第6章:魔剣オボロー1
勇者ラナが誕生した翌朝。
俺は王城へ向かう石畳の坂道を、その「時の人」となった勇者ラナと並んで歩いていた。
朝のウルシア王都は、昨日の喧騒の余熱を引きずったまま、異常な熱気を帯びていた。
露店の売り子の怒鳴り声、荷馬車の車輪の軋み、すれ違う冒険者たちの高揚した声。それらのすべての雑音を押し流すように、坂の上にある白亜の尖塔だけが、冷たく静かに天を突いている。
「……なんかさ」
隣を歩くラナが、両手を頭の後ろで組みながら、ふぅと小さく息を吐いた。
「こうやって正式に王城に呼び出されると、褒められるのか怒られるのか分かんなくて、毎回ちょっとビビるよね。胃がキリキリする」
今朝、ギルドの宿舎で死んだように眠っていた俺のもとに、突然王からの直属の使者が現れ、「直ちに登城せよ」と告げられたのだ。
その道中、同じく呼び出されたであろうラナとばったり出くわし、こうして一緒に歩いている。
「いや、お前は確実に褒められる側だろ。なんせ勇者ラナ様なんだからよ」
「やめてよ、その呼び方! 背中がむずむずして痒くなるから」
ラナが頬を膨らませて抗議する。
だが――言いながらも、その口元は少しだけ緩んでいた。
腰に静かに聖剣ラナを下げた銀髪の少女は、昨日酒場で見た素朴な顔よりも、ほんの少しだけ“大人びて”見えた。背負ったモノの重さが、彼女の顔つきを変え始めている。
俺たちの数歩前を歩くのは、重厚と軽薄、絵に描いたような対照的な二人組だった。
一人は、白銀の重装甲を纏い、背筋に定規が入っているかのように真っ直ぐな歩き方をする、ウルシア王国パラディンのリュグナ。
もう一人は、着崩した革のコートに赤いマントを翻し、だらしなく大剣を背負ったSランク冒険者のオルド。
そしてその二人は、王城へ向かうこの神聖な坂道で、道中ずっとこんな調子だった。
「だから、オルド殿。せめて王城内に入る前くらい、その胸元のシャツのボタンをきちんと上まで閉めろと言っているのだ」
リュグナが眉間に深いシワを寄せて小言を飛ばす。
「うるせぇぞリュグナ。お前はガキの頃から頭が固すぎるんだよ。いいか? 俺のこの鍛え上げられた胸元は、もはや世界の財産なんだぞ? 隠すなんて罪だろ」
オルドがニヤニヤしながら、胸元をさらに大きくはだけさせる。
「意味が分からん。財産なら金庫にでも隠して鍵をかけておけ」
「馬鹿だなぁ、見せてこそ価値が生まれるんだろうが。……なぁ、そう思うだろ?」
一度もこちらを振り返っていないのに、後ろを歩いているのが俺だと完全に察知して話を振ってきた。
「……巻き込むなよ」
俺がため息混じりに返すと、ラナがくすっと吹き出した。
「ねぇ、リュグナさん。二人はすごく仲良さそうなのに、なんでオルド殿って他人行儀に呼ぶの?」
ラナの無邪気な質問に、俺も「たしかに」と頷いた。
「あぁ。私とオルド殿は、ウルシア王国の辺境の村で育った幼少の頃からの幼馴染でな」
リュグナが、前を向いたまま淡々と答えた。
「幼少の頃、オルド殿は『俺はいつか絶対にSランク冒険者になる』と宣言し、私は『ならば私は騎士団の頂点、聖騎士になる』と言い返した。……どちらが先に夢を叶えるか、生涯をかけた勝負をしたんだ」
「で、先にSランク冒険者になったのがオルド。負けた罰ゲームが、一生オルド殿って敬称で呼ぶこと……か」
「そういうことだ。騎士として、一度立てた誓いを破るわけにはいかない」
言われてみれば、リュグナの口にする「殿」という言葉には、微妙な悔しさと、それ以上の深い敬意が混ざっている気がする。
「でもよぉ、もう十何年も経ってんだぜ? そろそろやめてもよくないか、リュグナ」
オルドが振り返りながら、少し照れくさそうに笑う。
「ガキの頃の約束だろ? 忘れてやっても――」
「断る」
「即答!?」
「私が聖騎士になるまで、この誓いは続ける。……お前はSランク冒険者になった。その事実は変わらない。私が並び立つまではな」
真面目腐った顔でそう宣言するリュグナに、オルドは「勝手にしろよ」と呆れながらも、嬉しそうに鼻を鳴らした。
「……なんだろうな。あの二人見てると、本当に強い人間ほど、変なこだわりが強いって気がしてくるな」
「ね。ちょっと羨ましいかも」
ラナと俺は、顔を見合わせて苦笑した。
◆
王城の深部。
重厚な大扉が開き、俺たちは昨日と同じ謁見の間へと通された。
だが、昨日の勇者誕生の空気とは全く違う。
壇上にはウルシア王エルムンドの他に、見慣れない意匠の旗が何本も並べられていた。
青い盾に、斜めに交差する二本の剣――隣国エドラ王国の紋章。
「ウルシア王国、勇者ラナ、並びに護衛及び補佐一行――入廷!!」
近衛騎士の名乗りと共に、俺たちは赤い絨毯の上を進む。
玉座の右側にはウルシア王。そして左側には、豪華な装束を纏った年配の男が座っていた。エドラ王国の使節団代表だろう。
そして――その御前のど真ん中に、一人の男が立っていた。
「……うそ?」
隣を歩いていたラナの足がピタリと止まり、その声が微かに震えた。
肩まで無造作に伸ばした黒髪を後ろで束ね、白いコートを羽織った長身の男。
腰には、装飾を一切削ぎ落とした、殺すためだけに打たれたような一振りの細身の剣。その鋭い三白眼の目元には、人を食ったような飄々とした笑みが張り付いている。
「よう、ラナ。背は伸びてねぇが、顔つきは少しマシになったな」
「カシアン……ッ!!」
ラナが、王の前であることも忘れて、弾かれたようにその男へと駆け寄った。
男――カシアンは、面倒くさそうに片手で彼女の頭を制止した。
「おいおい、王様の前だぞ。抱きついてくるな、お前の泣き虫が移る」
「ひどっ!? 愛弟子との感動の再会なのに、その言い草はないでしょ!?」
口ではそう文句を言い合いながらも、カシアンの目が、一瞬だけ安堵するように細められたのを俺は見逃さなかった。
エドラ王国剣術指南役――エドラの剣聖カシアン。
ラナに剣のすべてを叩き込んだ師匠にして、この大陸で剣を志すものならば彼の名を知らぬ者はいない、最高峰の剣士の一人、らしい。
「ふむ。久しいな、カシアン殿」
エルムンド王が、威厳に満ちた声で穏やかに口を開いた。
「我がウルシアの急な提案を快く受けてくださり、エドラ王国には深く感謝する」
「いや、ご丁寧な挨拶は結構です、エルムンド王」
エドラ側の代表が頭を下げる横で、カシアンが肩を回しながら面倒くさそうに続けた。
「魔族復活の兆しありと聞いては、俺たちも座して首を洗って待つ理由もねぇ。……こっちとしても、千年ぶりの化け物どもに国を荒らされる未来はご勘弁願いたい。さっさと仕事を終わらせて、美味い酒が飲みてぇ」
「師匠! 王様の前!」
ラナが慌ててカシアンの袖を引っ張る。
「おっと、いっけねぇ」
なんて自由な師弟なんだと、俺は呆れ半分で眺めていた。
だが、その不敬すらも実力でねじ伏せて許されるだけの、絶対的な覇気がこの男からは漂っている。オルドと同等か、それ以上。
◆
やがて、両国代表の挨拶が手短に終わり、本題へと入る。
「――今回の合同任務は、魔剣オボロの回収だ」
エルムンド王の重々しい声が、謁見の間に響き渡った。
「千年前の封魔戦争において、魔族を討ち倒すために鍛えられたとされる四本の魔剣。
そのうちの一本、魔剣オボロの位置が、古文書と諜報部隊の決死の調査により、王都より北西の山岳地帯にある巨大な古代遺跡であると特定された」
背後の巨大な大陸地図に、赤いピンが刺される。
「だが、問題は……その遺跡の内部だ」
リュグナがわずかに眉を寄せ、一歩前へ出た。
「我が国もすでに何度か先遣の調査隊を遺跡へ送りました。ですが……誰一人として、生きては戻ってきておりません。
生存者の最期の記録魔法石によれば、遺跡内部は……数え切れぬほどの神獣クラスモンスターの巣窟と化しているとのこと」
「神獣クラスが、うじゃうじゃいる……!?」
俺は思わず息を呑んだ。
ミリアで俺が武装化した、あのクリスタルワイバーンと同レベルの化け物が、ダンジョンの中に大量に蠢いているというのか。
「普通に軍を突入させれば、凄惨な消耗戦の末に全滅するだけだ。……だが、今回は違う」
エルムンド王の鋭い視線が、ラナへと向けられた。
「勇者ラナ。そなたが手にした聖剣の権能――神獣を召喚し、従える能力を用いれば、遺跡内の神獣どもを“敵”ではなく、我々の道に変えることができる」
ラナは、王の重圧に負けることなく、真剣な顔で力強く頷いた。
「はい。……私が、皆さんの道を切り開いてみせます」
「そのうえで、魔剣オボロを回収し、この王都へ持ち帰る。これはウルシア王国とエドラ王国、両国の存亡をかけた絶対任務だ」
王は、玉座から俺たち参加者を順にゆっくりと見渡した。
「ウルシア王国からは、Sランク冒険者オルド、パラディン二名、勇者ラナ。そして……ミリアでの惨劇を生き抜いた功労者――」
いきなり、王の指が俺に向かって真っ直ぐに突きつけられた。
「……俺、ですか?」
俺は心臓が口から飛び出そうになるのを必死に抑え、素っ頓狂な声で確認した。
「そうだ。貴殿は、死の淵における異常な生存性を買われている。糧食管理と荷物運びの雑務はもちろんのこと、極限状態での判断力と運に期待している」
なんだその評価基準は。ありがたいが、胃に穴が空きそうだ。
「そして、エドラ王国からは、剣術指南役カシアン。および、我が国が誇るAランク冒険者三名」
エドラ側の王族の言葉に合わせ、カシアンの後ろに控えていた三人が一歩前に出た。
双剣を腰に差した眼光の鋭い青年。
身の丈ほどもある大槍を背負った、筋肉質な女戦士。
長弓を背負い、気配を完全に消している長身の男。
どれも一目でただ者ではないと分かる、死線をくぐり抜けてきた者の目だった。
「両国の合同精鋭任務とする。互いの国境を越え、力を合わせ、必ずや魔剣オボロをこの手に持ち帰るのだ!!」
王の言葉が、地獄のダンジョンへの片道切符の始まりを告げたのだった。
謁見が終わり、城を出たのは夕刻だった。
西の空が赤く燃える中、俺たちは王城の裏手にある軍の駐屯地で、すぐさま出立の準備に取り掛かった。
目的地は、王都より北西に位置する過酷な山岳地帯。
地形の悪さを考慮し、馬車が使えるのは道中の半分まで。残りは完全な徒歩行軍となる。俺は糧食係として、数日分の干し肉、固焼きパン、毛布、そして大量の解毒ポーションと回復薬を、二台の荷馬車へテキパキと積み込んでいた。
「いやー、しかし」
荷台の横で、オルドが水袋を受け取りながら呆れたように空を見上げた。
「聖剣に選ばれたばかりの勇者様に、エドラの剣聖、ウルシアのSランク冒険者とパラディン二枚、さらに他国のAランク精鋭が三人……。
これ、ぶっちゃけ大陸選抜オールスターだよな。これで負けたら、もう人類終わりじゃねぇの?」
「そのふざけた言い方をやめろ」
馬具の点検をしていたリュグナが、冷たい声で窘めた。
「大陸選抜などと驕るな。せいぜいウルシア・エドラ連合精鋭部隊だ。我々は国を背負っているのだぞ」
「……だよねぇ。でも、呼び方が堅苦しいだけで、意味は大体同じじゃね?」
オルドが肩をすくめると、ふと横で、ラナが小さく同調するように肩をすくめていた。
「……でも、正直、すごく心強いよ」
ラナは、腰の聖剣の柄を撫でながら、ポツリとこぼした。
「だってさ。師匠もいるし、オルドさんたちもいるし、エドラの強い人たちもいる。こんだけ最高の仲間が揃ってて負けるなんて、絶対にありえないもん。もし負けたら、それはもうそういう運命だったって諦めがつくレベルだよ」
「相変わらず前向きなんだか、後ろ向きなんだか分からねぇな、お前」
カシアンが、欠伸を噛み殺しながら荷車の影からぬっと顔を出した。
彼は自分の荷物など一切持たず、ただ腰の一振りの剣だけをぶら下げている。
「ラナ。お前、調子はどうだ。聖剣の重さには慣れたか?」
「絶好調だよ、カシアン!」
ラナが胸を張り、笑顔で答える。
「そうか。……怖くはないか?」
カシアンの三白眼が、スッと細められ、ラナの奥底を見透かすように射抜いた。
一瞬。ほんの一瞬だけ、ラナの目が揺れたのを俺は見た。
大闘技場で聖剣に触れた瞬間の、あの圧倒的な魔力の奔流。それに呑まれかけた恐怖が、彼女の奥底にはまだ確実にこびりついている。




