第21章:それぞれの英雄譚ー2
極限の高速飛行に耐え抜き、レイズとミストを乗せた二頭の飛竜は、雲を切り裂いて軍事国家カエサルの上空へと滑り込んだ。
眼下に広がるのは、いつ見ても殺伐とした黒鉄の要塞都市。
無数の鍛冶場の煙が立ち上り、鉄と火薬、そして竜たちの咆哮が混ざり合った、武の国の凄烈な匂いが大気を満たしている。
「おい見ろッ! レイズ様とミスト様だ!」
「竜騎士が帰還されたぞッ!!」
城門の尖塔で見張りをしていたカエサル兵たちが、一斉に歓声を上げて顔を跳ね上げた。
赤と銀の竜騎士のマントを風に羽ためかせ、レイズとミストの飛竜は、王城の広い石造りの中庭へとドガンッと豪快に着地した。
「レイズ殿! ミスト殿! 急なご帰還、一体何が――」
駆け寄ってきたホワイトナイトたちの問いに、レイズは答えない。
鞍から飛び降りたレイズとミストは、そのまま一直線に王城の巨大な大階段へと向かって疾走した。
その大階段の頂点――。
重厚な二開きの鉄扉の前に、巨木のような腕を組んで佇む一頭の山が存在していた。
カエサル最強の竜騎士――竜王ウォール。
漆黒の重甲冑の上からでも目視できる、膨れ上がった鋼の筋肉。
二メートル半を超える圧倒的な体躯と、城門かと見紛うほどの常識外れの肩幅。
立っているだけで周囲の空間の重力を数倍に押し潰すような圧倒的な威圧感と、それと裏腹の、どんな破滅が訪れようとも決して揺るがぬ圧倒的な安心感。
「オジキ……ッ!」
レイズが大階段を駆け上がり、ウォールの目の前でどさりと片膝をついた。
隣に並んだミストも、一糸乱れぬ美しい動作で恭しく頭を垂れる。
「……レイズ、ミスト。ウルシアへ向かったお前たちが、そのような着の身着のままの悲壮な顔で急倒してきたということは……ただ事ではないな」
ウォールの地響きのような低音が、中庭の隅々にまで重く響き渡る。
「ウルシア王国より……人類の存亡に関わる超極秘の急報にございます!」
ミストが、感情を押し殺した冷徹な声で告げた。
「――多種族共存の大国グリンデル王国。魔族の急襲を受け……たった半日で完全陥落いたしました」
……。
周囲にいたホワイトナイトやカエサルの兵士たちの間から、息を呑む音すら消え去った。
空気を揺らしていた飛竜たちの咆哮すらピタリと止まり、中庭全体が凍りついたような静寂に包まれる。
ウォールの黄金の縦瞳孔が、スッと細くなった。
「……詳しく話せ」
たった数文字。だが、その言葉に込められた質量に、ミストの背筋がピシッと伸びた。
「はっ! 祝宴の真っ最中に、血塗れの伝令が飛び込んできました。現れた魔族は……魔王軍の下位貴族ワーズ、ならびにその配下の魔族が四体! ……計五体の魔族の強襲により、グリンデル王都は即座に市街地を蹂躙され、王城は制圧されたとのこと!」
ミストは、手加減も誇張も一切交えず、事実だけを淡々と、そして熱を込めて報告する。
「さらに……グリンデルが誇っていた二名の聖剣の勇者は……王城前広場にて、ワーズの手により首を刎ねられ、死亡。
……その首級は現在も、生き残った市民の見せしめとして城門に晒されております。……二本の聖剣は、完全に魔族の手に奪われました」
「……魔族」
ぽつりと呟いたウォールの声は、どこまでも低く、そして深かった。
「……千年前の封印を破り、ついに動き出したか。それも……下位貴族の一角の急襲だけで、二本の聖剣を擁する大国が一日ともたずに崩壊とはな」
「はい……」
ミストが言葉を繋ぐ。
「千年前の封魔戦争の文献記録によれば……魔王の傘下には、最上位貴族が三名、上位貴族が七名、下位貴族が十名存在したとされています。……今回現れたワーズは、その末端たる下位貴族に過ぎません。上位や最上位ですらないのです」
「にもかかわらず、人間側の最高戦力たる聖剣二本を持つ国が、防衛の陣すら作れずに敗北した、か」
ウォールは、空を見上げ、深く、重い吐息を白く吐き出した。
「レイズ。……何か言いたそうだな」
ウォールの黄金の瞳が、眼前で膝をつくレイズを真っ直ぐに見下ろした。
レイズは悔しそうに歯を噛み締め、両の拳を固く握りしめて震わせていた。
「……あぁ! 言いたいことだらけだぜオジキ!! 今すぐにでも飛竜でウルシアへ引き返して、あいつらと一緒に、グリンデル奪還作戦に全突っ込みしてぇよ! だが……ッ!」
レイズは、そこで言葉を強く噛み切った。
苦渋と、葛藤に満ちた表情。
「……魔族の本当の戦力は、まだ完全に未知数だ。もし……俺とミストがグリンデルへ向かっている隙に、このカエサル本国へ上位貴族や最上位貴族クラスの魔族が襲来したらどうする……!? オジキの足元を支えるために、俺かミストのどちらか一方は、絶対にこのカエサルに残らなきゃ……ッ!」
――ゴツンッッ!!!!!
雷が落っこちたかのような、凄まじい破壊音が王城の中庭に爆ぜた。
「ぶぎゃあぁぁぁぁぁぁッ!?!?!?」
頭頂部を容赦なくブチ叩かれたレイズが、地面の石畳を砕きながら派手に前転し、無様に転がった。
「い、いってぇぇぇぇッ!? いきなり何すんだよオジキッ!? おいミスト!! オレの鼻から脳みそ出てねぇか!?」
「――竜王ウォールを、見くびるな」
ウォールは、深く息を吐き、巨躯をゆっくりと直立させた。
その背中から放たれる圧倒的な竜の闘気が、中庭全体の空気をミリミリと震わせる。
「このカエサルの地には、俺がいる。……ただそれだけの事実で、国家の防衛としては何一つ揺るぎなく完全だ。お前たちが留守番として残る必要など、最初から寸分たりとも存在せん」
ウォールは、頭を押さえて悶絶するレイズと、冷静に立ち尽くすミストの二人を、真っ直ぐに凝視した。
「改めて命じる。――竜騎士レイズ、竜騎士ミスト」
「「はッ!!」」
「お前たち二人は……直ちに飛竜に乗り、ウルシアへ戻れ」
王城の中庭の空気が、ピリッと張り詰める。
「お前たちが今、騎士として立つべき真の戦場は……カエサルではなく、あちらだ。……ウルシア王国、そして人類の志を同じくする強者たちと共に、グリンデルの地へ殴り込み、奪還を果たしてこい!」
重く、苛烈で、だがこれ以上なく温かい全幅の信頼が込められた言葉。
レイズは、血が出るほど強く歯を食いしばり、その命令を全身で受け止めた。
不安も、迷いも、焦りも、その言葉で綺麗サッパリと吹き飛んでいた。
「……了解だッ! すまねぇ、オジキッ!!」
レイズがガバッと顔を上げた。その瞳には、血に餓えた勇猛なカエサルの竜騎士の光が、爛々と戻っていた。
「カエサルが誇る竜騎士レイズ!
同じく竜騎士ミスト!
これより再び空を駆け、グリンデル王国を奪還し、魔族の首をブチ斬ってまいりますッ!!」
「うむ。……良い面構えだ」
ウォールは、満足そうに口元を吊り上げて頷いた。
「本国の最高峰の飛竜を、四頭持っていくがいい。……最速で駆けつけ、最速で敵を打ち倒してこい!」
「マジかよッ!? 四頭も!? オジキ、太っ腹ぁ~っ!!」
「……竜王を太い腹などという品のない言葉で形容するな。腹筋でお前の頭蓋骨を砕くぞ」
「どうやってやるんだよそれぇぇッ!?」
そんな、いつものカエサルらしいバカみたいなやり取りを最後に――。
レイズとミストは、新たに追加された四頭の精鋭飛竜を従え、再びウルシアの空へ向けて力強く飛び立っていったのだった。
二日後――。
ウルシア王都の青く澄み切った大空に、黒い点が四つ、雲を切り裂いて現れた。
「……来たね」
王城の最も高いバルコニーで、腕を組んで空を見上げていたソーが、静かに呟いた。
隣で、ワイングラスを傾けていた第二王子ギリーエが、糸のように細い目をさらに細めて、腹の底が見えない笑みを深める。
「ふふ……竜王ウォールも、流石は話が分かる。……さあ、ここからが本当の人類の反撃の始まりだよ」
◆
それから、二週間の月日が流れた。
ウルシア王城の作戦会議室。
普段は各国の使節団すら立ち入りを拒まれるその重厚な大広間に、イーリス大陸の各地から集結した規格外の猛者が一堂に会していた。
会議室の空気が、発せられる威圧感だけで目に見えるように歪んでいる。
「――まずは、今回のグリンデル奪還作戦に集いし、各国の最高戦力たちの顔合わせと行こうか」
円卓の最上席に立ち、場を仕切るのは外交の天才・第二王子ギリーエだ。
「彼のことはすでに全員知っていると思うが、一応紹介しておこう。……我がウルシア王国最強の雑用係にして、武装化使い。……そして、この理不尽な最終戦争における我らの最大の切り札だ」
「……もう雑用係って言うな。一応、命懸けて修羅場くぐってきてるんだから」
俺が速攻でボヤくと、重苦しい会議室のあちこちから、クスリと小さく緊張の解けた笑いが広がる。
「続いて……南方の海洋国家オーシャン代表。冒険者ギルド最高峰。海神のシン殿」
「よっ」
ひょいっと、適当に片手を上げる大柄な男がいた。
浅黒く焼けた肌に、無造作に束ねた金髪。胸元を大きくはだけさせた涼しげな青いシャツ。
首筋や太い腕には、巨大な深海よ神獣の骨や牙、貝殻で作られた、禍々しくも美しい装飾品がジャラジャラと鳴っている。
一見すれば、港町の酒場で女を口説いていそうなチャラいイケオジだ。
「オーシャン最強の冒険者だの、海神だの、周りが好き勝手に呼んでるだけだけどさぁ」
シンは、ギラリと白い歯を見せて、呑気に笑った。
「中身はただの酒と海が大好きな、どこにでもいるただのおっさんだ。……よろしくな、勇者様たち」
(軽いな、このオッサン……)
『ねぇ、相棒。騙されちゃダメだよ』
胸元のペンダントから、ラナの厳戒態勢の声が脳内に直接届く。
『このオッサン……体内の魔力の巡りが、まるで深海の底なしの渦潮みたいに渦巻いてる。……恐ろしく強いよ、めちゃくちゃね』
(あぁ、オレでも分かる。……皮膚がピリピリする)
「シン殿は、オーシャン国内においてはあの聖騎士ローディオ殿に匹敵するとまで噂されている絶対者だ」
ギリーエが、笑顔で恐ろしい補足を入れる。
「海の上であれば、あの竜王ウォール閣下すら上回ると言われている。……実に頼もしい味方だ」
「おうよ。本物の魔族だか何だか知らねぇが……陸で調子こいてるバケモノなら、深海に沈めて水圧でグチャグチャに潰してやるさ」
シンが、親指で己の首を滑らせる仕草をしてみせる。
そのチャラい言動の裏側に張り付いた、本物の強者の冷徹な眼光に、俺は生唾を飲み込んだ。
「続いて……エルフの秘境、シルア国代表。聖樹の守り人――ルーナ殿、ならびにレーオ殿」
「……よろしく、お願いします」
静かで、透き通るような鈴の音のような声で頭を下げたのは、長い白髪を腰まで伸ばした美しいエルフの少女だった。
芸術品のように繊細で美しい顔立ち、尖った耳、雪のように白い肌。
ルーナ。その無表情な瞳は、冷徹に部屋全体の戦士たちの能力を見極めている。
「ボクはレーオ! よろしくね〜っ!」
その隣で、同じ顔をしたエルフの少年が、にこやかに手を振った。
レーオ。双子らしく瓜二つの容姿だが、性格は完全な正反対。口元には常に無邪気な笑みが浮かんでいるが、その瞳の奥には猛獣のような残虐な光がチラついていた。
「ボクたちさぁ、聖樹様の絶対の加護を受けてるから」
レーオは、軽い調子で背中の巨大な黒木のアタッチメント弓を弄る。
「遠距離からの射撃なら、ちょっと自信あるよ? 魔族だろうが、人間だろうが、空飛ぶ鳥だろうが……二千メートル先から頭蓋骨を綺麗に打ち抜いて、等しく穴だらけにしてあげる」
「……そういう悪趣味な言い方はやめなさい、レーオ」
ルーナが、淡々と双子の弟の脇腹を肘で突く。
「……はぁ。でも……言っていること自体は、事実です」
「でしょー?」
レーオが無邪気に笑う。
「この二人は、エルフの国シルアで神の弓と謳われる双子だ」
ギリーエが短く補足する。
「そして……最後に」
ギリーエの視線が、会議室の一番隅で小さくなっていた人物へと向いた。
「我がウルシア王国、第五王子――ジーク・ウルシア」




