第30章:竜騎士とはー2
「……ぐ、軍事国家カエサルが、魔族の大規模な襲撃を受けました……ッ!!」
「なに……!?」
ジークの息がヒュッと止まり、俺の足もピタリと石畳の上に縫い止められた。
「魔族の軍勢……だと? 規模は!」
俺が伝令の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで問い詰める。
(頼む……! 下位貴族やただの魔族ごときならレイズやミスト、ましてやウォールのオッサンがやられるはずがねぇ!)
「ふ、不確定ですが、無数の魔族に加え……【下位貴族】複数体、そして……」
伝令の声が、ガタガタと震え出した。
「――【上位貴族】一体の存在が、確認されたとのことです……!!」
「じ……上位、貴族……!?」
ジークの声が、恐怖で完全に裏返った。
『上位……ッ!?』
胸元のペンダントの奥で、ラナの悲鳴のような声が直接脳内に響き渡る。
『相棒……ッ! あのワーズだって、下位貴族だったんだよ!? 一つの王都を丸ごと一瞬で叩き潰したバケモノの……さらに上の階級なんてのが、出たの……!?』
(……クソがっ……!!)
俺の心臓が、ドクドクと不気味で早すぎる早鐘を打ち鳴らす。
足の裏から、氷水を吸い上げているかのような悪寒が全身を駆け巡った。
あの下位貴族ワーズの、吐き気を催すほどの恐怖。
ルーナとレーオが、まるで虫ケラのように理不尽に命を奪われた、あの底知れない悪意と圧倒的な暴力。
あれ以上の怪物が。あんなふざけた次元のバケモノの上位が、今度は軍事国家カエサルを強襲したというのか。
カエサルには、あの竜王ウォールがいる。
謁見の後に別れた、レイズも、ミストも、間違いなくカエサルの最前線にいるはずだ。
だが……相手は上位貴族率いる魔族の軍勢だ。
あいつらがどれほど強くても、無事で済むはずがない。最悪の場合、カエサルという巨大な軍事国家そのものが、グリンデルの時のように一晩で地図から消滅している可能性すらある。
俺の指先が、無意識のうちに、腰に巻かれたヤマタノオロチの神王のベルトへと伸びていた。
神王獣ヤマタノオロチから得たこのチート能力さえあれば、上位貴族だろうが、俺が前線に立てば何とかできるかもしれない。
俺の脳内で、瞬時にカエサルへの単独救援に向かうためのシミュレーションが高速で回り始める。
「殿下! すぐに王の御前へ!」
王城から駆けつけてきた近衛兵の切羽詰まった声に、俺たちは我に返った。
そうだ。まずは正確な情報を入れなければならない。
俺たちは、泥だらけの服のまま、足早に王城の最奥――謁見の間へと向かって、重い大理石の廊下を駆け出した。
王城の最奥、広大な謁見の間。重く分厚い扉を押し開けて飛び込んだ俺たちを出迎えたのは、まるで国葬の真っ最中かのような、息が詰まるほどの重苦しい静寂だった。
玉座に鎮座するウルシア王エルムンドの顔には、かつてないほど濃い疲労の影が深く刻まれている。
周囲を取り囲む重臣たちも、まるで死刑宣告を待つ罪人のように、青ざめた顔でガチガチと歯を鳴らして固まっていた。
その列の中に、第四王子ソーの姿があった。聖騎士カリナの姿もあった。
彼らは無事だ。外傷もない。
だが、その瞳には一様に、今すぐ剣を抜いて戦場へ飛び出さんばかりの、張り詰めた極限の緊張の糸が硬く結ばれていた。
「――報告を」
エルムンド王の、腹の底から、地面を揺らすような低く重い声が響いた。
俺たちが謁見の間の中央へと進み出ると同時。
カエサルからの緊急伝令を預かってきた、血と汗と泥にまみれた速報将校が、フラフラとした足取りで一歩前へ出て、封蝋を切った一枚の羊皮紙を広げた。
「……ッ! 軍事国家カエサル襲撃に関する、戦況報告が入りました!!」
将校の裏返った声が、謁見の間全体に、見えない無数の緊張の針を降らせる。
「……カエサル国境の防衛砦において発生した、魔族の上位貴族、および下位貴族率いる魔族の軍勢との戦闘は――」
将校は、一度大きく息を呑んだ。
俺は奥歯を噛み締め、最悪の報告を聞く覚悟を決めた。
だが。将校は、顔を真っ赤にして、謁見の間の天井が吹き飛ぶほどの声で、堂々とこう叫んだのだ。
「――我が人類の勝利!! カエサル軍の完全なる大勝利に終わりましたァァァッ!!!」
「「「…………っ!?」」」
一瞬。
謁見の間の全員が、その言葉の持つ意味を理解できずに、完全に思考を停止して凍りついた。
「な、なに……? 完全なる……勝利……だと?」
重臣の一人が、目をひん剥いて、震える声で間抜けな聞き返しをする。
「はいッ!! 被害状況、および民間への損害報告ッ――」
将校は、もはや誇らしげに、そして自分自身でもまだその事実が信じられないといった凄まじい驚きを隠しきれない顔で、叫び続けた。
「――カエサル兵、並びに民間人の犠牲者、共にゼロッッ!!!」
「「「…………ゼロ……!?!?!?」」」
どよめき、どころではない。
もはやパニックに近い悲鳴のような怒号が、謁見の間を激しく揺らした。
「ば、馬鹿なッ!! 上位貴族と下位貴族が同時に現れたのだぞ!? 一つの国が一瞬で滅びてもおかしくない次元の軍勢相手に、犠牲者が……一人も出ていないというのか!?」
文官が頭を抱えて叫ぶ。
「はいッ!!」
将校が、興奮で口から唾を飛ばしながら熱っぽく語り継ぐ。
「カエサルが誇る、人類最強の竜騎士の三名! 竜王ウォール閣下、並びにグリンデルより帰還した火竜レイズ殿、氷竜ミスト殿の三名が、魔族出現と同時に前線へと単騎で降臨ッ!
上位貴族、下位貴族ともに……彼らの善戦により、討ち取られましたッッ!!」
「…………っはは」
騒然とし、静まり返ることを忘れた謁見の間で。
俺の口から、呆れ果てた、ひどく乾いた笑いが漏れ出た。
『あ、あはは……なにそれ……。ちょっと、意味がわかんない……』
ラナもペンダントの中で、あまりのスケールの違いに呆れ返った声で引きつり笑いをしている。
『上位貴族を……討ち取る……? 犠牲者、ゼロ……? あの人たち、ホントに同じ人間なの……?』
(……ほんと、バケモノだよ……あいつらは)
俺は、無意識のうちに力強く握りしめていた拳を、ゆっくりと解いた。
かつてグリンデルという死地を共に潜り抜け、硬い拳を突き合わせ合った戦友たち。
レイズの、あの不敵でド派手な笑み。ミストの、氷のように冷徹で確実な殺意。そして、圧倒的な大樹のように聳え立つウォールの背中。
俺は、心のどこかで思い上がっていたのかもしれない。
彼らが死ぬかもしれないと、神王獣の能力を手に入れた俺が助けに行かなければと、本気で焦っていた。
だが、あいつらは、俺なんかが青ざめて心配するような次元で戦ってなどいなかったのだ。
人類の最高峰は、俺の想像を遥かに超えて、どうしようもなくバカみたいに強かった。
だが――。
玉座に座るエルムンド王の顔に、安堵の色は一ミリも浮かんでいなかった。
「――静まれ」
王の重々しい声が、興奮冷めやらぬ室内を、再び冷たい氷水のように静め直す。
「……決して、手放しで喜べる報告ではないな」
「父上……」
ギリーエが、冷徹な瞳で一歩前へ出た。
「ええ。カエサルの竜騎士たちが凄惨なまでの強さを示したことは、人類にとって最大の幸いです。だが……問題はそこではありません。この襲撃の速度です」
ギリーエの言葉に、浮かれていた重臣たちの顔からスッと血の気が引いていく。
「下位貴族ワーズによるグリンデル王国侵攻から、まだ一ヶ月も経っていません。にもかかわらず、奴らは即座に戦力を再編し、次はさらに上の上位貴族を投入してきた。……魔族の侵攻の頻度と、軍勢の規模の拡大速度が、異常に跳ね上がっているのは明白です」
「その通りだ」
エルムンド王が、玉座の肘掛けを強く握りしめた。
「奴ら魔族はお試しの段階を終え、本格的に我ら人類を根絶やしにするための総力戦へと完全に舵を切った」
近衛兵が、巨大な羊皮紙の図面――イーリス大陸全土の古地図を、大理石の床にバサリと広げた。
「太古の封魔戦争の伝承によれば、魔族どもが地の底から湧き出してくる封印の地は、この大陸のどこかにたった一箇所のみ存在するという。千年前の英雄たちの屍と引き換えに蓋をした地だ」
王の目が、広げられた地図の上の空白の領域を睨みつける。
「その封印が、今まさに限界を迎え、決壊し始めているのだ。……どれほど最前線で敵を倒そうとも、その発生源を叩き潰さねば、無尽蔵に湧き出る消耗戦で、人類が数と物量で潰されるのは時間の問題だ」
俺は、深く、静かに息を吸い込んだ。
この静けさの正体。
それは勝利の平和などでは決してない。これから訪れる、本当の、そして最後の地獄を前にした、ただの嵐の前の静けさだ。
ここから先、これまでの熾烈な戦いは、すべて前座になる。
人類最強の竜騎士たちも、太古の聖剣も、呪われた魔剣も、神王獣の能力も、そしてアーティファクトも。
そのすべてが、大陸の命運を賭けた、ただ一点の最終決戦へと収束していく。
エルムンド王の鋭く重い戦王の眼光が、まっすぐに俺の魂を射抜いた。
「異界の転移者よ。エルフの国からの無事の帰還、見事だ。……そして、次の決戦を前に、貴殿に頼みたい儀がある」
俺は迷うことなく、右膝をドスリと床に突き、胸に拳を当てた。
心にあるのは、恐怖でも義務感でもない。死なせてしまった仲間たちへの、祈りと誓い。
「命令を」
「貴殿には――その異質な異能をもって、魔族が湧き出る封印の地を特定してもらいたい。……我ら人類が全戦力を集結させ、奴らを根源ごと叩き潰すための、最期の標的をな」
「――仰せのままに」
俺が、一切の躊躇なく即答したその瞬間。
胸元のペンダントから、ラナの温かく、どこか切ない囁きが届いた。
『相棒。……絶対、死なないでね。あんたが死んだら、アタシ悲しくて死んじゃうよ』
(分かってる。死ぬつもりなんて、サラサラねぇよ。)
俺はゆっくりと立ち上がり、腰に巻かれた神王獣ヤマタノオロチのベルトを力強く握り直した。
死地から生きて帰ってきた。
そして帰ってきたからこそ、魂で確信した。
まだ何一つ、終わっちゃいない。
むしろ――ここからが、世界の命運を賭けた、本当の地獄の始まりだ。




