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王太子シュメオンの急襲①


 イース伯爵家に、また招待状が届いた。

 この『また』は、その招待状が断れない招待状であることを表わしている。

 招待状自体は、イース伯爵家に毎日幾通も届いているのだ。

 イース伯爵家は現代の当主が第三代で、伝統ある名家とは言い難い新興貴族。イース伯爵に招待状を送る権利は、国内の公爵家、侯爵家とほとんどの伯爵家にある。

 そして、招待主たちの目当ては、物静かな士君子の当代伯爵その人ではなく、その娘と彼女の侍衛の方なのだ。アリスとアンジェイが出席すれば、その舞踏会(もしくは正餐会、昼餐会、園遊会)は当代社交界随一の花形に選ばれた催しとして王都の噂になり、注目を浴び、箔がつく。家の格が上がる。――のだ。

 もちろん長く親密な交流のある家からの招待以外は丁重にお断りする。どうしても断ることができないのは、王族からの招待だけ。

 今回は国王主催の昼餐会。開催の目的の一つが、イース伯爵に新たにコルヌアイユ侯爵位が与えられることになり、その告知を兼ねているというのだから、アリスたちが欠席するわけにはいかなかった。

「侯爵位は、私が改良した新種の麦が寒冷地帯での収穫を倍増させた功績に報いてのものだそうだが、ベニエ商会の引き立てや、オクシタニス大公国の世子殿が国王陛下の前でおまえを褒めちぎってくれたことも影響しているようだ。招待状の宛名は、イース伯爵夫妻並びに令嬢となっている」

「私を褒めちぎって……?」

「それで、陛下が久し振りにおまえに会いたくなったということらしい。それも建前のようなんだが」

「他に真の目的があるということ?」

 アリスは僅かに首を傾けながら、父を見、アンジェイを見た。再び、父の上に視線を戻し、尋ねる。

「お母様は何て?」

「出席してくれるそうだ」

「え」

 年に一度、「これもイース伯爵夫人としての義務」と言わんばかりの体で王室主催の秋の正餐会にしか出席しない母が、何の気まぐれで? 父がほのかに嬉しそうなので、アリスは我儘を言えなくなった。

「ユースティア様と違って、私に夫を押しつけようというのではないでしょうから」と、アリスは出席を承知したのである。



 ところが昼餐会当日。

「第三代イース伯爵ご令嬢アリスタクセンシア様、ご来場でございます」

 イース伯爵家より二十倍広い敷地、三十倍豪奢な調度、三倍高い天井の王宮の、玉座が置かれた謁見の間のロングホールに、両親に続いてアンジェイと共に入場したアリスに、最初に声をかけてきたのは、フランコルム王国の国王ではなく、王太子シュメオンだった。

 王太子シュメオン・ドゥ・シュタウヴェン。ユースティア王女の七歳年上の兄である。

「三年ぶりかな、アリス。君は、子どもの頃からちっとも変わっていない。相変わらず、アンジェイにくっついているんだね」

 自由気ままが過ぎて、“世の荒波に揉まれ、社会の実状に触れることで、未来の統治者にふさわしい知見を得る修業”に出されていたフランコルム王国の第一王子。彼はユースティア王女と同じたんぽぽ色の髪と、ユースティア王女の三倍は人の悪そうな緑色の瞳の持ち主だった。

(そういえば、ユースティア様がアンジェイに執着するようになったのは、シュメオン王子が見聞旅行に出てからのことだったわね)

 愛する兄が無事に帰国したのだから、ユースティア王女の喜びもひとしおなのだろうと思ったのだが、アリスの予想に反して、兄の横に立つユースティア王女はその不機嫌を隠す様子もなく、なぜか謁見の間の天井画を睨みつけていた。

(? どういうこと?)

「恐れ入ります、王太子殿下。なにぶん、か弱い乙女の身。護衛なしには外出もできなくて」

「ふうん。アンジェイにできることは自分にもできるはずだと言い張って、乗馬や剣術はもちろん格闘技の真似事までしていたアリスはもういないのか。それは残念だ。君は確か、学問でも――」

「シュメオン!」

 王太子のお喋りを困り顔で止めたのは、畏れ多くもフランコルム王国の現国王オラシオ四世だった。王太子がわざとらしく両肩をすくめる。

「申し訳ありません、父上。アリスに再会できたのが嬉しくて、つい」

「だとしても」

「はい。もう黙ります。アンジェイも相変わらずのようだ。他国のどの宮廷でも、君以上に美しい男には出会えなかったよ」

 アンジェイが王太子に黙礼を返す。アリスは胸がむかむかし始めていた。

「陛下。陛下へのご挨拶を待っている方々がつかえているようですので、私はこれで」

 アリスは、ドレスの裾を雑に翻し、玉座正面で踵を返した。そのままロングホ-ルを出て、招待客用の控え室に入る。国王一家の謁見が続いているので、他の招待客は皆、謁見の間であるロングホールにじっと居並んでいるようだった。


「シュメオン殿下が帰国しているなんて聞いてなかったわ。ユースティア様が不機嫌だったのは、もしかするとシュメオン殿下が奥方候補を見付けてきたから――かしら」

「ならいいが」

「ならいいが?」

 アンジェイの低い一言の意味を、アリスは咄嗟に察することができなかった。

 シュメオン王太子が妻を迎え、これまで以上に妹を顧みなくなると、ユースティア王女のアンジェイへの執着がますます強くなるだろう。それはアリスには好ましい事態とは思えなかったのだが。

「相変わらず、アリスは頓珍漢な方向に考えを飛躍させる天才だね。その点、アンジェイは冷静にものを見ている」

 断りもなく控え室に入ってきて、挨拶もなくアリスたちの会話に割り込んできたのは、国王と共にまだまだ謁見が続いているはずのシュメオン王太子だった。あのあと、残りの謁見を放っぽって、彼はすぐにアリスたちを追いかけてきたらしい。

「謁見はまだ……」

 アリスが最後まで言わないうちに、

「もともと僕は今日は出席予定じゃなかったんだ。謁見希望者の中に僕目当ての者はいない」

 王太子からの答えが返ってきた。

 それに対するアリスの返答を待たず、王太子がアリスに問う。

「座っても?」

「どうぞ」

 シュメオン王太子は長い話をするつもりらしい。彼は部屋の中央にあった肘付き椅子に腰を下ろすと、アリスにも向かいの椅子に着席するよう促した。


「君の推察が頓珍漢で、アンジェイの懸念が的を射ているのは昔からだね」

「それが事実だということは認めましょう。アンジェイは私の言動の軌道修正係でもありますから」

「そう。アンジェイが優秀なことは、子どもの頃からよく聞かされていたよ。イース伯爵家に招聘されていた地理や歴史や語学の教師は、僕の先生でもあったんだ。父は、イース伯爵家の動向をとても気にしていて、よく彼等に探りを入れていた」

「なぜ」

 問うてから、アリスは、自分が藪を突いて蛇を出しかねない危うい質問をしてしまったことに気付き、己の迂闊を悔やんだ。強大な王国の国王が、成り上がり貴族の家の娘の動向を気にするのは、十中八九、その娘が三重天寵の受者だからである。決してアンジェイの出自に疑念を抱いたからではない――だろう。

 アリスの後悔は、今度は頓珍漢なものではなかったらしい。シュメオン王太子がアリスの後ろに立つアンジェイの顔を見上げ、その後ゆっくりと視線を正面に戻す。

「現在、フランコルム王国は、ヒュペルオイアス帝国を併合し、かつてないほど広大な国土を有している。国の隅々まで王の目が行き届いているとは言えない状況だ。今こそ最も強大な支配力が必要な時だというのに、現在、我が王家には、天寵を受けた王子も王女もいない。これでは、フランコルム王家は盤石とはいえない。ではどうすればいいか。王家に天寵の受者が生まれないなら、外から迎えればいい」

「は」

「そんなことを本気で考え始めていた王の許に、オクシタニス大公国の世子から、我が国のベニエ商会を介しての輸入許可申請書類が回ってきた。そうなった経緯を調べたところ、イース伯爵家の令嬢が両者の橋渡しをしたらしいことがわかった。ベニエ商会の次期当主とオクシタニス大公国の世子は令嬢に心酔しているようだ。そんな報告を聞いた王は考えた。これは令嬢の三重天寵の力によるものではないか、令嬢の力は人身掌握の力なのではないか――と。幸い、フランコルム王室には、独身の風来坊王子がいる。まあ、あとは、頓珍漢が得意技の君にもわかるだろう」

「……」

 アリスは、できれば今すぐ後ろを振り返って、アンジェイに確かめたかったのである。「ならいいが」の「が」はこういう意味だったのか? と。

 アリスがそうする前に、シュメオン王太子が「が」について話し出す。

「というわけで、第三代イース伯爵令嬢にして初代コルヌアイユ侯爵令嬢アリスタクセンシア。フランコル王国王太子の妃に――」

「なりません」

「僕がアリスを妻にし、アンジェイはユースティアの侍従官に取り立てられるというのが、誰にとっても、王国にとっても、最良の――」

 それを最良と呼ぶのなら、自分は最悪をこそ希望する! と、百割本気でアリスは思った。

「私は、誰かの妻になっても、アンジェイと離れる気はありません」

「それでは、君の夫が不愉快だろう」

「そんな狭量な夫は願い下げです」

「へえ……誰かの妻になる気はあるんだ」

「理想以上の男性に出会えた際には、私はその人の妻になることに決してやぶさかではありません」

「理想の男性はアンジェイ? “アンジェイ以上”にアンジェイは含まれるよね?」

 アンジェイ未満の男と、これ以上言葉を交わしたくない。掛けていた椅子から勢いよく立ち上がろうとしたアリスを椅子に押しとどめたのは、意外なことにアンジェイではなく、シュメオンの妹姫だった。

 兄同様、入室の許可も得ずに控え室に飛び込んできたユースティア王女は、兄同様挨拶もなく、アリスたちの会話に鋭い爪をきらめかせて飛びかかってきたのだ。



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