魔法と魔術
「ヴァルク様は、魔法使いなのですか?」
「違う」
「でも、昨日……——」
ココとツィーに囲まれながら遅い朝食をとったリリィは、その後、皆でヴァルクのもとへ集った。
三人揃って地下の書庫へ行くのは初めてだったが、ヴァルクは特に思うところはないらしい。いつもの椅子に腰掛けている彼は、三人を一瞥してから再び本に視線を戻した。
ヴァルクのもとへ行くと思われたココとツィーだが、声をかける間もなくリリィから離れていった。
そのまま二人は書庫の奥の方へと姿を消してしまう。
何か探しに行ったのだろうかと思ったが、話し声すら聞こえない。けれどヴァルクは特に気にしていないようで、手元の本に視線を落としたままだった。
彼には山ほど聞きたいことがあったが、昨夜の光景が目に焼きついて離れないリリィは、真っ先に浮かんだ疑問を投げかけた。
それが『ヴァルクは魔法使いではないか』というものだ。
魔獣が襲撃にやって来たあの夜、ココとツィーは身を隠していると彼は言っていた。
そうであれば、その場から一歩も動かないまま魔物たちを一掃したのはヴァルクしかいない。
突然手に持っていた赤い血の色のような剣や、意思を持ったように蠢いていた霧からは、ヴァルクの魔力を強く感じた。
だからこそ、彼には必ず何か特別な力があるはずだと、リリィはそう考えていた。
しかしその疑問は、即座に否定されたわけだけれど。
「俺が使うのは、魔術だ」
なにも答えてくれないかもしれない。
そう思っていたが、予想外にもリリィの問いかけには返答があった。
「魔術……?」
リリィは首を傾げた。
そもそも『魔法』と『魔術』の違いがわかっていなかったからだ。
「魔法も魔術も、同じものではないのですか?」
「魔術を使うには、なにかしらの道具や代償が必要になる」
「代償……ですか」
リリィにとってその言葉は、少し不穏に思えた。
ヴァルクが魔術を発動するために使用するものが『代償』ではなく『道具』であってほしいと願ってしまったリリィは、思いきってその内容を尋ねてみようとした。
けれど本を膝に置いて顔を上げたヴァルクの話には、続きがあった。
「魔法は研鑽を積めば、使用する本人の魔力だけで望みのことが出来る」
「では、これは……この杖は、道具を使っていることにはならないのですか?」
手元に杖を出現させたリリィは、ヴァルクにそれを見せる。
その杖は持ち主の素直な性格を表したような、歪みのない真っ直ぐなもので、彼女の身長を超える長さがあった。
杖の先端近くにはリリィの瞳の色によく似た宝石が嵌め込まれていて、星のような煌めきを放っている。
それを目にしたヴァルクは、眩しさに思わず目を細めた。
「魔法使いや魔女が持つ『杖』は、いわば象徴のようなものだ。道具でも代償になるようなものでもない。それに杖がなくても、リリィは魔力探知ができるだろう」
「あっ……、確かに」
リリィが城でヴァルクの居場所を探す時、杖を出して魔力探知することもあるが、感覚で居場所を突き止めることも多かった。
後者の場合も、リリィの無意識下で魔法は発動していたということだ。
「これは推測だが、杖を持っていた方が魔法の精度が上がるんじゃないのか」
「そういえば、言われてみるとそのような気が……」
指摘されたリリィは、杖を見上げながら頷く。
手によく馴染む杖に魔力を集中させてから発動した方が、成功率は高く、精度も上がっているように感じてはいた。
リリィの気のせいではなかったということが、今初めてわかった。
「魔女や魔法使いは、血で受け継がれていくものだ。魔術を扱う者……いわゆる魔術師とは、根本的に違う」
それを聞いたリリィは、不意に思い出したことがあった。
「そういえば、剣士さまのお父さまは魔法使いだと伺いました。ですが、剣士さまは魔法使いではないと……あれ?」
リリィの頭は混乱していた。
ヴァルクの言うことが正しければ、リリィを魔女だと気付かせた剣士は、魔法使いでなければならない。
「親が魔法使いであっても、子が必ずそう産まれつくわけではないということだ。だからそもそも数が少ない」
「そうなのですね……」
リリィは彼の博識っぷりに感銘を受けた。
いつも難しい本を読んでいるヴァルクなら、知識も豊富だ。
(どうして今まで思いつかなかったんだろう)
途端に瞳を輝かせたリリィは、彼に対してある願いを口にした。
「ヴァルク様! わたしに、魔法の使い方を教えてくださいませんか?」
「……、話を聞いていたのか」
再び本を読み始めようとしたヴァルクは、わかりやすく眉を顰めた。
「俺が扱うのは『魔術』だ。『魔法』ではないと言っただろう」
「魔法も魔術も、どちらも魔力を使うことに違いはないように思うのですが……」
また突拍子もないことを言い出したリリィに、ヴァルクは懇々と言い諭した。
「魔法というのは、本人の意志や研鑽次第で出来ることの幅も大きく変わってくる。だが魔術というのは、道具や代償をどれだけ用意しようと、使用する者の資質や魔力量以上のことは出来ない」
「そう、ですか……」
知識の豊富さが仇となり、ヴァルクに見事に論破されたリリィは、見るからに消沈してしまった。
その様子を見たヴァルクは、彼女の顎先に指を添えると、俯いた顔を上げさせる。
「わかっていないだろう、リリィ。お前は教えを乞うべき相手を間違えている」
「わたしは……わたしを助けてくださった優しいヴァルク様に、お願いしたいんです」
「……相変わらず、おかしなことばかり言うな」
そうは言ったものの、昨夜の襲撃でリリィを助けた自覚は、ヴァルクには確かにあった。
ふたりが初めて出会ったあの日、守りたいと思ってしまったから。
だからこそ、リリィを助けに向かった。
それを優しさと捉えられてしまうとは、ヴァルクは思ってもいなかったが。
「ここへ初めて来た日、花や雪を出してみせただろう。その要領で、他のこともできないのか」
「できることと、できないことがあるんです……」
「……戦闘に特化した魔法か」
リリィはこくりと頷く。
ふたりが初めて対面した時、彼女は戦うための魔法が使えないと言っていた。それは今も変わっていなかった。
「使えなくても、今まで困らなかったんだろう。実際、この城まで無事に辿り着いている」
ヴァルクの話を聞いても、リリィとしては多少の攻撃魔法は習得しておいた方が懸命に思えた。
もちろん攻撃魔法を習得したとしても、それを無闇に使用して誰かを傷付けたいわけではない。
けれど、昨夜の出来事でリリィは思うところがあった。
ツィーを助けに行く判断をすぐにはできず、魔物の襲撃に対してなにもできなかった自分を、ひどく無力に感じた。
剣士には特別な者だと言われたが、魔法が使えるだけで、突出していることはなにもないことをリリィ自身がいちばん自覚していた。
魔法が使えると知った時は嬉しかったが、いまだに扱いきれていない。うまく使いこなせているとはとても思えないからだ。
「ですが……」
「魔法を学びたければ、相応しい者を探した方がいい」
そうは言ったものの、ヴァルクは自分でも無理な提案をしていると思っていた。
東方の国が滅びた今、リヴァルティアに学舎などあるはずがなく、彼が言ったように、魔法使いは数が少ない。
探し出すのは一苦労だろう。
ただし、ヴァルクたちがいる書庫には、魔導書やそれに似た書物が多くある。
それらをリリィに渡そうと考えていた矢先、不意にヴァルクはある矛盾に気が付いた。
以前彼女が言っていたように、魔法を扱う者が周りにいなかったとしても、先祖にそういう者がいたことは語り継がれているはずだ。
魔法使いは絶対数が少ない。それは彼らも把握しているだろう。
いつか生まれつく者のため、魔法に関するものがなにかしら継承されていてもいいはずが、リリィは自分が魔女であることすら知らなかったと言う。
そんなことがありえるのだろうかと、ヴァルクは訝しんだ。
「近しい親族に、必ず魔法使いがいるはずだ。故郷にいる間、誰かに尋ねたことはなかったのか」
「わたし、の……」
リリィは言葉を詰まらせた。
それは魔王城を囲う森をヴァルクと初めて歩いた日、話の途中でリリィが何か言いかけた時の様子と、よく似ていた。
「故郷の村にいる両親は、わたしと血の繋がりはないのです」
そこでリリィは、あるものを魔法で出現させた。
幼い頃からずっと大事に持っていた本を、ヴァルクに見せる。
「森の中で彷徨い歩いていたのが、わたしの最初の記憶です。一冊の本だけを、大事に抱えて」
2026.10.1
今後の話の展開を踏まえ、改題致しました。




