第32章:勇者の種子ー2
「……怖いか、兄弟」
シンの声は、いつものチャラついたそれではない。かつての自分と重ね合わせるような、親が子を諭すように静かで落ち着いた響きだった。
「……怖いです。僕には……こんなものを持つ勇気が……千年前の勇者様のような、友達を犠牲にしてでも魔族を殺す覚悟なんて、ありません……」
ジークが、ヒナワの冷たい銃身に額を押し当てて俯く。
「バカ言え。お前が持たなきゃ、誰が持つんだ」
シンは皮袋の酒を一口煽り、分厚い煙と星のない夜空を見上げた。
「いいか、よく聞け、ジーク。武器ってのはな、人を殺すし、街も吹き飛ばす。それが道理だ。剣だって、元を正せば人殺しの道具だ」
シンは、焚き火の炎を自身の金海の瞳に映しながら、淡々と語る。
「だがな。武器そのものに意志はねぇ。どう使うか、誰を守り、誰を殺すかは……いつだって持ち主の心が決めるんだ」
「心……」
ジークが、僅かに顔を上げる。
「千年前のことなんて今となっちゃわからねぇが、そん時のヒナワの持ち主は、味方もろとも全部を焼き尽くすつもりで引き金を引いた。だからああなった。……じゃあ、お前はどうだ?」
シンは、ジークの怯えきった瞳を、真っ直ぐに射抜いた。
「お前の心の波は、優しい。このクソみたいな戦場に立つには、ヘドが出るほど優しすぎるくらいにな」
シンの大きな手が、ジークの天然パーマの頭を乱暴に、だが優しく撫でた。
「その波で撃つヒナワが、千年前の勇者と同じ結果になるわけがねぇだろ。お前が守りたいと強く願うなら、ヒナワは絶対にお前の心に応える。……そういう風にできてんだよ、良い武器ってやつはな」
ジークが、ハッと息を呑んだ。
シンの言葉が、彼の冷え切った心に、ほんの少しだけ温かい波紋を広げた。
その時だった。
ゴオォォォォォォォォォォォォッ……!!!!!
村の中心。
ひび割れた大地の亀裂から、空気を直接焦がすような凄まじい咆哮が上がった。
地面の亀裂から、マグマのような赤黒い魔力がドロドロと吹き出し、渦を巻きながら、四足歩行の巨大な獣の形を成していく。
「……チッ。ヒナワの残り火……炎の魔獣か!」
俺は即座に立ち上がり、魔剣ムラマサの柄を強く握って村の中心へ向けて駆け出した。
シンも「チッ、オレのせっかくの名言ぶち壊しやがって」と舌打ちをして後に続く。
だが、ジークは――。
恐怖で再び足がすくみ、ヒナワを抱えたまま、その場から立ち上がれずに震え続けていた。
村の中央広場は、一瞬にして灼熱の地獄絵図へと変貌していた。
千年の間、この地に燻り続けてきた呪いの魔力が、地割れから赤黒い泥状の炎となって吹き出し、空間で凝集する。
現れたのは、体長十メートルを超える四足歩行の巨大な獅子――炎の魔獣。
物理的な実体を持たない、純粋な破壊の熱エネルギーの塊。
全身から撒き散らされる致死量の熱波だけで、周囲の干し草や石造りの家屋の屋根が、炎が触れてもいないのに次々と自然発火していく。
「ガアァァァァァァァァァァッ!!」
魔獣が不気味な咆哮を上げ、逃げ遅れた老幼が集まる広場の隅へ向かって、巨大な炎の爪を無慈悲に振り上げた。
老人たちが絶望して目を閉じた、その瞬間。
「させるかよッ!!」
俺は走る勢いのまま大地を蹴り飛ばし、右手の中指に嵌まるクリスタルワイバーンの指輪に、一気に全意識を流し込んだ。
――ピキキィィンッ!
右手に水色の幾何学模様を描く機械的な結晶の手甲が顕現し、俺の正面に透明で分厚い絶対防壁が立ち上がる。
ガアァァァァンッッッ!!!!!
魔獣の灼熱の爪と、防壁が真っ正面から激突し、爆発的な火の粉と衝撃波が周囲に飛散した。
防壁越しにも直接伝わってくる、骨髄が焦げ付くような凄まじい熱量。
「くっ……熱気が、尋常じゃねぇ……ッ!」
俺は歯を食いしばり、防壁を押し込まれまいと両足で踏ん張る。ブーツの底が熱で溶け出しているのが分かる。
「ただの魔獣とは、パワーが違いすぎる! これがアーティファクトの残りカスだってのかよ!」
「大将、下がれ! 俺が水で冷ます!!」
後ろから駆け込んできたシンが、大槍を突き出して極大の水魔法を放つ。
海神の異名に恥じぬ、巨大な津波のような高圧の濁流が、魔獣の巨体を呑み込もうと迫る――が。
ジュワァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!!
「……なっ!?」
シンが、驚愕に目を剥いた。
触れたコンマ一秒後。シンの放った莫大な質量の水流は、魔獣の表面の異常な熱気によって一瞬で沸騰し、すべて水蒸気へと変えられてしまったのだ。
大量の蒸気が強烈な爆風となって吹き荒れ、視界を真っ白に染め上げる。
「チッ……嘘だろ、相殺すらできねぇか! 千年前のアーティファクトの残り火ってのは、どんだけイカれた熱量してやがる……!」
普段はどんな強敵を前にしても飄々としているシンが、苦々しく歯噛みして後退る。
ピキッ……。
俺の目の前で、絶対に砕けないはずのクリスタルワイバーンの防壁に、熱による亀裂が入り始めた。
俺は右手のクリスタルワイバーンを限界まで絞り出し、力任せに魔力を注いで補強しながら、肩越しに後ろへと叫んだ。
「ジーク!! 何やってんだ、撃てぇッ!!」
村の入り口。
ジークはヒナワを構え、銃口を魔獣へと向けようとしていた。
だが――彼の手は、腕全体がガタガタと激しく痙攣し、引き金に掛けた指は、接着剤で固められたようにピタリと止まっていた。
「だ、ダメだ……っ! できない……!!」
ジークの叫び声は、恐怖と重圧で引きちぎれそうだった。
「ここでヒナワを撃ったら……広範囲の爆炎で、村が……魔獣の後ろで震えてる村人たちが、全員巻き込まれて死んじゃう……っ!!」
魔獣のすぐ背後には、庇い合うように丸まっている無抵抗の村人たち。
千年前、この地を消し飛ばし、更地へと変えたヒナワの大爆発のイメージが、ジークの脳裏を完全に支配し、その指を金縛りにしていた。
「僕には……僕には、引き金を引く覚悟なんて……!!」
「バカ野郎がッッ!!!」
俺は防壁を突き破らんと暴れる魔獣の爪を必死に押し返しながら、喉が千切れるほどの怒号をぶつけた。
「誰が更地にしろなんて頼んだ!! 忘れたのかジーク!! お前はグリンデルの城で、ワーズ相手に、俺たちを傷つけずに敵の頭だけを撃ち抜いたろうがッ!!」
「っ……!!」
「お前のその手にあるのは、ただの破壊兵器じゃねぇ!! お前が誰かを守りたいと願った時、その願いを叶える……希望だ!!」
『そうだよジーク!!』
胸元のペンダントから、ラナの澄んだ叫びが夜空に弾けた。
『相棒を信じて!! そして何より、自分の優しい心を信じて!!』
「シン!!」
「おうよッ!!」
俺の合図に、シンが金海色の瞳を極限まで見開き、海神の波を全開で放つ。
攻撃の水ではない。魔獣の足元の地面を極限まで湿らせ、粘着質な水の檻を形成して、魔獣の巨体をコンマ数秒間だけ完全に縫い留めた。
「ジークッッ!! お前は何のために、その引き金に指をかけてるんだァァァッッ!!!」
俺の叫びが、ジークの胸の奥底を真っ直ぐに突き穿つ。
――お前の波は、優しい。
――その波で撃つヒナワが、千年前と同じ結果になるわけがねぇ。
シンの言葉が、俺の怒号が、ラナの祈りが。
ジークの中で、カチリと一つの明確な像を結んだ。
(……そうだ。僕は……壊したいんじゃない)
ジークの荒い呼吸が、ふっと静まった。
(僕は……守りたいんだ……!!)
全身の震えが、嘘のようにピタリと止まる。
彼の瞳から一切の怯えが消え去り、代わりに、戦場を俯瞰する冷徹で美しい狙撃手の光が宿った。
(広げるな……爆発させるな……。拡散しようとする火炎の全てを……一本の線に、束ねろ……!!)
ジークはヒナワを構え直した。
黒く細長い筒の内部で、暴れ狂おうとする膨大な火炎魔力を、王族としての強靭な誇りと、誰かを守りたいという純粋な精神力で、強引にねじ伏せていく。
圧縮。
圧縮。
さらに圧縮。
千年前の使用者が、面ですべてを焼き尽くすために広げた暴虐の威力を。
ジークは点へと、極限まで収縮させていく。
「……極限、圧縮……」
ヒナワの銃口の先端に、米粒ほどの小ささでありながら、太陽の核心すら凌駕するほどの純白の熱源が凝縮された。
「……僕の炎は……誰も……傷つけさせない……ッ!!」
引き金が――引かれた。
――チィィィィィィィィン……ッ。
爆風も、轟音もなかった。
ただ、大気を極細のガラス針で引き裂くような、静かで透明な高音が夜の村に響き渡った。
ヒナワから解き放たれたのは、破壊の爆炎ではない。
直径わずか数ミリ――直線上に存在するすべての分子を一切の抵抗なく穿つ、恐るべき純白の光の針。
その一筋の光は、俺の展開するクリスタル防壁の数センチ横を、ミリ単位の精度ですり抜け――。
魔獣の眉間の奥深くにある、赤く脈打つ魔力の核を、寸分の狂いもなく、正確無比に貫通した。
「…………」
魔獣の動きが、完全に停止した。
直後。
周囲の家屋にも、背後の村人にも、防壁を張る俺たちにも――ただの一筋の火の粉すら撒き散らすことなく。
巨大な炎の魔獣は、内側からプツンと光を失い、ただの黒い煙となって静かに夜空へと霧散していった。
爆発、ゼロ。
延焼、ゼロ。
被害、ゼロ。
完璧なる、一撃必殺の狙撃。
「はぁ……はぁ……はぁっ……」
ジークはヒナワを抱えたまま、全身の力が抜け、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
黒い銃口からは、一すじの細い白煙が、静かに夜風に揺れていた。
◆
静寂が、村を優しく包み込む。
焦げた家屋は一つもない。傷ついた村人も、誰一人としていない。
静まり返る広場の中で、呆然としていた村長が、震える足でジークの元へと駆け寄り、その場にドスンと両膝を突いた。
「あ……あぁ……っ! ありがとうございます……!! ヒナワの炎が……勇者様の炎が、我々を……我々の村を、守ってくださった……ッ!!」
村人たちが次々と集まり、ポロポロと涙を流しながら、ジークに向かって深く、深く頭を下げていく。
ジークは、手の中のヒナワをじっと見つめた。
千年の間、この土地で呪いと更地の象徴として恐れられ続けてきた、忌まわしき兵器。
それが今、自分の手で、確かに人々の命を救う希望の光として輝いたのだ。
俺とシンが歩み寄り、俺はへたり込んでいるジークの頭を、乱暴にわしゃわしゃと撫で回した。
「さすがだ泣き虫王子!! 最高の狙撃だったぞ!! 言ったろ、お前の炎は誰も焼かねぇって!」
「……っ、うん……!! 僕……できた……っ! 誰も……誰も巻き込まないで……撃てたよ……っ!!」
ジークの目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
それはもう、兵器の重圧に対する恐怖や呪縛の涙ではない。
己の迷いを打ち破り、大切なものを守り抜いたという、晴れやかな歓喜の涙だった。
シンも不敵にニカッと笑い、ジークの背中をバシッと力強く叩いた。
「な? 言っただろ、兄弟。千年前の奴がどう使おうが関係ねぇ。お前のヒナワは、最高に優しくて、最高にかっこいい最高の相棒だ」
『ジーク、見直したよー! すっごく格好良かった!』
胸元でラナが嬉しそうにはしゃぐ。
ジークは袖で涙を強引に拭い、ヒナワを強く、力強く抱き直した。
その小さな両手は、もう一ミリも震えていなかった。
「……はい! もう迷いません! この力で……僕は、絶対にみんなを守ってみせます!!」
千年の傷痕が刻まれたカグツチの谷底で。
呪われたアーティファクト・ヒナワは、千年の時を経て、ついに本当の主と巡り会ったのだった。
翌朝。
感謝の言葉と大量の保存食を押し付けてくる村人たちに温かく見送られながら、俺たちは再び急な斜面を登り、街道の馬車へと復帰した。
見上げる空は、昨日までの澱んだ空気が嘘のように、吸い込まれそうなほど青く澄み渡っていた。
俺たちは馬車に乗り込み、シンが再び手綱を握る。
ここから先。
魔族の湧き出す封印の地が、どれほど凄惨な場所であろうと。
そこに、どれほど凶悪な上位貴族や怪物が立ち塞がろうとも。
今の俺たちなら、絶対に負けない自信があった。
俺は腰のヤマタノオロチのベルトと、魔剣ムラマサの冷たい柄の感触を確かめ、西の空を見据えて不敵に口角を上げた。
「……行くぞ。魔族どもを、ぶっ殺しにな」




