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第36章:山岳国家ロムダースの上級職人ー1

 人類最強の男、聖騎士ローディオが、物理的に殴り開けた空間の裂け目へと姿を消して……ものの数分後のことだった。


 深い瘴気に沈みかけていた、大陸最東端の魔境の谷底。


 その空中が、まるで見えない巨人の巨大なハンマーで唐突にぶち抜かれたかのように。


 ――パァリィィィンッッッ!!!


 世界そのものが鼓膜を劈くような悲鳴を上げ、虚空が文字通り砕け散った。


 無数のガラス片のような空間魔力の残滓が、星屑のようにキラキラと谷底へ舞い散る。


 だが、その神話のように幻想的な光景を、ぶち壊すように。


 真っ黒に口を開けた次元の裂け目から、ドサドサドサッ!と、まるで不法投棄されるゴミ袋か毛玉のような五つのずんぐりとした塊が、勢いよく荒野へ放り出されたのだ。


「いッ、痛てぇっ!? おいローディオ! なんなんだよ一体!! 背骨が折れたかと思ったじゃねぇか!」


「馬鹿野郎! 俺のジョッキに入ってた最高級の黒エールが全部こぼれちまっただろうが、この脳筋ゴリラ聖騎士!!」


「酒場で良い気分で飲んでたらいきなり襟首掴まれて空間転移たぁ、非常識にも程があんだろ!! 吐く! 俺ぁ絶対にここで吐くぞ!!」


 赤茶けた荒野の地面をゴロゴロと無様に転がりながら、盛大に文句と唾をわめき散らしているのは。


 見事な剛毛の髭を蓄え、丸太のように太い腕と短く強靭な脚を持った、五人の男たちだった。


 ドワーフだ。


 おとぎ話やファンタジーの定番種族。


 だが、目の前に転がっている彼らは、ただの戦士やそこいらのしがない町の鍛冶屋ではない。


 分厚い耐熱コートと、岩のようにゴツゴツとした全身からは、長年染み付いた強烈な石炭の煤と、熱く焼けた鉄と油の匂いがムンムンと漂っていた。


「わっ……ドワーフ……。本物、初めて見た……」


 ジークが、絵本から飛び出してきたような彼らの姿に目を丸くして呟く。


『アタシも初めて見た、相棒。なんだかすごく……四角くて、叩いても壊れなそうに頑丈だね』


 胸元のペンダントから、ラナの呑気な声が響く。


 千年の封印の扉を見張るという絶望的な状況下で、突如として空から降ってきたむさ苦しいオッサン五人組。


 俺とシンは顔を見合わせ、シンは面白そうにヒューッと口笛を吹いた。


「ガッハッハッハ! 悪い悪い、何せ一秒でも時間が惜しいもんでな! 手荒な真似は謝る。後で特上のエールを樽ごと、いや馬車ごと奢ってやるから、今は勘弁してくれや!」


 裂け目からひょっこりと顔を出したローディオが、悪びれる素振りすら微塵も見せずに豪快に笑い飛ばした。


「オッサン、もう全員連れてきたのか? いくらなんでも早すぎないか」


 俺が呆れ半分で聞くと、ローディオはやれやれと大げさに首を振ってみせた。


「馬鹿言え。大陸の最強どもを全員引っ張ってくるって言ったろ。俺が今連れてきたこいつらは、ただの建築屋だ」


「建築屋?」


「あぁ。各国の頭の硬い王族どもを納得させて、国の最高戦力を国境越えてこの最果てまで動かすのに、数分で終わるわけねぇだろ。……ま、手はずは全部整えてきたがな」


「じゃあ、この数分間、オッサンは何してたんだよ」


「決まってるだろ?」


 ローディオは、自身の無精髭をガリガリと掻きながら、ニヤリと凶悪に笑った。


「ウルシア、カエサル、シルア、オーシャン、ロムダース、バルゼファル……大陸を牛耳る六大国の王の寝室やら、極秘の軍議室やらに転移で突っ込んで、直々に挨拶回りしてきたところだ」


「……は?」


 隣でジークの顔が、サァァッと青ざめた。


 ローディオは、さも近所の回覧板を回してきたかのような軽い口調で、とんでもないことを言い放ったのだ。


「東の魔境で、千年の封印が破れて魔族が湧く。人類が終わる前に、国の最強どもを全部ここに送れって。王族どもに叩き込んで、ついでに脅してきた」


「お、脅してきたって……」


「バルゼファルの王なんて、愛人とお楽しみの最中だったからな。俺が空間割ってベッドの横に出てきた瞬間、白目剥いて泡吹いて気絶しちまったぜ。

 ガッハッハ!! 心臓止まってなきゃいいが…」


 ローディオは豪快に笑い続ける。


「カエサルの軍議室じゃ、あの竜王ウォールが会議してやがった。俺が出た瞬間、周囲の近衛兵どもが一斉に殺気立って剣抜いてきやがったから、面倒くせぇんで全員気絶させて、ウォールにだけ話通してきたぜ。ガッハッハ!」


 とんでもない伝令の仕方だった。


 各国の王の心臓と、国家としての威信が本気で心配になる。


 厳重な結界が張られているはずの他国の王の寝室や極秘の軍議室に、ノックもなしに人類最強の男が空間を割って直接現れるのだ。


 それだけで国家転覆のテロだと思われて、国際問題や戦争になってもおかしくない。


(……このオッサン、マジで人類の最終兵器にして、最大のトラブルメーカーだな)


 俺は、頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。


「で。こいつらは、ロムダース王国が世界に誇る上級職人の五人だ。俺の昔からの飲み仲間でな」


 ローディオは、地面でまだ泥を払いながら文句を言っているドワーフたちを親指で指し示した。


「いいか坊主。各国の本隊が軍を編成して、ここへ到着するまでに、早くても十日。普通に考えれば数週間は確実にかかる」


 ローディオの目が、ふと、歴戦の真剣な武人のそれに変わった。


 その視線だけで、周囲の空気がピンと張り詰める。


「その間。こんな遮蔽物の一つもない更地の魔境で、いつ魔族の大軍勢が湧き出してくるか分からない大穴を、お前らたった数人で見張るのは、防衛じゃなくただの自殺行為だ」


「……」


「こいつらに、魔族を迎え撃つための砦を作らせろ。ただの石の壁や簡易拠点じゃねぇ。魔族のバケモノどもを押し返せる、難攻不落の要塞をな」


「おいコラ、ローディオ! 勝手に話を進めるな!」


 一番髭が長く、顔に古い火傷の痕があるリーダー格のドワーフが、顔を真っ赤にして猛抗議した。


「俺たちはまだ何も了承してねぇぞ! こんな瘴気まみれのドブ沼みてぇな土地で、しかも数日で作れだと!? 寝言は寝て言え、このクソ筋肉!」


 だが、ローディオはもう空間の裂け目へと体を向けていた。


 彼は抗議を完全に無視し、肩越しにヒラヒラと手を振る。


「頼んだぞ、お前ら。ロムダース一の腕を信じてるぜ。……俺はまだ、片付けなきゃなんねぇ厄介な案件があるんでな」


 ローディオは俺たちを一瞥し、ニヤリと笑った。


「……死ぬなよ、坊主ども。決戦が終わった後の宴会の席で会おうや」


 それだけ言い残し。


 人類最強のオヤジは、三度、空間の彼方へ完全に消え去った。


 パリンッ、と空間の裂け目が修復され、後には不自然なほどの静寂と、肌を刺す冷たい風の音だけが残された。


「……あいつ、本当に台風みてぇな男だな」


 シンが呆れ半分、感心半分で呟き、腰の皮袋から酒を一口煽った。


 取り残されたドワーフ五人は、しばらく天に向かってローディオの理不尽さを、ありとあらゆる下品な語彙を使って罵っていた。


 だが、やがて諦めたように深く、重い深呼吸をした。


 ――その、瞬間だった。


 怒りで我を忘れていた彼らは、その深呼吸によって、周囲の空気に混じる魔力と、足元の地脈の異常をハッキリと感じ取ったのだろう。


 ドワーフたちの赤ら顔が、一瞬にしてスゥッと血の気を失い、完全に凍りついたのだ。


「……なるほどな。こりゃあ、あのローディオが、顔色を変えて急ぐわけだ」


 顔に火傷の痕があるリーダー格のドワーフが、ゆっくりとしゃがみ込み、足元の赤茶けた土をひとつまみ拾い上げた。


 そして、それを躊躇なく舌先で舐めた。


 ペッ!と、すぐに唾を吐き捨てる。


「ただのモンスターの巣じゃねぇ。世界の理から完全に外れた、異次元のヘドロが、この大地のすぐ下で煮えたぎってる匂いがしやがる。……おい、お前ら」


 彼の鋭い視線が、俺とシン、そしてジークを順番に射抜いた。


 その瞳は、もう酔っ払いのそれではなかった。


「俺たちがここへ放り出される前、ここで何があった。こんな馬鹿げた瘴気、自然発生するものじゃねぇ。何かが……世界を無理やりこじ開けようとしてやがる」


「……ここが、魔族封印の地だ」


 俺は、眼前の巨大な大穴を顎でしゃくった。


「あの中に、魔族が湧き出してくる扉がある。千年前に、俺の同郷の人間が命と引き換えに閉じた蓋だが、もう限界だ。内側からの圧力で、いつ封印が解けてももおかしくない」


「ここが、封魔戦争の……ッ!」


 ドワーフたちの目が、驚愕に見開かれた。


「千年も前の封印が解けかけてるってのか。……おい親方! こりゃあ急がねぇと、俺たちが砦を組む前に、世界が抜けちまうぞ!」


 若いドワーフが、巨大なハンマーを握る手を震わせながら叫んだ。


 リーダー格の男――親方は、短く頷き、仲間たちを振り返った。


「野郎ども。酔いを冷ませ」


 その低く響く一言で。


 場の空気が、完全に一変した。


 文句を垂れていた、ただの気のいい呑兵衛のオッサンたちの顔が。


 一瞬にして、冷徹で誇り高い上級職人の顔に切り替わったのだ。


 彼らの瞳に宿る鋭い光は、一流の剣士が名刀を抜いた時のそれ、いや、それ以上の凄みがあった。


「にいちゃん達、そこどいてな。……巻き込まれて、平べったくなりたくなきゃな」


 親方が、分厚い両手を顔の前で、パンッ!!と力強く打ち鳴らした。


 そこからの光景は。


 魔法という生易しい言葉で表現できるものではなかった。


 技術の顕現。神々の箱庭造りを、目の当たりにしているかのようだった。


「――図面展開。地形把握、座標固定」


 親方の目が、青白く、機械的な魔力の光を帯びて発光した。

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