第15章:最強の男ー2
会議が終わると同時に、カエサル王城内は嵐のような慌ただしさに包まれた。
伝令が血相を変えて走り回り、大規模避難に関する怒号が飛び交い、重装の兵士たちが慌ただしく持ち場を移動していく。
そんな中。俺たち――ソー、カリナ、俺の三人は、竜王ウォールによって秘密裏に別室へと呼び出されていた。
「……な、なんだってんだ? こんな忙しい時に」
俺が問いかけると、あの剛毅なウォールが、珍しく少しだけ言い淀んだ。
「お前に……しっかりと見せておきたいものがある」
案内されたのは、カエサル王城のさらに遥か地下深く。
松明の光すら届かない武具庫の、さらにその奥。重々しい鉛の扉が幾重にも続き、最後には、目視できるほど濃密な警戒結界が張られた、氷室のような小さな部屋に辿り着いた。
部屋の中央の台座。
そこには――一本の刀が、静かに置かれていた。
漆黒紫の鞘。
まだ手に取ってもいないのに、周囲の空間が微かに歪み、空気がざわりと産毛を撫でるように揺れている。
「……これは」俺は息を呑んだ。
「――魔剣ムラマサだ」
ウォールの声には、深い畏怖と、微かな警戒が入り混じっていた。
「千年前、異世界の刀鍛冶が打ち上げた四本の魔剣の、最後の一振り。……長い歴史で名前は変わったが、俺たちカエサル王家が、代々その力を封じ、守り続けてきた絶対の刃だ」
ソーが、自身の腰の魔剣オボロを押さえながら、興味深そうに覗き込む。
「アーティファクトと違って、この剣の能力はあまり表の歴史に出てきていないね。知っているのは代々のカエサル王家と竜騎士ぐらいだよね。……適合しない者には、ただの非常によく切れる刀としてしか使えない。そんな眉唾の伝承だけが残っているけれど」
ウォールは、黄金の瞳で俺を真っ直ぐに見据えた。
「異世界の戦士よ。……お前に、これを握ってみてほしい」
「……は? 俺に?」
俺は思わず、自分の胸を指差した。冗談だろ。
「ソーじゃなくてか? こいつなら聖剣も魔剣も二本まとめて平気な顔で持ってるぞ?」
「第四王子はすでに、二振りの神話の重圧に魂を削られている。……これ以上の呪いを背負わせるのは、いくら適合者といえど危険すぎる」
ソーも、申し訳なさそうに苦笑した。
「うん……正直、これ以上剣が増えると、僕も物理的に腕が足りないからね」
「じゃあ、カリナは!?」
「私は光を宿す聖騎士です。魔剣の呪いには本能で拒絶されてしまうよ」
カリナは静かに首を振った。
「それに……この剣はきっと、我々のような普通の騎士とは全く別の歪な器を求めている気がする」
『……ほらほら〜! 君だよ君、相棒!』
胸元で、ラナがニヤニヤと楽しそうに煽ってくる。
『あらゆる神獣や死体を喰らって着こなす、からっぽの異世界人! 聖剣の暴走にも魔剣の呪いにもアーティファクトにも絡みまくってる謎の雑用係! 魔剣の適合者としての選ばれポイント、高すぎでしょ!』
(やめろ……胃が痛くて破裂しそうだ……!)
だが、ここで逃げるという選択肢は、俺の辞書にも周りの空気感にも最初から用意されていなかった。
俺は唾を飲み込み、一歩前へ出て、台座に眠る魔剣ムラマサへと手を伸ばした。
――ギュッ。
柄に触れた瞬間。
冷たい。
だがそれは、氷の冷たさでもなく、刃物の物理的な冷たさでもない。
もっと別の……魂の奥底に直接手を突っ込まれ、じわじわと感情を冷凍されていくような、おぞましい感触だった。
胸の中のラナの声が、ぴたりと途切れる。
世界が、一瞬だけ完全に静寂に落ちた。
………………。
――何も、起こらない。
精神の崩壊も、肉体の異常も。
そう安堵しかけた瞬間。
黒い鞘の中から、微かな、だが確かな脈動が俺の掌を伝わってきた。
――ドクン。
刀の、鼓動。
それが、俺自身の心臓の鼓動と、ほんの少しだけズレた不協和音を奏でながら……やがて、完全に同じリズムへと重なっていく。
不快ではない。
むしろ――気持ち悪いほど、妙にしっくりと来るのだ。自分の、以前失われた身体の一部を見つけたような、歪な一体感。
自然と、俺の指が黒い柄を強く握りしめていた。
「……抜いてみろ」
ウォールの声が、水底から響くように遠くで聞こえる。
俺はゆっくりと、鞘から刀を引き抜いた。
――シュルリ。
黒い刃が、周囲の松明の光を吸い込むように姿を現す。
波打つ刃紋は黒紫、まるで静かに呼吸をしているかのようだ。周囲の空気が、さらに数度下がり、静寂が深まる。
魔剣ムラマサは――俺というからっぽの器を、拒まなかった。
「……やはり貴様か」
誰かの、深く重いため息が聞こえた。
ウォールか、カリナか、ソーか。あるいは、ラナか。
『ふふ。……やっぱり、そうなるんだね』
ラナの声が、俺の脳内に戻ってきた。
『ねぇ、相棒。君、本当に……普通の人間なんだよね?』
(俺が一番、それを知りたいよ……)
ウォールは太い腕を組み、深く満足そうに頷いた。
「これで、少数精鋭の突撃部隊が、文字通りの最高戦力へと仕上がったな。……ムラマサの詳細な能力は……ここから始まる戦いの中で、自分の肉体で直接感じろ」
「は? 説明してくれないんですか!?」
「言葉で聞いて理解できる類いのものではない。……そういう理不尽な力も、この世にはある」
ウォールの言い方が、どこか嗜虐的な喜びを含んで妙に楽しそうだったので、俺は背筋に嫌な汗をかいた。
「さて」
その時、俺の背後の空間がふわりと陽炎のように揺れた。
「おーおー! やっぱりすんなり抜きやがったか!」
ローディオが、いつの間にか結界を無視して部屋の入口に立っていた。
「さすがだな、噂の転移者小僧! これで、アジト突入作戦が失敗したら、全部お前が魔剣ムラマサを使いこなせなかったせいだと大声で責められるな! ガッハッハ!」
「やめてくれ、そういう逃げ場のないプレッシャーのかけ方!」
『あははははっ!』ラナが腹を抱えて爆笑する。
『相棒が完全にオモチャにされてイジられてるの、ツボすぎて無理……ッ!』
(てめぇ、俺の命かかってんだぞ楽しむな!)
ローディオは、ニヤリと猛獣の笑みを浮かべて手招きした。
「よし、じゃあ決まりだ! 今日からお前の師匠は二人だ。このカエサル全軍を統べる竜王ウォールと、ウルシア最強の聖騎士ローディオ様! この人類最強の二人がかりで、作戦開始までの数日間、最短距離でお前を八咫烏殺しのバケモノに仕上げてやる!!」
ウォールも、わずかに凶悪な口元を吊り上げた。
「安心しろ、異世界の戦士よ。……死なない程度には、手加減してやる」
「……その死なない程度って言葉に、安心要素が1ミリも存在しないんですが……!?」
かくして――。
俺の命と精神をすり潰す、文字通りの地獄の特訓が幕を開けたのだった。
カエサルの訓練場は、城の裏手にある、巨大な石造りの闘技場のような場所だった。
観客席らしき石段は空っぽで、その中央で、俺は今――
「――ぐぼっ!?」
地面に深々とめり込んでいた。
「立て、異世界の!」
ウォールの怒声が上から降ってくる。
視界の端で、ローディオが「ガッハッハ!」と大爆笑している。
「おー、今のはいい飛びっぷりだったぞ! 20メートルは飛んだんじゃねーか!?」
「実況……すんじゃねぇ……っ……」
俺は魔剣ムラマサを支えに、血反吐を吐きながら立ち上がる。
膝が笑っている。腕も笑っている。ラナも笑っている。
全身が悲鳴を上げ爆笑しているのに、ラナだけが妙に元気だった。
『はいはーい! 今の感覚、身体に馴染ませて! 筋肉に覚えさせなさーい!』
(うぜぇ……。お前、トレーナー目線になるな……)
ウォールが一歩、前へ出た。
竜王の名は伊達じゃない。彼は竜の血を引き、その身に本物の竜の威圧を宿す存在だ。
闘力を纏っただけで、彼の肉体は鋼鉄の岩のように硬化する。
拳一つで城壁を砕き、咆哮一つで魔物の群れを散らす。それが、竜王ウォール。
「ムラマサの重さには慣れたか?」
「……なんとか……っ」
黒紫の刀身は、見た目以上に心に重い。ただ振るだけで、自分の何か大切な存在理由を削り取られているような感覚があった。
だが、それを怖がっていたら、一生使えない。
ウォールが構えを取る。
「いいか、ムラマサは敵を斬るための刃だ。余計なことは考えず、斬るべきものだけを斬れ」
「斬るべきもの……?」
「八咫烏。魔族。この世の人を弄ぶ理不尽な力。……お前の中で許せないと決めたものを、全部まとめてぶった斬る。それくらい単純でいい」
ローディオが、横からひらひらと手を振った。
「ついでに言うと、空間ごと斬れるようになると便利だぞー!」
「それは魔剣オボロの領域だろ……」
俺は誰にも聞こえない声でツッコんだ。
「大事なことは戦場が教えてくれる! ガッハッハッ!」
この二人、性格は真反対に見えて、根っこは同じ戦闘狂なんじゃないかと、俺は密かに確信していた。
「もう一度行くぞ!」
ウォールが目を細める。
次の瞬間、巨体からは想像できない速度で間合いを詰めてきた。
――やべっ、速すぎて見えない……!
だが、ラナの声が脳内に飛ぶ!
『一歩左斜め後ろ! 刃を斜め上!』
反射的に身体が動く。
魔剣ムラマサの黒い刀身が、ウォールの剛拳を受け止めた!
――ガァァンッ!!
腕が痺れるような強烈な衝撃。足が地面を滑り、土煙が舞い上がる。
それでも――さっきよりは、ずっとマシだった。
「ほう」
ウォールが僅かに口元を緩める。
「今ので立っているとは、たいしたものだ」
「……今のは、殺る気満々でしたよね……?」
「当然だ。命を奪う覚悟ができていない攻撃など、戦場でなんの意味も成さない」
ローディオも、いつの間にか真面目な顔になっていた。
「いいか、小僧。お前は今、この大陸で三本の指に入る強者2人に同時に鍛えられてるんだ。これで弱いままだったら、全てにおいてナンセンスだぞ」
「プレッシャーのかけ方が独特すぎるんですよ……」
『でも、嬉しいでしょ?』
ラナの声は、どこか誇らしげだった。
『君がここまで来られてるのは、全部から逃げなかったからだよ』
(ラナ……)
『武装化の力からも、聖剣ラナからも、魔剣オボロからも、あの八咫烏からも……君は全部、背を向けなかった。だから、選ばれてるんだよ』
珍しく真面目な相棒の励ましに、少しだけ胸が軽くなった気がした。
「よし、じゃあ次は俺の番だな!」
ローディオがパン、と手を打ち鳴らす。
「ウォール! 交代だ、次は転移VSムラマサ+武装化の組み合わせで行こう」
「好きにしろ」
ローディオがこちらを見て、ニヤリと笑った。
「さぁ、小僧。お前の武装化、全部見せてみろ。クリスタルワイバーン、アークサーペント、黒龍、セイレーン。……この戦いで全部使うんだ。今のうちに、俺たちに見せておけ!」
「……分かった」
俺は深く息を吸い込む。
胸元のペンダントに触れた。
「ラナ」
『うん!』
「――武装化ッッ!!」
光が爆発した。
白と金を基調とした神王獣ラナの聖なる装甲が俺の胸部と肩部を包み込む。
背中からは黒龍の巨大な漆黒の翼が展開され、足元には魔力の紋様が走る。
両腕をまたぐようにクリスタルワイバーンの結晶の装甲。
左手には、稲妻を纏うアークサーペントのロングクナイ。
顔にはセイレーンの透明な眼鏡と波打つマスク。
そして腰には――黒紫刀身の魔剣ムラマサ。
自分でも笑えてくるほど、規格外の過剰武装だ。
「……クソ盛りすぎじゃね?」
ソーの呆れたツッコミが、遠くの観覧席から聞こえてきた。
カリナが笑いながら手を振る。
「いけー!」
ギリーエが目を輝かせる。
「これぞ、人類が魔族に対抗するための切り札、という感じですね」
ローディオは満足げに頷いた。
「いい。とてもいいぞ! その全部を、無駄にせずに使い切れ! ――さぁ、行くぞ。本番前の前哨戦だ!!」
次の瞬間。
ローディオの姿が、ふっとかき消えた。
空間が歪み、背後から絶大な殺気が迫る。
――転移!
それを真正面から受け止めるために、俺は魔剣ムラマサを高く振り上げたのだった。
――背後からの、完全な不可視の殺気。
ローディオの空間転移。それを真正面から受け止めるために、俺は全武装を展開した状態のまま、魔剣ムラマサを高く振りかざした。
直後。
視界の端がブレるよりも早く、俺の側頭部めがけて、ローディオの丸太のような拳が圧倒的速度で振り抜かれた。
(速ッ――!!)
避ける? 受ける?
無理だ。全身の神経が警報を鳴らすが、ラナのブーストをかけてなお、身体の反応がコンマ数秒追いつかない。
「死ぬぞ、オイ」
ローディオの恐ろしく冷たい声が耳元を掠めた、その瞬間――。
「――戻れェェェッ!!」
俺は魂の底から絶叫し、魔剣ムラマサの柄に全意識を叩き込んだ。
ピタッ。
世界が、音を完全に失った。
景色が猛烈な勢いで逆流を始める。
俺の頭蓋を粉砕する寸前だったローディオの拳が後ろへ引き戻され、俺の振り上げた魔剣ムラマサが下がり、舞い上がった土煙が地面へと吸い込まれていく。
脳がシャッフルされるような強烈な悪寒。
――そして、五秒前。
「さぁ、行くぞ。本番前の前哨戦だ!!」
気がつくと、ローディオの姿がかき消える直前の光景へと、世界は完全に巻き戻っていた。
俺の全身は、滝のような汗でびっしょりと濡れている。側頭部には、さっきまで確かに叩き込まれそうになった拳の、あの死の風圧と絶望が幻肢痛のように生々しくこびりついていた。
『……っ! 今の、マジでギリギリだったね、相棒……!』
胸元のラナが、引きつった声を上げる。
彼女にも、この巻き戻りの記憶は完全に共有されているようだ。
【魔剣ムラマサ】
その能力は、刀に触れている者の記憶だけを完全に保持したまま、この世界の時間をきっちり「五秒間」巻き戻すという、デタラメな代物だ。
一度発動すれば、再使用までに五秒の時間を要するが、絶対的な死を回避するにはそれで十分すぎる。




