第29章:次なるアーティファクトと神王獣ー4
ライーオが、背中の矢筒から、一本だけ色の違う矢を静かに引き抜いた。
純白。
それは、聖樹の最も神聖な芯そのものを削り出して作られた、凄まじい魔力の結晶体。
ライーオは、その純白の矢を大弓につがえ、ギリッ……と限界まで弦を引き絞った。
「……この矢は。本来ならば、我が子らに護符として贈るはずだったものだ」
ライーオの声は、恐ろしいほど静かで、そして……どうしようもなく、温かかった。
彼の脳裏に、ルーナとレーオの笑顔が浮かんでいるのが、俺にも分かった。
「だが、あの子たちはもういない。……ならば今は、お前たちが切り開く未来のために使う。我が子らの魂と共に、往け」
戦車の砲身が下がり、ジークが息を呑んで見守る。
俺も、空中で魔剣を下げ、その一撃の行方を網膜に焼き付ける。
――解き放たれた、純白の閃光。
シュバァァァァァァァァァァァンッ!!
音を置き去りにしたその聖矢は、神王獣ヤマタノオロチの巨大な胸の装甲を紙のように貫き、奥深くで脈打つ核を、寸分の狂いもなく一直線に貫通した。
ピタ、と。
世界から、あらゆる音が消え失せた。
時が止まったかのような数秒の空白ののち。
――ズズ……ズゴゴゴゴゴォォォォォンッッッ!!!!
大陸の頂点に君臨し続けた神王獣の巨体が、まるで内部から崩壊する巨大な岩山のように、すさまじい地響きを立てて泥の中へと倒れ伏した。
残っていた八つの首がドサリと力を失って地面に沈み、全身から放たれていた神話の輝きが、完全に失われていく。
森を支配していた、息もできないほどの絶望的な王の圧力が、嘘のように霧散した。
「……やった、のか……?」
『勝ったよ……! 勝ったんだよ……!』
胸元のペンダントの中で、ラナが安堵したように、泣きじゃくるような声で囁く。
『……相棒。あんたの手……すっごく、震えてるよ』
「……当たり前だろ。……神王獣、殺したんだぞ……」
俺は空中で全身の力が抜け、そのまま泥の上へとドサリと片膝をついた。
肺が千切れそうなほどに呼吸が荒い。全身の筋肉が悲鳴を上げ、立っているのすらやっとの状態だ。
ガコン、とセンシャの重いハッチが開き、ジークとギリーエが姿を現した。
「い、生きてる……! 僕、生きてるよ……!! 神王獣に勝ったんだ……!!」
ジークが、ギリーエの腰に抱きついて子供のように号泣している。
「見事な勝利だね、ジーク。お前の魔力供給がなければ、砲弾は撃てなかった」
ギリーエは、自身の服が泥と涙で汚れるのも構わず、ジークの頭を優しく撫でた。
俺は乱れた息を整えながら、倒れ伏したヤマタノオロチの巨体へとゆっくりと歩み寄った。
条件成立。
完全に死んだ、人間以外の生物。
俺が右手をその巨躯の額へと触れさせた瞬間――俺の視界の世界が、深いエメラルドグリーンに染め上げられた。
ドバァァァァァァァッ!!
神王獣の莫大な魔力と、数千年分の記憶の奔流が、俺という小さな器へと容赦なく雪崩れ込んでくる。
脳が焼き切れるかと思うほどの情報の濁流。
炎、氷、雷、毒、重力、時間遅延、未来視、精神汚染。八つの力が、俺の武装化のシステムにインストールされていく。
俺の全身をエメラルドグリーンで和風の機械的な武装が俺を包んだ。
(……くそっ、情報量が多すぎる。こんなデケェ力を、全身の鎧として着込んで戦うのはまだ無理だ)
俺は、意識を飛ばしそうになるのを必死に堪え、能力の大部分を死骸へと還元し……その王たる存在の一部分だけを抽出し、指輪と同じように【装飾品化】のプロセスへと押し込んだ。
眩い緑の光が収束し。
俺の手の中に残ったのは、深いエメラルドの輝きを帯びた、分厚く重厚な一本のベルトだった。
俺がそれを腰に巻いた瞬間。
ガシャゥッ!と、まるでそれが俺の新しい臓器であるかのように、周囲の重力と空間の感覚が、俺の意思と完全に同調した。
全身の疲労が嘘のように消え去り、細胞の一つ一つに神王獣の魔力が満ち溢れていく。
『相棒……またとんでもないチート能力、拾っちゃったね……』
ラナが、少し引いたような声で呆れている。
「……あぁ。これで、上位の魔族とも、真っ向から渡り合える」
俺は振り返り、泥まみれになりながらも静かに佇むアーティファクト・センシャを見上げた。
ギリーエが、戦車の装甲を愛おしそうに撫でながら言った。
「センシャは無事に確保できました。しかし……これほどの戦略兵器を我が国へ持ち帰れば、間違いなく、ウルシアと他国との間で奪い合いの火種になりますね。世界の軍事バランスが、崩壊する可能性が出てくる」
「……あぁ。暗躍してる八咫烏の連中だって、こんなチート兵器の存在を知れば、絶対に黙っちゃいないだろうな」
ジークが、泣き腫らした目で首を傾げる。
「ねぇ……じゃあこれ、どうするの? ここに置いていくの?」
ギリーエは、弓を下ろして静かに佇むライーオを見つめ、不敵で、しかしどこまでも理にかなった王族としての微笑みを浮かべた。
「ええ。持ち帰るよりも、遥かに理にかなった運用方法があります」
ギリーエは、センシャの装甲を叩いた。
「このセンシャを、このシルアの森に留め置きます。そして、エルフの皆様の絶対の防壁として、現地運用していただく」
「……なっ」
ライーオが、初めて驚きに目を見開いた。
「我々人族は、あなた方の大切な同胞を守れなかった。これは、そのささやかな贖罪です」
ギリーエは、ライーオに向かって深く頭を下げた。
「この森が魔族に狙われた時、このセンシャがあれば、シルアの民の被害は最小限に抑えられる。……そして我々としても、エルフという強力な同盟軍が、最高の兵器と共に後方を守ってくれているという事実は、何よりの戦略的アドバンテージになる。……いかがでしょうか」
仲間を護れなかった俺たちの責任であり、魔族を滅ぼすための未来への投資。
感情と計算を完璧に織り交ぜた、外交の天才が提示する誰も損をしない、最高の盤面の片付け方だった。
ライーオは、ギリーエの言葉の真意を静かに推し量り……やがて、短く息を吐いた。
「……人族の王子よ。お前は、恐ろしい男だ。だが……その提案、シルアの民を代表して、受け取ろう」
森に、優しく、清涼な風が吹き抜けた。
もう、俺たちを物理的に押し潰そうとする王の圧力はない。
分厚い枝葉の隙間から、黄金色の陽の光が、泥にまみれた俺たちと戦車を暖かく照らし出している。
ただ静かに揺れる葉擦れの音だけが、ルーナとレーオの魂の安らぎと、俺たちの勝利と覚悟を祝福するように、いつまでも、いつまでも響いていた。




