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17話 追い風

 ある日のアフレコ後の昼下がり。今日は詩織さんの演じる明美と過ごせる最後の日だった。収録はまだ続くけど私の出番は終わりだ。


 詩織さんとブックカフェにいる。甘いパンケーキとミルクティーがおいしい。

「詩織さんはいつから私たちを応援してくださっていたんですか?」

「放送聴いて昔からだとわかっちゃった?」

「はい。伝わりました」

 向かいでホットサンドを食べる詩織さんは、照れたように目を伏せた。

「きっかけは宝石のカケラだよ。同じ声優として、メインキャストを一般公募で選んだアニメは要チェックだった。ファンになったのは初めての夏フェスかな」

「そんなに前から……」

「優香ちゃん推しで知り合えたときは秘かに感動していたのに、なかなか言えなかった。かっこ悪いよね、今まで伝えられなかったなんて」

「いいえ、かっこよかったです。メンバーで番組を聴きましたが、みんな詩織さんの今までの気持ちを受け取りました。本当にありがとうございます」

 長年の想いをさらけ出し、叩かれても自分の意志を貫いた。最高にかっこいい。

「ありがとうはこっちの台詞だよ。優香ちゃんたちからはいつも元気をもらってる。一曲一曲に励まされてるよ」

「こちらこそお力をいただいています」

 優しい時間が流れる。生クリームとメープルシロップで甘い生地が心なしかさらに甘くなった。


「神奈川公演で優香ちゃんに見つけてもらえて嬉しかった。でもファイナルライブでは見つけないでね。私は光の海の一部になるから」

 パンケーキを食べてミルクティーも飲み干したとき、その情景を想像した。広い会場。どこまでも続く光。トロッコで一周しても特定のひとりを見つけ出すことは不可能な、果てのない海。そこに詩織さんがいてくれる景色を。


「はい。詩織さんは私を見ていてくださいね」

「もちろん。一瞬だって見逃さない」

 飲み物をおかわりしてしばらくのんびりする。


 別れ際、おもむろに「優香ちゃん個人としても応援してるよ」と言われた。

「優香ちゃんはちょっと私みたいで……。私にはあんなパフォーマンスはできないからそれ以外でね」

 詩織さんとはそこまで声質が近いわけではないのに、同じ役を競うことが多い。どこか似ているところがあるのだろう。

「昔を思い出すの。お節介かもしれないけれど放っておけない。何かあったら頼ってね」

 七年目までメインキャストの経験がなかった詩織さんだが、それまでずっとモブの仕事は途切れさせなかった。何年も繋いだものが実を結んだ人。

「ありがとうございます。とても……とても励みになります」

 詩織さんと現場で会えても私はモブでしかなかった。だけどこれからはちゃんと渡り合えるように。解散後について考えることがようやく苦ではなくなった。踏み出した先にも未来はあるはずだから。



 詩織さんのラジオで紹介されてから追い風が吹いている。真正のアンチはどうすることもできない。だけど「よく知らないけど評判が悪いから」関わりたくない、世間が嫌っているらしいから自分も——といった人の心に変化をもたらした。私たちを人に紹介することや好きだと発信すること。それを難しくさせているのは、宝石のカケラの悪評や唯夏の足枷という風潮だった。評判が悪いから中身を知ろうとしないまま悪印象を持ち続ける。評判が悪いから人に勧めづらい。この迷路の出口が少しだけ見えてきた。


 そして、私個人にも吉報がやってきた。オーディションの話が来たと連絡を受けて、すぐさま事務所に向かう。解散が発表されてからは初めてもらえる話。

 喜び以上に身が引き締まる思いを強く感じた。解散後の予定が真っ白なのは私だけ。唯夏は言うまでもなく、紗英にも他の現場がある。芽衣は夏の入籍と秋の挙式に向けて結婚準備を本格化させ、亜希は新しい環境で働き始める。私もしっかりしなくては。このチャンスを逃さない。みなぎる気持ちは純粋なやる気で、「後がない」と焦りが混ざることはなかった。


 事務所の会議室でマネージャーと向かい合う。机に資料とオーディション原稿が置かれた。

「ありがたいことに指名オーディションを頂いた」

「本当ですか?」


 制作側は事務所にオーディションの募集をかける。こういう人を求めているので、合いそうな人、一押しの人を選出してくださいと。一方、指名オーディションは受けてほしい人に直接声をかける。オーディション枠争奪戦を免除される立場。唯夏はよくもらっているし、紗英にも来ないことはない。私に来るのは初めてだった。

 資料のページをめくると理由がわかった。私を「周囲にいい影響を与える」と評した、あの音響監督の名前が載っていたのだ。他のスタッフさんも数名被っている。……私に期待してくれてチャンスをくれたんだ。


 この作品「蓮の魔法記」は韓国の漫画が原作で、日本の制作会社でアニメ化される。近年増えつつある制作形態だけれど、オーディションを受けるのは初めてだ。

「この作品は本国でドラマ化されている。アニメが上手くいけばドラマの吹き替え化も視野に入れているそうだ。その際にはアニメ版キャストをそのまま起用する」

 つまりドラマ版の仕事もできる可能性がある。アニメ版が全十二話でドラマ版は全二十話。ドラマは一話あたりの尺も一時間と長い。企画が通ればドラマの方とより長く付き合うことになる。


「吹き替えの経験はほとんどありませんが、大丈夫でしょうか」

 モブ出演はあるしオーディションを受けたこともあるとはいえ、数はアニメよりもさらに減る。

「あくまでもアニメのオーディションだから、アニメの演技を意識して臨んでもらいたい。その先にドラマがある可能性だけ頭に入れておいてほしい。吹き替えにも対応できると見込んだ者しか指名していないと伺っているよ。だから大丈夫」

 ……そうだ。見込まれたから指名してもらえた。この貴重な機会に不安だとか言っていられない。


「わかりました。せっかくいただいたお話、無駄にしないために頑張ります。もう弱音は吐きません」

 マネージャーは安心したような表情を浮かべ、話を進めた。


 資料のページをめくるたびに全体像が見えてくる。

 昔の韓国を舞台にしたファンタジーでありラブロマンス。庶民の女の子には秘められた魔法の才能があった。魔法学園で修業に励み恋に落ちる物語。

 受ける役も指定されていた。主人公に突っかかるお嬢様の侍女。名前はジナ。プライドの高い主に付き従い、ときには諫める役。アニメでは第五話から登場する。メインキャラクターではないが準レギュラーとして出番は多い。


 続いてオーディション内容について。まずは台詞を録って提出するテープオーディションから。通れば今月下旬にスタジオオーディションを受ける。スタジオオーディションは掛け合い審査。ジナ役は仕える相手であるソヨン役と組んでもらう。


 概要を説明し終えると、マネージャーは「音響監督から伝言を預かっている」と切り出した。

「あの方は優香を気にかけてくださっていた。以前、収録後に話したことについて補足したいとおっしゃった」

「……はい」

 あのときは素直に受け止められなかった。褒め言葉なのか、認められているのかわからなくなりそうで。でも今なら……。


「優香は役の持つ味に余計なものを混ぜず表現できる。なにより共演者の良さを伝えることができる声優。目指すべきは、起用する側に『この人がいれば出演者全員にいい影響を与えられる』と評価されて、共演者に『この人がいるからやりやすい』と感謝され、それを広げていくこと。大衆に認められるにはまだ時間がかかるだろう。人に与えて、他人にばかり得をさせて、自分が幸せになれるのは最後かもしれない。それでも磨いていけば、どこにでもいられる息の長い声優になれると——伝言。確かに伝えたよ」


 私が変に解釈してしまった言葉は、強い熱量を持った応援と期待だった。「やりやすい」はみんなも言ってくれた私の強み。私はもうフィルターがかかっているとか、身内贔屓とか……思わない。多少損な役回りだろうと良さを知ってくれている人がいる。それを披露する機会も与えられた。


「確かに受け取りました。ありがとうございます。……マネージャーにも声優としての私をどう思うかお聞きしていいですか?」

 マネージャーは腕を組み、少し考えて口にした。

「優香は……なんでもそつなくこなせるのに不器用なところがある。ジュエリーピースのマネージャーとして言いたくはないが、アイドル業との両立には向いていなかったのではないかと思う。デビューの仕方もいきなりメインキャストではなく、端役と脇役を経てからが性に合っていたかもしれない」

 冷静な分析はきっと間違っていない。テープオーディションまでならわりと通過するから、新人時代に声優業だけに注力できていれば。……今よりは声優歴六年目らしくいられたのかもしれない。


「不器用な私がユニット活動でさらに回り道をしていた……ということですよね」

「……はっきりと言えば」

 だとしても、みんなと出会えない未来は考えられない。


「マネージャー。私は声優になりたくてジュエリーピースのオーディションを受けました。正直、アイドル業はおまけだと考えていました」

 歌とダンスの教室に通い、一般公募で通用する技術を身に着けたのも声優になるため。デビューの間口が広がるから。ただそれだけ。通わせてもらっておいて酷いけど、上手くなってもそこまで楽しいとは思えなかった。それがみんなと出会って変わった。

「それなのに声優業こそおまけになっていて。これではアイドル声優ではなく、過去に声優経験のあるアイドルだと悩みました。ですが私は……もし専業声優でデビューして、そちらの方が明るい道だったとしても、ジュエリーピースになれない未来は選べません」


 紗英に歌う気持ち良さを、亜希に振りが揃ったときの快感を、芽衣に自分を魅せる素敵さを教えてもらって。唯夏は、演じる楽しさをこれでもかというほど感じさせてくれるだけじゃなく、ステージに立つことそのものの幸福感をくれた。ユニット活動を大好きになり、まだ続けていたいと何度も願った。それくらい大きな存在。


「野暮な話をして悪かった。伝言の『大衆に認められるにはまだ時間がかかる』には同意見だが、業界人に良さを広めることは近いうちに実現できると信じている」

「ありがとうございます。そのためにもこのオーディションに受かってみせます」

 今度こそは合格する。制作側が私に与えてくれたチャンスなんだから。


 原作の翻訳版を漫画アプリで読んだ。ジナは気位の高いお嬢様の付き人ということで「はいはい」とあしらうことに慣れているが、主人を思う気持ちは本物で。間違ったことをしようとしたら正す正義感も持っている。


 タイトルに蓮が入っているように、蓮の花が出てくる場面が多かった。蓮の花は綺麗な池では育たない。汚い泥水の中で生きた蓮こそが大きく気高い花を咲かせる。泥臭く努力することの比喩として使われていた。オーディション原稿に使われている場面を見つけては、照らし合わせてチェックする。

 動画配信サービスでドラマの字幕版も観た。原作とドラマ。どちらのジナとも向き合って、私がアニメのジナを表現する。


「『ソヨンさま』」

 ジナが最も口にする名前だ。……うん、いける。勝ち取れるように全力でぶつかろう。

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