第16章:氷炎の狂乱ー2
狂乱するレオンとシグルドをミストたちに託し、俺とソー、レイズの三人は、玉座の瓦礫で嗤うコラキとクエルボへと一直線に駆け出した。
◆
――ガガァァァァァンッッッ!!
背後で、ミストの氷槍とレオンの双剣が激突し、爆発のような轟音が響き渡った。
火花が視界を白く染め、ミストの足が石畳を深く抉りながら一歩、二歩と後方へ滑る。
(くっ……重い……ッ!!)
ミストは奥歯を強く噛み締めた。
百倍に膨れ上がった闘力。剣の軌道自体は普段のレオンのそれと同じはずなのに、一撃に込められた質量が、まるで突進してくる城壁を真正面から受け止めているかのような異常な重さだった。
横では、魔導士シグルドの振るう重斧が、防御に回ったホワイトナイトの分厚い大盾を、まるで薄いウエハースのように軽々と粉砕して吹き飛ばす。
「下がれッ!」
ミストが左腕を大きく払うと、足元の大地から高圧の水柱が噴き上がった。
水は空中で瞬時に絶対零度に凍りつき、分厚い氷の防壁となって、百倍の暴力の余波をギリギリで受け止める。だが、その氷壁にも一瞬で無数の亀裂が走った。
「……本当に、悪趣味で厄介なアーティファクトだな」
ミストは、冷徹な氷の瞳で暴走するかつての部下たちを睨み据えながら、周囲の騎士たちに鋭い指示を飛ばす。
「聞け! レオンとシグルドの急所は絶対に狙うな! 腱と関節の稼働部のみを狙え! 重ねて、物理と魔術の二重で拘束しろ!」
「はっ!!」
ホワイトナイトたちが聖なる鎖を放ち、魔導士たちが足元に幾重もの拘束魔法陣を展開する。
――だが。
「オォォォォォォッ!!!」
百倍の魔力と闘力で暴れる二人は、獣のような咆哮を上げ、絡みつく聖鎖すらも純粋な腕力だけでブチブチと引き千切って前へ這い出てくる。
「ヒヒヒッ……! いいなぁ、いいなぁ! 実に最高だねぇ!」
瓦礫の上から、コラキの気味の悪い笑い声が広間に響き渡る。
「昨日まで背中を預け合っていた味方同士で、血みどろになって醜く殺し合い、傷つけ合う! これ以上、最高に趣味のいい見せ物はないねぇ!」
「――黙れ」
ミストの氷の瞳に、獰猛な竜の殺意が宿った。
「お前のその下劣な悪趣味に、これ以上付き合ってやるつもりはない」
氷の槍がきらめく。
レオンの放つ必殺の双剣の軌道を、槍の腹で紙一重で受け流したそのわずかな硬直の隙。
ミストの鋼のブーツが、レオンの膝へと、冷酷なまでに的確な蹴りを叩き込んだ。
――ゴキァッ。
百倍の闘力で強化されていようが、関節の逆方向への可動域には限界がある。
レオンの膝関節が、嫌な音を立てて完全に逆方向へとへし折れた。
「……ッ!!」
声にならない激痛に、レオンの顔が大きく歪み、体勢が崩れる。
そのコンマ一秒の隙を、カエサルの精鋭たちが見逃すはずがない。
四方八方からホワイトナイトたちが一斉に飛びかかり、大盾で巨体を押し倒し、腕の関節を極め、さらに太い魔法の鎖で何重にも亀甲縛りに縛り上げる。
「一人、完全拘束完了ッ!」
ミストは確認する間もなく、すでにシグルドの方へと向き直っていた。
シグルドの重斧が、狂った遠心力で振り下ろされる。地面がクレーターのように抉れ、石片が散弾銃のように飛び散る。
七つ星冒険者の一人がその斧の柄をギリギリで受け流し、もう一人が背後の死角からシグルドの脚の腱へと刃を滑らせた。
血飛沫が上がる。それでも、百倍の闘力に支配されたシグルドの突進は止まらない。
「――いい加減に、少し頭を冷やせ」
ミストの氷槍が、地面を強く突いた。
「――眠れ」
シューーッ……!
槍の穂先から水蒸気が一瞬で立ち昇り、極寒の冷気と共に濃密な霧が弾けた。
空気を凍らせる霧の中に、高濃度の睡眠魔法を強制的に混合させた広域デバフ。それが、シグルドの全身をすっぽりと包み込む。
百倍の闘力が強引にそれを振り払おうとするが、脳髄に直接作用する魔術の霧を吸い込んだ肉体は、徐々にその機能を停止させていく。
そこへ再びホワイトナイトたちが飛びかかり、その巨体を完全に床へと押さえ込んだ。
「今だッ!」
「二人目、拘束完了ォッ!!」
レオンとシグルド――最悪のバフを受けた狂戦士二人を、ミストたちは文字通り犠牲ゼロで完全に制圧してみせたのだ。
その背後で、前衛の三人が、ついに八咫烏の幹部へと肉薄していた。
◆
「――来い」
クエルボが、無機質な氷の瞳でこちらを見下ろし、右手のアーティファクト・コルトの銃口を真っ直ぐに向けたまま、静かに言い放った。
「竜と烏。……どっちが上か、言うまでもねぇだろ」
「烏ごときが てめぇ、そのクソ無表情のツラで、クソ生意気にイキってんじゃねぇぞ三下」
竜騎士レイズと第四王子ソーが、それぞれ武器を掲げて獰猛に嗤う。
「火を統べる竜騎士と、聖魔を宿す王子、か」
クエルボの瞳が、僅かに興味の光を帯びる。
「俺とこの《コルト》に対し、貴様ら如きの武力がどこまで通用するか――見せてもらおう」
次の瞬間、広間の気温が一気に数十度、急降下した。
吐く息が真っ白に凍りつく。床の石畳に、一瞬でうっすらと霜が降りていく。
「っぶねぇ!!」
レイズが反射的に後方へ飛び退いたその直後、彼が立っていた空間の地面から、鋭い氷柱が串刺しにするように突き出した!
クエルボの放つ異常な冷気が、俺たちの体温を奪い、身体能力を強制的に低下させていく。
「おいおい! 地形まで味方につけるとか、反則だろ!」
「二対一で群れて挑んでくる者が、何をほざく」
クエルボの足元から、無数の氷の針がミサイルのように射出される。
それを、レイズの振るう大剣が、炎を纏ってまとめて粉砕する。
「ソー!!」
「分かってらッ!」
ソーが、凍りつく床を滑るようにして高速で駆ける。
右手の聖剣ラナが、白銀の光を放つ。第一能力――神獣召喚。
「――《顕現、一爪》ッ!!」
虚空から、巨大な神獣の爪だけが実体化した。
透明な光で編み込まれた、絶対的な神獣の前足。その純粋な暴力が、クエルボの頭上から容赦なく振り下ろされる!
だが――クエルボの周囲の空間が、一瞬だけ、グニャリと陽炎のように歪んだ。
「……大気の記憶を、書き換えた」
ガガァァァァァァンッッ!!
見えない空気の盾が、神獣の爪の直撃を完全に受け止めて弾き返した。
《コルト》の力だ。クエルボの周囲の空気と水蒸気が、『自分はダイヤモンドの硬度である』という偽りの記憶を上書きされ、一瞬だけ絶対防御の壁として機能したのだ。
「チッ……どんなクソ原理だよ、クソ理不尽すぎだろ」
ソーが悪態をつきながら、左手の魔剣を逆手に構え直す。
「――オボロッ!!」
魔剣オボロの漆黒の刃に、ドロドロとした朧が纏わりつく。
第二能力【朧纏い】。ソーの輪郭が完全にブレてぼやけ、この世界から存在の焦点が外れた。
クエルボがコルトの銃口を向ける。
だが、彼の脳内から、ソーの姿と存在が記憶から滑り落ちていく。認識阻害の極致。
「……ふむ」
クエルボは一切の動揺を見せず、なんと自分のこめかみにコルトの銃口を当て、迷いなく発砲した。
パァンッ!!
「なッ!?」
消え去った記憶を、コルトの力で無理やり自分自身の脳に上書きし、即座に呼び戻したのだ!
認識を取り戻したクエルボの眼前に、朧の斬撃が迫る。
ソーは舌打ちし、回避を優先してバックステップで離脱した。
「――上出来だ、王子様よ!!」
レイズの声が飛ぶ。
クエルボが即座に振り向き、巨大な氷の壁を生み出す。
その分厚い氷壁の向こう側から、レイズの炎を纏った大剣が、壁ごと両断せんと襲いかかった。
氷と炎、鉄と魔力がぶつかり合い、鼓膜を破るような金属音が広間に轟き渡る。
「しっかりついてこいよ、王子様!」
「てめーもな、竜騎士!」
レイズが正面からゴリ押し、ソーが死角から朧の斬撃を放つ。
二人の連携は、口の悪さに反して、長年組んできた相棒のように妙に息が合っていた。
「おい王子様! お前、王族様のくせに良い動きするじゃねぇか!」
「てめーこそ、女口説いてる時のヘラヘラした顔とのギャップがクソひでーな!」
「ハッ、最高の褒め言葉として受け取っとくぜ!」
レイズの大剣が、凍りついた地面を叩き割りながら突進する。
ソーの朧纏いが、その後ろで流星のように揺らめき、クエルボの死角を完全に封じ込める。
クエルボの周りで、連続してコルトの銃声が弾けた。
床の石畳の記憶が書き換えられ、突如として地面が底なし沼のように崩落する。
「っ!」
レイズは崩れゆく瓦礫を足場にして空中へ跳躍し、ソーは側面の石壁を垂直に駆け上がる。
(――こいつ、コルトで物質の記憶を書き換えて、戦場の地形そのものをリアルタイムで自分に都合よく作り替えてやがる)
ソーが歓喜に舌を鳴らす。
(クソ面白ェ……! こういう理詰めで戦うスカした化け物ほど、グチャグチャに斬り刻み甲斐があるってもんだ……!!)
「――遊びは、終わりだ」
クエルボが、冷徹な声と共に、壁を走るソーの心臓へとコルトの銃口をピタリと向けた。
今度装填された弾丸は、さっきまでの物理的な干渉弾とは違う。
まるで、脳髄に直接干渉するような、薄く不気味な紫色の霧の光をまとっている。
「アーティファクト・コルトの真骨頂――【記憶改ざん弾】。……お前はこれから、『俺の忠実な部下であった』という偽りの記憶を持って、俺のためにその命を消費して生きることになる」
パァァァンッ!!
無情な銃声が響く。
「ソーッ!! 避けろォォッ!!」
レイズの叫びは、コンマ一秒遅かった。
紫色の弾丸は、空中にいたソーの胸の中央を、寸分の狂いもなく正確に撃ち抜いたのだった。
◆
――ソーの意識の世界が、真っ白に濁っていく。
深い精神の海の底。
柔らかな声と穏やかな笑みを持つ善のソーの人格が、ふわりと水面へ浮かび上がってきた。
『……俺を、庇うんじゃねぇよ。お人好しが』
背後から、黒い靄を纏った悪のソーが、忌々しそうに舌打ちをする。
『よりによって……この俺様が、お前みたいな甘ちゃんに助けられるとはな』
「でも――これで、大丈夫だよね」
善のソーは、一切の恐怖を見せず、悪のソーの肩にそっと手を置いた。
「この弾丸の呪いは、僕が全部引き受けて眠るよ。……あとは、頼んだよ。おにいちゃん」
その優しい言葉と共に、善の人格は、紫色の呪いに包まれて深い深い精神の海の底へと、静かに眠りについた。
記憶が書き換えられていく。善のソーの中では、今は『八咫烏が味方』という偽りの記憶が完全に構築されているはずだ。
だが――。
『……ハッ。残念だったな、三下』
悪のソーは、暗闇の中で狂暴に嗤った。
『俺の記憶は……1ミリも書き換わってねぇよ』
◆
「さぁ、王子。こちらへ来い。お前の主は俺だ――」
クエルボが、勝利を確信し、ゆっくりと言いかけたその瞬間。
着地したソーの瞳の色が、劇的に変わった。
一瞬見せた柔らかな光が完全に消え失せ、ドス黒く、そして純度100%の殺意に満ちた暗い炎が灯る。
「……悪ィな、スカした三下野郎」
地獄の底から響くような、低く、ドス黒い声。
「俺の中には、二人の人間がいんだよ。……こっちの俺の記憶は、何一つ変わってねぇんだわ」
魔剣オボロの漆黒の刃に、かつてないほど濃密な朧が爆発的に纏わりつく。
「なッ……二重、人格だと……!?」
クエルボの無表情な顔に、初めて明確な驚愕の色が走った。
慌ててコルトの銃口を構え直す。だが、その一瞬の動揺が生んだコンマ数秒の遅れは、ソーの前では致命的すぎた。
「《朧纏い》――」
ソーの輪郭が、完全に世界から消失する。
クエルボの視界からも、魔力探知からも、認識からも、たった一瞬だけ、ソーという存在がこの宇宙から完全に消え去った。
「――《朧斬》」
クエルボの背中に、氷のような冷たい感触が走った。
自分の体が、右肩から左脇腹にかけて、綺麗に斜めに二つに滑り落ちていく感覚。
クエルボは、背後に立つソーへ振り向くことすらできなかった。
「……そういう……仕組み、か……」
血の海に沈みながら、クエルボは自身の敗北の理由を悟り、わずかに呟いた。
「……コルトの能力は……着弾した瞬間に表層に出ていた人格しか……書き換えられない、か。……最後の最後で、器の本質を……見誤ったな……」
ソーは、血の滴る魔剣オボロを見下ろしながら、冷酷に吐き捨てた。
「俺は、片方が眠らされてる間に、もう片方の俺が自由に身体を動かすこともできるからな。……ま、クソ偶然の産物だ。あのバカなお人好しに感謝だな」
クエルボの血の気のない唇が、わずかに笑みの形を作った気がした。
「……やはり、お前たちは……予測を超えてきて……面白い……」
そして――氷獄と呼ばれた八咫烏は、そのままピクリとも動かなくなった。




