第14章:炎帝の黒翼と氷獄の黒翼ー2
ウォールはそう言い残し、背を向けて去っていった。
胸元のペンダントが、熱を帯びて励ますように脈を打っていた。
二日後。
カエサル王都の大闘技場は、早朝から押し寄せた数万の観客の狂乱した歓声と、大地を揺らす地鳴りのような太鼓の音に包まれていた。
すり鉢状に広がる巨大な石造りの観客席を埋め尽くすのは、カエサルの荒々しい民衆だけではない。
他国からの使節団、隣国の商人、さらには噂を聞きつけて集まった血の気の多い冒険者たち。
中央の広大な石畳のリングを囲む空には、数頭の巨大なドラゴンが、威容を誇るように雄大に旋回している。
「すごい熱気だな……。ウルシア王都の選抜大会の時も凄かったが、ここは規模も殺気も桁違いだ」
俺は貴族席に隣接する待機席から、熱狂する大闘技場を見下ろして呟いた。
「ハハッ、こういう暴力を肯定する見せものは、カエサルの方が数段上だよ。うちでやっても、ここまでの殺気立った熱気はなかなか出ないからね」
隣でソーが苦笑する。
「ですが、浮かれてばかりもいられませんよ」
すでに白銀の装甲を纏い、腰の剣に手を添えたカリナが、凛とした声で言葉を挟む。
「ここに集まったのは、ウルシアとカエサルの最高峰の武力。……我々の立ち振る舞いひとつで、両国の今後のパワーバランスが決まるのですから」
俺たちの反対側の待機席には、カエサル代表の5名。
白いマントを翻す3名のホワイトナイト。
そして、それぞれ胸と肩に七つの星を刻んだ七つ星冒険者が2名。双剣を携えた巨躯の獣人と、背中に無数の魔導書を浮かせた女魔導士。
後ろから、ギリーエがひょっこりと顔を出して糸のような目を細めた。
「さてさて……両大国のお披露目武闘大会だ。盛り上がらないわけがない。……だがカリナ殿、あまり心配しなくていいよ。私はこの大会を、血生臭い意地の張り合いではなく、ただの楽しい祭りとして終わらせるつもりだからね」
「……そうでなくては、外交の天才とは呼べませんね」
カリナが少しだけ口角を緩めた。
――ドォォォォンッ!! ドォォォォンッ!!
腹の底に響く巨胴太鼓の音が轟き、数万の歓声を一瞬で静まり返らせた。
最上階のバルコニーから、カエサル王が立ち上がり、その太い腕を高々と掲げる。
「――今より! ウルシア王国とカエサル王国の友誼と武を祝し、全軍武闘大会を開催する!!」
ワァァァァァァァァッッッ!!!!!
地割れのような大歓声。旋回するドラゴンたちが、一斉に咆哮を上げて空を震わせる。
リングの中央へ、漆黒の重鎧を纏った竜王ウォールが悠然と歩み出てきた。
「第一戦の組み合わせを発表する――」
――その瞬間だった。
急激に、大闘技場の空気が凍りついた。
天が高く晴れ渡っていたはずの空。
ドラゴンたちが旋回していたさらに上空、高度数千メートルの虚空。
――メリメリメリ……ッ。
空間そのものが、何かの影響で不気味に歪んだ。
「……? なんだ……あの空は……?」
観客の誰かが首をかしげて見上げた、まさにそのコンマ一秒後。
――ドガアァァァァァァンッッッ!!!!!!
空から、何かが超音速で墜落し、リングのド真ん中に激しい土煙を上げて叩きつけられた。
悲鳴。悲鳴。狂乱。
砕け散る石畳、吹き荒れる衝撃波。
土煙がゆっくりと晴れていく。
そこにあったのは――血の海の中に横たわる、一人の男の姿だった。
全身の肉が切り刻まれ、骨が破砕し、身につけていた竜の装甲はドス黒く焦げ付き、半分凍りついている惨状。
だが……その男は、血を吐きながらも、かろうじて息を保っていた。
「……っは……はは……。悪ぃ……オジキ……」
口から大量の血の塊を吹き出しながら、その男は自嘲するように笑った。
――竜騎士レイズ。
カエサルが誇る、あの最強の一角である竜騎士が、目も当てられない瀕死の肉塊となってリングに転がされていたのだ。
竜王ウォールの黄金の瞳が、見たこともない恐ろしい怒りで歪んだ。
「……誰にやられた……」
その問いに、レイズはピクピクと震える血塗れの指先で、ゆっくりと、天高くを指差した。
俺たち全員が、息を呑んでその方向を見上げる。
――そこには。
太陽の光を背に受け、二つの漆黒の影が、羽ばたくこともなく空中へ静かに浮かんでいた。
一人は、曲がった腰をくの字に折り曲げ、黒いボロ切れのようなマントを羽織った老人。白い髭と禿げあがった頭、蛇のように歪んだ細い目。
もう一人は、漆黒の長いロングコートを纏った、背の高い冷酷そうな男。青黒い髪に、氷のように冷たく澄み切った瞳。ただ空中に立っているだけで、周囲の温度を急速に氷点下へと叩き落としていく絶望の気配。
瀕死のレイズが、途切れ途切れの声でその名を発した。
「……八咫烏……。炎帝のコラキ……と……氷獄のクエルボ……」
――【炎帝のコラキ】。
――【氷獄のクエルボ】。
その最悪の二つの二名が落ちた瞬間、数万の観客席全体が、寒気でガタガタと凍りついた。
腰の曲がった老人――コラキが、ヒヒヒヒッ、と気味の悪い声で喉を鳴らして嗤う。
「おぉ~、親切に紹介してくれるとは、実に礼儀正しい坊やかねぇ、レイズちゃん。……ちょっと遊んであげただけなのに、もう壊れちゃってぇ、ヒヒッ!」
そのコラキの左右の手には――二丁の神話の銃器。
一方は灼熱の太陽を思わせる金色の意匠。もう一方は空を翔る鷲の翼を模した白銀の刻印。
「あ……あれはッ!?」
カエサル王が玉座から立ち上がり、目を見開いた。
「我が国の宝物庫に保管されていた……アーティファクト・デザート&イーグルッ!?」
そして、もう一人の冷酷な男――クエルボの手には、一丁の無骨な黒鉄色の回転式拳銃。
アーティファクト・コルト。
カエサルが誇る絶対の防衛網を潜り抜け、二つのアーティファクトを完璧に強奪した上で、立ち塞がった最強の竜騎士を虫ケラのように返り討ちにして見せたのだ。
コラキが、二丁の銃をクルクルと指で回しながら、ヒヒヒと嗤う。
「奪った? 失礼だねぇ、カエサルの王様! わしらはただ、救い出してあげただけよ~! あんな暗くて狭い部屋に閉じ込められて、可哀想だったからねぇ! ほら、たまには外の空気が吸いたいって、この子たちが言ってるよぉ、ヒヒヒッ!」
クエルボが、冷ややかな氷の瞳で、地上にいる俺たち全員を見下ろした。
「……力は、厳重に封印されるために存在するのではない。解き放たれ、世界を創造させるために創られたものだ。……我々はただ、あるべき場所へ戻しているに過ぎない」
『……相棒。あの二人の気配……レイヴンやヴラーナと同等だよ』
胸元のペンダントから、ラナの緊張しきった声が脳内に直接響く。
(ああ……分かってる。マジで最悪のバケモノどもが、勢揃いでお出ましだ)
竜王ウォールが、全身の筋肉を激しく膨張させ、殺気を全開にして一歩前へ出た。
「……賊どもめ。ここがどこか……誰の眼前か分かって抜かしているのか?」
「もちろん知っておるよぉ、ヒヒッ!」
コラキが銃口を無造作にカエサル王へと向けた。
「竜の国、軍事国家カエサルの王都のド真ん中だろ? だからこそ、わざわざ大喧嘩を売りに来てやったのさぁ! お前たちの自慢の宝物は、全部八咫烏がいただくってなァ!!」
クエルボが静かに言葉を重ねる。
「ここにはウルシアの勇者たちも揃っているな。聖剣ラナ、魔剣オボロ、そしてヒナワ。……素晴らしい手札だ。だが、まだ足りない。……我々は、この世のすべての神話を回収する」
それは、二大国家に対する、完全なる宣戦布告だった。
竜王ウォールが剣を引き抜こうとした、その瞬間――。
クエルボが、無言でコルトの銃口を観客席へと向けた。
「……動くな、竜王よ。ここで我々とやり合えば、お前の愛する民の半数が一瞬で肉片になる。……竜騎士一人すら守れなかったお前に、何ができる?」
ウォールの動きが、ピタリと止まった。
リングの中央では、救護班が血まみれのレイズを必死に搬送している。
ギリーエが歯を食いしばり、悔しそうに低く呟いた。
「……最悪のタイミングで、最高の宣戦布告を落としてくれたね……!」
カリナもソーも、いつでも飛び出せるように柄に手をかけているが、観客という人質を取られて動けない。
――その時。俺は、右耳のセイレーンのピアスに意識を集中させた。
(ラナ……!セイレーンの解析レンズを最大展開だ!)
『了解! あの二人の魔力波長、存在の座標、骨格、立ち姿……全部記憶するできるようにね!』
俺の両目に、セイレーンの透明なレンズの光が宿る。
空中に浮かぶコラキとクエルボ。
彼らの指の関節の動き、息遣い、衣服の繊維、そして纏う魔力の固有波長。
そのすべての情報を、セイレーンの追跡魔法へ完璧に記憶・登録していく!
(――登録、完了ッ!!)
『よし! これであの二人がこの大陸のどこに隠れようと、セイレーンで大まかな位置を特定できるよ!』
俺たちの密かな動きに気づくこともなく、クエルボはコルトの銃口を地面へと向けた。
「今日は……ただの挨拶と宣言だ。自分たちの無力さを噛み締めながら、怯えて眠るがいい」
パァァァァァンッ!!
コルトから放たれた絶対の氷結弾が、大闘技場のリング全体を一瞬で凍りつかせた!
同時にコラキがデザートを空へ放ち、極大の炎の柱を立ち昇らせる!
炎と氷が渦を巻き、大爆発の光の中で――二人の影は、まるで幻のように虚空へと消え去った。
あとに残されたのは、凍りついたリングと、絶句して静まり返る数万の民衆。
武闘大会は、開始すらされずに、最悪の形で破綻したのだった。
◆
数時間後。
カエサル王城・極秘戦略会議室。
円卓を囲むのは、カエサル王、竜王ウォール、竜騎士ミスト、ホワイトナイトの幹部、七つ星冒険者たち。
対するウルシア側は、ギリーエ、ソー、カリナ、俺、そしてバルドとメルダ。
部屋の中央のテーブルには、八咫烏の紋章――三本足の烏のマークが刻まれた羊皮紙が広げられていた。
「……状況を整理しよう」
ギリーエが、冷静に言葉を紡ぐ。
「八咫烏の――炎帝のコラキならびに氷獄のクエルボ。この二名がカエサルの宝物庫を強奪し、二つのアーティファクトを奪去。
……さらに、レイズ殿を瀕死へ追いやった」
ミストが不屈の憤怒に拳を血が滲むほど握りしめる。
「宝物庫にはホワイトナイト5名、七つ星4名が厳戒態勢で詰めていた……。それを、わずか数分で無力化されたのだ……ッ!」
竜王ウォールが、重い視線を俺へと向けた。
「……異世界の戦士よ。お前のその目は、あの辞去の瞬間に何を捉えていた?」
(なんでバレてんだよっ……)
俺は動揺を隠しながら右耳のセイレーンのピアスにそっと触れ、ハッキリと告げた。
「……コラキとクエルボの、存在を完璧に登録した。
セイレーンのこの能力があれば……奴らがこの大陸のどこに潜んでいようと、大まかな位置を特定できるはず…だ」
ガタッ……! とギリーエが立ち上がった。その細い瞳に、凄まじい歓喜の光が宿る。
「……素晴らしい! それはつまり……八咫烏の潜伏拠点を直接叩けるということですね!?」
「ああ。ほぼ間違いなくな」
「ハハッ、十分すぎる!!」
ギリーエはカエサル王に向き直り、高らかに言い放った。
「カエサル国王陛下! これは最大の好機です! 奴らは我々に牙を剥き、手札を晒した! ならば――両国の全戦力を束ね、奴らの喉笛をこちらから噛み千切りに行くべきです!!」
カリナも迷いなく一歩前へ出た。
「ウルシアも、三つの神話の武具を抱える以上、すでに退路はありません。……奴らが二つのアーティファクトを完全に使いこなす前に、こちらから攻め込み、息の根を止める必要があります!」
カエサル王が、ゆっくりと、地鳴りのような威圧感をもって立ち上がった。
「――命じる!!」
その一言が、会議室全体を震わせた。
「ウルシアとカエサルの軍事同盟は、これより対八咫烏における連合討伐軍として正式に発効する! ……ウォールよ!!」
「ハッ!」
「我が国のホワイトナイト二十名、七つ星冒険者十名を即座に選抜せよ! 竜騎士ミストは後方支援および全軍の指揮を! 竜騎士レイズは治療が完了次第、志願を許可する!」
「御意!!」
カエサル王の激しい視線が、最後に俺へと向けられた。
「異界の戦士よ。……お前の目と、お前の死体を纏う異能。その双方を、この八咫烏殲滅作戦における最大の核として任命する!!」
真正面からの、国家からの命を懸けた信頼。
俺の胸の奥で、ドロドロとした熱い覚悟の炎が爆発した。
胸元のペンダントから、ラナが優しく、そして力強く背中を押してくれる。
『大変な大役だけど……もう、一人じゃないからね、相棒!』
(ああ。分かってるよ)
俺は逃げ出すことを完全にやめ、竜王ウォールとカエサル王の目を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「――やってやるよ。八咫烏だろうが魔王だろうが……俺たちの未来の邪魔をする奴らは、全部まとめて叩き潰す!!」
こうして――
ウルシアとカエサル、人類最高峰の二大国家が全戦力を結集した八咫烏全滅作戦が、今、静かに、そして苛烈に幕を開けたのだった。




