第15章:最強の男ー3
【魔剣ムラマサ】
その能力は、刀に触れている者の記憶だけを完全に保持したまま、この世界の時間をきっちり「五秒間」巻き戻すという、デタラメな代物だ。
一度発動すれば、再使用までに五秒の時間を要するが、絶対的な死を回避するにはそれで十分すぎる。
「うる、せぇ……」
だが、息をつく暇はない。
「――行くぞ。本番前の前哨戦だ!!」
言い終わる前に、再びローディオが消える。
次はどう来る? 同じ軌道か? それとも俺の対応を読んで変えてくるか!?
魔の五秒間。
クールタイム中のこの五秒が、永遠のように長く感じられた。
(ここだッ!!)
俺は、先ほどの記憶をフル回転させ、ローディオの拳が俺の側頭部めがけて突き出されるコンマ一秒の初動を読み切った。
逃げれば殺される。なら――逆に踏み込む。
俺は黒龍の推進力と翼を全開にし、ムラマサの腹でローディオの拳の軌道をギリギリで斜めに受け流す。そのまま、巨体の腕の外側へと滑り込むように死角へ入り込んだ。
骨が軋む。腕が痺れる。
それでも――さっきよりは、ずっとマシだ。
「ほぉ?」
ローディオの目が、一瞬だけ驚きに見開かれた。
「小僧。何回か、巻き戻したのか?」
「いや? 初見だが?」
俺は脂汗をかきながら、バレバレの見栄を張ってやった。
「ガッハッハ! そういうことにしておいてやるよ!」
ローディオは一歩、二歩と後ろへ下がる。先程までの豪快な笑顔は鳴りを潜め、歴戦の聖騎士としての冷徹な顔になっていた。
「まぁいい。五秒前のパターンを覚えて、次の行動を選び直せるわけだ。それができりゃあ、死ぬ確率はぐんと減る。……だがな、坊主。ムラマサは死にかけた時の保険で終わらせるには惜しい剣だ」
「……どういう意味だ?」
「五秒あれば、人間は何ができる?」
俺は荒い息を整えながら、指を一本ずつ折り畳みながら言った。
「敵の癖を見る。敵の魔法の詠唱時間を数える。罠の位置を確認する。仲間の動きを見る。……とかか?」
「ああ、そうだ! 大正解だ!!」
ローディオは、ニヤリと悪魔のように笑った。
「つまりだ。――全部やり直す前提で、無茶な特攻がノーリスクでできるってことだ」
なるほど、と喉の奥で息を呑んだ。
五秒戻るってことは、五秒間、どんなに無茶をして致命傷を負っても、すべてが帳消しになるってことだ。
『つまり、絶対に死なないって前提で、死ぬほど敵の懐に突っ込めるってことだね〜!』
ラナが、恐ろしい事実に気づいて楽しそうに笑う。
「防御を完全に捨てて突っ込んで、殺されかけて、戻って、次は殺されない確実な道を選ぶ。……敵からしたら、未来予知してくる悪夢みたいな相手だぞ、お前は」
ローディオは、俺の手にある魔剣ムラマサを指差した。
「だがな――その五秒の死線で見たものを、全部覚えておける冷静な頭脳と、次に選び直せる鋼の心を育てとかなきゃ意味がねぇ」
「……心?」
「そうだ」
ローディオは、俺の目を真っ直ぐに射抜いた。
「死にかけたあと。脳髄に激痛と恐怖の記憶を抱えたまま、もう一度同じ場所に、同じ速度で飛び込めるか? ……普通の奴は、ここで絶対に足が止まる」
胸の奥が、ちくりと鋭く痛んだ。
オルド。
ラナ。
ミリアで理不尽に死んでいった仲間たち。
あの時、俺の足は一時的だったが恐怖ですくんで動けなかった。
(――飛び込めるさ)
自分でも驚くくらい、一切の迷いのない即答だった。
「死にに行けば、仲間が死なずに勝てるルートが見つかるんだろ? 行くしかないだろ、俺たちには」
『……うん、そういう泥臭いところ、すっごく好きだよ相棒』
「ん? なんか言ったか? ラナ」
俺がペンダントに問いかけた、その言葉が言い終わるよりも前に。
「――ガーーッハッハッハッハッハッ!!!!!」
うーるっさ!!
空気を読まないローディオの超特大の笑い声が、訓練場の空気をビリビリと震わせた。
「よぉぉぉーし!! いい顔だ! 最高のツラ構えになったじゃねぇか小僧!! じゃあ、その言葉が嘘じゃねぇってことを証明してもらうために、今から本気の死ぬ練習を百回連続でやるぞ!!」
「ちょっ、待て! 物騒な言い方やめろ! アンタの出力だと本当にミンチになるから、ちゃんと手心加えて調節してくれよ!!」
「うーむ! 努力する!!」
「努力じゃダメだ、確約しろォォォッ!!」
結局、その日だけで俺は百回どころか、軽く二百回は死ぬ直前まで追い込まれた。いや、ワンチャン2、3回は死んでる気がする。
ローディオの転移からの不意打ち。ウォールの岩盤を砕く竜の蹴り。投げ、絞め技。時には、遠距離からの回避不能な魔法のつぶて。
瞬間転移したローディオの腕だけが突然背後に現れて、首根っこをへし折りに来ることもあった。
そのたびに、魔剣ムラマサの刀身が黒紫の光を放ち、世界が巻き戻る。
最初は恐怖の反射で叫んでいた「巻き戻し」も、二百回も殺されかければ、最後の方は感覚と無意識だけで発動できるようになった。
五秒前の自分。五秒後の未来。
行き来するうちに、俺の頭の中にもう一つの別の時間軸のレイヤーみたいなものが刷り込まれていく。
夕暮れ頃。
周囲がすっかり朱色に染まった頃、ようやくローディオが手を下ろした。
「――よし、今日のところはここまでだ」
ドサッ。
俺は地面にへたり込み、大の字に仰向けになった。
全身汗まみれで、肺が火を噴きそうだ。指一本動かす気力すらない。
「お疲れさん」
ローディオが、俺の肩をポンと叩く。その手は、さっきまでの殺意満載の死神の手とは別物みたいに、大きくて温かかった。
「……マジで、死ぬかと思った……」
「短い時間しかやってないぞ! と言おうと思ったが、お前は何度も時間を巻き戻してるから、俺たちより何倍も長く感じるのか! ガッハッハ!」
思ったこと全部言っちゃうオヤジだ。
『でも……もう、五秒の感覚に完全に慣れたでしょ?』
ラナの声に、俺は無言で頷いた。
「まぁな……。五秒って、思ってたよりずっと長いし、重い」
「そうだ。その感覚を絶対に忘れるな」
ローディオは、夕焼けの空を仰ぎ見ながら静かに言った。
「お前の持つ五秒は、普通の奴の五秒とは重みが違う」
「明日もやる。次は、八咫烏のアジトを想定した実戦形式だ」
ウォールが、容赦のない声で宣告する。
「まだ、やるのか……」
「当然だ。お前は八咫烏のアジトの最深部に突っ込むのだ。死なないための保険くらいは、徹底的に使いこなしてもらわんとな」
◆
そんな地獄みたいな死の二百本ノックが、一週間続いた。
ムラマサの柄を握るだけで、頭のどこかの回路が勝手に五秒後と五秒前のシミュレーションを並列処理で開始するようになる。
ローディオの転移拳だけじゃない。ウォールの竜の斧槍、ミストの絶対零度の氷槍、七つ星冒険者たちの超広範囲魔法。
ありとあらゆる必殺の攻撃パターンを、「一度わざと喰らって死にかけてから、最適解を覚え直す」という、冷静に考えると相当イカれた特訓だった。
『ねえねえ、最近さ』
「なんだよ」
『相棒……死ぬことに、慣れてきてない?』
「やめろ、不吉な言い方。……でも、確かにそうだな」
俺は自嘲気味に笑った。
『もし今のイカれた戦い方に慣れきったあとで、魔剣ムラマサを手放す時が来たら、戦場で棒立ちになっちゃってウケるね』
「全然ウケねぇよ、笑い事じゃねぇ」
そうぼやきつつも――俺の心のどこかで、この理不尽な世界でようやく手に入れた戦うための絶対の牙への少しの誇らしさと、人間性を削り取られていく拭えない不安が、雪のように積もっていったのだった。
◆
そして、八咫烏殲滅作戦の開始前日。
さすがに今日は「直前の詰め込みは悪影響だ」ということで、ローディオからも正式に休みの許可が出た。
『やったー! やっとデート日和だね!』
「誰とだよ」
『私と、でしょ!』
「俺とムラマサのデートです〜」
俺が軽口を叩くと、ラナはペンダントの鎖を物理的に縮めて、俺の首を遠慮なく締め上げてきた。痛い。
「……それにしても、すげぇ国だよな、ここは」
俺は首をさすりながら、カエサルの城下町を歩いていた。
巨大な黒鉄の城壁、高くそびえる防衛用の尖塔。並ぶ店は武器屋、防具屋、魔道具屋ばかり。さすが軍事国家、どこを見渡しても戦う準備に満ちている殺伐とした街並み。
それでも、路地裏の露店からは、無邪気な子どもたちの笑い声と、串焼き肉の香ばしい匂いが漂ってきた。
明日、もしかしたらこの強固な街も、八咫烏の急襲によって火の海になるかもしれないのに。
――それでも、人は、力強く日常を続けているのだ。
『ねぇ』
ラナが、ぽつりと寂しげな声で言った。
『……怖い?』
「……当たり前だろ」
即答だった。
「でも――行くしかない」
『うん。そう言うと思ってた』
ペンダントが、俺の胸元で温かく、小さく揺れた。
◆
夜。俺は一人で、カエサルの兵士たちが集う酒場の片隅にいた。
カエサルの酒場は、ウルシアと違ってやたらと天井が高く、広い。壁には巨大な竜の牙や、討伐された巨大モンスターの骨が所狭しと飾られており、「いかにも武勲の国!」というむさ苦しい雰囲気だ。
そんな喧騒の中、一番奥の薄暗い席に、見慣れた大男が一人で座っていた。
「よぉ、小僧」
ローディオ。手には巨大な木製のジョッキ。すでに何杯もエールを空にしているようだった。
「座れ」
「男と二人きりで飲む趣味はない」
「座れ」
「はい」
有無を言わさぬ圧に押され、俺は大人しく向かいの席に腰を下ろした。
店主が謎に気を利かせて、俺にはアルコール度数の低い薄い果実酒を持ってきた。こんなもんほぼジュースだ。
ローディオは豪快に笑いながら、ジョッキを煽った。
「明日は人類の命運を懸けた大仕事だ。……今夜くらいは、少し肩の力を抜いておけ」
「……アンタに真正面からそう言われると、逆に力が入るよ」
「俺が力を与えているのかぁ!? ガッハッハ!」
豪快に笑いながらも、今日のローディオの目は、いつも以上に穏やかで、そして深く澄んでいた。
「……怖いか?」
「それ、さっき別の奴にも聞かれたよ……」
「答えは変わらんか?」
「ああ。変わらんよ。死ぬほど怖い」
ローディオは「よし」と静かに頷いた。
「怖いままでいい。戦場では、恐怖が消え去った奴から順番に、命も消えるからな」
「……アンタが言うと、全然冗談に聞こえないな」
「冗談じゃねぇからな」
ローディオは、ジョッキの残りを飲み干し、テーブルに置いた。
「俺も、怖いぞ」
「……は?」
俺は思わず耳を疑った。
「俺は明日、たった一人でこの広大なカエサル本国を守るんだぞ? 万が一、八咫烏にしてやられて防衛に負けたら、笑えねぇ。この国の民も、仲間も、全部が炎に焼かれて全滅だ」
「でも、アンタなら――」
「ああ。勝つさ、当たり前だろ」
ローディオは、一切の気負いもなく、呼吸をするようにあっさりと言い切った。
「怖いまま、震えたまま、足もすくんだまま――それでも、足を前に踏み出す。……それが、本物の勇気ってやつだろ?」
その言葉が、熱を帯びて俺の胸の奥底にじんわりと染み込んでいく。
『……ねえねえ』
ラナが、優しい声で笑う。
『なんか、頼れるお父ちゃんって感じだよね』
「分かる」
「ん? 何の話だ?」
「いや、こっちの話だ」
俺とラナの脳内での掛け合いを、ローディオは首をかしげて流した。
「小僧」
彼は、真面目な歴戦の戦士の声に戻った。
「明日から、お前は死ぬほど忙しくなるぞ」
「……出撃前夜に、縁起でもない言い方するなよ」
「魔剣の巻き戻しも、お前の持ってるバケモノの武装化も――出し惜しみせず、全部使え。少しでも手を抜いたら確実に死ぬ。本気で全部出し切っても、死ぬときゃあっけなく死ぬ」
ローディオは、俺の腰にある魔剣ムラマサを顎で指した。
「だが、お前にはもう一度やり直せる剣がある」
「何度五秒戻しても、どうしても打開できねぇ、絶対に勝てねぇ絶望的なバケモノにぶち当たったら。……次の五秒で、大声で俺を呼べ。俺が空間を跳躍して、そいつの頭を力任せにブチ割って何とかしてやる」
「…………」
「五秒戻せば、お前たちの連携で勝てる相手なら――お前たちが、確実に倒せ」
人類最強からの、突拍子もないようで、これ以上ないほど現実的で頼もしいアドバイスだった。
不思議と、重荷ではなく、背中を押されるような心地よさがあった。
「……了解」
俺は、果実酒の入ったグラスを軽く掲げた。
「明日、俺が生きて無事に帰ってきたら。その時は、こんなジュースじゃなくて、もっと極上の酒を奢ってくれよ」
「ガッハッハッ! もちろんだ! お前がひっくり返るほどの、本物の聖騎士の酒の飲み方を教えてやろう!」
カチン、と。
分厚いジョッキとグラスが、小さく、だが確かな誓いの音を立てて触れ合った。
◆
宿の部屋に戻ると、窓の外には、カエサルの広大な夜景が広がっていた。
灯りは少ない。だが、その小さな光の一つひとつに、この世界で生きる人々の暮らしがある。息遣いがある。
その全部を。ミリアで失った光の分まで、絶対に守り抜きたいと、心の底から思った。
『ねぇ』
ラナが、静かに囁く。
『……怖い時は、素直に怖いって言っていいんだよ?』
「……だから、今日だけで何回言わせる気だ」
『ふふっ。じゃあ、質問を変えるね。……ここに来たこと、後悔、してる?』
俺は、少しだけ黙った。
現代日本から転移して、ギルドの雑用係になったこと。
死体を喰らう武装化の能力を持ったこと。
ラナと出会い、オルドと出会ったこと。
カシアンの狂気に巻き込まれ、魔剣オボロを手に入れたこと。
ヒナワを回収し、八咫烏の狂気とぶつかり、このカエサルまで来たこと。
――ラナを守れなかったこと。
俺は、窓枠を強く拳で握りしめた。
「……後悔は」
喉が、熱く詰まりそうになる。
「……お前を、あの時、俺の力で救えなかったことだ」
『……そっか』
ラナは、ペンダントの中で、愛おしそうにくすりと笑った。
『じゃあ、その分の後悔は全部……明日の戦いで、他の人を全力で救って返しなよ!』
「……あぁ!」
窓の外には、雲一つない、星の輝く黒い夜空が広がっていた。
遠くの酒場から、誰かの豪快な笑い声が聞こえる。
どこかで、誰かが、明日への希望を抱いて今日も眠りにつく。
そして――明日、すべてを決める戦争が始まる。
五秒巻き戻したって、絶対に逃げることのできない、終わりの始まりだ。
『おやすみ、相棒』
「おやすみ、ラナ」
俺はベッドに横たわり、静かに目を閉じる。
頭の中では、もう何百回と、明日の戦場のシミュレーションが自動的に始まっていた。
ムラマサを握って、敵の懐へ飛び込み、死にかけて、五秒戻って、最適解で敵を殺す。
それでも必ず、明日の終わりの夕暮れに、仲間たち全員と生きて笑い合っている未来を、何度も何度もなぞりながら――。
俺は、深く静かな眠りへと落ちていったのだった。




