すれ違う想い
耳が痛くなるような声に耐えきれず、リリィは両手で耳をきつく塞いだ。
(何が起こっているの……!?)
城のあちこちから響く魔物の叫びは、苦悶の断末魔。けれどそれは長くは続かなかった。
唐突に途切れ、不自然なほどの静寂が訪れる。
(魔物の数が……減った? 何かに、呑み込まれたような……)
城中からヴァルクの気配がする。
リリィを避けるように辺りに漂う霧から、ヴァルクの魔力を感じる。それはまるで意思を持っているように蠢いている。
ヴァルクは動かない。リリィも外套を被ったまま、動かなかった。
魔物の魔力がまだひとつ残っている。それは素早い動きで移動し——勢いよく近くの窓を突き破った。
「っ……!?」
その衝撃に悲鳴を上げそうになったが、リリィは口元を手で押さえてなんとか留める。
「魔獣たちを……全て殺したな」
知らない声が聞こえた。顔を上げられないリリィは、その様子を詳細には探れない。
けれど足元だけは見えていた。魔力は魔獣と似ているそれは、人型を成し、人の言葉を話している。
リリィは初めて、人型の魔物と遭遇した。
「この世に必要のないものだ」
ヴァルクの声は今まで聞いたことのない、他を圧倒する力が宿っている。
彼と初めて顔を合わせた時でさえ、今ほどではなかった。肌がひりつくような声は、リリィの心を騒つかせる。
彼の言葉を聞いた魔物は、聞く者を不快にさせる、つんざくような嗤い声を轟かせた。
「それは貴様もだろう、ヴァルク!」
魔物がこちらへ近づいてくる。ヴァルクを警戒しているようで、無闇に攻撃しようとしてはこない。
だが、それはすぐに終わりを告げた。
「……後ろに隠しているのは、なんだ——がはッ!?」
不意に、リリィの存在に気付いた魔物の足元から、幾つもの赤く鋭い棘が飛び出す。それは勢いよく魔物に突き刺さり、動きを完全に封じる。
ヴァルクの身体で全体は見えてはいないが、それは確かに魔物の身体を貫いている。その衝撃的な光景に、リリィは耐えきれずに悲鳴を上げた。
そこでヴァルクが剣を持つ手を振り上げたと同時に、ゴトリと重いものが落ちる音が響く。
けれどそれが何かは、リリィが目にすることはなかった。彼女を抱き上げたヴァルクが、自身の身体でわざと視界を遮る。
「それ、は、星…………」
何か言いかけた魔物は、そこで事切れた。
◆
ヴァルクがリリィを抱き上げたまま歩き進める。
部屋へ送ってくれるまでの道すがら、魔物の影も形も一切なかった。けれど痕跡は残っている。
壊れていなかったはずの窓や城壁の破片が時折目につき、羽織ったままのヴァルクの外套をぎゅっと掴む。
リリィの手は、いまだ微かに震えていた。
「ココさんとツィーさんは無事なのでしょうか」
「心配ない。こういう事態の時は、真っ先に身を隠すように言い含めている」
部屋の前に着いたヴァルクは、華奢な身体をそっと降ろす。
彼の言葉にほっと息をついたが、いまだにリリィの心臓は早鐘を打っていた。先ほど目の当たりにした光景が、目に焼きついて離れない。
黙り込んでしまったリリィを暫く見下ろしていたヴァルクだが、唐突に背を向け、去り際に告げた。
「城を出たければ、外が明るくなってからにしろ」
「えっ……?」
何も答えないうちに部屋の前に置いて行かれたリリィは、立ち去るヴァルクを呆然と見送る。
肩に掛けていたままだった大きな外套がずり落ち、そこでようやく我に返った。外套を拾い上げて部屋に戻ったリリィは、力なくベッドに腰掛ける。
ただじっと床を見つめ、先ほど掛けられたヴァルクの言葉を反芻する。
(わたしが、ここを出て行きたがっていると思われた……?)
確かに、恐ろしいものを見た。
でも、人を害する魔物を滅しただけだ。彼を恐れる理由にはならない。
その光景が、どんなに恐ろしいものだったとしても。
(なにより、わたしを魔物から隠してくれた。それは事実なのだから)
勢いよく立ち上がったリリィは、ヴァルクの外套を持って部屋を飛び出した。
地下の書庫にいないことは魔力の気配でわかっていたため、ココに教えてもらったばかりの彼の部屋へ向かう。
着いた先の扉の前で立ち止まったリリィは、息を整えてからノックした。
「……どうした」
「おやすみのところ、お邪魔してすみません」
返事があったことにひどく安堵しながら扉を開いたリリィは、灯りのない薄暗い部屋で何事もなかったように窓際のソファで本を読んでいるヴァルクに、目を丸くする。
おそらく、リリィが来ることに気付いていたのだろう。
特に驚いた様子もなく顔を上げたヴァルクに真っ直ぐ見つめられ、ほんの少し狼狽えてしまった。けれどすぐに気持ちを切り替え、彼のもとへと歩み寄る。
「服を、お返しするのを忘れてしまったので」
丁寧に畳まれた外套を受け取ったヴァルクにお礼を伝えたリリィは、続けて今の気持ちを伝える。
「わたしはどこにも行きません。今はまだ、ここにいます」
そうきっぱりと言い切ると、ヴァルクは「好きにすればいい」とだけ答えた。簡潔な返事だけれど、その声はどこか気遣うように優しくて、リリィは心底ほっとした。
途端に眠気が襲ってきて、無意識に目元を擦る。
まだ外は暗いが、すでに明け方に近い。こんな時間になっても眠れず、魔物の襲撃もあり、精神的に疲弊していたリリィは限界に近かった。
「眠れなかったのか」
擦ってほんのり赤くなった目元に、ヴァルクがそっと触れる。冷たい手が気持ちよくて、リリィは思わず目を細めながら頷いた。
「もう少しだけ、ヴァルク様のそばにいても……いいでしょうか」
リリィは自身の心に素直に従って聞いてみた。
彼のそばにいると安心する。今は、一人きりでいたくなかった。
「それはいいが、眠いんだろう。そこのベッドを使うといい」
「でも、ヴァルクさまが使うのでは」
そこでヴァルクはなんとも言い難い表情を浮かべた。
「俺は……眠らない」
「えっと……ヴァルクさまも、眠れないのですか?」
再び本を読み始めた彼は、視線だけを向けて肯定の意を示す。
理解しきれないリリィは、酷い不眠症なのだろうかと考えた。
ヴァルクへ手を伸ばし、冷たい頬を包み込む。慈しむように、心を込めて。
「いつか、ゆっくり眠れる日が来るといいですね」
冷えた肌に自身のぬくもりが残るようにと祈りつつ、名残惜しく思いながらヴァルクから手を離す。
彼の提案に甘えてベッドに横になったリリィは、小さくあくびをして目を閉じる。
暫くすると、彼がベッドに腰掛ける気配がした。
「……そんな日は、永遠に来ない」
ヴァルクが呟いたが、リリィはそれをうまく聞き取れなかった。
そういえば、ヴァルクが不在の間に部屋を出ていたことを知られたのに、それについてなにも言われていない。
魔物が彼を狙う理由も、わからないままだ。
他にもたくさん聞きたいことがあるのに、迫り来る眠気に負けて、まともに頭が働かない。
「また、お話ししてくださいね。わたし……ヴァルクさまと、もっと……」
リリィの言葉はそこで途切れた。すぅ、と静かな寝息が続く。
ひんやりと心地良い手が、頭を優しく撫でた気がした。
次にリリィが目覚めた時のは、陽が随分と高く登った頃だった。
「おはよう」
「おはよう、リリィ」
見慣れた二人の姿が視界に映り、驚いたリリィは勢いよく飛び起きた。
「おはようございます! お二人がご無事で、本当によかった……っ」
腕を広げたリリィは、ツィーとココをぎゅっと抱きしめた。




