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第40章:盤上の王ー2

 シンが腕を組み、不敵な目で面白そうに頷いた。


「了解だ。俺の波で、魔族どもをすり鉢の底に綺麗に集めてやる」


「はい。シンさんに、無駄な動きはさせません」


 ショウが前髪を分け直し、大人びた顔で淡々と答える。


「ライーオ殿。あなたは、防壁の最も高い見張り塔からの、超長距離狙撃を」


 ギリーエの声が、一段と低くなる。


「……標的は、魔族の指揮官である貴族クラスのみです。雑兵には一切矢を放つ必要はありません。急所のみを確実に仕留めてください」


「……標的の座標さえ分かれば、必ず眉間を穿つ」


 ライーオが、底冷えする声で、背負った純白の大弓を強く握りしめた。


 その殺気が、テーブルの上の立体地図の端を、パリパリと微かに枯れさせる。


「私の放つ矢は、聖樹の怒りそのものだ。魔族の汚れた血で、この矢を染め上げてやる」


「ジーク」


 ギリーエは、実の弟に向かって、容赦のない厳しい目を向けた。


「お前はヒナワで、ライーオ殿が撃ち漏らした敵、もしくは陣形を抜けて防壁に肉薄した強敵を的確に削り取れ。……ヒナワの最大熱量は、ここぞという致命的な瞬間のために、温存しておくんだ」


「は、はいっ……! 兄上の指示通りに、必ず……!」


 ジークが、震える足を踏ん張り、力強く、そして王族としての誇りを持って返事をした。


 完璧だった。


 誰一人として無駄な動きをさせない。


 後衛が敵を集め、前衛が殲滅し、漏れた敵を狙撃が処理する。強者たちのエゴすらも、完璧な戦術のピースとして組み込んだ、恐るべき布陣。


 だが、ギリーエの采配はこれで終わりではなかった。


 彼の冷徹な視線が、この部屋で最も異質な空気を放つ者たちへと向けられる。


「そして。バル=ゼファル国王直属暗殺部隊スプリガンのお二人。クラファス殿、リリアノート殿」


 呼ばれた二人が、ゆっくりと顔を上げた。


 彼らが纏うのは、戦士の闘力でも、魔法使いの魔力でもない。純粋な死そのものを何十時間も煮詰めたような、一切の人間的な感情を排した、本物の暗殺者の気配。


「お二人には、この陣形における遊撃として。防衛網をすり抜けた素早い敵の処理、あるいは敵陣深くに潜むであろう貴族クラスの首だけを、確実に刈り取るようお願いします」


 ギリーエは、彼らをあえて赤い石の集まりから外し、敵陣の奥深くへと配置した。


「あなたたちの圧倒的な機動力と隠密性を殺さないため、あえて前衛のラインには組み込みません。……単独行動は許可します。我々の盤面を乱さない範囲で、好きに暴れてください」


「承知いたしましたァァァッ!!」


 クラファスが、背筋をピンと伸ばし、軍人以上に美しい直角の敬礼を見せた。


「我がスプリガンの名にかけて! 陣形を抜け出た魔族の皆様の死体を、完璧に左右対称の芸術品として積み上げてご覧に入れましょう! ああ、血の飛沫の軌道すら計算し尽くされた、美しき解体ショーの始まりです!!」


「あー、りょーかい、りょーかい」


 その隣で、リリアノートが気怠そうに首の後ろをボリボリと掻きながら、自身の背丈以上ある異形の鎌を肩に担ぎ直した。


「……おいファッさん、前に出過ぎて前衛の連中の邪魔すんなよ。オレは適当に、手足もがれても死なねぇような、一番面倒くさそうな魔族の首だけ落として回るからよ」


 生と死の境界線が完全に麻痺している、狂人たちの戯れ言。


 だが、彼らの実力を疑う者は、この場には誰一人としていなかった。彼らの言葉は妄想や虚勢ではなく、確実に実行されるただの未来の事実だ。


「……カリナ」


 ギリーエの視線が、最後に。


 集団の後方で、純白の剣を抱くように静かに立つ、光の剣姫へと向けられた。


「あなたは、この布陣における命の綱であり、全体の士気を保つ遊撃の要です」


 ギリーエの声が、少しだけ人間味を帯びる。


「前衛も後衛も、自分の限界を遥かに超えて、命を削りながら戦うことになる。……もし、誰かが致命傷を負い、死に欠ければ、あなたの光で照らしてください」


 光の剣姫の浄化。


 それは、最前線で肉を斬らせて骨を断つ戦士たちにとって、何よりも頼もしい、そして唯一の保証だった。


「はい。この身が砕け、私の魔力が完全に尽き果てようとも……決して、誰一人として欠けさせはしません」


 カリナが、美しい黄金の髪を揺らし、静かに、だが鋼のように強固な覚悟で頷いた。


 その瞳に宿る慈愛の光は、この薄暗く血生臭い魔境において、唯一の救いのように温かく輝いていた。


「……最後に、ガルド殿」


 ギリーエの視線が、作戦テーブルから離れ、砦の広間の奥へと向けられた。


 そこでは、油と煤にまみれた機巧神匠ガルドが、自身の身長の何倍もある巨大なアーティファクト・センシャの砲塔にへばりつき、何やら物騒な魔力パイプを何十本も強引に接続している最中だった。


「センシャは、この砦の最終防衛ラインです。万が一、あり得ませんが、我々のこの陣形が完全に抜かれ、敵の軍が防壁に到達した場合は……」


 ギリーエは、躊躇いなく言い放つ。


「出し惜しみなく、あなたが改造したその主砲の全火力で、敵を根こそぎ消し飛ばしてください。防壁の一部が吹き飛んでも構いません」


「おう! 任せておけ第二の坊ちゃん!」


 ガルドが、巨大なスパナを持った油まみれの太い手でニカッと笑い、力強く親指を立てた。


「この異世界の鉄の獣、ワシの技術で、最高以上の装甲と超火力にチューンナップしてやったわい! 砦の魔力炉と直結させてある! もしここまで抜けてくるような威勢のいい馬鹿がいりゃあ……肉片一つ、細胞一つ残さず、まとめて消し炭にしてやるわい!!」


 最高の技術者の、頼もしすぎる絶叫。


 これで、すべての指示が終わった。


 ギリーエは、広間に集った六国の最高戦力たち――個性というにはあまりにも凶悪すぎる化け物たちの顔を、ゆっくりと、ぐるりと見渡した。


「ここは、イーリス大陸の最東端にして、文字通り人類の最後の砦です。我々がここを抜かれれば、背後の国々は瞬く間に業火に焼かれる火の海となり、文字通り世界は終わります。……撤退は、ありません」


 ギリーエの言葉が、重く、冷たく広間に落ちる。


 それは、絶望の事実。逃れようのない死の宣告にも等しい。


 だが、その直後だった。


 ギリーエが、これまで王宮で誰にも見せたことのないほど、不敵に。


 そして、獲物の喉笛を食いちぎる肉食獣のように、獰猛に口角を上げたのだ。


 その顔は、文弱な王子のそれでは断じてない。紛れもなく、狂気渦巻く戦場を完全に支配し、楽しむ盤上の王の顔だった。


「ですが――これだけの規格外の戦力が、一つの盤上に揃っているのです。例え、伝承にある魔王が自ら現れたとて……我々なら、確実に、余すことなく討伐できるはずです」


 ダンッ!!


 ギリーエは、作戦テーブルの上の地図を、力強く叩いた。


「千年ぶりに目覚めた、時代遅れの魔族どもに……我々が、進化し、洗練された人類の恐怖というものを、骨の髄まで教えてやりましょう」


 その言葉が、広間に集った化け物たちの導火線に、完全に火をつけた。


「……違いねぇ」


 シンが鼻で笑い、海神の莫大な魔力が、部屋の空気をビリビリと共鳴させて震わせた。


「クソ楽しみだな。……最近、クソ生半可な戦いばっかりで飽きてきたところだ。敵なら、全部残らずクソブッ斬ってやるよ」


 ソーの中の悪が、狂気的に瞳を細めて、恍惚とした表情で嬉しそうに喉を鳴らす。


「腕が鳴るぜ! 一番乗りの大将首は俺がもらうからな!」


 レイズが大剣を肩に担ぎ直し、ミストが静かに氷の槍を構え直す。


 圧倒的な自信。純粋な殺意。


 魔族が人類を蹂躙するのではない。人類の最高戦力たちが、魔族を完膚なきまでに殲滅するために、待ち構えているのだ。


 俺は、腰の魔剣ムラマサの冷たい柄と、神王獣ヤマタノオロチの神王のベルトにそっと手を添え、静かに、長く息を吐いた。


 これほどの化け物たちに囲まれているというのに、俺の心臓の鼓動は驚くほど落ち着いている。


 だけど、恐怖をなくしたわけじゃない。恐怖を抱えたまま、それを前に進むための推進力に変換する術を、これまでの死闘で学んできただけだ。


『……行くよ、相棒。アタシたちの全部を、ぶつけてやろう』


 ペンダントの中で、ラナが静かに闘力と魔力を極限まで高めているのが分かった。


 彼女の魂の熱が、俺の心臓に直接流れ込んでくる。


 準備は、すべて整った。


 盤面は完成し、人類最高の駒が、それぞれの配置についた。


 あとは、敵が地獄の底から顔を出すのを待つだけだ。

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