法侵入、無断使用しているのだろう。
「縄が指輪を締めつけて、指が痛いわ。縄を緩めるのは無理でしょうから、指輪だけでも外してくれないかしら。指輪はそのまま差し上げるわ」
アリスの頼みを、ミロシュ・ヴァーサリはせせら笑った。
「その手は食わない。イース伯爵令嬢アリスタクセンシアは、フランコルム王国の国王すら操れる力を隠し持っているんだろう? その指輪の下に」
そう言いながら、アリスの背後にまわり、彼はアリスの両手を縛る縄が緩んでいないことを確認しようとした。
「ミロシュ・ヴァーサリ」
指輪をはめていない左手人差し指を、ミロシュの視界に入るように動かして、アリスは薄茶色の髪の男の名を呼んだ。
アリスの銀朱の髪が朱色に、灰紫の瞳が灰色に変わる。そうして、ミロシュ・ヴァーサリはアリスの支配下に入った。
「ミロシュ・ヴァーサリ。あなたには、自分の命をかけることになっても殺したいほど憎い人がいるかしら」
アリスの問いかけに、少しの間を置いて、答えが返ってくる。
「しいて言うなら、父親を切り捨てられない俺自身かな」
「ミロシュ!」
ハラート・フォルクが、瞳を大きく見開いて、その視線を相棒の上に巡らせる。
二人の拉致監禁犯の間には、仲間意識もしくは友情が存在するようだった。アリスはほっとした。これで、会話も取引きも成立させられる。
「三重天寵の力を甘く見ないで。私が力の行使をやめない限り、あなたのお友だちは永遠に私の言いなりよ」
それはただのはったりだったのだが、効果は十分にあった。
頬を青ざめさせたハラートに、アリスは問うた。
「ここはどこ」
「……ラシャリエ子爵邸の隣りにあるタウンハウスだ。借り手の準男爵邸一家は、総出で田舎の領地で狐狩りだとさ」
「ラシャリエ子爵家の夫人とご子息は」
「解放した。アンジェイ・ピャストがきたら、あんたがここにいることを知らせるよう伝言を頼んでな。俺たちの目的は、アンジェイ・ピャスト――いや、アンジェイ・ソーンツェアと直接話をすることで、そのためにはイース伯爵令嬢という人質が必要、イース伯爵令嬢の身柄を確保するには、ちょっとしたエサが必要だったというだけのことだ」
「無関係な方々がご無事ならいいわ」
「大ごとにするつもりはなかった。いくらあんたを奪還するためでも、イース伯爵家は王家の許可なしに私兵を動かすことはできないだろう。アンジェイ殿下が単身で乗り込んでくると踏んだ」
ハラートの言う通り、それがアリスの身を守るためには最善の策と、アンジェイは考えるだろう。アリスは得心した。
「あなた方の目的は何?」
仲間を人質に取られたハラートに両手の縛めを解かせて、本題に入る。もちろん、その際には、
「先に言っておくけど、万一アンジェイを頭目に押し立てて帝国復興を実現できたとしても、アンジェイはあなた方やあなた方の父親たちの操り人形にはならないわよ」
と、釘を刺すことも忘れなかった。
過去の地位、名誉、権力、財。彼等の目的が何であれ、それらを取り戻すことは、ほぼ不可能なのだ。そんなことを、アンジェイは許さない。
彼等の目的が、そういった個人的なものでなく、故国を取り戻すこと、あるいは故国を奪ったものへの復讐なのであれば、彼等の説得は少し難しくなるかもしれない――。
そんな考えを巡らせていたアリスに、ハラートから返ってきた答えは、思いがけないものだった。
ハラートは、
「俺たちたちが欲しているのは自由だ」
と答えてきたのだ。
「自由?」
彼は何を言っているのか。自由というなら、彼の今がそうだろう。それとも彼は、臣民の人権を認めようとしなかった暴君が支配する帝国宮廷で、暴君の機嫌を損ねないように汲々とする帝国貴族の生活こそが真の自由だとでも思っているのだろうか。
「今のあなた方が何に縛られているというの。卑劣な手を使ってラシャリエ子爵家の方々を自由に動かし、私の自由を奪うことも平気でしてのけたあなた方が」
アリスの声は、ミロシュにも聞こえているはず。ミロシュとハラート、両者の意見を確認するため、ミロシュの意思を戻してやった方がいいだろうかと、アリスは考え始めていた。
「帝国の復興、かつての栄華をもう一度と、馬鹿な夢を見ている糞親父たちからの解放だよ。俺たちの望む自由は」
ハラートの口調は、噛み潰した苦虫を吐き出すようだった。
「それは……とても興味深い話だわ。詳しく聞かせてくれる?」
「なんで俺があんたの指図を受けなきゃならないんだ」
「それは、あなたがラシャリエ家の方々を使って私にそうしたように、そして、私を使ってアンジェイにそうしようとしたように、私があなたのお友だちを人質に取っているからじゃないかしら」
「う……」
「まあ、不服そうなお顔。でも、ごめんなさいね。私は刺繍が得意な心優しい淑女でも、世の汚れを知らない清らかな深窓の令嬢でもないの。私からアンジェイを奪おうとする者には容赦しないわ」
ハラートががっくりと肩を落とす。アリスは、悪い笑顔を浮かべた。
「でも、少しは慈悲の心も持ち合わせているの。あなたのお友だちを元に戻してあげてもいいわ。私がいつでも、あなた方を私の操り人形にできるということを忘れないのなら」
ハラートは救いようがないほどの馬鹿ではないらしい。五秒ほどの間を置いて、
「忘れない……忘れません」
と、丁寧語でアリスに恭順の意を示してきた。
「お利口さん。では、ミロシュ・ヴァーサリ。元の場所に戻って、椅子に掛けることを許します」
二人の目を盗んで、左手の天寵の糸輪を消す。アリスの髪と瞳の色も元に戻った。
二人は驚嘆の眼差しでアリスを見詰め、アリスもまた、「大した力ではない」と思っていた力が、意想外に使えるものだった事実に驚いたのである。




