第5章:神速の銀姫ー1
ウルシア王城の大扉が、重々しい金属の軋みを立てて、ゆっくりと両開きに開かれた。
中から溢れ出してきたのは、柔らかな魔導ランプの光と、足音すら吸い込むような深い静寂だった。
大理石の床には、ウルシア王国の象徴である青き獅子が金糸で刺繍された絨毯が、謁見の間の奥へと一直線に敷かれている。
天井は首が痛くなるほど高く、巨大なステンドグラスから差し込む陽光が、空気中の埃すら神聖なもののように照らし出していた。
まるで、ここだけが外の血生臭い世界から切り離された神の箱庭。そんな錯覚すら覚える。
「ミリアからの帰還者よ。前へ」
案内役の近衛騎士に冷たく促され、俺は泥と埃にまみれたブーツで、その神聖な絨毯の上へと足を踏み出した。
膝の裏が、勝手にガクガクと震えそうになるのを必死に奥歯を噛んで抑え込む。
場違いだ。あまりにも場違い過ぎて、胃液がせり上がってきそうだった。俺の服には、まだミリアの瓦礫の粉と、誰かの血の臭いがこびりついているというのに。
絨毯の果て。数段高くなった玉座の手前まで進んだ時、ひときわ重く、物理的な圧力すら伴った視線が、脳天からのしかかってきた。
玉座に鎮座するのは、ウルシア王国国王――エルムンド・ウルシア三世。
ライオンの鬣を思わせる豊かな金髪に、すべてを見透かすような深いサファイアの瞳。
鋼鉄の意思と、一切の妥協を許さない王としての気高さ。ただ座っているだけで、周囲の空気を平伏させる、まさに王と呼ぶにふさわしい男。
「ミリアにて起こった凄惨な事件――。お前が現地にて、荷物運びの身でありながら最後まで生き残り、状況をよく見届けてくれたこと、聞き及んでいる」
王の低く響く声が、広間の空気を震わせた。
「もったいないお言葉です」
俺は膝をつき、平民が王族にみせる最低限の作法を見様見真似で頭を下げた。
「かまわん。面を上げよ。それは紛れもない事実だ」
エルムンド王は軽く頷き、玉座の脇に控えていたリュグナたちパラディンへ目配せをした。
ガチャン、と重い足音が響く。
リュグナと女パラディンが、俺たちと一緒に馬車で運んできたあの分厚い木箱を、厳かに玉座の御前へと運び入れた。
王家の封蝋が割られ、何重にも巻かれた鉄の鎖が静かにほどかれる。
そして――重い蓋が開かれた。
箱の中に安置されていたのは、一振りの長剣。
白銀の刀身から、冷たくも美しい蒼光をチリチリと漏れ出させる、絶対なる存在――聖剣ラナ。
ミリアの街を瓦礫に変え、リード、カナ、ガロウの三人を殺した、あの悪魔の兵器。
数千人の血を吸ったとは到底思えないほど、その刃は神聖で清浄だった。
ただそこにあるだけで、広間の空気がピリッと張り詰め、俺の全身の皮膚が粟立った。
「……これが、千年の眠りから覚めし、聖剣ラナ」
エルムンド王が静かに息を吸い込み、玉座から立ち上がった。
その青い瞳に宿っていたのは、伝説の武器を手にした歓喜などではない。それを上回るほどの畏敬と、明確な恐怖だった。
「我らウルシア王国は、この世界の守護の要として、この剣を再び守り抜く覚悟がある。
だが、ミリアでの惨劇が証明した通り、ただ保管するだけでは真の脅威には抗えぬ。……この力を行使する選ばれし器を、定めねばならぬ」
王の声が、王城中に重く、だが力強く響き渡った。
「――これより三日後! 聖剣ラナの真の適合者を選ぶ、勇者選抜剣術大会を開催する!!」
その瞬間、謁見の間の空気が爆発的に揺れた。
壁際に控えていた近衛騎士たちが息を呑み、文官たちが顔を見合わせ、冒険者ギルドの代表らしき男がギリッと拳を握りしめる。
「あれだけの力を持つ剣だ……」
王は木箱の中の聖剣を険しい目で見つめた。
「野に放てば国を滅ぼす災厄となり、正しき者が手にすれば魔族を退ける絶対の希望となる。ゆえに、真に選ばれし強き心を持つ者を探し出さねばならぬ」
王はゆっくりと振り返り、床に膝をついている俺の目を真っ直ぐに射抜いた。
「異界の転移者よ。そなたには、国賓と同等の特別観戦席の資格を与える。ミリアの生き残りとして、あの地獄の惨劇をその目に焼き付けた者として、新たな希望が誕生する瞬間を……その目で見届けるがよい」
……見届ける。
勇者が選ばれる瞬間を。
俺の胸の奥で、ドス黒い感情がざわついた。
あの剣は、希望なんかじゃない。人の心を喰らい、暴走するだけの純粋な暴力の塊だ。
俺のトラウマを呼び起こすかのように、木箱の中の聖剣ラナが、ふっと淡く脈動するように蒼い光を放った。
王でさえも、その光の冷たさに一歩後ろへ下がった。
――ピクリ。
俺の両手のポケットの中で、二つの指輪が微かに震えた。
右手のクリスタルワイバーンの指輪と、左手のアークサーペントの指輪。神獣の残滓が、宿敵である聖剣の魔力に呼応して、俺の服の下で熱を持ち始めている。
(……やめろ。今ここで反応しないでくれ。武装化なんかしたら、俺はここで即座に反逆者として首を刎ねられる)
俺はポケットの中で両手を固く握りしめ、魔力の流出を強引に抑え込んだ。
バレていない。大丈夫だ。俺はただのからっぽの雑用係だ。
王は再び玉座へと戻り、マントを翻して高らかに宣言した。
「皆の者、準備を急げ! ――三日後、この国は新たな勇者を迎える!!」
◆
王命が城から下達されると同時、ウルシア王都はかつてないほどの熱狂と喧騒のるつぼと化した。
城下町の主要な通りには華やかな青と銀の旗が飾り付けられ、あらゆる酒場で、血の気の多い冒険者たちがジョッキを叩きつけて騒ぎ始めた。
「おい、聞いたか!? マジでやるらしいぞ! 聖剣ラナの持ち主を決める大会だ!」
「参加条件はAランク以上の冒険者か、王国騎士団のナイト階級以上だけだろ? 事実上の、ウルシア王国最強決定戦じゃねぇか!」
「でもよ……聖剣ラナって、ミリアの街を半壊させたんだろ? もし剣の意志に選ばれなきゃ、精神を喰われて狂わされる。……参加するヤツら、正気かよ?」
「馬鹿野郎、名誉と最強の称号のためなら、喜んで死に急ぐ奴はいくらでもいるさ。特にこの王都には、バカみたいに強くて頭のネジが飛んでる奴が山ほど集まってんだからな」
夕刻。俺はギルドの宿舎へ帰る道すがら、路地裏でそんな不穏な噂話を遠巻きに聞いていた。
皆、お祭り騒ぎだ。あの聖剣がどれほど悍ましい地獄を引き起こしたか、誰も本当の意味で理解していない。
「よぉ、雑用!!」
不意に、背後から聞き慣れた底抜けに陽気な声がした。
ビクッとして振り返ると、路地裏の木箱の上に座り込んでいる男がいた。
赤いマントを羽織り、手の中には屋台で買ったであろう熱々の肉の串焼きを二本持っている、Sランク冒険者のオルドだ。
「はいよ。お前の分」
オルドは串焼きの一本を、無造作に俺へ向けて放り投げた。
「……え? どうも」
俺はそれを受け取り、戸惑いながらも肉をかじった。
「なんだよ、よそよそしい顔しやがって。しかしすげぇな、お前。王様との謁見で緊張のあまり心臓発作で死ぬかと思ってたのに、案外平気な顔で出てきたじゃねぇか」
オルドは面白そうにニヤニヤ笑う。
「……死にそうだったよ。今でも胃が痛ぇ」
「はははッ! まぁ、あのエルムンド王の眼光を食らって気絶しなかっただけで、平民にしちゃあ十分合格点だ」
オルドは串焼きの肉を野蛮に噛みちぎりながら、スッと声のトーンを落とした。
「でよ。大会まであと三日。……それが終われば、間髪入れずに魔剣オボロの回収任務の話が、ギルドと軍に降りてくるはずだ」
「……魔剣……オルドも行くのか? 聖剣の暴走であれだけの被害が出たのに」
「行くさ」
オルドは串の先端で、虚空を突くような仕草をした。
「聖剣ラナの持ち主が決まれば、次は魔剣。そしてアーティファクト。千年前の封魔戦争で使われたっていう神話の武具を全部この国に掻き集めるまで、王国の……いや、王様たちの欲は止まらねぇよ」
オルドの声は相変わらず軽かったが、その言葉の裏には、逆らうことのできない国家の狂気への冷徹な理解があった。
「でもなぁ、雑用」
「ん?」
「魔剣オボロの回収任務には――おそらく、お前も呼ばれるぜ」
俺は食べていた肉を喉に詰まらせそうになった。
「……は? なんでだよ。俺はただのFランクの雑用係だぞ?」
「決まってんだろ」
オルドは呆れたように肩をすくめた。
「あの地獄のミリアで、神獣二体の死骸のすぐ傍で無傷で生き残った異例の新人。
その事実は、もう王城やギルドの上層部じゃ話題沸騰なんだよ。あいつは何か特別な運を持ってるってな」
「ふざけんな、俺は何もしてねぇよ……!」
「ふっ……そう思ってんのは、お前だけだ」
オルドは食べ終えた串を路地裏のゴミ箱へ放り投げ、口元を手の甲で拭った。
「英雄の片鱗ってやつはな、本人が一番気づかねぇもんだ。……お前のその、絶望の底でも決して折れなかった目が、それを証明してる」
オルドの放ったその言葉が、鋭いナイフのように俺の胸の奥を抉った。
こいつは、どこまで見抜いている? 俺が神獣を喰らって聖剣を叩き落としたことまで、勘付いているのか?
「だからお前は、これからも俺の期待を裏切るなよ。……雑用」
言い方はどこまでも軽い。だが――俺を真っ直ぐに見据えたその細められた瞳だけは、深海の底のように冷たく、そしてどこまでも真剣だった。
――そして、選抜大会の当日。
王都の大闘技場は、未明から押し寄せた数万の観客の熱気と地鳴りのような歓声によって、城壁ごと揺れ動いていた。
すり鉢状の巨大な客席を埋め尽くすのは、王国の貴族、軍の重鎮、冒険者ギルドの幹部、そして全土から噂を聞きつけて集まった血の気の多い群衆。
中央の砂散る闘技場、その一段高くなった特設台の上には、厳重な結界に守られた聖剣ラナが静かに安置され、冷ややかな蒼光を放っていた。
俺は、王命による功労者として、貴族席に隣接する最前列の特別観戦席に案内されていた。
隣には、相変わらず無精髭を擦りながらだるそうに座るオルド。そして、背筋を真っ直ぐに伸ばしたリュグナと女パラディンが並んでいる。
「いやぁ、ものすげぇ熱気だな。王都中のバカと強者が全員集まったみたいだぜ」
オルドが手すりに肘をつき、喉を鳴らして笑う。
「……胃が痛ぇよ。こんな祭りの特等席なんて、寿命が縮む」
俺が胸を押さえて吐き捨てると、リュグナが硬い声で言った。
「緊張するのは無理もない。ここに集ったのは、我がウルシア王国が誇る最高峰の武力だ。
よく見ておくといい。……聖剣に選ばれる資格を持つ者の戦いを」
ドォォォォンッ!! ドォォォォンッ!!
腹に響く巨胴太鼓の音が響き渡り、狂乱する歓声を静めさせた。
正面の貴族バルコニーにエルムンド王が立ち上がり、その腕を大きく掲げる。
「――これより! 聖剣ラナの真の適合者を決める、神聖なる勇者選抜武闘大会を開幕する!!」
ワァァァァァァァァッッッ!!!!!
地割れのような大歓声。
それと同時に、鉄格子が上がり、砂塵の中から続々と怪物たちが姿を現した。
王国騎士団が誇る最高峰の騎士、ナイトやパラディンたち。
ギルドでその名を轟かせる、歴戦のAランク冒険者。
さらには、Sランク候補と目される異端の猛者たち。
「ヒューッ! 壮観だな。だが……勝つ奴の顔ぶれなんて、端から大体決まってるようなもんだぜ?」
オルドが薄く口笛を吹き、顎で砂場の中央を指し示した。
「どういう意味だ?」
「ほら見ろ。本命中の本命様のご登場だ」
オルドの視線の先。
無骨な猛者たちが距離を置くように輪を作った中央へ、一人の青年が悠然と歩み出ていた。
金髪の中に、幾筋もの漆黒が混じり合った異様な髪色。
氷のように透き通った冷たい藍色の瞳。
腰には、東方の職人が打ったとされる、異質な反りを持つ黒銀の曲刀。
そこに立っているだけで周囲の空間が歪むような圧倒的な気品と、生まれながらの絶対者としての圧。
ウルシア王国第四王子――【ソー・ウルシア】
「ソー殿下……自ら参戦されるとは」
リュグナが息を呑み、微かに拳を握りしめた。
「殿下は王家の中でも異端……狂戦士の性を宿すと囁かれるお方。剣の精密さ、膂力、体術、どれをとってもナイトクラスを凌駕する」
だが、オルドの反応は冷ややかだった。
「あーあ、めんどくせぇ奴が出てきちゃったなぁ。あいつが本性出したら荒れるんだよ」
「めんどくさい……?」俺が眉をひそめる。
「王都じゃ有名な話だよ」
オルドは自分のこめかみを指でコンコンと叩いた。




