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第35章:千年の想いー2

 伝説の武具の正体。


 それは、見知らぬ異世界の土地で孤独に死んでいった一人の男が、「せめて仲間の命だけは守りたい」と願って魂を砕いて打ち据えた、あまりにも人間臭く、悲しい祈りの形だったのだ。


「……お前、泣いてんのか?」


 シンの声が、いつもよりずっと静かに、俺の背中を叩いた。


「……バカ言え」


 俺はハッとして、乱暴に袖で顔を拭い、無理やり不敵な笑みを作った。


「こんな分厚い瘴気の底にいやがるから……目が痛んで、涙が出ただけだ」


 俺は巻物をさらに広げた。


 その末尾には、祈りの言葉とは打って変わって、血のように赤黒く変色した墨で、一枚の地図が記されていたのだ。


『魔族の根源。奴らが湧き出してくる地獄の扉は、いいりす大陸、最東端。ここからすぐ近くの魔境なり。


 我ら三人の異能力を使い、己らの命と引き換えに、ここに強固な封印をする。


 だが、この封印は永遠ではない。いずれ千年の時を経て、内側からの圧力で破られるであろう。


 ……ああ。日の本の空が、桜が、恋しゅうてならぬ……』


 バサッ……。


 俺が巻物を閉じる音が、静かな墓所に重く、冷たく響き渡った。


「……ビンゴだ」


 俺の声は、自分でも驚くほど冷徹に、鋭く研ぎ澄まされていた。感傷はもう終わりだ。


「何て書いてあったんだ、その紙切れには」


 シンが、俺の纏う空気が一変したのを感じ取り、怪訝な顔で近づいてくる。


「……魔族封印の地。その場所が分かった」


 俺は、巻物の地図をシンとジークに見せた。


「ここから目と鼻の先。この最東端の魔境の、さらに大穴の底だ」


「なっ……!?」


 シンの顔から、完全に余裕が消え失せた。ジークに至っては、身体が目に見えてガクガクと震え出している。


「千年前の先人たちが命を懸けた封印……。それが今、限界を迎えようとしてる。そもそもこの墓所を見つけられたこと自体、封印の境界線が薄れている証拠だ。……もし今、俺たちがここを離れて、援軍を呼びに国へ戻れば……」


「そ、その隙に……魔族が、封印を破って出た場合、収集がつかなくなって、各国の戦力が分散した状態で魔族との戦争になる……!?」


 ジークが、半狂乱になって叫んだ。


「そうだ」


 シンが、自身の三叉の大槍を強く握り直し、ギリッと歯を鳴らした。


「魔族がこの魔境から溢れ出せば、人類は終わる。一度広がっちまった毒水を掬い上げるのは不可能だ。……クソッ、詰みか」


 静寂。


 ドロドロと瘴気の流れる音だけが聞こえる中。


 俺の脳裏に、このデタラメな世界で出会った、最高にデタラメなオッサンの顔が浮かんでいた。


「……やるぞ、二人とも」


 俺は、誰もいない墓所の外――広大な谷底へと歩み出た。


 分厚い瘴気の雲に覆われた、呪わしいほどに暗い西の空を見上げる。


「動けないなら、世界中の連中が腰を抜かすような、最大火力の狼煙を上げてやる。……あのオッサンを、ここに釣り出す」


 シンが、俺の言葉に一瞬だけ呆気にとられ……直後に、最高に愉快で凶悪な笑みを浮かべた。


「俺たちの全魔力をぶっ放して、大陸中のバケモノどもに強制集合をかけようってか? ……嫌いじゃねぇけど不確実すぎねぇか?」


「え、えええええっ!? ここで全力を出すんですか!?」


 ジークが、涙目になって半狂乱の声を上げた。


「そ、そんなことしたら、その魔力の反動で封印が完全に壊れて、魔族が溢れ出してきちゃうかもしれないじゃないですか……!」


「とりあえず俺を信じろ!」


 ジークの懸念はもっともだ。だが、俺の思考はもう止まらない。


「魔族が出てきたらぶっ殺すだけだ。……行くぞ、ラナ!!」


『――了解! 全部乗せだね、相棒! アタシに任せて!』


 胸の奥で、神王獣ラナの意思が太陽のように爆発する。


 俺は、今持っている全ての武装を同時に解放した。


「――武装化ッッ!!」


 ドゴォォォォンッ!!


 俺の肉体を中心に、暴風のような魔力が弾け飛ぶ。


 腰に巻かれた深緑のベルトが激しく脈打ち、神王獣ヤマタノオロチが重厚な腰防具へと変形する。俺の身体が物理的な輪郭を失うほどにブレ、空間に八人の俺が完全に実体化して立ち並ぶ。


 右腕から左腕にかけて、クリスタルワイバーンの結晶装甲が展開。


 左手には、アークサーペントの紫電をバチバチと纏った長大なロングクナイが握られ、紫電を上空へ放つため力を溜める。


 そして背中からは、漆黒の黒龍のジェット翼が展開し、発射の反動に耐えるためのアンカーとして、鋭い爪を岩盤へと深く突き刺した。


 そこに、神王獣ラナの全能力二十倍のバフが、血の沸騰するような熱波となって乗算される。


「シン! ジーク! 後先考えるな、全部込めろォォッ!!」


「おうよォッ!! 海神の怒り、天まで届けェェェッ!!」


 シンが大槍を天へと掲げる。


 大気中の水分が強引に収束し、たった数秒で湖一つ分の質量を持つ、超高密度・超高圧の巨大な水球が彼の頭上に練り上げられた!


「あぁぁもうっ! ……どうにでもなれぇぇぇぇッ!!」


 ジークが泣き叫びながら、アーティファクト・ヒナワの銃口を上空へ向けた。


 銃身が白熱し、魔力回路が焼き切れる寸前の不協和音を響かせながら、極限までエネルギーを圧縮していく。


「――撃てェェェェェェェェッ!!!!!」


 刹那。


 ――ドゴオオォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!!!


 三つの極大エネルギーが空中で激突し、複雑に交差しながら一つに束ねられ……天を穿つ、超極太の光の柱となって上空へと放たれた。


 谷底を埋め尽くしていた瘴気の雲が、根こそぎ蒸発して消え去る。


 宇宙の果てまで届くのではないかというほどの、馬鹿げた、そして神々しいまでの輝き。


 それは、星の寿命すら削りかねない、最上級の魔力による狼煙だった。


 極大の光の柱が天を貫き、数秒の静寂が谷底に訪れた。


 光の残滓が、金色の雪のようにヒラヒラと舞い散る中。


 俺たちの背後の空間が、突然、巨大なガラスが砕けるようなパリンッ!という異音を立てて、亀裂を走らせた。


「――ばっか野郎がァァァッ!!!!」


 空間の裂け目から、俺の鼓膜を物理的に破らんとするほどの凄まじい怒号が響き渡った。


 そして。


 ――ドグシャァァァァァッッ!!


「ぐ、がぁぁぁッ!?」


 俺の後頭部に、一切の慈悲もない、隕石のような鉄拳がめり込んだ。


 俺が咄嗟に後方に展開していた、絶対防御を誇るはずのクリスタルワイバーンの魔法防壁が、まるで薄い飴細工のようにパキーンと粉々に砕け散る。


 俺の身体はそのまま吹き飛ばされ、硬い岩盤に顔面から情けなく叩きつけられた。


「……い、ってぇ……首の骨、折れたかと思ったぞ……」


 血の味を感じながら、俺は呻き声を上げて見上げた。


 そこには、不機嫌そうに無精髭をガリガリとかきむしる、大柄で筋骨隆々の男。


 ウルシア王国最強の男であり、このイーリス大陸における人類の武の最高峰。


 聖騎士ローディオが、心底呆れたような、そしてブチギレた表情で俺を見下ろしていた。


「テメェら……。んなもんぶっ放して、大陸でも割ろうってのかぁ、小僧!! ……で? 休日を満喫してたこの俺に、なんか用でもあんのか、あァ!?」


 俺は、口からツゥッと流れる血を乱暴に袖で拭い、会心の笑みを浮かべて立ち上がった。


「……待ってたぜ、ローディオのオッサン。伝言だ。……ここが、魔族封印の地だ。大陸中のバケモノどもに、至急集合をかけてくれ」


 俺の言葉が、重苦しい瘴気の底に静かに響き渡る。


 ――その瞬間だった。


 ローディオの目が、スッと細められた。


 先程までの、昼寝を叩き起こされた酔っ払いのような粗暴な怒気が、フッと跡形もなく消え去る。


 空間の温度が、物理的に数度下がったような強烈な錯覚。


 無精髭の親戚のオッサンのような顔が、瞬時に人類最強の聖騎士の絶対的なそれへと切り替わったのだ。


「……ほう」


 短い一瞥。


 ローディオの鋭く冷たい視線が、俺たちを通り越し、背後にそびえる三鍛冶の墓所――そしてそのさらに奥、地中深くで脈打つ千年の封印の方角へと向けられた。


 足元の東の果てから漏れ出す、千年前の封印を突き破らんとする底知れぬ瘴気の圧力。そして、今まさに決壊しようとしている異次元の魔力のうねり。


 それを、武を極めた彼ほどの男が感知できないはずがなかった。


「……なるほどな。こりゃあ、テメェらがここから一歩も動けねぇわけだ」


 ローディオは、忌々しげに太い首をボキボキと鳴らした。


 ただその何気ない動作をしただけで、周囲の大気が恐怖に震え、ビキビキと悲鳴を上げる。


「ろ、ローディオ……さん……。ご無沙汰……しております……っ」


 横にいたジークが、ローディオから無意識に漏れ出す覇気にあてられ、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えて挨拶をした。


「ああ? ……おー!! ジー坊じゃねぇか! 元気だったのかチビ助、こらぁ!」


「う、うん! 元気……!」


 さっきまでの覇気はどこへやら、ローディオは突然近所のオッサンのような満面の笑みになり、ジークの天然パーマの頭をガシガシと乱暴に撫で回した。ジークもホッとしたように嬉しそうにペコペコしている。


 その信じられない情緒の切り替えに、シンが顔に滝のような冷や汗を流しながら、引き攣った笑いを浮かべた。


「……こいつは……マジのバケモノだな。俺の海神の魔力すら、こいつの放つプレッシャーの前じゃ、ただの水たまりに思えてきやがるぜ……」


「……仕方ねぇな。今回だけだぞ、小僧」


 ジークを撫で終えたローディオは、再び乱暴に頭を掻きむしりながら、深いため息を吐き捨てた。


「オレもなぁ、魔族の復活だの、国の危機だのって面倒くせぇことに、いちいち時間を割いてられるほど……暇じゃあねぇんだよ」


 その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。


 この期に及んで、魔族の復活よりも重要な事案を抱えているというのか? 単なる強がりか、それともこの人類最強の男の眼には、魔王軍すら面倒事の一つに過ぎないという絶対的な自信の表れなのか。


 だが。


「ま、よくやった坊主。……魔族復活の地を見つけただけでも、特大の表彰もんだ」


 ローディオは踵を返し、自らが殴り開けた空間の裂け目へと向かって歩き出した。


 背中越しに、ひらひらと無造作に右手を振る。


 その広くて分厚い背中の、なんと圧倒的に頼もしいことか。


 人類が長い歴史の中で積み上げてきた強さという概念の、一つの到達点がそこにあった。


「……あとは、大人の仕事だ。お前らはそこで、大人しく五分だけ待ってろ」


 空間の裂け目に足を踏み入れ、ローディオの巨体が闇に溶けていく。


 最後に、ローディオは肩越しにこちらを振り返り、ニヤリと凶悪な野獣のように嗤った。


「大陸中の最強どもを、全員ここに首根っこ引っ掴んでぶっ叩き出してきてやる」


 その言葉を置き土産に。


 パリンッ!とガラスが修復されるような音と共に、ローディオの姿は空間の彼方へと完全に消え去った。


 ローディオが去り、後には、嵐が過ぎ去ったような沈黙だけが残された。


「……行っちまったな。噂通りのマジで嵐みてぇなやつだぜ」


 シンが、極度の緊張の糸が切れたように岩肌に座り込み、皮袋の酒を一気に煽る。


「ご、五分って……本当に五分で、各国の戦力が集まるんですか……? そんなの、物理的に……」


 ジークが、まだ震えの止まらない足で立ち上がりながら、信じられないというように呟く。


「あのオッサンの言うことだ。五分と言えば、五分なんだろ」


 俺は立ち上がり、ひんやりと冷たい魔剣ムラマサの柄を強く握り直した。


「……武器の手入れをしとけ、お前ら」


 見上げれば、俺たちの放った極大の魔力の余波で、分厚い雲が円形に吹き飛び、僅かに星空が見えている。


 だが、その隙間を埋めるように、再びドス黒い瘴気が谷底の大穴から凄まじい勢いで這い上がってきていた。


 ――ヒュゥゥゥゥ……。


 風が鳴る。


 いや、これは風じゃない。大穴の底から響く、おぞましい魔族たちの産声だ。


 ズズ……ズズズズズ……。


 足元の岩盤が、微かに、だが確実に震え始めている。


 千年前の転移者が命を懸けて閉ざした千年の封印が、中からの圧倒的な圧力によってミシミシと悲鳴を上げ、ヒビ割れ始めているのだ。


 嵐が、来る。


 終わりのない唄の果て。


 千年もの間、暗闇の底で人類への憎悪を煮詰めてきた悪意の化身たる魔族と。


 それに抗い、理不尽に立ち向かおうとする人類の。


 本当の意味での、絶望の総力戦の幕が――今、この最果ての地で切って落とされた。

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