第41章:反撃の狼煙ー2
ジークが、傍らに立てかけた黒い筒――アーティファクト・ヒナワを静かに見つめ、恥ずかしそうに、そして己の無力さを噛み締めるように頬を掻いた。
「聖剣に選ばれるなんて……本当に勇者の証だもん。それに比べて僕は、自分の魔力も少なくて、弱虫で……ただ、このヒナワの力に頼りきりなだけだから……」
「そんなことないですよ、ジークさん。過剰な謙遜は、かえって事実を曇らせます」
ショウが、年の離れた弟を諭すような、十代前半という年齢にそぐわない冷静で真面目な顔で、静かに首を振った。
「あなたのそのヒナワによる狙撃精度の話は、シンさんから聞きました。……シミュレーション上でも、あなたの狙撃技術と精神の集中力は完璧です」
「……え?」
「考えてみてください。これから始まる圧倒的な悪意との乱戦。僕たちのような前衛が敵陣に突っ込み、死角から貴族クラスの魔族に狙われた時……。あなたのヒナワが、後方の安全圏から、絶対に外さない精密射撃で敵の頭を撃ち抜いてくれるという事実」
ショウは、前髪の奥の理知的な瞳を、ジークへと真っ直ぐに向けた。
「……それは、前に出る僕たちにとって、絶対的な安心感があるんです。頼りにしてますよ、ウルシアの名狙撃手」
「ショウ君……!」
「それに」
ショウは、少しだけ口元を緩め、瞳を和らげた。
「王族という、本来なら安全なお城の奥深くで、判断を下すだけの立場の人が。……自らの足で、この泥臭く、死臭の漂う最前線の砦に立ち続けている。
……そのあなたの勇気を、僕たちは、心から尊敬しています」
「そうそう!! ジーク君はすっげぇ勇者だよ! 俺が保証する! 俺たちの背中は任せたからな!」
リクが、満面の笑みでジークの華奢な背中を、バシバシと力強く叩く。
「……うんっ……!!」
ジークの瞳に、じんわりと、だが確かな熱を帯びた嬉し涙が浮かんだ。
王族としての重圧。
オレやシン、兄ギリーエたちといった、バケモノじみた強者たちの中で、一人だけ凡人であるという圧倒的な劣等感。
その重さに押し潰されそうになっていたジークにとって。
同年代で、同じように世界を救うという過酷な運命を背負わされた二人の少年の言葉は。
どんな魔法のバフよりも温かく、何よりの救いだったのだ。
「僕、絶対に当ててみせるよ……! 二人の邪魔をする魔族は、全部、僕のヒナワで撃ち落とすから……!」
ジークが、ヒナワを強く抱きしめ、涙を拭いながら決意を口にする。
俺は少し離れた場所から、その尊い光景を見守りながら、胸元のペンダントにそっと語りかけた。
(……なぁ、ラナ。ジークのやつ、いい顔してるな。少し前まで、グリンデルの城でただ怯えて震えてたガキだったってのに)
『うん。……本当に、見違えるくらい強くなったね。相棒がずっと前を歩いて、ジークに背中を見せて、道を切り拓いてきたからだよ』
胸の奥で響くラナの声も、どこか誇らしげで、そして日向のように温かかった。
「やあ。……隣、いいかい?」
ふと、横から静かな声がかかり、振り返る。
そこには、ウルシア王国第四王子ソーが立っていた。彼の手には、琥珀色の高い酒が注がれた二つのグラスが握られている。
「ああ、座れよ」
「ありがとう」
ソーが、俺の隣のバリスタ弾薬の木箱に腰を下ろし、グラスの一つを差し出してきた。
俺がそれを受け取ると、ソーは焚き火の揺らめく炎を見つめながら、ポツリと口を開いた。
「……魔族に対する、人類側のこの迅速な動き。
君がいなければ、僕たちは決して、ここまで一つに集まることはできなかった」
ソーの横顔は、王族としての気品と、どこか深い感謝に満ちていた。
「僕も、兄上も。ウルシア王国という国さえも、君が身を挺して救ってくれた。……この世界は君に、どれだけ感謝しても、し足りないだろうね」
「よせよ」
俺は、グラスの氷を揺らしてカラリと鳴らした。
「俺は英雄でも何でもない。ただ死にたくなくて、自分の手の届く範囲で必死に足掻いた結果だ。……それに、俺一人の力じゃねぇ。お前らがいたからだろ」
俺がグラスを軽く傾けた、その瞬間だった。
ソーの瞳の光が、スッ……と。
温厚な善のものから、刃物のように鋭く、獰猛で好戦的な悪のものに切り替わった。
「……ケッ。柄にもねぇクソお遊戯会みてぇなクソ会話してんじゃねぇよ。クソ反吐が出るぜ」
魔剣オボロに選ばれた、もう一つの悪の人格だ。
俺は構えずに、そのまま琥珀色の酒を一口飲んだ。
「……だがまぁ。俺も、テメェのことは嫌いじゃねぇぜ」
悪のソーが、ニタリと三日月のように口角を裂くように吊り上げる。
「なんだかんだ、テメェは俺と同じ匂いがクソするからなあ。戦場で俺のクソ邪魔だけはすんなよ。……テメェなら、俺の背中はクソ預けてやる」
それは。
捻くれきった、殺戮を好む悪の人格なりの。
最高の賛辞であり、確かな仲間への絶対の信頼の証だった。
「……あ、ご、ごめんっ!また急に出てきて……!」
数秒後。
スッと瞳のハイライトが戻り、元の温厚な善の人格へと切り替わったソーが、慌ててグラスを置き、何度も頭を下げた。
「君にはすごく懐いてるみたいで……! 何か失礼なこと、言ってなかったかい!?」
「気にすんなよ」
俺は笑って、残りの酒を一気に飲み干した。
「最高の褒め言葉をもらったよ。……どっちのお前も、今は背中を預けられる、最高に頼もしい仲間だ」
俺がそう言って空のグラスを掲げると、ソーはホッとしたように、そして本当に嬉しそうに相好を崩した。
そして。
「……ふふっ。みんな、すごく良い表情をしているわね」
ふわり、と。
血と鉄と油、そして瘴気の匂いが充満するこの黒鋼の砦の中に。そこだけ場違いなほど清らかな、金木犀のような香りが漂い。
ウルシア王国、聖騎士カリナが、俺たちの背後に静かに立っていた。
彼女の美しい黄金の髪が、夜風にサラサラと揺れている。
その手には、お盆に乗せられた、湯気を立てる温かい豆スープの入った木碗が三つ。
「夜風が少し冷えるでしょう? はい、ロムダースのスープよ。……無理して見張らなくても、今は交代で休むべきよ。嫌でも休めなくなる時が、すぐに来るのだから」
カリナが、まるで出征する弟たちを案じる姉のように、深く温かい微笑みを浮かべながら、俺とソーにスープを手渡してくれた。
「ありがとな、カリナ」
俺は木碗の温もりを両手で包み込みながら、彼女を見上げた。
「……お前も、少しは休めよ。ギリーエも言ってただろ。お前はこの布陣の命綱だ。遊撃の要であるお前が魔力切れで倒れたら、最前線の俺たちは、全員仲良く共倒れだぞ」
俺が素直に気遣いの言葉をかけると。
カリナは、美しく、そしてどこか儚さを帯びた……だが、鋼のように絶対に折れない聖騎士の笑顔を見せた。
「私は、大丈夫よ」
彼女は、腰に差した純白の剣の柄に、そっと手を添えた。
「私の浄化の光は、決して尽きないわ。……それに、これだけ頼もしい仲間が、一つの戦場に揃っているのだもの。例え魔王が来ようと、私たちが負けるはずないわ」
カリナの瞳が、力強い光を放つ。
「全員で生きて、王都へ帰りましょう。誰一人として、ここには置いていかないわ」
その言葉は、単なる強がりでも、気休めでも何でもなく。
ここにいる全員の心にある、確かな勝利へのビジョンの代弁だった。
人類最強のオヤジが、文字通り空間を叩き割って駆け回り、各国の王の寝首を掻く勢いで無理やりかき集めた、六国の誇る最高戦力。
盤上の王ギリーエの天才的な頭脳が描く、一切の無駄を排した絶対の陣形。
カエサルの双竜と、機巧神匠の魔改造兵器による圧倒的な面制圧力。
オーシャンの海神が作り出すレッドカーペットと、無垢なる聖剣の突破力。
バル=ゼファルの暗殺者たちによる確実な死の刈り取りと、アーティファクトを操る踊り子の理不尽なまでのバフ。
これ以上の布陣など。
この世界の数千年の歴史上、過去のどこを探しても存在しないと断言できるほど、完璧で、美しく、そして凶悪な暴力の結晶だった。
俺は、広間の喧騒から少し離れた、砦の高台の暗がりに目を向けた。
そこには、一人静かに、黙々と聖樹の弓の手入れをしているライーオの背中があった。
彼のような、ドス黒い復讐の炎に魂を焼かれ、人間性を失いかけた男でさえ。今は仲間の温かい声の響くこの空間の片隅で、静かに、ただ静かに、弓の弦を張り詰めながら、魔族の心臓を射抜く時を待っている。
(……ああ。負ける気が、しねぇな)
俺は温かいスープを啜りながら、防壁の向こう側、深く暗い夜空を見上げた。
空を覆い尽くす赤黒い瘴気の雲の、ほんの僅かな隙間から覗く星が。
今夜はやけに、残酷なほど綺麗に輝いていた。
これだけの絆がある。
これだけの最強の布陣がある。
そして何より、俺の胸には、あらゆる奇跡を起こしてきた最高の相棒がいる。
大穴から湧き出す絶望を、すべて前線で叩き潰し。
誰一人欠けることなく、この続きを、王都の賑やかな酒場で、ジョッキをぶつけ合いながら笑って語り合える。
ジークは真の勇者として称えられ、バカ騒ぎし、シンやレイズたちと馬鹿話で夜を明かす。
そんな、眩しいほどの明るい未来が待っていると。
この時の俺たちは。
この砦に集った、人類の最高戦力と呼ばれるすべての化け物たちは。
文字通り。
微塵も、疑っていなかったのだ。




