第24章:グリンデル王都ー2
――それは、先ほどまで俺たちと共に行動していた双子エルフの姉、ルーナの生首と、引きずり出された内臓だった。
「……ッッ!!」
ミストの瞳が、一瞬で凍りつく。
「……外道が」
ソーは、両手の拳をギリギリと音を立てて握りしめた。
革手袋の下で、自らの爪が皮膚を裂き、血が滲んでいることすら気づいていない。
「……ルーナ……っ」
ソーの声が震えていた。
純粋な怒りで。仲間を守れなかった悲しみで。
だが――彼は決して倒れない。折れない。それが、ウルシア王国の王族たる者の誇りだ。
俺は、肺の奥深くまで冷たい空気を吸い込み、吐き出した。
「レイズ。ミスト」
俺が名を呼ぶと、レイズがゆっくりとこちらを見た。
その目に、いつものチャラけた遊びの色は寸分たりとも存在していない。ただ純粋な殺意だけが煮えたぎっている。
「コイツらは、お前らに任せた。……俺とソーは、このまま城に入ってワーズを追う」
レイズが、ゆっくりと、口を耳まで裂くように笑った。
それは冗談の笑いではない。目の前の獲物を、物理的にどう解体してやろうかと思考する、本物の死神の笑みだ。
「……任せろ。……原型も残らねェくらい、グチャグチャにしてやる」
ミストも、抜刀しながら静かに頷いた。
「……人間という種族の真の恐ろしさを、骨の髄まで教えてあげるわ」
俺とソーは、城門を塞ぐ二体の魔族を一瞥することすらなく、その横を通り抜けて王城の扉へと向かった。
魔族たちは俺とソーに攻撃を加えることはなかった。
そして俺たちの後方からは、レイズとミストから立ち昇る、陽炎のような圧倒的な殺気が立っている。
それは背後を完全に守り切る、この世で最も頼もしい防壁の火柱だった。
◆
ギギィィィン……。
王城の内部は、外の凄惨な光景とは打って変わって、不気味なほどに静まり返っていた。
血の匂いすらない。
「気をつけよう。……あちこちに、罠が張られているかもしれない。慎重に――」
ソーが警戒心を露わにして足元を確認する。
だが、俺は静かに首を振った。
「……いや。罠は、ない」
ソーが不思議そうに眉を寄せる。
「どうしてわかるんだい?」
「……あいつらの悪意の本質を、さっきの村で戦ってみてわかったからだ」
俺は、薄暗い回廊を見据えながら言葉を選んだ。
「あいつらは……人間を殺すこと、倒すことに策を巡らせない。落とし穴や毒矢みたいな罠を準備して、自分たちの勝率を上げようとなんて、これっぽっちも考えてないんだ」
ソーが、俺の言葉を継ぐように、舌打ちをしながら吐き捨てた。
「……クソ舐め腐ってるな。……奴らがすることは、あくまで人間を絶望させて、恐怖に叩き落とすための悪趣味な工夫だけってことか」
ソーは凶悪な笑み浮かべ言葉を紡ぐ。
「そこが、俺たちにとってのクソ最大のクソ勝機にもなる。……クソ舐めプしてるヤツは、必ずどこかでクソ致命的な油断をする。そこをクソブチ抜く」
俺たちは、罠を警戒する足を早め、城の最深部――最もドス黒い悪意の瘴気が漏れ出している方向へと進んだ。
まるで、鼻が腐臭を自動で追尾するかのように、自然と足が王の間へと向かっていく。
そして――玉座の間。
重厚な扉を押し開けた瞬間。
俺の背筋が、ゾクリと凍りついた。
黄金の玉座。
そこに――ルーナが座っていたのだ。
『……ッ!? 相棒!』
胸元で、ラナの声が低く、鋭く響く。
『でもルーナの首は、すでに城の前に――』
(分かってる。十中八九、ニセモノだ)
俺は、咄嗟に『本物のルーナが生き残っていたと信じたい』という人間の心理を逆手に取る行動に出た。
あえて、騙されたように切羽詰まったような声で叫んだのだ。
「……ルーナッ!! 無事だったか!!」
隣のソーも、俺の意図に半ば気づき、剣の柄に手をかけたまま、いつでも踏み込んで首を刎ねられる絶妙な距離感を保ち、しかしそれ以上は決して踏み込まない。
玉座に座るルーナが、ゆっくりと顔を上げた。
……瞳の焦点が、まったく合っていない。
生きている人間の生気がない。
そして――機械のような、平坦な声が出た。
「……私は、無事だ」
一瞬、俺の頭がバグを起こしそうになる。
城の前にあった首が精巧な偽物で、本物がここに捕らえられているのか? それとも、目の前のコイツがワーズの化けた偽物なのか?
その人間のコンマ数秒の迷いを突くように、ルーナは叫んだ。
「外で……レイズとミストが危ないッ!!」
「……っ!!」
ソーの目が、鋭く見開かれた。
その瞬間、ソーの頭の中で『城の前の首はワーズの変身による偽物で、外の二人がワーズの奇襲を受けている!』という最悪の想像がフラッシュしたのだ。
仲間を想う彼の優しさが、仲間が生きていたと信じたい甘さが、致命的な判断の遅れを生んだ。
ソーは、外の二人を助けに向かおうと、間髪入れずに背後にある扉の方向へと振り返った。振り返ってしまったのだ。
「……実に、甘いですねぇ」
ルーナの姿形をしていたものが、一瞬で墨のように崩れ落ち、その中から漆黒の長髪をなびかせたワーズが姿を現した。
振り返り、完全に背中と首筋を無防備に晒したソーの頭上。
そこに、ワーズの超巨大な大剣『贄喰い』が、すでに音もなく振り下ろされていた。
――万事休す。
ワーズの口元が、勝利の愉悦に醜く歪む。
その行動のすべてが、俺の想定内だった。
――ガギィィィィィィィンッッッ!!!!!!
「……お見通しなんだよ、クソ野郎がッッ!!」
ソーの首筋と大剣のわずか数センチの隙間。
そこに、俺のクリスタルワイバーンの結晶の魔法防壁が、ドーム状に完全展開し、ワーズの必殺の一撃を完璧にガードした。
「なっ……!?」
ワーズの端正な顔立ちが、予測外の事態に対する激怒の表情へと歪んだ。
人間ごときに、自分の用意したシナリオを完全に読み切られ、防がれたことへの純粋な怒り。
だが、彼はすぐにその怒りを押し殺し、冷静で気味の悪いニヤケ面へと戻した。
「……ほう。少しは想像力のある虫のようですね」
「ソー! 戦えるかッ!」
俺が叫ぶと、振り返ったソーの瞳から、完全に光が消え去っていた。
仲間を想う己の優しさを利用され、あまつさえ死の淵まで立たされたこと。
わかっていたのにもかかわらず戦場で自らの甘さを露呈したことへの、自己嫌悪と怒り。
青い瞳が、ドス黒い殺意へと反転する。
「……クソ舐め腐りやがってぇ……ッ!! てめぇの全身の骨と肉を、跡形もねぇクソミンチにしてやらァァッ!!」
激昂したソーが、腰から白銀の聖剣ラナと漆黒の魔剣オボロを同時に引き抜いた。
相反する二つの神話の波動が、巨大な獣の咆哮のように玉座の間を激しく揺るがす。
ワーズが、大剣『贄喰い』を構え直し、冷酷な目で二人を見据えた。
「忌々しい聖剣と魔剣……。その適合者である傲慢を、凄惨な死をもって後悔させてあげましょう」
人類の反撃と、魔族の底なしの悪意。
玉座の間で、極限の死闘の幕が切って落とされた。
◆
場面は遡り――王城の巨大な城門前。
大剣を担ぎ、拳を固く握りしめた竜騎士レイズ。
白銀の聖槍を手に、冷気のオーラを纏うミスト。
二人の前に立ち塞がっていたのは、腰を下ろして優雅に脚を組む男の魔族【リギ】と、その肩に甘えるように寄りかかる女の魔族【ルルミーア】だった。
「ふむ……。人間には戦う前に己の名を名乗り合う、実に滑稽な風習があったなぁ?」
リギが、椅子代わりにしている何かの上で脚を組み直し、見下すように嗤った。
「名乗ろうぞ、人間。誰に殺されたかを冥府で自慢するといい」
レイズは無言のままだ。瞳の奥で、殺戮の炎が静かに白熱している。
ルルミーアが、舌先で赤い唇を舐めながら甘い声で囁く。
「あらぁ、礼儀知らずな虫ケラねぇ。……まぁ、どうせ一瞬で死ぬモノの名前なんて、覚える価値もないけれど♡」
レイズは、鼻で冷たく笑った。
「……礼儀だぁ? お前ら外道どもは……俺たちの言葉を本質として理解できてねぇようだな」
リギが、本気で不思議そうに首を傾げた。
「まあ良い。我が名はリギ。そしてこっちが――」
「聞いてねぇよ」
レイズの声が、氷のように冷え切る。
「てかよぉ……名乗る前に……オメェらそこから退けや。……お前らが腰掛けてんのは……俺たちの仲間なんだよッ!!」
リギは「?」と首を傾げ、レイズが放った言葉の本質を、本気で理解していない顔をした。
「あぁ、このエルフの首と臓腑か。いいだろう、ほれ」
ドカッ
リギは軽い足取りで、脚元にあったルーナの頭部を、まるでゴミ袋かサッカーボールのようにレイズへ向かって蹴り飛ばした。
コロコロ……と、血を流しながら転がる少女の生首。
――その瞬間。
ミストの周囲の空間の温度が、一気に絶対零度まで下げられた。
「……そうか。……貴様らには、言葉を尽くすこと自体が無駄だったな」
ミストの身体から、濃密な青白い魔力と闘力が立ち上る。
レイズの全身からも、大気を揺らす赤い熱気が爆発する。
リギが嬉しそうに目を輝かせた。
「ほう……! これはなかなか。虫ケラの中にも、稀にこうして美味そうな匂いを放つ個体がいる!」
ルルミーアが指先を鳴らす。
「あぁん……早くその首を折って、ドロドロに壊したいわぁ……♡」
レイズが、低く言った。
「行くぞ、ミスト」
「えぇ。……一瞬で終わらせるわ」
次の瞬間――
リギの指先から、地面が長槍のように隆起して二人に襲いかかる。
ルルミーアが手首を翻すと、彼女の肉体が瞬時に薄い真空の刃の霧へと変貌し、全方位から二人を肉片に変えんと切り刻みにかかった。
――だが。
ミストは剣閃一振りの最小限の動作で地の槍を削ぎ落とし、レイズは踏み込みの衝撃波だけで真空の刃を完全に粉砕した。
リギが苛立たしげに舌打ちする。
「虫ケラがぁッ! 我に本気を出させることを恐怖し後悔さ――」
言い終わる前に。
レイズとミストは、先ほどまで爆発させていた闘力と魔力をスッと本来の呼吸へと戻し、まるで訓練場のように呑気に会話を始めていた。
「おい、ミスト。今のよぉ……お前久しぶりすぎて微妙にタイミングがズレたぞ」
「いいえ、違うわねレイズ。……お前が女にうつつを抜かし日頃の鍛錬を怠っているから、魔力と闘力の同調に僅かなズレが生じたのよ」
「は……?」
目の前で自分たちの攻撃を完璧にいなされ、あまつさえ反省会を始められたリギとルルミーアが、あっけにとられて硬直した。
「あ、あらぁ……? あまりの恐怖に、二人とも脳が壊れて狂ってしまったのねぇ……!?」
「ルルミーア、待て。 何かおかしい……一旦ワーズ様の元へ――」
――ズババッッ!!!!
リギが逃走の死角へ跳ぼうとしたコンマ一秒前。
リギの肉体が縦横四等分に寸分狂わず綺麗に切り刻まれた。
ドサッ……と、喋る間もなく血の塊となって崩れ落ちるリギ。
「ひっ……!? り、リギ……!?」
異常を察知したルルミーアは、即座に姿を霧に変え、上空数千メートルの雲海へ向かって超音速で逃走を図った。
「クソ虫どもがぁぁッ! 貴様らなど、ワーズ様が来れば一瞬で――」
――その言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
遥か彼方――約三キロメートル離れた王都の外郭の屋根の上。
ズガアァァァァァァンッッッ!!!!!!
不吉な火薬の轟音が、王都全体の空気を物理的に揺さぶった。
それは、第三王子ジークが両手で抱えたアーティファクト・ヒナワの銃口から放たれた、極限まで圧縮された直径3センチ程の超高濃度火炎光線。
音速の数十倍の速度で天空を貫いたその一筋の紅い閃光は、雲海へ逃げ込もうとしていたルルミーアの頭部を、誤差一ミリもなく完璧に撃ち抜いた。
「がっ……!?」
ルルミーアの全肉体が、超高熱の炎に包まれ、悲鳴を上げる暇すらなく一瞬で真っ白な灰となって空中へと霧散していった。
三キロメートル離れた外郭の屋根の上。
「はぁ……っ! はぁ……っ! シ、シンさんッ! う、撃ちましたッ! 僕……当たりまじだぁぁぁッ!!」
アーティファクト・ヒナワの超巨大な反動で肩を激しく痺れさせながら、ジーク王子が手涙目になり、極限の緊張と歓喜が混ざり合ったすごい顔で叫んでいた。
隣で煙草に火をつけていた海神シンが、白い歯を見せて豪快に笑い、ジークの頭を力任せにワシャワシャと撫で回した。
「よーーーくやったッ! 完璧なタイミングだ! 最高のビッグウェーブだったぜ、兄弟ッ!!」
「は、はいッッ!!」
気弱でどんくさかったウルシア第五王子ジークの完全なる覚醒の瞬間だった。
ジークは、ヒナワの熱い銃身を抱きしめ、遥か彼方の王城の天守閣を見上げた。
(……あとは任せましたよ、ソーくん! ……最高の英雄たちッ!!)
玉座の間。
外での魔族二体の完全消滅の波動を察知し、ワーズの表情から初めて余裕の笑みが消え去った。
「……ほう。貴族ではないとはいえ、私の配下二体をあの短時間で処理してみせますか。……虫にしては、上出来な害虫ですね」
「ハッ! 他人の心配をしてる暇があるなら……自分のクソ首が繋がってるか心配しやがれッ!!」
ソーの放つ聖剣ラナと魔剣オボロの交差刃風が、玉座の間全体を粉砕しながらワーズへと襲いかかる。
俺は腰の魔剣ムラマサの柄に強く手を添え、己の全武装化を覚醒させた。
「行くぞ、ソー!! ……あいつの変身も、絶望も……全部まとめて斬り伏せるッ!!」
「あぁッ! クソ細切れにしてやる」
人類の反撃の真の第一手が、今、王都の最深部で激突するのだった。




