第6章:魔剣オボロー2
「そうか。……怖くはないか?」
カシアンの三白眼が、スッと細められ、ラナの奥底を見透かすように射抜いた。
一瞬。ほんの一瞬だけ、ラナの目が揺れたのを俺は見た。
大闘技場で聖剣に触れた瞬間の、あの圧倒的な魔力の奔流。それに呑まれかけた恐怖が、彼女の奥底にはまだ確実にこびりついている。
だがすぐに、彼女はいつも通りの屈託のない笑顔に戻った。
「怖くないって言ったら、嘘になる。……でも、怖いって感情だけで足がすくんで立ち止まるなら、私は師匠の弟子なんて名乗れないよ。でしょ?」
「……フッ。減らず口だけは、一人前に叩けるようになったな」
カシアンはそう言いながら、どこか誇らしげに鼻を鳴らし、乱暴にラナの銀髪を撫で回した。
「せいぜい、背中を刺されないように気をつけるこったな」
その言葉は、弟子の成長を喜ぶ師匠の忠告に聞こえた。
◆
翌朝、王都の北門を抜け、俺たちの強行軍が始まった。
道中、エドラ王国のAランク冒険者三人は、恐ろしいほど無口でストイックだった。
双剣の青年、槍使いの女戦士、長弓の男。彼らは休憩中も一切の無駄口を叩かず、ただ黙々と武器の手入れをし、カシアンの指示には絶対の忠誠で従っていた。
彼らにとって、カシアンは単なる上官ではなく、神に等しい絶対者なのだと、その立ち振る舞いだけで理解できた。
夜の野営。
俺が作った香草と干し肉のスープを皆が黙々とすする中、焚き火の反対側で、ふとリュグナとオルドの会話が俺の耳に届いた。
「……しかし、本当にあったのだな。魔剣オボロの遺跡、そこへ行くのか」
リュグナが、薪を組み直しながら低い声で言った。
「行くさ。今さら引けねぇよ。貴族の連中が神話の武器を欲しがってる以上、お前は進まなきゃいけねぇし。何より名誉が手に入る、なら俺は止まるわけにはいかねぇ」
オルドはスープを飲み干し、大剣を枕にするようにして地面にごろりと寝転んだ。
「なぁ、リュグナ。覚えてるか。ガキの頃、村外れの丘で星空見上げながら『どっちが先に最強になるか』って勝負したの」
「……忘れるはずがない」
「俺はSランク冒険者。お前は聖騎士。……先に夢を叶えたほうが、負けた方に理不尽な罰ゲームを一生押しつけるって約束」
「ああ。あの誓いは、今でも有効だ」
リュグナの顔は、焚き火の光に照らされても微動だにしない。
「だよなぁ?」
オルドが、ニヤリと悪戯っぽく笑った。
「お前、ずっとクソ真面目に騎士団で血反吐吐いて出世してさ。とうとうパラディンにまで登り詰めた。……でもな、俺は、お前よりほんの少しだけ先に、Sランク冒険者になっちまった」
「事実だな。私よりオルド殿の方が、夢を叶えるための力と才能と運がほんの少しだけあった。
だから、一生オルド殿って敬称で呼ばせてる」
「そうだな。一切の不満もねぇ」
オルドが少しだけ寂しそうに見えた。
あまりにもあっさりとした、そして重すぎるやり取りに、俺は思わずスープの木皿を持ったまま口を挟んでしまった。
「……それ、本当にいつまで続けるんだよ? もうお互い、立派な大人だろ」
俺の問いに答えたのは、オルドではなくリュグナのほうだった。
「私が、騎士団の頂点である聖騎士の称号を得るまで、これは終わらない。
……オルド殿は、先に“約束”を果たしたのだ。この敬称は、私がそれを生涯認めているという、最大の敬意の証でもある」
「だってよ」
オルドが、寝転んだまま誇らしげな顔をして見せた。
「ま、こう見えて俺たち、命を預け合う最高の相棒だからな」
「相棒ではない。ただの腐れ縁だ」
「そこ否定すんなよ、泣くぞ俺」
くだらない、けれどどこまでも揺るぎない掛け合い。
その裏にある十数年の年月の重さと、互いへの絶対の信頼を思うと、俺の胸の奥が少しだけ温かくなった。
この大陸選抜とも呼べる最強のパーティー。
これほどの結束と力があれば、どんな地獄のダンジョンであろうと、必ず全員で無事に帰還できる。
俺は焚き火の温もりの中で、本気でそう信じて疑わなかったのだ。
ウルシア王都を発ち、二日が経過した。
馬車と徒歩を交えた強行軍。王都の平穏な景色はすっかり遠のき、街道を包み込む景色は、標高が上がるにつれてゴツゴツとした苛烈な岩肌と、凍てつくような冷気へと変わっていった。
「……風向きが変わったな」
前方を歩いていたリュグナが、突如として足を止め、白銀の甲冑の長剣の柄にそっと手をかけた。
「来るぞ。上だ」
オルドがだらしなく背負っていた大剣を、風切り音すら立てずに肩へ担ぎ直す。
カシアンもまた、面倒くさそうに首の骨をゴキゴキと鳴らした。
次の瞬間――山背の向こうの深い雲海を破り、巨大な『黒い影』が姿を現した。
天を覆い尽くすほどの巨大な翼。
太陽の光すら吸い込む、不気味な漆黒の鱗。
知性と凶暴性を宿した、血のように赤い二つの瞳。
神話の世界の存在――黒龍。
「わーお……いきなり大物が来たね」
ラナが引きつった苦笑いを浮かべ、腰の聖剣ラナの柄に手を伸ばしかけた。
「やめとけ、ラナ」
カシアンが手でそれを制した。
「魔剣オボロの眠る遺跡に入る前に、お前の聖剣の魔力を無駄遣いするんじゃねぇ。ここは――」
「――俺たちの仕事場だな」
オルドが不敵にニカッと笑い、地面を力強く踏みしめた。
リュグナと女パラディンが完璧な連携で左右に散開し、エドラのAランク冒険者三人が、息を呑むような速度で武器を構える。
「おい、雑用!」オルドが振り返らずに叫ぶ。
「荷台の陰から絶対に動くなよ! 英雄たちの舞を特等席で見てろ!」
「……了解ッ」
俺は素直に馬車の車輪の陰へと身を潜めた。
正直、このメンバーの領域に、俺のような『不安定な力』が立ち入る隙など一ミリも存在しなかった。
――グオォォォォォォォォンッ!!!!!
黒龍が天に向かって凄まじい咆哮を上げた。
山肌がビリビリと激しく震え、咆哮の衝撃波だけで大気が激しく軋む。
だが――その直後だった。
――ズドンッ!!
オルドの姿が視界から完全に消え失せた。
爆音と共に彼が地を蹴った足元の大石が微塵に砕け、彼は一コンマで黒龍の巨大な懐へと飛び込んでいた。
風切り音すら置き去りにする、大剣の一閃。
黒龍が反射的に放った灼熱のブレスの軌道を、リュグナの白銀の盾が教本通りの角度で綺麗に弾き返す!
隙が生じた黒龍の巨大な足の関節へ、エドラの女戦士の巨大な槍が深々と突き刺さり、間髪入れずに長弓の矢が黒龍の片目を正確無比に射抜いた。
速い。そして、恐ろしいほどに無駄がない。
単体でも国を滅ぼしそうな黒龍が、まるで最初から退治されるための前座として配置されていたかのように、一方的に叩きのめされていく。
――ズドォォォォォォンッ!!
首元がオルドの大剣で深く切り裂かれ、黒龍の巨体が凄まじい地響きと共に地面へと叩きつけられた。
一度、二度、大きな身震いをし――そのまま黒龍は完全に沈黙した。
「……終わった、のか……?」
俺が呆然と呟くと、オルドが大剣を肩に担ぎ直し、ケラケラと笑って振り返った。
「よし、解体班~! この素材売ったら一生遊んで暮らせるぞ~!」
「遊ぶな、オルド殿。我らの目的は魔剣オボロの回収だ」
リュグナが冷たくツッコミを入れ、周囲の警戒を怠らない。
黒龍は、完全に死んでいた。
――俺の胸の奥で、ドクンと狂暴な心拍が跳ね上がった。
(……チャンスだ)
人間以外の生物。そして、完全に死んでいる。
俺の武装化の条件を満たした至宝が、目の前に転がっているのだ。
「……ちょっと、散らばった荷物の点検をしてくる」
俺はそう言い残し、全員が周囲の警戒や次の行軍の確認に没頭している隙を突き、死んだ黒龍の巨大な翼の影へと潜り込んだ。
◆
近付けば近付くほど、その圧倒的な質量と絶望感に息が詰まる。
漆黒の鱗、強靭な翼の皮膜。
俺は誰も見ていないことを確信し、ゴクリと唾を飲み込んで、黒龍の冷たい翼へそっと右手を押し当てた。
――触れた、瞬間。
――バチチチチチチチッッ!!!!!
全身の神経を、黒い電流のような悍ましい衝撃が駆け抜けた。
視界が真っ黒に染まり上がり、俺の脳髄の中に空の感覚と滑空のコツの概念が直接流れ込んでくる。
黒龍の巨体が、黒い光の粒子となってガラガラと砕け散り、俺の背中へと集束していく!
――メリメリメリッ!
俺の肩甲骨のあたりから、異物が生え出てくる悍ましい感覚。
そこに顕現したのは、黒い金属と竜の鱗が融合したかのような、重厚で機械的な漆黒の機械翼。
「……っ、すげぇ……!」
背中の翼を少し意識して動かしてみる。それだけで、俺の生身の身体がふわっと重力を無視して浮かび上がりそうになった。
全身の細胞が空を飛べと叫んでいる。
トンッ、と軽く地面を蹴ってみた。
――シュンッ!
次の瞬間、俺の視界から地面が消え去っていた。
一瞬で上空数十メートル。
顔を刺す冷たい風。眼下に広がる連峰の絶景、うねる川、そして小さく見える馬車。
絶大な飛翔の力。これが、黒龍の持つ特性――!
だが、長居は無用だ。目立ちすぎれば異端扱いされて、即座にカシアンやオルドたちに斬り殺されるかもしれない。
(コイツからも一部だけ貰うか)
俺は強い意識で翼を閉じるイメージを固めた。
背中の黒き翼が解け、莫大な黒光りが一点へと圧縮されていく。
俺の掌の上に残ったのは――龍鱗模様の黒いピアス。
漆黒の金属で型取られた細い環。そこに、黒龍の小さな鱗が一枚だけ嵌め込まれている。
それ以外の素材は元の黒龍の死体に戻った。
「……よし」
俺はそれを左の耳たぶへと装着した。
装飾品化、完了。
右手に『クリスタルワイバーンの指輪』。
左手に『アークサーペントの指輪』。
そして左耳に『黒龍のピアス』。
三体のモンスターの力を、俺は完全にこの身にストックしたのだ。
「――今の、何?」
背後から、鈴を転がすような静かな声が響いた。
――ヒュッ。
俺の全身の血の気が、一瞬で引き散った。
ゆっくりと振り返ると、そこには聖剣ラナを腰に下げたラナが立っていた。
カシアンたちの目を盗んで、一人で俺の後を追ってきたらしい。その青い瞳は、からかう色など一切なく、恐ろしいほど静かに俺を射抜いていた。
「……見てたのか」
「うん。……さっきまで、あなたの背中に黒い大きな翼が生えてたよね」
「…………」
「今は戻ってるけど、黒龍の死骸、跡形もなく消えてたよね」
「…………」
「で、今……耳に黒いピアス、ついてるよね」
逃げ場は、どこにもなかった。
「……教えて?」
ラナの声は、責める調子でも、恐怖に怯える声でもなかった。ただ、まっすぐに真実を知りたいという、強い意志。
誤魔化すことはできた。見間違いだ、珍しい魔道具だと嘘をつくことはできた。
だが――俺の心の中の何かが、このまっすぐな少女に嘘をつくことを拒絶した。
「簡単に言うと、死んだモンスターの力を借りれる……全部は、まだ言えない」
「まだ?」
「この任務が終わって、無事に王都に帰れたら……全部話す。俺の口からな」
ラナは一瞬だけ目を細め、それから――ふっと、年相応の可愛らしい笑顔を浮かべた。
「……そっか。分かった」
「……疑わないのか? 俺を化け物だと思わないのか?」
「思わないよ。だって――」
ラナは腰の聖剣をぽんぽんと優しく叩いた。
「私もね……まだ誰にも言ってない秘密を抱えたまま、戦ってるから」
彼女の瞳の奥に、ちらりと見えた深い闇。聖剣ラナの真の能力、そして恐怖を、彼女自身もまた隠し持っているのだ。
「だから、約束ね。無事に帰ったら……ちゃんと私に教えて」
「ああ。約束する」
「絶対だよ? 破ったら――神獣たち総動員で、あなたのベッドの周りで一晩中踊らせるからね!」
「……やめろ、本気でうなされるわ」
俺が呆れて笑うと、ラナも「ふふっ」と楽しそうに笑った。
勇者として祭り上げられた少女と、死体を貪る異端の雑用係。
誰も知らない秘密の約束が、俺たちの間に結ばれた瞬間だった。
◆
それから、さらに数日。
行軍は険しさを極め、馬車を捨てた徒歩での本格的な登山となった。
そして――出立から五日目の夕刻。
「……ちっ、やっとお出ましか」
先頭を行くカシアンが、面倒くさそうに顎で前方を示した。
険しい山肌を切り開いて造られた、巨大な古代の石造りの門。
黒ずんだアーチには読めない古代文字が刻まれ、周囲の岩壁には無数の巨大な爪痕と、焼け焦げた痕跡が残されている。
魔剣オボロが封印されし、狂気の古代遺跡。
神獣クラスの魔物が蠢き、数々の調査隊を飲み込んできた絶対の死地。
「さぁて、お仕事の時間だ」
オルドが大剣を引き抜き、リュグナが重厚な盾を構え、エドラのAランクたちが殺気を全開にする。
ラナは聖剣ラナの柄に手を置き、静かに目を閉じて集中を高めた。
俺の左耳の黒龍のピアスが、夜風に揺れて冷たくチリチリと響く。
それぞれの思惑、それぞれの覚悟、そして秘密を胸に秘めたまま。
俺たちは――魔剣オボロの眠る、深淵の口へと足を踏み入れたのだった。




