第13章:竜が統べる国ー3
ウルシアの国境を越え、軍事国家カエサルへと続く広大な山麓地帯。
ギリーエの目ろみ通り、旅の二週間目にして、最初の絶好の外交パフォーマンスが舞い込んできた。
「助けてくれぇぇぇぇっ!! 誰か……誰か頼むッ!!」
前方から、血相を変えた商人が荷車を捨てて猛スピードで走ってきた。
その背後からは、樹木をなぎ倒しながら襲いかかる、巨大な岩のような皮膚を持った凶暴な大猪――【ロックボア】の群れ。通常ならBランク冒険者のパーティが束になって挑むレベルの危険なモンスターだ。
「ギリーエ殿」
御者台のカリナが即座に手綱を引き、静かに声を張った。
「分かっているよ。ここが最初の見せ場だね」
ギリーエが馬車の中から優雅に手を上げる。
「ソー、カリナ殿。……派手に散らかしすぎない範囲で頼むよ。カエサルの密偵に流石はウルシア王国と感心される程度にね」
「了解、兄上」
ソーが穏やかに微笑み、腰の二振りの剣へと手をかけた。
――その瞬間。
彼の青い瞳から一切の光が消え、ドス黒い殺戮の歓喜がその顔板に浮かび上がる。
「――ハッ! じゃあ、軽〜くクソ粉砕してやるかァッ!!」
「どっちだよッ!」
俺は思わず速攻でツッコミを入れた。
「ガタガタうるせぇんだよクソ雑魚が! 今は世直し外交モードだろォがッ! クソ猪どもを一頭残らず血の海にしてやらぁぁッ!」
悪ソーはそう怒鳴り散らしながらも、どこか最高に楽しそうに黒銀の日本刀【魔剣オボロ】を抜き放った。
襲い来るロックボアの群れ。その先頭へ向けて、カリナが一切の無駄のない動作で一歩を踏み出す。
彼女の全身から、眩いばかりの純白の波動――【闘力】が爆発的に溢れ出した。
「――見ていると良いですよ。これが、闘力です」
ズガアァァァァンッッ!!
カリナが一太刀振るっただけで、大気が大砲のように爆ぜた。
剣の直接の刃すら届いていないというのに、衝撃波だけで先頭の巨大なロックボアの岩の角が粉々に砕け散り、数トンの巨体が空中で横転して叩きつけられる!
その横を、悪ソーが影のように滑り抜ける。
「朧二連――クソ散れぇぇぇッ!!」
黒い刀身が一閃。オボロの第一能力朧斬と、悪ソーの異常な闘力が合わさり、残りのロックボア三頭の首が、まるで熟した果実のように一瞬で同時に空を舞った。
血飛沫が上がる間もなく、戦闘終了。コンマ数秒の神業。
「へっ……あっ……あぁ……」
助けられた商人が、腰を抜かして開いた口が塞がらない様子で固まっている。
ギリーエが馬車から優雅に降り立ち、その商人の肩を優しく叩いて、完璧な王子様の笑みを向けた。
「お怪我はありませんか? 我々はウルシア王国の使節団です。……お困りでしたら、次の街まで我々が責任を持ってお護りしましょう」
「ウ、ウルシアの使節団……!? あ、あの凄まじい光の剣技と、二刀流の曲刀……! も、もしや噂の聖騎士様と第四王子様ですかッ!?」
商人の目が、憧れと感謝で一気に輝いた。
こうして、ギリーエの企み通り、ウルシアの王子と聖騎士は理不尽に強く、そして慈悲深いという噂が、行商人たちの口を通じてカエサルの国境へ向かって一気に駆け巡っていくのだった。
◆
そんな計算尽くしの世直しという名の恩売りを幾度となく繰り返しながら、旅は順調に北方へと進んでいった。
ある日の夜。
鬱蒼とした森林地帯の開けた場所で、俺たちは静かに焚き火を囲み、簡単な夕食をとっていた。
ギリーエはランタンの明かりの下で手際よく書類と地図を整理し、カリナは膝の上で白銀の剣を丁寧に磨き、ソーは焚き火の爆ぜる火をぼんやりと見つめている。
俺は干し肉を噛みちぎりながら、昼間カリナから教わった魔力と闘力の話を頭の中で反芻していた。
「……なぁ、ソー」
「ん? なんだい?」
焚き火の向こうで、穏やかなソーが首を傾げる。
――が、次の瞬間。彼の瞳の奥で、悪ソーがニヤリと不気味に口角を上げた。
「……なんだ、クソ雑用。俺様のクソ強い強さの秘密でも聞きたいのかァ?」
「いちいち人格変わるたびに会話が荒れるな……。お前の魔力と闘力って、どうなってんだよ?」
「ハッ! 教えてやるよ、クソ暇だったからな」
悪ソーは鼻で笑い、焚き火に薪をくべた。
「俺様はな、魔力も闘力も、どちらも規格外にクソ高い天才中の天才なんだよ。……だが、いつもの俺と今の俺で、力の出力先が完全に分かれてやがるな」
「分かれてる?」
「ああ。いつものほうの俺は、制御と精密操作がクソ得意だ。治癒魔法や補助、繊細な剣技はあいつの担当だ。……対して俺様は、純粋な火力と破壊に特化してやがる。ぶった切るのと、相手を細切れに切断するのが専門だ」
「自分で言うなよ」
「紛れもねぇ事実だろが! だから俺様は、聖剣ラナの光も、魔剣オボロの闇も、両方とも良い感じに使いこなせるんだよ」
『あの領域に達しておいて良い感じなんだね、もはや嫌味を通り越して狂気だよね……』
ペンダントのラナが、呆れたようにため息をつく。
俺はふと疑問に思い、カリナの方を向いた。
「……ウルシア王国で一番闘力が高いのって、やっぱりカリナなのか?」
俺の問いに、カリナは剣を磨く手を止め、なぜか心底誇らしげな表情で首を横に振った。
「いいえ。私など、あの方に比べたらまだまだ雛鳥に過ぎませんよ」
「えぇ!? 嘘だろ!? カリナよりヤバいヤツがウルシアにいるのか!?」
「ええ。――我がウルシア王国聖騎士、【聖騎士ローディオ】殿です」
ローディオ。
その名が出た瞬間、焚き火の周りの空気が一瞬だけ静まり返った。
悪ソーすらも、ニヤニヤとした嫌な笑みを引っ込め、少しだけ苦々しい顔をして黙り込む。
「ローディオ殿は……文字通りの規格外です」
カリナが真剣な面持ちで語る。
「魔力、闘力、どちらも大陸の歴史上最高峰。剣術のみならずあらゆる武術を極め、素手の一拳で巨大なドラゴンを叩き伏せたとすら噂されています」
「盛ってないか、それ?」
「フフ、少し盛ったかもしれませんね。
ですが、彼が直接出陣した戦いで、我が国が敗北した記録はただの一度も存在しないのですから」
「……そんな最強のバケモノが、なんで今回の使節団に同行してないんだよ?」
「あのお方は……忙しいのですよ」
ギリーエが書類から顔を上げ、細い目で苦笑した。
「しかもローディオ殿が国境を一歩越えるだけで、周囲の国々はウルシアが本格的な侵略戦争を開始したと誤認して全軍を動員してしまうからね。……彼は、存在するだけで国家間のパワーバランスを破壊する歩く戦略兵器なんだよ」
歩く戦略兵器。
世の中には、そんな次元のバケモノが存在するのか。
『……ローディオかぁ。いつか会ってみたいね、相棒!』
胸元でラナが嬉しそうに声を弾ませる。
(会いたくねぇよ。そんなヤバい奴に遭遇したら、絶対とんでもないことに巻き込まれる)
焚き火の火が、パチッと音を立てて爆ぜた。
魔力。闘力。
聖剣。魔剣。アーティファクト。
竜騎士。七つ星冒険者。聖騎士長。
そして――暗躍する八咫烏。
かつてただの糧食係だったはずの俺が、今、そのすべての狂気の渦の中心に立たされている。
その恐ろしい実感が、冷たい夜風と共に、じわじわと腹の底へと落ちていくのだった。
◆
そして――使節団が出発してから、丸々二ヶ月が経過した頃。
俺たちの乗る馬車は、ついに目的地の国境へとたどり着いた。
視界の果てに姿を現したのは、ウルシアの白亜の城壁とは根本から異質な、黒鉄色の巨大な要塞都市。
地平線を埋め尽くすような分厚い黒石の壁。幾重にも張り巡らされた巨大な対魔物用大砲。
そして――その要塞都市の上空。
雲を切り裂き、巨躯を躍らせてゆっくりと旋回する、数頭の巨大な生物の影。
――ドラゴン。
「うわ……マジかよ……」
俺は馬車の窓から顔を出し、開いた口が塞がらなかった。
「ようこそ。……圧倒的な暴力を絶対の正義とする、軍事国家カエサルへ」
ギリーエが、どこか楽しそうに細い目を細めて呟いた。
要塞都市の巨大な鉄門前には、白銀と黒鉄の重厚な甲冑を纏った騎士たちが、隙分なく整列して俺たちを待ち構えていた。
胸に刻まれた、白い竜の紋章。
カエサルが誇る、最高峰の精鋭部隊――ホワイトナイト。
ここから――本当の、胃がねじ切れるような狂気の外交戦が始まるのだった。




