第36章:山岳国家ロムダースの上級職人ー2
「――図面展開。地形把握、座標固定」
親方の目が、青白く、機械的な魔力の光を帯びて発光した。
彼が虚空に太い指を滑らせると、何もない空中に、光の線で描かれた巨大な要塞の立体図面が、瞬時に、そして緻密に展開された。
それは、ただ魔物を防ぐための防壁ではない。
魔族の侵攻ルートを完全に計算し尽くし、あらゆる角度からの攻撃を無効化し、こちらからの火力を集中させるための、機能美を極めた防衛ラインだった。
「親方! 資材がねぇぞ! 木も鉄も、こんな瘴気まみれのドブ泥更地じゃ、現地調達できねぇ!」
巨大なハンマーを構えた若いドワーフが、焦燥と共に怒鳴る。
だが、リーダーである親方は、その太い腕を横に振って豪快に笑い飛ばした。
「馬鹿野郎、自分たちの足元をよぉく見やがれ! この魔境の赤土にはな、千年分もの魔族どもの瘴気、それに千年前の先人が遺した魔力が、たっぷり染み込んでるんだよ!」
親方が、足元の赤茶けた大地を、愛おしそうに、そして獰猛な笑みを浮かべて踏み鳴らす。
「ロムダースの技術でこいつを鍛え上げりゃあ、下手なミスリルやオリハルコンより硬い黒鋼になるぞ! 根こそぎ引っこ抜いて、精製しろォ!!」
「「「おうさッ!! 地脈接続! 岩盤抽出、開始ィ!!」」」
五人のドワーフが、それぞれ自身よりも巨大なハンマーを一斉に振り上げ。
一定の、呪術的な重いリズムで、大地を力任せに叩き始めた。
――ズゴォォォォォンッ!!
彼らが大地に独自の打撃を刻んだ瞬間。
魔境の荒れ果てた大地が、まるで意思を持った巨大な生き物のように、波打ち、うねり始めた。
「なっ……地面が……!?」
俺とジークは、言葉を失った。
数十メートル四方の強固な岩盤が、まるで柔らかいケーキを細い糸で切り分けるかのように、正確なブロック状にスライスされていく。
そして、重力を完全に無視して、ズズズ……と空中に浮かび上がったのだ。
それだけではない。
親方が両手をかざして呪文を咆哮すると、魔境の赤土に染み込んでいた鉄分が、巨大な砂鉄の竜巻となって空中に抽出され始めた。
それは、彼らの放つ超高温の魔炎によって一瞬にしてドロドロの液体金属へと溶かされ、空中で瞬く間に強固な部品へと成型されていく。
「基礎杭、錬成完了! 打ち込みィ!!」
「合わせろッ!!」
――ドスゥゥゥゥゥゥゥゥンッッ!!!
空中で精製された、直径数メートル、長さ数十メートルの巨大な黒鋼の杭が。
五人のドワーフが振るう魔法の槌の動きに完全に連動し、地中深くまで、寸分の狂いもなく打ち込まれていく。
その衝撃で、谷底全体に局地的な地震が何度も巻き起こる。
俺たちは立っているのもやっとの激しい揺れだが、職人たちの足元だけは、まるで大地と一体化しているかのように、決してブレない。
五人の上級職人。
彼らには、前線で魔族と直接斬り合うような、戦士としての戦闘力はないのだろう。
だが、無から有を造り出すこと。ここまでの異常な速度で要塞を構築することにかけては、間違いなく神の領域に足を踏み入れていた。
「嘘……要塞が、地面から生えてくる……」
ジークが、口を半開きにして、信じられないものを見るように見上げた。
無理もない。数ヶ月、数年かけて国がかりで築くべき巨大な軍事要塞が。
彼らの手にかかれば、まるで早送りの映像を見ているかのような、常軌を逸した異常な速度で組み上がっていくのだ。
「すげぇな……あれが噂に名高いロムダース王国の超圧縮錬成か。魔法ってより、もはや物理法則に対する冒涜だな」
シンも、呆れたように目を見張りながら、彼らの作業の邪魔にならないよう、俺たちを後方へと下がらせた。
「おい! そこの水使いのにいちゃん! 口開けて見物してねぇで、少し手伝え!」
凄まじい鉄を打つ作業音の合間に、親方がシンに向かって怒鳴った。
「なんでオレが水使いってわかんだよ……。流石はロムダースの上級職人ってか」
シンが、やれやれと肩をすくめながら前に出る。
「魔力炉の冷却水路を掘る! 純度の高い水を、流し込んでくれ!」
「おう、任せな! 海神の波、冷却水にして流し込んでやるよ!」
シンが笑いながら両手を天に掲げた。
大気中から強制的に収束された、青く澄んだ超高圧の水流が、ドワーフたちが素早く組み上げた複雑な要塞の水路へと、勢いよく流し込まれる。
ジュゥゥゥゥッ!!という凄まじい水蒸気が立ち上り、砦の心臓部となる巨大な魔力炉が、安定して脈打ち始める。
「そこの黒髪の剣士のにいちゃん! お前さん、火の魔法とか使えるか!」
今度は、親方から俺に声がかかる。
「ボクがやります!」
俺が答えるより早く、ジークが一歩前に出た。
自分もこの城造りを手伝いますと、言わんばかりの強い意思を瞳に宿して。
「ボクが使えます! このヒナワで!」
「そうか! よし、魔力炉に火を入れるぞ! 頼むぞ小僧!」
「はい!」
ジークは、アーティファクト・ヒナワを構えた。
先日、カグツチの谷で恐怖を乗り越え、完全に支配した守るための炎。
ジークは、ヒナワの出力を微細にコントロールし、魔力炉のコアへ向けて、美しく澄んだ極大の火炎を撃ち込んだ。
――ゴォォォォォォォォッ!!
調整された純度の高い火炎が、炉心に吸い込まれる。
その瞬間。砦全体に血管のように張り巡らされた魔力ラインが、一斉に青白い光を帯びて、ドクンッ、ドクンッと強い脈動を始めた。
城が、一つの巨大な生命体として産声を上げた瞬間だった。
「ガッハッハッハ! 極上の出力だ! こりゃあ百年は保つ極上の炉になるぜ!」
俺たちと、ドワーフ。
出会って数分。気の利いた自己紹介すらしていない。
だが、目的は完全に一致していた。
来たる絶望を迎え撃つための、死地における最前線の城を、自分たちの力で創り上げること。
職人の汗と、戦士の魔力が混ざり合い、要塞はみるみるうちにその威容を現していった。
たった数日。
本当に、わずか三日と少しの出来事だった。
見渡す限りの赤茶けた荒野だった、魔境の入り口。
千年前の転移者達が命を懸けて閉ざした、その封印を、覚悟を、祈りを無駄にしないための人類の防波堤。
魔法を完全に弾き、物理的な衝撃を吸収するドワーフ特製の特殊加工が施された、高さ三十メートルを超える、強固で冷たい黒鋼の防壁。
四方の全方位を遥か彼方まで監視できる、高層の見張り塔。
壁面にずらりと並んだ無数の大質量バリスタと、ヒナワの火炎を動力源とする自動迎撃用の魔力砲台。
そして、砦全体を半球状に覆う、物理と魔法の双方を完全に遮断する多重結界。
常識を、世界の理を完全に嘲笑うかのような圧倒的な速度で組み上がったそれは。
もはや砦という枠を超えた、一個の対魔族用防衛ゴーレムだった。
「……完成だ」
全身を煤と泥だらけにし、疲労の色を濃く浮かべた親方が。
巨大な城壁の頂上から眼下の荒野を見下ろして、額の汗を乱暴に拭った。
「上出来だろ。これなら、どんだけバケモノが湧こうが、各国の本隊が到着するまでの一ヶ月……いや、三ヶ月は持ちこたえてみせるぜ」
親方の言葉に、他の四人のドワーフたちも、疲労困憊で城壁の上にへたり込みながら、誇らしげに親指を立てて笑った。
俺は、その冷たくも、圧倒的に頼もしい黒鋼の城壁をそっと撫でた。
「ああ。最高の仕事だ、親方」
俺の心からの称賛の言葉に、親方はニカッと白い歯を見せて笑った。
「これで防波堤は出来た。俺たち建築屋の仕事は、ここまでだ。……あとは、お前ら戦士連中が、どれだけここで命を張れるかだ。……俺たちは、城の修復と、大砲の弾込めに回る」
嵐の前の、重い静けさ。
俺は防壁の上から、眼下に広がる分厚い瘴気の海を、冷徹に睨み据えた。
ゴゴゴゴゴゴォォォォォ……。
大穴の底から響く地鳴りは、日を追うごとに大きく、そして凶悪に育っている。
千年の封印が破れるのは、もう時間の問題だ。
俺の腰にある魔剣ムラマサが。
これから訪れる、世界を終わらせるほどの死の気配に呼応するように。
微かに、だがハッキリと。
カタカタ、カタカタと、喜びと恐怖の入り交じった狂った音を鳴らし始めていた。




