6話 開幕前日
ついに愛知公演の日がやってきた。愛知は唯夏の出身県であると同時に、ユニットとしても繋がりがある。初めてタイアップしたアニメの舞台になっているのだ。
前日入りしてリハーサル、ホテルに泊まって当日リハーサルの後、本番を迎える。会場は一宮市。唯夏の故郷・名古屋市内から北へ向かって電車で数十分の、岐阜との県境の市だ。ほどよく都会でほどよく田舎な中核都市。
東京から名古屋に降り立ち、会場までの道中で少しの自由時間が与えられた。スタッフさん同伴ではあるが、名古屋の散策を許された。行き先は大須。昔ながらのアーケード商店街を抜けると、大須観音と呼ばれる神社がある。
「この空気、懐かしいな」
チョコバナナクレープを食べながら唯夏が呟く。
「ここ、よく来てたんだっけ」
「うん。朝に来たら昔ながらの喫茶店でモーニング、お昼ならおしゃれなカフェでパンケーキが定番」
愛知は喫茶店文化の根付いた土地だ。有名なのがコーヒーにトーストとゆで卵がついてくるモーニングセット。名古屋名物と思われがちだが実は一宮発祥だと、昔唯夏から教えてもらった。
「なんか優雅だね」
「普通の高校生のすることだよ。優香と同じ、普通の」
唯夏は物思いにふけるような目をして、首元のネックレスを触る。アクアマリンがきらりと光った。つられて私もつけているモルガナイトのネックレスを意識した。
結成からしばらく経った頃、みんなでおそろいのネックレスを買ったのだ。それ以来、大事なときにはお守り代わりにつけている。自分の担当宝石を持つという話だったけど、訳あって私と唯夏はお互いの宝石を身に着けていた。
「遅くなっちゃってごめん」
私と唯夏がクレープを食べ終えたとき、お土産屋から芽衣が出てきた。スタッフさんと紗英、亜希も顔を出す。みんなで大須観音を目指して歩いた。地元民の唯夏が先導して。
軽く観光できるのは地方公演ならでは。今まで色々な地方に行かせてもらったなと思い出す。みんなの出身地は全て回った。愛知はもちろん、紗英の兵庫、芽衣の北海道にも。亜希は千葉出身で、地方公演らしくないと本人は言うけど、みんなの生まれ育った場所でライブができるのは嬉しかった。そして私の地元、大分でも。出身者としてステージに立つのは気恥ずかしくあり、誇らしくもあり。ファンレターでも、この地方で何々を食べた、絶景を見たと報告をもらう。ライブの感想と旅行記が合わさったお手紙を読むと、ツアーをやったんだと改めて実感する。
大須観音の境内には鳩が群れをなしていた。人間慣れしていて、近づいても避けようとしない。鳩に気をつけて階段を上り本堂へ。ここのご利益は学問や商売繁盛だ。商売繁盛はライブ成功にも通じるものがある。明日の公演の成功、そしてファイナルライブの発表が上手くできますように……。みんなで手を合わせていたが、唯夏だけ長い。一体いくつ願う気なのだろう。
「何を願ったの?」
聞くと、唯夏は指折り数えて言う。
「人に話すと叶わないから言わないけど、三月までの色々と、それから……解散した後のこと」
私も、三人もちょっと反応してしまった。芽衣なんて気おくれしたように目を反らす。幸い唯夏は気にしてなさそうだ。
「そんなにたくさん、欲張りじゃない?」
「そうかな。とてもひとつには絞れないよ」
叶わない夢も守れない約束だってあるんだよ。そう言いたい気持ちを押さえたのは紗英だった。視線を感じて口をつぐむ。
「願いといえば、覚えてる? 唯夏が私と亜希にした一生のお願い」
階段を下りながら紗英が思い出話を振る。亜希は恥ずかしそうに手で顔を覆った。
「待って、あの時代は黒歴史だからやめて」
「あの時代」を振り返ってみる。亜希は私たちの中で唯一、声優になりたい子ではなかった。アイドルやタレントに憧れていたらしい。何度もアイドルグループのオーディションを受けたが二十歳近くになると合格は厳しく、年齢制限で弾かれることもしばしば。そこでアイドル声優も視野に入れ始めた。
私たちの受けた一般公募は、宝石のカケラのキャストオーディションでもあったわけで。受ける役を自由に選べた。亜希は主役で受け、途中で他の役を振られて合格したのだが。主役を選んだ理由について、「だってグループのリーダーになれるんでしょ?」と言ってのけた。こんな調子だから最初のうちは浮いた存在だった。
「私はあの頃の亜希、嫌いじゃないよ」
あのときは紗英がリーダーで良かった、くらいは思ったものだけど。思い返すとあの尖った態度はかわいくもある。
「私は当時、怖がってた記憶がある。昔の私に今の私たちを見せたら驚きそう」
懐かしむ芽衣の横で、唯夏は亜希と同じく羞恥心に耐えていた。
「あれ、だよね。一生のお願いだから仲直りしてって言ったやつ……」
「しかも泣きながらね」
私が付け足すとさらに顔を赤くする。結成前のレッスン期間中に、紗英と亜希は喧嘩を長引かせていた。残った三人で仲を取り持つ方法を考えていたのに、重い空気に耐えられなくなった唯夏が二人に突撃。
「あのおかげで私と亜希は仲直りできたし、雰囲気も変わったよね」
「私も怖がられなくなったことだし」
あの泣き落としはユニットを喧嘩前よりもいい方向に導いた。本人も認める通り、亜希は丸くなり話しやすくなった。それまではおそろいのネックレスを買えるような間柄ではなかったのに。そういえば、亜希はいつから声優として活動していきたいと思っていたんだろう。いつしか声優業を大好きだと言うようになっていた。でなければ唯夏もあんな約束を言い出さない。
思い出話に花を咲かせる私たちを、スタッフさんが穏やかに見守る。ゆるりと名古屋を離れて一宮へ向かう。あの後も芽衣だけは唯夏の願い事を気にしているように見えた。
会場で前日リハを一通り終えたら、明日に備えて早めにホテルで休む。いつもだいたい唯夏との相部屋だけど、芽衣が私との二人部屋を希望して。唯夏は「たまにはいいよ」と譲った。
「芽衣、お風呂上がったよ」
タオルを片手に呼びかける。ドレッサーの椅子に座る芽衣は、手のひらにペリドットのネックレスを乗せて見つめていた。
「唯夏との約束を気にしてるの?」
「守れなかったと思っちゃって。願い、叶えてあげたかった」
叶えようとして諦めたのは自分の夢なのに、唯夏の願いだと言う。唯夏が基準のような口ぶり。
「その言い方だと唯夏のために声優やってるみたい」
「……そうだったかもね」
視線でベッドに座ってと勧められる。ドレッサーとベッドは少し離れているが、話をするのには十分な距離だった。
「私はね、みんなと比べて私が一番、声優に向いてないとわかってる。なによりもなりたくてなったけど、自分がやりたい、自分が夢を叶えたいという気持ちだけじゃ……もたなかった」
「どういう意味?」
「ファンの人たちが待ってくれてる、私の活躍を望んでくれているから、頑張ろうって思ってきた。そして唯夏は身近なファンだから。唯夏の願いはファンのみんなの願い。叶えなきゃ、叶えてあげなきゃ……。何度も唱えて、なんとか声優であろうとしてた」
唯夏は誰よりも私たちを応援してくれた。自分がブレイクしてからも、純粋に背中を押してくれた。しかし、私は唯夏のために頑張るわけじゃない。ユニット活動はみんなのためでもあったと言えるが、声優活動は結局のところ個人戦だ。
「それって……唯夏に縛られてたように聞こえる」
「縛られている反面、繋ぎ留められてもいたんだよ。今まで優香と唯夏には言えなかったけど……唯夏の願いが声優としての私の存在理由だった。好きだから演じたいという気持ちはあったけど、頑張らないといけない理由は唯夏の願いだったの」
怒らないでとなだめるように、あるいは「私はそれでも良かったから」と諭すように。あまりにも優しく言うものだから、どういう顔をすればいいのかわからない。
「『優香と唯夏には』って、紗英と亜希は知ってたの?」
「二人とも『あんまり良くないよ』って言いながら、『それが芽衣の支えになるんだったら』と言ってくれてた」
「私に言わなかったのは、唯夏に伝わっちゃうと思ったから?」
「一番の理由は、今みたいな顔をさせてしまうと思ったから……かな」
ネックレスを仕舞って立ち上がった芽衣は、私の目の前まで来た。
「なんて顔してるの」
「……なんか嫌だなって。芽衣のこと否定するつもりはないけど、私は唯夏に縛られるのは嫌だ」
「優香はそれでいいよ。優香らしくて好き」
哀愁を含む微笑み。諦めた夢を託された気がした。いや、託すとは違うかな。押しつけないから継ぎたいなら継いで。そう言われたみたい。
「お風呂入ってくるね」
「芽衣」
遮るように名を呼ぶ。今の話でどうしても確認しておきたいことができた。
「芽衣の旦那さんになる人、いい人なんだよね。芽衣を幸せにしてくれるよね」
話にはよく聞いていたし、なんなら昔紹介してもらった。でもあれから結構経っている。束縛する人じゃないだろうか。
「とっても素敵な人だよ」
幸せそうな笑顔が証明していた。これなら心配いらないか。芽衣は三つ年上だけれど、小柄で幼くかわいらしい顔立ちをしている。ぱっと見で最年少に見えるのは芽衣だろう。でも今の彼女は綺麗な年上の女性だった。
ひとりベッドに寝転んだ。ふかふかの羽毛布団にうずまって、枕を抱きしめる。芽衣が唯夏にこだわっていたのは薄々感じていたけど。……ここまでだとは思わなかった。
ちらりとドレッサーに置かれたジュエリーケースに目をやる。ペリドットの宝石言葉は幸福に和合。夫婦愛の意味もあった。宝石言葉についてはみんなであれこれ調べたから詳しい。紗英のガーネットは勝利、情熱。亜希のトパーズは希望や友情で——
コンコンとドアのノック音が響く。唯夏かと思って開けると、亜希だった。お風呂上がりのようでネックレスは外している。
「大須で買ったお茶がおいしかったからおすそ分け。安眠効果があるらしいよ」
手のひらサイズの小袋を受け取る。ハーブティーだった。
「ありがと。芽衣はお風呂中だから、上がってきたら一緒に飲むね」
亜希の顔を見たら尋ねたくなった。それじゃあ、と去ろうとする姿を呼び止める。
「ねえ、急だけど質問していい?」
「ん。なに?」
「亜希は引退じゃなくてタレントへの転身は考えなかったの?」
声優ユニットだから、解散後の進路も声優路線を望んでいるファンが多いだろう。しかし亜希のやりたいことなら声優じゃなくても追いかけたい、とついてくるファンはいるはず。
「昔の私なら考えただろうね。けど、宝石のカケラのアフレコが終わる頃にはどっぷり声優志向だったよ」
「唯夏がいるから?」
「みんながいたからだよ。みんなに影響を受けて、みんなからもらった新しい夢。引退するのはそれを叶えられないと諦めがついたから。……変な想像してたでしょ」
芽衣のあれが悪いわけじゃないけど、亜希までそうだったらどうしようと思った。きっとそこまで読まれている。
「少しはね。でももう大丈夫。聞けて良かった。お茶もあるしよく寝れそう」
「明日に備えないとだからね。おやすみ」
「おやすみなさい」
ドアを閉めて、備え付けのケトルでお湯を沸かす。小袋を開けると澄ましたハーブの匂いがした。
静かな夜を過ごした。例年の地方公演であれば、唯夏と遅くまで話をしているところだ。そして早起きな唯夏に起こされる。今夜は……例えるならそう。暖炉に火をくべて編み物をしているような夜。優しく穏やかな時間。だけど切なさが拭えない。芽衣が約束を存在理由にしていたから。二人の引退。唯夏への隠し事。明日が解散への第一歩だから。その全てが原因だ。
「あのね」
眠りに落ちる前、そっと語りかけられた。
「私思うの。優香は傷ついているときに一緒になって傷ついてくれる人。どん底にいたらそこまで落ちてくれる人なんだって」
仰向けの状態から芽衣の方へ寝返りをうつ。
「それに救われてきた。でもやっぱり笑っていてほしいから、もう傷つこうとしないでね」
「あんまり自覚ないんだけど、もしそうだとして救われていたの?」
根本的な解決にはならなそう。穴にはまった人を助けずに自分も落ちて困らせる……みたいな図が浮かんだ。
「救われてるよ。私はいつも……」
眠気に襲われたのか、自分から振ってきたのに言葉が途切れた。起き上がって芽衣を覗けば、安心しきった寝顔が。私も再び目を閉じた。




