第28章:哀歓の帰還ー2
ソーは、顔を上げ、謁見の間全体に響き渡る通る声で、とんでもない爆弾を投げ落とした。
「今回奪還した聖剣二振りは、我がウルシアには置かず、【海洋国家オーシャン】へ譲渡すべきです」
「なっ……!?」
「莫迦なッ!!」
ソーの爆弾発言に、恐怖で震えていた文官たちが一斉に色めき立ち、怒号に近いざわめきが巻き起こった。
「ソー殿下! 正気ですか!? 人類の至宝とも言える聖剣を、なぜ他国へ渡すなどと!」
「我が国の軍事力強化に充てるべきに決まっておろうが!」
「これだから末の王子は! 恐怖のあまり正気を失われたか!」
安全な場所から一歩も出たことのない豚どもが、一丁前に権利と欲望だけを主張して喚き散らす。
俺は心の底から吐き気を覚え、思わず腰のムラマサの柄に手をかけそうになった。
「――静まれ」
エルムンド王が、玉座の肘掛けをドンッと力強く叩き、絶対の威圧を込めて手を上げた。
一瞬にして、文官たちの喚き声が空間から消滅する。
「……理由を、聞こう」
王の目が、ソーを真っ直ぐに射抜く。
ソーが口を開くより早く――俺たちの後ろに控えていた海神のシンが、面倒くさそうに太い首の骨をゴキリと鳴らして、気怠げに前へと歩み出た。
「理由は、三つだ」
海洋国家オーシャンが誇る最高戦力。
その飄々とした態度の奥底から放たれる、致死量のプレッシャーを伴う野獣の声。
先ほどまでソーを罵倒していた文官たちが、ヒッと短い悲鳴を上げて後ずさった。
「……単純だ」
シンは長髪をかき上げ、野良犬のような鋭く獰猛な光を宿した瞳で、豪華な服を着た文官たちを薙ぎ払うように睨みつけた。
「オーシャンにはな、俺の古くからのツレのガキがいる。世間知らずのクソガキどもだが……ああいう綺麗で真っ直ぐな目をした奴には、だいたい剣の方から勝手に寄ってきやがる。……使える場所で、使える奴に振るわせる。……それだけの話だ。てめぇらみてぇな腹の出たジジイどもが玉座の後ろに飾っておくためのオモチャじゃねぇんだよ」
口調は軽いが、その声に含まれた絶対的な海神の殺気に、文官たちは喉を鳴らして引き下がるしかなかった。
「その通りです。加えて、政治的な観点からも、聖剣と魔剣をこれ以上我が国で抱え込むのは下策の極みと言えます」
シンの言葉を引き継ぐように、玉座の横から冷徹な声が響いた。
細身の青年、ウルシア王国が誇る外交の天才――【第二王子ギリーエ】だ。
「皆様、頭を冷やして現実を見なさい。……今の我が国には、人類最強の聖騎士ローディオ、光の剣姫カリナがおります。そこに聖魔の二刀流を扱う第四王子ソー、そして二振りの聖剣まで溜め込めば……どうなるか」
ギリーエの氷のような視線が、文官たちを突き刺す。
「魔族との決戦の前に、同盟国すら我がウルシアを世界を脅かす潜在的脅威と見なし、警戒します。人類の結束は内側から瓦解し、疑心暗鬼を生む。
すべての希望を一つの籠に盛るのは、自滅への近道です。我々は一刻も早く、他国に戦力を分散させ、人類全体の希望の手札を増やす必要がある」
感情を一切排した、圧倒的な正論。
誰も、反論の言葉を紡ぐことができなかった。
謁見の間に、重い沈黙が落ちた。
エルムンド王は目を閉じ、静かに思考を巡らせると――目を開き、力強く頷いた。
「……許可する」
即断だった。
それは、シンという男の確かな戦術眼と、息子であるギリーエの果てなき知略に対する、王の絶対的な信頼の証。
「ただし、条件がある」
王の鋭い眼光が、俺とギリーエを真っ直ぐに射抜く。
「二振りの聖剣の適合者は、今後の魔族との決戦において、必ずウルシア主導の同盟軍の指揮下として参加させること。そして――その適合者の選定には、必ずギリーエ、お前が立ち会え」
逃げ道を完璧に塞ぐ、老練なる戦王の采配。
外交の天才であるギリーエを直接立ち会わせることで、他国へ手渡す聖剣の手綱を、しっかりとウルシアの主導権下に縛り付ける気だ。
「……承知いたしました、父上」
ギリーエは小さく、しかし優雅に深々と礼をした。その口元に、不敵な笑みを浮かべたままで。
謁見が終わり、息が詰まるほど重苦しい王城の廊下を抜け、中庭へと出た。
そこには、すでに自国への帰還準備を整え、飛竜の分厚い革鞍を無言で締め直している竜騎士レイズと竜騎士ミストの姿があった。
「……行くのか、レイズ」
俺が声をかけると、レイズは鞍から手を離し、片頬を僅かに上げて笑った。
「あぁ。俺らは、一足先にカエサルへ戻るぜ」
その笑みは、いつもカリナの尻を追いかけ回している時の、あの軽薄でチャラついたものではない。
瞳の奥に、獲物の喉笛を食い破る瞬間をジッと待つ、肉食獣のギラついた絶対的な殺気が宿っている。
「……向こうでもな、最近魔族絡みのキナ臭い噂が途絶えねぇんだ。……あのワーズとかいうイカれた下位貴族一匹ぶっ殺したくらいで、この地獄が終わるとは、とても思えねぇからな」
ワーズは死の間際に言い残した。「最上位貴族オリオン様」と。
奴らは、確実に世界中で同時多発的に動き出している。人類が平和ボケした千年の間に、暗闇の底で牙を研ぎ澄ませ続けていたのだ。
ミストが、静かな足取りで俺の元へ歩み寄ってきた。
彼女は、氷のように冷たく、そして澄み切った瞳で俺を真っ直ぐに見つめた。
「……情報は常に共有するわ。カエサルで何か動きがあれば、すぐにウルシアへ飛竜を飛ばす」
ミストは、白銀の槍の柄を軽く握り直し、俺の胸ぐらを突くように鋭い視線を向けた。
「次は、最初から死力を尽くした連携戦よ。……絶対に、生き残れ」
俺は、無言で右拳を突き出した。
レイズとミストが、一切の躊躇や迷いなく、俺の拳に己の拳を力強く打ち合わせる。
ガシッ。
言葉など、もう一言もいらなかった。
同じ地獄を経験し、絶対的な死線を共に越えてきた者たちだけに伝わる、信頼の打着。
「じゃあな、大将。……次に会う時は、また火竜の火力を見せてやるよ」
レイズとミストが飛竜の背に跳躍する。
強靭な飛竜の脚が王城の石畳を蹴り砕き、爆音のような羽ばたきと共に天空へと舞い上がった。
彼らの背中が、群青の空の彼方へと小さく消えていく。
俺は、その頼もしい背中を、胸の奥をジリジリと焼くような次なる戦いへの覚悟と共に、いつまでも見送っていた。
それから、数日後。
俺は、第二王子ギリーエ、そして第五王子ジークと共に、カエサル軍から特例で借り受けた高速飛竜の背に跨り、分厚い雲海を一直線に引き裂いて飛んでいた。
目指すは――エルフの国【シルア】。
飛竜の背に固定された荷台。俺の足元には、粗末な布で何重にも厳重に包まれた、二つの小さな木箱が置かれている。
中身は……ルーナと、レーオ。
魔族ワーズによって理不尽に命を奪われ、俺たちが地獄と化した瓦礫の中から辛うじて回収できた、彼らの頭部だ。
物理的な重量は、驚くほど軽い。
片手で容易く持ち上がるほどの重さしかない。
だが、この二つの箱は、俺たちの心臓を押し潰し、肺の空気をすべて強制的に吐き出させるほどに……絶望的なまでに重かった。
ジークは、飛竜の揺れに耐えながら、視線を頑なに木箱から逸らし続けている。
彼は胸元のアーティファクト・ヒナワを、自身の肋骨が軋むほど強く抱きしめ、その小さな身体から止まらない微かな震えを、どうにか空の彼方へ逃がそうと必死だった。
ギリーエは、正面の地平線を冷たく見据えたまま、出発してからただの一度も口を開いていない。
普段は言葉を武器にして他国を翻弄するこの男も、今回ばかりは外交の天才としての完璧な仮面の下で、重すぎる王族としての責任を静かに噛み砕いているのだろう。
俺もまた、固く唇を噛み締め、押し黙っていた。
風の轟音だけが、耳を劈くように鳴り響く。
(……ごめんな、二人とも。こんな狭くて暗い箱の中に閉じ込めて)
俺は、足元の木箱にそっと手を触れた。
木箱の表面は、上空の冷気に晒されて氷のように冷たくなっていた。
男は……こういう時、安っぽい慰めの言葉などという生ぬるい免罪符に頼ってはいけないのだ。
ただ黙って、その喪失の責務と痛みを背負い、死者の無念を前へ進むための燃料に変えるしかない。
やがて。
飛竜が高度を下げると、分厚い雲の切れ間から、眼下に広大な緑の樹海が広がり始めた。
木々の緑が、陽の光を反射して宝石のように美しく輝いている。
古の強固な結界に守られし、外部の穢れを知らぬエルフの聖域。
俺たちはこれから、その美しい森の中へ降り立ち。
同族を理不尽に奪われた彼らの家族――長老の元へ……。
この、残酷すぎる最悪の報告を届けに行かなければならない。




