第42章:不安の種−2
俺は、首が飛ぶ瞬間に、魔剣ムラマサの能力を脳髄が焼き切れる速度で発動させた。
視界がブレる。
世界が五秒前へと巻き戻る。
俺の肉体は再び、上位貴族の懐へ潜り込む五秒前の空中にいた。
だが、一度体感し、魂に刻み込まれた相手の攻撃軌道を完全に読み切っている状態。
上位貴族が、五秒前と全く同じように、俺の首を刎ねようと六本の爪を振り下ろす。
だが、そこにはすでに俺はいない。
「なッ!? 消えた……!?」
「ここだッ!!」
死角。
俺の紫電を帯びたアークサーペントのクナイが、上位貴族の誇る六枚の漆黒の翼を、根元から一気に叩き斬った。
「ガァァァッ!?」
黒い鮮血が、空中に派手に舞い散る。
――チィンッ!!
翼を失い、空中で無様に体勢を崩した魔族の眉間を。
砦の防壁の上から、ジークのアーティファクト・ヒナワから放たれた極限圧縮の純白の熱線が、寸分の狂いもなく、正確に貫通した。
「未来の通りです! リク、いけッ!!」
「っしゃあああッ!! 俺の聖剣ソラスを食らえぇぇ!!」
地上。
ショウの完璧なナビゲートを受けたリクが、聖剣ソラスから溢れ出す圧倒的な光を纏って、音速で落下してくるもう一体の上位貴族へと向かって一直線に突撃した。
その瞬間、俺には一瞬だけ、リクの姿が二人、三人にブレて見えた。
交差する光。
もう一体の上位貴族の強靭な胴体が、なんの抵抗もなく、斜めに真っ二つに両断された。
「よし! ぜーんぶ俺の想像通りだぜ!」
リクが軽やかに着地し、ピースしながら太陽のように爽快に笑う。
「……あ、ガ……。貴様ら……一体……」
上位貴族二体は、自分たちが人間という名の脆弱な生物に、手も足も出ずに一方的に蹂躙されたという事実を、最後まで理解できないまま。
真っ二つになった身体を地に落とし、絶望と困惑の中で命を散らせた。
残りの下位貴族二体は――。
すでに、スプリガンの暗殺者二人が、音もなく背後から細切れにしており、リリアノートが転がった死骸を鎌の先で「あーあ、弱すぎ」と気怠そうにちょんちょんと突っついていた。
完全なる制圧。
冷たい風が吹き抜け、大穴の前の土煙が静かに晴れていく。
一週間前の下位貴族三体。そして今日の上位貴族二体、下位貴族二体。
かつて世界を深い絶望に陥れたバケモノの軍勢が、俺たちの陣形を一つも、ただの一歩も崩すことなく。
文字通りの完全勝利で殲滅されたのだ。
「……素晴らしい。もはや芸術の域ですね」
砦の屋上から、ギリーエが静かに、だが誇らしげに拍手を送った。
「前衛にかすり傷一つない、完璧な制圧です。これなら、例えこの後、何万体の魔族が湧いてこようと問題ありません。……我々の勝利は揺るがない」
「違いねぇ。準備運動にもなりゃしねぇぜ」
レイズが大剣を肩に担ぎ、白い歯を見せて不敵に笑う。
砦全体が、圧倒的な勝利の熱狂と、俺たちは誰にも負けないという揺るぎない確信に包まれていた。
◆
その日の夜。
砦の中庭では、昼間の大勝利を祝う盛大な宴会が開かれていた。
ロムダースのドワーフたちが次々と最高級エールの樽を開け、カエサルの飛竜たちがどこからか獲ってきた巨大な魔獣の肉が豪快に焼かれている。
そんな喧騒から少しだけ離れた焚き火のそばで。
ジーク、そしてリクとショウの三人が、膝を突き合わせていた。
「すっげぇよなぁ。 ウルシアの王子様が3人も、こんな前線に来てんだから! 王族ってのはもっとお城でふんぞり返ってるもんだと思ってたよ!」
リクが、渡されたばかりの串焼きの肉を頬張りながら、口をモグモグさせて目を輝かせている。
「う、うん……。僕も最初は怖かったけど、兄様たちの決断は……本当に、すごいと思うよ。民を守るために、一番最初に前線に立とうとするんだから」
ジークが、少し照れながらも誇らしげに答える。
「確かに、とても立派です」
『確かにね。かっこいいよ、ウルシア王国の王子様たち』
俺とラナも、近くで会話を聞きながら二人で同時に頷く。
「……そういや、今日の戦闘で本格的なお前らの実戦を間近で見たけどよ」
俺は焚き火に薪をくべながら、若き聖剣適合者たちに声をかけた。
「その聖剣ソラスと聖剣エクス。具体的にどんな能力なんだ? ショウの指示も、リクの突破力も、ちょっと常軌を逸してたぞ」
俺の問いに、ジークも興味津々といった顔でショウを見つめる。
ショウは小さくため息をつくと、前髪の位置を直し、膝の上に置いた自分の剣『聖剣エクス』の青い柄をポンと叩いた。
「グリンデル王国の秘匿された書庫に眠っていたとされる、伝記の受け売りですが ……僕の『聖剣エクス』は、未来を切り開く剣です。
……第一の能力は、周囲の『五秒先の未来』を完全に感知すること。その感知している間、僕の主観的な体感では、周囲の時間は完全に停止しています」
「時間停止して、さらに未来視……!」
ジークが息を呑む。
「ええ。そして真価は第二の能力。その停止した五秒の未来視の中で、『0.5秒間だけ、周囲の状況を自分の望む形に改変し、それを現実にトレースできる』というものです。今日の戦闘でリクに完璧な指示を出せたのも、敵の不可視の魔力の揺らぎを事前に察知して死角を突けたのも、その能力のおかげです」
俺は思わず、腰の魔剣ムラマサに手を当てた。
(……ムラマサの過去をやり直す『五秒戻し』と、真逆の能力。未来を確定させて改変する聖剣エクスか。控えめに言ってとんでもねぇな)
「ただ、この剣には最悪な抜刀条件がありましてね」
ショウが苦り切った顔をする。
「抜刀する前、完全に動きを十秒間、停止しなければならないんです。この戦場において、十秒の完全無防備な静止なんて、自殺行為以外の何物でもない。だから、僕一人じゃ……絶対に戦えないんです」
「そこで、俺の出番ってわけ!」
リクがドンッ!と自分の胸を叩き、腰の聖剣ソラスを誇らしげに掲げた。
「俺が十秒間、ショウを守る! その間にショウが抜刀して、俺に一番いい未来を教えてくれるんだ!」
「なるほど。完璧なコンビネーションってわけか」
俺が感心して頷くと、リクは「へへっ」と照れ笑いをした。
「じゃあ、リク君の聖剣ソラスはどんな能力なの?」
ジークが、わくわくした表情で身を乗り出す。
「リクの聖剣ソラスは、可能性を引き寄せる剣です」
肉を口に詰め込んだリクの代わりに、ショウが淡々と解説を続ける。
「第一の能力は、斬った、あるいは剣で対象に触れた五秒後を、リクの想像力によって強制的に決定し、その通りの事象を現実に上書きするというものです。どう倒れるか、どう躱すか、生死すらも……リクが思い描いた通りの五秒後が、確定した未来として強要されます」
「……なんだそれ、無茶苦茶じゃねぇか……」
俺は絶句した。相手の結末を、想像力だけで強制決定する剣。そんな反則、あっていいのか。
「さらに第二の能力が、自身の誕生から現在までのあらゆる可能性の自分……つまり、別の道を歩んでいたかもしれない並行世界の自分を、この世界に召喚して共に戦うこと。今日の戦闘で一瞬だけリクが複数に見えたのは、それです」
「でもあれ、魔力すっげぇ使うからすぐバテちゃうんだよねー。」
リクがケラケラと笑う。
「……すごいや。本当に、おとぎ話の英雄みたいだ」
ジークが、羨望のまなざしで二人を見つめた。
「僕なんかじゃ、到底扱えそうにないや。……抜刀条件は、何なの?」
ジークの真っ直ぐな問いに、ショウは少しだけ表情を和らげ、隣で無邪気に笑う親友を見つめた。
「……ソラスの抜刀条件は、『今後の未来に、希望を抱いていること』です」
焚き火の爆ぜる音が、ふっと静かに響いた。
魔族が復活し、明日生きている保証すらどこにもないこの狂った世界で。
心の底から未来への希望を抱き続けること。
それは、十秒間の完全静止なんかよりも、ずっと厳しく、そして尊い条件だった。
「俺さ、絶対になんとかなるって思ってんだ!」
リクが、焚き火の炎に照らされた顔で、屈託のない笑顔を見せる。
「大将さんも、ショウも、ジークもいる! これだけの仲間がいれば、魔族なんて絶対倒せるさ! そんで、戦争が終わったら、みんなでオーシャンの海で遊ぶんだ! だから俺は、絶対に未来を諦めない!」
眩しすぎる光。
ジークはポカンとリクを見つめた後、つられたように、ふにゃりと優しく笑った。
「……そっか。うん、そうだね。絶対に勝てるよ、僕たちなら」
『……いい子たちだね、相棒。なんだか、こっちまで元気が出てきちゃった。絶対に、この光を消しちゃいけないね』
胸の奥で、ラナが嬉しそうに囁く。
(ああ。あいつらの未来は、俺が何をしてでも守ってやらねぇとな)
俺は残っていた酒を飲み干し、三人の笑い声に耳を傾けた。
「いやー、すげぇな俺たち! 上位貴族相手に無傷、完封だぜ!? 伝説の幕開けだな!」
少し離れた場所では、レイズがジョッキを片手に、上機嫌で声を張り上げている。
「ええ。皆の連携、そしてザラ殿の支援が完璧でした。これなら、どんな困難も乗り越えられます」
カリナも、頬を微かに赤く染めながら、安堵に満ちた表情で微笑んでいた。
圧倒的な勝利。
強すぎる仲間たち。
負ける要素など、どこを探しても見当たらない。
誰もがそう信じて疑わなかった。
人類の反撃のパレードは、これからも続いていくのだと。
誰もが、心からそう信じていた。
「あっはは。君たちじゃ、まだ魔王くんはやれないと思うよ〜」
――ふと。
本当に、何の前触れもなく。
風の音も、足音も、空間の揺らぎすらも一切なく。
談笑してジョッキを傾けていたレイズとミストの間。
先ほどまで誰も座っていなかったはずの空き椅子から、場違いなほど間延びした、穏やかで柔らかな声が響いた。




