第29章:次なるアーティファクトと神王獣ー3
神王獣ヤマタノオロチは、ひどく困惑したように、その金色の瞳を瞬きさせたのだ。
未来視。
それは自身の行動に対し、相手がどう動くかを確定された映像として視る絶対の能力。
オロチは見たはずだ。自分が強烈な炎のブレスで俺を焼き尽くし、俺が消し炭となって死ぬ、完璧な未来を。
だが、その未来の直後。
俺の時間が五秒巻き戻り、ブレスを完全に回避している未来が、ノイズのように重複して見えたのだ。
確定された絶対の未来と、強引に改変される過去。
二つの絶対に交わらない矛盾した事象が衝突し、オロチの完璧な脳内で、理解不能なバグを引き起こしたのだ。
(……見たな。俺のムラマサの、過去改変の未来を)
俺は既に、腰の魔剣ムラマサを半ば引き抜いていた。
漆黒の刃が、時間の感触を纏ってチリチリと不気味に鳴っている。
チートには、チートをぶつける。
それが、理不尽な異世界での唯一の生き残り方だ。
「ギリーエ、ジーク! すぐに中へ入れ!!」
俺は重いハッチを開け放ち、下で固まっている二人に向かって怒鳴った。
「え、え、え!? この中に!?」
ジークが半泣きになりながら、必死に戦車の装甲によじ登る。
ギリーエは一切の躊躇なく、既にハッチへ足をかけていた。
戦えないはずの王子が、この極限の戦場において、誰よりも冷酷で的確な指揮官の顔を完成させている。
「ジーク、先に飛び込みなさい! 私は後です!」
ギリーエがジークを戦車の暗い車内へと乱暴に押し込んだ、まさにその瞬間だった。
オロチの脳内のバグが解け、神をコケにされたと悟った八つの首が、怒り狂ったように同時に鎌首をもたげた。
ゴアァァァァァァァァァァッ!!!!!
赤い灼熱の炎と、青い絶対零度の極寒。
相反するはずの二つの極大ブレスが、空中で混じり合うことなく、二本の極太の槍となって戦車の上にいる俺を粉砕せんと迫る。
神王獣ヤマタノオロチとの、絶望的な死闘の火蓋が切って落とされた。
ゴアァァァァァァァァァァッ!!!!!
赤い灼熱の炎と、青い絶対零度の極寒。
相反するはずの二つの極大ブレスが、空中で混じり合うことなく二本の極太の槍となって、戦車のハッチの上に立つ俺を粉砕せんと迫り来る。
「防げェェッ!!」
俺は、指輪に意識を流し込み、【クリスタルワイバーン】の手甲を即座に展開した。
俺の正面に、分厚い透明な結晶の絶対防壁が顕現する。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
炎と氷が同時に防壁に激突し、極端な熱と冷気が相殺し合って、致死量の高熱を伴う大規模な水蒸気爆発を引き起こした。
ピキピキッ……と、絶対に砕けないはずの神獣の結晶が、嫌な音を立てて軋む。
凄まじい衝撃の波に、両腕の骨がミシミシと砕けそうになるが、それでも俺は一歩も退かずに耐え抜いた。
『相棒! 今の展開の判断、最高に冴えてるよ!』
胸元のペンダントから、ラナの鼓舞する声が響く。
(うるせぇ、今褒めんな! 少しでも集中が切れたら蒸し焼きになる!)
だが、神王獣ヤマタノオロチの猛攻は、こんな生易しいものでは終わらない。
――バリバリバリバリッ!!
間髪入れず、雷を司る首が天へ向かって紫電を放ち、同時に重力を司る紺色の首が、俺の周囲の空間そのものをねじ曲げた。
ドスンッ!!と。
突然、俺の身体が鉛のように重くなり、戦車の装甲の上に両膝をへし折られるように強制的に突かされた。
重力数倍の縛り。
そして真上からは、回避不能の巨大な電の槍が、俺の脳天目掛けて一直線に降り注いでくる。
未来視で回避軌道を封じられ、重力で足を止められ、雷で確殺される。
常人なら、この時点で絶望して生きることを諦める、完全な必殺の即死コンボだ。
だが――この森には、シルア最強の狩人がいる。
ギリィッ……!
ライーオが、巨大な聖樹の弓を限界まで引き絞った。
「――落ちろ」
放たれた白木の矢が、空気を裂いて天へと昇り。
なんと、空から落ちてくる雷の槍を、物理的に真っ向から引き裂いて霧散させたのだ。
(……マジかよ)
俺は思わず毒づいた。雷を、木の矢で撃ち落とす。物理法則ガン無視のありえない現象。
だが、聖樹に宿る圧倒的な浄化の力が、それを現実に引きずり下ろしたのだ。
直後。
精神干渉を司る緑の首が、不気味にその目を光らせた。
「っ……がぁぁッ!?」
突如、俺の視界がぐにゃりと歪み、脳髄に強制的に幻がねじ込まれた。
血を流して倒れるルーナ。
事切れたレーオの虚ろな瞳。
彼らが、暗い水底から俺を見つめて口を動かす。
『……お前のせいだ』
『……あなたが弱かったから、私たちは死んだのよ』
冷たく、呪いのような声が直接脳細胞を侵食する。
(……ッ、こいつ! 俺の記憶を読み取って、一番キツいトラウマを抉ってきやがったのか!)
俺の心が、一瞬だけ激しく揺さぶられ、致命的な隙を見せかけた。
だが、ダンッ!と。
ライーオが目にも留まらぬ速さで俺の横へ踏み込み、腰の短剣を抜き放ち、すぐ横の地面に深く突き立てた。
ブォンッ!と、聖樹の加護が波紋のように広がり、周囲の空気を強制的に浄化する。
俺の脳内にこびりついていた幻が、ガラスのようにパリンと砕け散った。
「……森の子を侮るな」
ライーオの声は、地の底から響くように低く、そして恐ろしかった。
怒っている。自分の娘と息子の死を、下等な幻術の材料として愚弄された、父親としての純粋な殺意がそこにあった。
「ハッ……! 助かったぜ、ライーオ!」
俺は、重力の縛りを強引に振り解いて、戦車の上で立ち上がった。
「こっちだ蛇野郎! ラナ! 出し惜しみはなしだ! 全部乗せでいくぞ!!」
『はいよぉっ! 神王獣の力、見せつけてやろうじゃないの!』
白銀と金の神聖な装甲が、俺の骨格を強引に上書きしていく。
背中には黒龍の巨大なジェット翼。両腕には絶対防壁の結晶。指輪は紫電を纏う長刀のクナイへ。
そして右手には、過去を切り裂く魔剣ムラマサ。
これが、今の俺が出せる最大火力のキメラ武装。
爆発的な推力で、俺は重力の縛りを完全にぶち破って宙を蹴った。
視界が線になる。
狙うは、あの最も厄介な盤面を支配する未来視の首だ。
ズバァァァァァンッッッ!!!!!
一閃。魔剣ムラマサの漆黒の刃が虚空を切り裂き、未来視の首の太い首根っこを、真っ二つに落とし飛ばした!
「やったか……!?」
宙で黒龍の翼を打ち羽ばたかせながら叫んだ俺の視界で、信じがたい光景が広がった。
切り飛ばした首の断面から、気味の悪い巨大な肉芽が蠢き、骨が高速で組み上がり、数秒の間に新たな皮膚と金色の瞳が再生したのだ。
「……冗談だろ、なんつー再生速度だよ」
ヤマタノオロチが嘲笑うかのように、八つの首の隙間から、世界を腐敗させる毒の黒霧を勢いよく吹き散らした。地面がドロドロに溶け落ち、周囲の樹木を一瞬で枯らし尽くしていく。
「くそっ……!!」
さらに最悪なことに、俺の全身を時間遅延を司る白い首の不可視の波が捉えた。
大気が粘着質の泥のように重くなり、俺の動きがコマ送りのように強制的に減速させられる。心臓の鼓動すら、重苦しく引き伸ばされていく。
未来視の金色の首が、再生を終えて俺の次の回避軌道を完璧に読み切る。
重力の首が、俺の跳躍を完全に潰す。
炎と氷の首が、空中で身動きの取れない俺の確実な死を確定させる極大のブレスを、同時に口内に溜め始める。
俺の思考の先にあるのは――完全な、詰み。
「――舐めるなよ、化け物がぁぁッ!!」
俺は魂の底から咆哮し、魔剣ムラマサを強く握りしめる。
「――戻れェェェッ!!!!」
キィィィィィィィィンッッッ!!!!!
ムラマサの漆黒の刃が、世界の悲鳴のような甲高い不協和音を奏でる。
――時間逆行。
五秒。
世界から色彩が失われ、時間が狂ったように巻き戻る。
粘着質な遅延の波が押し戻され、俺の身体は遅延の魔法を喰らう五秒前の空中へと、強引に引き戻された。
未来視の首が、再びその目を剥いた。
理解不能。読んだはずの確実な未来が、訪れない。回避不可能な空中にいるはずの獲物の座標が、突然ズレている。
神王獣として生まれて初めて味わう、歴史のバグに対する根源的な困惑と、致命的な硬直。
(今だッ!!)
「ライーオォォッ!!」
「――言われずともッ!!」
ドシュゥゥゥンッッ!!
放たれた三本の聖矢が、神速の閃光となって空中を貫いた。
重力、時間遅延、未来視。
その三つの首の眉間へ、寸分の狂いもなく同時に深く突き刺さる。
ギィァァァァッ!
聖樹の矢が刺さった瞬間、三つの首の眼窩から不気味な光が失われ、その理不尽な特殊能力が完全に封殺された。
同時に、足元のセンシャのハッチから、ジークが半泣きになりながら飛び出してきた。
「ええいっ、もうヤケクソだぁぁぁぁッ!!」
ジークの手の中にあるアーティファクト・ヒナワが、太陽のような眩い熱線を吐き出す。
極限まで圧縮された一条の火柱が、ブレスを溜めていた炎の首の眉間を無音で貫通し、内側から細胞ごと一瞬で焼き尽くした。
再生すら追いつかない。概念ごと焼き切る、完全な消滅。
「ナイスだジーク!!」
その時。センシャの車内から、ギリーエの恐ろしく冷静で、計算し尽くされた冷徹な声が響き渡った。
「援護を継続します。操縦系、照準補正……なるほど、計器の言語は読めませんが、この兵器の文脈は概ね把握しました。……砲身を、神王獣の胴体中央へ!」
「え!? え!? これ撃つの!? 待って、反動とか大丈夫なの!?」
パニックになるジークに対し、ギリーエは容赦なく冷酷に言い放つ。
「撃ちます。――ジーク、舌を噛まないように」
――ズッドォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!!!!
世界が一瞬、真空になったかのような爆音が轟いた。
戦車の巨大な主砲から放たれた物理的な破壊の砲弾が、ヤマタノオロチの莫大な質量の胴体ド真ん中に直撃した。
肉の壁が派手に爆散し、緑色の体液が四方八方に撒き散らされる。
神王獣が、生まれて初めての明確な苦痛の悲鳴を上げた。
「ギァァァァァァァァァァァァッッッ!!!」
狂乱したオロチの残る首どもが、ありとあらゆる属性攻撃――電、重力波、腐敗毒、極寒の吹雪を、一斉に眼下のセンシャの巨体へと集中照射した。
「ギリーエ! ジーク!」
俺の背筋が冷たく凍りついたが――。
ドガガガガガガガガガガガガガッ!!!
猛烈な破壊の嵐が去った後。
センシャは、泥と煙の中で、何事もなかったかのように静かに排気音を響かせていた。
分厚いオリーブドラブの装甲には、擦り傷一つ、焦げ跡一つ付いていない。
「……素晴らしい。精神干渉のみならず、全属性の神話級魔法すら完全に無効化する。まさに、文字通りの絶対防御ですね」
ハッチの中から、ギリーエが感心したように呟く。
「僕! もう一生この箱の中に住む!! 外に出たくない!!」
ジークが、恐怖と安堵で泣きながら歓喜の悲鳴を上げた。
「言ってる場合かバカ王子! 勝ち筋は完全に繋がったぞ!」
俺は黒龍の翼で空を滑空しながら、獰猛に笑った。
オロチの攻撃はどれも一撃必殺。
だが、俺のムラマサが未来視を狂わせ、ライーオの聖矢が能力を封じ、センシャがすべての理不尽な暴力を完璧に受け止める。
完全無欠の神が、ただのデカい的に成り下がった瞬間だった。
「ギリーエ! センシャを前進させろ! 俺が上空から誘導する!」
「了解しました。ジーク、主砲の再装填と魔力供給を緩めないでください」
「む、無理って言いたいけど、言ったら絶対にこの箱の外に置いていかれるから頑張るッ!!」
ズゴォォォォォォォォォッ!!
センシャの腹の底から、野獣の咆哮のような重低音のエンジン駆動音が爆発した。
分厚い鋼鉄のキャタピラが、千年の時を刻んだ腐葉土と泥を激しく跳ね飛ばし、神王獣ヤマタノオロチの巨体へと真っ向から肉薄していく。
その光景は、まさに鉄の獣が神話の獣の喉笛へ食らいつこうとする、狂気の突撃だった。
ヤマタノオロチの残された瞳に、生まれて初めて、明確な焦りと恐怖の色が浮かんだ。
今まで、どんな強大な古竜も、大精霊も、数多の生命をただの虫ケラのように踏み潰してきた絶対の王。
その王が今、自分の理不尽な暴力が一切通じない鉄の塊と、絶対の未来を過去改変で書き換えてくる異能のネズミに、完全に追い詰められているのだ。
「今です。――撃て」
ギリーエの、氷のように冷たく的確な号令。
――ズドォォォォンッ!!
至近距離から放たれた二発目の主砲の直撃が、未だ再生能力を司っていた首の根元を、鎖骨ごと豪快に吹き飛ばした。
大量の緑色の血が、間欠泉のように森の空へ噴き上がる。
「ライーオ!!」
上空で黒龍の翼をはためかせながら、俺は叫んだ。
「――任せろ!!」
放たれたライーオの聖矢が、千切れたオロチの首の断面に深く突き刺さる。
聖樹の強烈な浄化作用により、気味の悪い肉芽の再生がピタリと停止し、傷口が黒く壊死していく。
オロチは完全に、その巨体を大地に縫い留められた。
残るは、胸の奥深くでドクドクと脈打つ、神王獣の強大な生命の核のみ。
ライーオが、背中の矢筒から、一本だけ色の違う矢を静かに引き抜いた。
純白。
それは、聖樹の最も神聖な芯そのものを削り出して作られた、凄まじい魔力の結晶体。




