第40章:盤上の王ー1
これで、すべての戦力が揃った。
大国ウルシアの王子たち。
軍事国家カエサルが誇る、天災の双竜。
海洋国家オーシャンの海神と、無垢なる若き聖剣の適合者。
森の国シルアから這い上がってきた、純度百パーセントの復讐者。
山岳国家ロムダースの機巧神匠。
砂漠国家バル=ゼファルが秘匿する暗殺部隊と、砂塵の踊り子。
イーリス大陸の六国の、文字通りの最高にして最狂の戦力たちが。
名もなき東の魔境に建造された、この黒鋼の防衛砦に集結したのだ。
防壁の内部。作戦会議室として宛がわれた砦の巨大な広間は、今、言葉を発することすら躊躇われるほどの、異常で高密度な異界の空間と化していた。
そこに在るのは、単なる強者たちの集まりではない。
ただ腕を組んで立っているだけで、周囲の人間を光の届かない深海へと引きずり込むような、海神シンの圧倒的な重圧。
部屋の隅に佇むエルフ、ライーオの全身から絶え間なく漏れ出す、周囲の気温を物理的に氷点下まで引き下げるドス黒い殺意。
さらに、バル=ゼファルから来たクラファスとリリアノートが纏う、命の価値をその辺の紙屑か石ころと同列に扱う、呼吸すら忘れるような異質な死の気配。
極めつけは、ソーの腰で唸る聖剣ラナと魔剣オボロ、そしてリクが背負う聖剣ソラス、ショウが背負う聖剣エクス、俺の魔剣ムラマサが、互いの存在を威嚇し、共鳴し合って放つ、空間そのものをグニャリと歪めるほどの強烈な神話級の波動。
常人であれば。いや、そこそこの腕を持つ一流の冒険者であったとしても。
この部屋の扉を開け、一歩足を踏み入れた瞬間に白目を剥いて卒倒し、当分目を覚ますことはないだろう。
致死量の覇気と、殺気と、魔力と、狂気が、この狭い密室の中で逃げ場を失い、目に見えない乱気流を起こして激しくぶつかり合っているのだ。
「……あー、クソッ。息苦しいぜ。どいつもこいつもうるせぇオーラ出しやがって」
レイズが、首の骨をゴキリと鳴らしながら、獰猛な牙を剥き出しにして舌打ちをする。
「あなたのその無駄に暑苦しい魔力こそ、この部屋の空気を一番汚しているのだけれど? 少しは弁えなさい」
ミストが、冷ややかな視線でレイズを射抜く。
「なんだと?」
「事実を言ったまでよ。耳まで筋肉で埋まっているのかしら」
双竜の二人が軽く睨み合っただけで、広間の温度が局地的に沸騰し、同時に凍りつく。
互いが互いの強さを本能で察知し合い、無意識のうちに己のテリトリーを主張しようと牙を剥き合う。一触即発の、巨大な火薬庫のような空気。
――パンッ。
そんな、あと一秒で誰かが誰かに斬りかかってもおかしくない極限の空気を。
たった一度の、澄み切った、しかし絶対的な冷気を孕んだ柏手の音が、空間ごと真っ二つに断ち切った。
「――さて。どうやら、役者は無事に揃ったようですね」
広間の中央に置かれた、巨大な黒鋼の作戦テーブル。
そこに魔境の地形を精巧に模した立体地図を広げ、ウルシア王国第二王子ギリーエが、薄い唇に静かな微笑みを浮かべて立っていた。
彼には、レイズやシンのような圧倒的な魔力や闘力はない。
暗殺者たちのような殺気も、ライーオのような復讐心も持っていない。ただの、武力を持たない一人の王族だ。
だが。
その顔は、王宮の安全な執務室で政務を執る、あの温和で文弱な王子のそれとは完全に別の生き物だった。
彼の理知的な瞳の奥に宿っているのは。
この血みどろの戦場を遥か上空から俯瞰し、味方の命の数すらも、冷徹な数字として計算し尽くす盤上の王の絶対的な光。
どれほど個の武力が図抜けていようとも。
どれほど濃密な狂気を纏い、周囲を威嚇していようとも。
彼にとって、今この部屋にひしめき合っている化け物たちは皆、人類の勝利という最高の結果を紡ぎ出すための、ただの駒に過ぎないのだ。
「……」
そのギリーエの底知れない知の暴力と、誰よりも重い覚悟の覇気を前に。
騒がしく自己主張をしていた面々が、一斉に口を閉ざした。
血の気の多いレイズも、常に余裕のあるシンも。
狂気的な暗殺者たちでさえも、彼から放たれる目に見えない重圧に当てられ、静かに歩み寄って作戦テーブルを取り囲む。
「これより、この砦を拠点とした対魔族防衛および迎撃作戦の基本方針を説明します」
ギリーエの声は、張っているわけではないのに、全員の鼓膜の奥にスッと入り込んでくる。
「……異論は、一切認めません」
ギリーエは、テーブルを囲む化け物たちの目を、一人一人、真っ直ぐに射抜いていく。
「皆さんは、各国の最高戦力として、その力を存分に振るうことだけを考えてください。……そして、ただ私の描いたこの盤面の上で、思考を放棄し、最高効率の仕事をしてください」
「ハッ。……言うじゃねぇか、第二王子。俺たちの手綱を握り切れるってか?」
レイズが、挑発するように口角を上げる。
「ええ。あなた方のようなじゃじゃ馬を乗りこなすのが、私の仕事ですから」
ギリーエは涼しい顔で返し、立体地図の上に視線を落とした。
「まず、大前提として共有しておきます。魔境の底――千年の封印の扉からは、いつ、どんな階級の魔族が、どれほどの数で湧き出してくるか。全くの未知数です」
ギリーエは、地図の大穴のポイントの上に、黒い大小さまざまな石をバラバラと無造作に撒き散らした。それが魔族の大軍勢なのだろう。
「よって、我々は、全戦力を常に同時投入して最前線に張り付けるような、後先を考えない無策な真似は絶対にしません」
ギリーエは、厳しい声で断言した。
「これは、数時間や数日で終わる短期決戦ではない。終わりの見えない消耗戦です。全員が最初から全力で暴れ回れば、三日と保たずに魔力枯渇で自滅します。
我々は、この戦力を交代制に分けます。後衛による魔力回復と疲労のコントロールを厳格に管理しながら、常に誰かが必ず全力で戦い続けられる状態を、二十四時間体制で維持します」
全員が息を呑んだ。
自分勝手に暴れ回るつもりの化け物たちに、完全な軍隊の規律と管理を強いたのだ。
「では、具体的な配置を申し渡します」
ギリーエは、魔法で精製した赤い石を手に取り、地図上の防壁の外――最も魔族と激突する最前線へと、迷いなく並べていく。
「まずは、前衛の制圧部隊」
ギリーエは、赤い石を防壁の外、大穴から続く瘴気の侵攻ルート上に配置した。
「第一防衛ラインとなるのは、レイズ殿の炎とミスト殿の氷による、絶え間ない高威力広域殲滅。
ソー。お前は聖剣と魔剣の双剣による、最前線の局地制圧。
オーシャンから来たリク殿。あなたは聖剣ソラスによる、突破口の形成。
そして……武装化のキミ。この最前線における遊撃として、敵の攻撃のヘイト管理と、魔剣ムラマサによる味方の確実な生存を担ってください」
名前を呼ばれた者たちが、それぞれの得物に手をかける。
どれ一つとっても、単騎で一国を滅ぼせるほどの、あまりにも過剰な武力。
「あなたたちの役目は、ただ一つです」
ギリーエの瞳が、冷酷な光を放つ。
「絶対に、何物をも貫く究極の矛を構築すること。……扉から湧いてくる敵の数が、数万であろうと数十万であろうと関係ない。この防壁に辿り着く前に、物理的に足の踏み場もないほどの死体の山を築き上げてください」
「おう! 任せとけ、第二王子。最高の指示だ!」
レイズが、ニヤリと血に飢えた獣のような、これ以上ないほど獰猛な笑みを浮かべた。
「俺の大剣で、湧いてきた魔族の軍勢ごと、西の空までまとめて丸焼きにしてやるよ」
「ええ。一歩たりとも、このラインは通さないわ」
ミストが細身の白銀の槍を床にドンッ!と突き立てる。
ピキィッ……!と、彼女の足元から半径数メートルの床が、一瞬にして分厚い氷に覆われた。
「私の銀槍で、魔族どもを、砕け散る美しいオブジェにして差し上げます」
「俺も! 俺の聖剣ソラスで、一番デカくて強そうなバケモノを真っ二つにしてやるぞ!」
リクが、太陽のように屈託のない笑顔のまま、己の身の丈ほどもある聖剣を軽々と肩に担ぎ上げた。
「……ハッ。俺のオボロが、クソ雑魚どものクソ安い血で錆びなきゃいいがな」
ソーの中の悪が完全に表に出現し、狂気的に瞳を細めて、嬉しそうに喉の奥でハッと鳴らした。
「次に、後衛の支援および広範囲制圧部隊」
ギリーエは、青い石を前衛の後ろ――砦の高く強固な防壁の上へと配置していく。
「ザラ殿。あなたには、アーティファクト・デザート&イーグルを起点にした、前衛への能力上昇と、敵への能力低下の完璧な管理を頼みます」
「あら、責任重大ね」
ザラが艶やかな唇を舐める。
「あなたの舞一つで、前衛の火力を瞬間的に数十倍に跳ね上げ、敵の能力を紙屑同然に削り落としてください。……あなたの踊りが止まれば、前線は崩壊します」
「ええ、任せてちょうだい」
ザラが、黒の銃と白の銃を指でクルクルと鮮やかに回しながら、魔女のように妖艶に微笑む。
「あたしの舞で、この薄暗くてむさ苦しい魔境を、最高に血生臭くて華やかな最高の舞台に演出してあげるわ」
「シン殿」
ギリーエの視線が、壁に寄りかかる海神へと移る。
「あなたの莫大な水魔力は、直接的な攻撃ではなく、索敵と、大瀑布による広範囲の進軍ルートの限定に使ってください」
「ルートの限定、だと?」
「はい。敵を四方八方に散らさず、前衛の戦士たちが戦いやすい一点へと、水の壁で強引に誘導して集めるのです。……そしてショウ殿、あなたは聖剣エクスで、シン殿の死角のサポートを」
「……なるほどな。バカどものために、最高のレッドカーペットを敷いてやれってことか」
シンが腕を組み、不敵な目で面白そうに頷いた。




