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第4章:力の使い方ー2


 ミリアの兵士とギルドの冒険者たちが入り乱れ、昼夜を問わず街中で血と汗を流している。

 当然、俺も雑用係として、骨が軋むほどのフル稼働を強いられていた。


 だが、体が動いている間だけは、余計なことを考えずに済んだ。

 古城へ向かい、二度と戻らなかったリード、カナ、ガロウの三人の背中のことも。


 俺の手の中で静かに息を潜めている、二つの神獣の指輪のことも。


「おい見たか!? あの結晶の剣士、神獣の上にさらに神獣を纏って空を翔けてたらしいぞ!」


「馬鹿言え、俺の見た奴は体長十メートルはある結晶の巨人だったぜ!」


「剣筋なんてウルシア王国の聖騎士様を超えてた。ありゃもう、神の遣いか何かに決まってる!」


 瓦礫を運ぶ男たちの間では、すでに噂が尾ひれどころか別の生き物のように膨れ上がっていた。


 人間という生き物は、自分たちの理解を超えた絶望に直面すると、それを打ち払った英雄の幻影を都合よく仕立て上げたくなるらしい。


 俺は作業手袋をきつく締め直し、崩れた壁の石を担ぎ上げた。

 俺は英雄じゃない。ただ、自分が死にたくなくて、二体の神獣の死骸にしがみついた惨めな生存者だ。


 それでも――結果としてミリアの街は壊滅を免れ、聖剣ラナの暴走は止まった。正体がバレていないのなら、それで十分だった。


◆


「――ウルシア王国より、使者が到着された!」

 事件から一週間ほどが経過した頃、俺はミリア城の重厚な謁見の間へと呼び出されていた。

 黒い絨毯に赤い縁取り、壁には美しい海と帆船が描かれた、豪奢な謁見の間。


 だが、そこに漂う空気は、息が詰まるほど張り詰めていた。

 玉座に鎮座する、好々爺然とした穏やかな風貌のミリア王。


 その対面に立つのは、豪華な礼服を着たウルシア王国の使節団と、その背後にずらりと並ぶ、磨き上げられた銀の甲冑を纏った騎士たち。


「ミリア王よ。この度の聖剣ラナの暴走、並びに貴国へ多大な被害を出しましたこと、ウルシア王国を代表し、心より深くお詫び申し上げます」


 使者が深々と頭を下げる。

 そこから始まったのは、国家間の政治的な腹の探り合いだった。


「今後の共同防衛体制」「魔族の封印の綻びに関する情報共有」「聖剣の管理権」。


 小難しい専門用語が飛び交う中、俺はミリア側の末端の兵士たちに混ざり、壁際で完全に風景の一部として気配を消していた。


 地味な服、疲れ切った顔、からっぽの魔力。

 大国の使者も、王の側近たちも、俺のような雑用係には一瞬たりとも視線を留めない。この存在感のなさこそが、今の俺にとって最大の武器だった。


「――して、例の謎の結晶の剣士の正体は掴めたのか?」

 ミリア王がふと放ったその一言で、謁見の間の緊張感が一段跳ね上がった。


 ウルシアの使者は、重々しく首を横に振った。

「いえ……各種名簿で冒険者を照合しましたが、該当する人物は浮上しておりません。

 ただ、神獣の死骸が保管されていた解体場に逃げ込み、奇跡的に生還した雑用係の若者が一応確認されておりますが……」


 使者の視線が、一瞬だけ壁際の俺のほうを通り過ぎた。


「その雑用係が?」


「生存は確認しましたが……魔力も一切持たぬ一般人です。聖剣ラナと空で渡り合った結晶の剣士の正体である可能性は、万に一つもございません」


「……左様か」

 ミリア王が、納得したように深く頷く。


(……良し。計画通りだ)


 俺は内心で安堵の息を吐いた。世間一般の常識が、俺の最大の隠蔽工作になってくれている。

 だが、ミリア王は優しい眼差しで、壁際に立つ俺に向かって静かに微笑みかけた。


「だが、あの地獄の中で逃げ出さず、現場の真実を目撃して生き残った若者だ。……使者殿、聖剣ラナを王都へ連れ帰るにあたり、その若者を現場の語り部として同行させてやってはくれまいか。

 現場の空気というものを、王都の重鎮たちに直接教えるのも悪くはあるまい」


「……王がお望みとあらば、連れて参りましょう」

こうして俺は、一度断る隙すら与えられず、二度目の『馬車旅』に出ることが決定したのだった。


◆


 翌朝。ミリアの巨大な城門の前。

 あつらえられた強固な幌馬車の中央には、分厚い鉄帯で何重にも密閉され、ウルシア王家の血印が押された木箱が一つ。


 中身は、暴走を止めた聖剣ラナ。

 そして、その護衛陣形を見た瞬間、俺は思わず引きつった顔で後ずさりしそうになった。


 全身を白銀の超重甲冑で固めた、王国騎士の上位職パラディンが二名。


 そして――軽やかな革コートを羽織り、背丈ほどもあるバカでかい大剣を肩に担いだ、無精髭の青年。

「おいおい、なんだぁ? その辛気臭ぇ面はよぉ、雑用くん」


 飄々とした口調で笑いかけてきたのは、その青年――Sランク冒険者、オルド。


 二十代後半、茶色の癖っ毛に、気の抜けたような鋭い眼光。

 見た目はただの道楽者だが、その全身から漂う強者の格は、これまで出会ったどの人間とも一線を画していた。

 一歩動くだけで周囲の空間の風向きが変わるような、圧倒的な領域の怪物。


「……Sランク冒険者に、イカつい騎士が二人。こんなイカれたメンツに混ざるなんて聞いてねぇよ」


 俺が愚痴ると、オルドは大口を開けて爆笑した。


「がははッ! いいじゃねぇか! 何が起こるか分からないのが旅の醍醐味だろ? 俺はSランク冒険者のオルドだ。よろしくな、雑用くん」


 前を歩く、厳格な面持ちのパラディン――リュグナが、苦々しい顔で振り返る。


「オルド殿、任務中だ。無駄口を慎みたまえ。……それと若者、怖がる必要はない。我らパラディンが、この身に変えても君と聖剣を守り抜く」


 無口な女パラディンも、重厚な兜の奥から無言で力強く頷いた。

 こうして、聖剣ラナを運ぶ異色のパーティーによる、王都ウルシアへの帰路が始まったのだった。


◆


 旅の三日目の午後。

 街道沿いの深い林道に差し掛かった、その瞬間だった。

 ガサガサッ……!!


「――散れッ!!」

 オルドの叫びと同時に、街道脇の茂みから、通常のオオカミの二倍以上の巨躯を誇るハイウルフの群れが、十五頭以上一斉に躍り出てきた。


 鋭い牙から泡を吹き、馬車へ向かって殺気全開で襲いかかる。


「くっ、包囲されているか!」

 リュグナが即座に白銀の剣を抜き、女パラディンが巨盾を前に構える。

 だが――俺が腰の安物の剣に手をかける暇すら与えられなかった。


――シュンッ!

 空間が、歪んだ。


 オルドの姿が視界から完全に消え去り、次の瞬間には、十五頭のハイウルフの群れの真ん中に立ち尽くしていた。


 背中の大剣が、風切り音すら立てずに、ただの円を描くように一閃される。

――ズババババババババッッ!!!!!

 血飛沫が上がるよりも遅く。

 十五頭のハイウルフの首が、同時に、完璧に切り揃えられて空中へと舞い上がった。


 たった一瞬。たった一振り。

 物理法則を無視したような、圧倒的な殺戮の精度。

「ふぅ……っと。まあ、準備運動にはちょうどいいか」

 オルドは大剣を肩に担ぎ直し、刃についた血を払うことすらなく、ニカッと笑って振り返った。


「な? 言っただろ、雑用くん。俺がついてる限り、お前は戦闘において指一本動かす必要ねぇんだよ」

 俺は、喉の奥が乾き切るのを感じていた。

 これが、Sランク冒険者。冒険者の到達点。


 夜。焚き火を囲んだ野営の席で、オルドはスープを干し肉で煽りながら、不意に俺の目を真っ直ぐに見据えて言った。


「なぁ、雑用」


「なんだよ」


「お前……あの地獄のミリアで、なんで生き残れた?」


 静かな、だが逃げ場のない質問だった。

 リュグナたちパラディンも、焚き火の向こうで静かに俺の回答を待っている。


「……運が良かっただけだよ」

 俺は自分の感情を完全に押し殺し、乾いた声で答えた。


「解体場が頑丈だった。暴走の爆風をギリギリ避けられた。神獣の死骸の陰に隠れて、息を殺してた。……それだけだ」


「運か」

 オルドはニヤリと可笑しそうに笑い、夜空に浮かぶ二つの月を見上げた。


「そうだな。戦場じゃ最後は運だ。……だがなぁ、俺は知ってるぜ。この世界で奇跡的な生き残りを果たした奴の周りには、必ず次のデカい宿命が引き寄せられてくるってな」


 オルドの目が、肉食獣のように妖しく光る。


「魔族の封印の綻び。聖剣ラナの暴走。そして……陰で蠢く八咫烏。……王都に戻れば、もっとデカい地獄が待ってるハズだ」


 俺は何も答えず、ただ右手のクリスタルワイバーンよ指輪と、左手のアークサーペントの指輪の冷たい感触を、ポケットの中で静かに確かめることしかできなかった。


◆


 五日目の昼前。

 地平線の向こう側に、見慣れた白亜の巨大な城壁――ウルシア王都が、その圧倒的な姿を顕現させた。


「今帰ったぞ、ウルシア」

 オルドが馬車の上で大袈裟に両手を広げる。

 門の前には、聖剣ラナの回収成功の報せを聞きつけた大勢の市民や冒険者たちが群がっていた。


「聖剣を持ち帰ったぞ!」「ミリアを救った結晶の剣士の噂は本当か!?」と、お祭り騒ぎのような歓声が響き渡る。


 俺は馬車の隅で身を縮め、目立たないように視線を落とした。


 英雄じゃない。


 ただ、生き残るために神獣を貪った異端者。

 だが――荷台の木箱の中で、聖剣ラナが、そして俺の指に嵌まる二つの指輪が、呼応するようにチリチリと微かに共鳴音を立てていた。


「よし、雑用くん」

 王城へと続く坂道の途中、オルドが俺の肩をポンと力強く叩いた。


「ここから先は、国王陛下との謁見だ。お前のその目で、王都のド真ん中で何が起きるか……特等席で見届けてこいよ」


 俺は深く、長く息を吐き出した。

 ただの雑用係として静かに暮らす未来は、もうどこにもないのか。


 狂った世界が、俺を巨大な陰謀と地獄の渦へ叩き落とそうと、その顎を開けて待っている気がした。

 俺は両手の指輪を力強く握りしめ、王城の白き扉へと、確かな足取りで一歩を踏み出したのだった。

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