第13章:竜が統べる国ー2
出発の前日。
カリナが、俺を王城の裏手にある静かな中庭へと呼び出した。
手入れされた芝生と、古い石造りのベンチが並ぶ、兵士たちもあまり立ち入らない静かな場所だ。
「来てくれてありがとう」
そこに立っていたカリナは、いつものゴツゴツとした白銀の重甲冑ではなく、動きやすそうな素朴な革の軽装姿だった。
美しい黄金の髪を後ろで一つに結び、腰に剣すら帯びていない。
そうした無防備な姿を見ると、彼女も俺と同世代の、一人の若い女性なのだという当たり前の事実に気づかされる。
「何か、俺に聞きたいことでもあったのか?」
「……逆ですよ。貴方が、私に何か聞きたそうな顔をしていたでしょう?」
カリナは柔らかく微笑むと、ベンチの隣を顎で軽く示した。俺が腰を下ろすと、ちょうど視線が同じ高さになる。
「さっき、城下町の広場で子どもたちを見ていたでしょう? 掌から小さな火花を飛ばして遊ぶ子や、井戸の水を操る子、砂をカチカチに固める子。……あれを見て、首をかしげていましたね」
「……まあな」
ごまかしても意味がないので、俺は素直に頷いた。
「この世界に来てからずっと思ってたんだ。魔法使いが炎を飛ばしたり、レイヴンやソーみたいに、人間離れした超人的な身体能力で岩を砕いたり……。
あの力って、一体どういう仕組みなんだ? 俺の元いた世界には、そんなもの一切なかったからさ」
「ふふ、なるほど。そこからですか」
カリナは少しだけ目を丸くし、それから妙に納得したように頷いた。
「では、基礎から順番に説明しましょう。……この世界に宿る力は、大きく分けて二つ存在します。――【魔力】と、【闘力】です」
「魔力と、闘力」
「ええ。魔力は分かりやすいでしょう。
炎や氷、雷といった自然の属性を現象として出力したり、他人の傷を癒やしたり、幻覚を見せたり……己の『肉体の外側』へ向けて作用させる力です」
「じゃあ、八咫烏のレイヴンみたいな、あの化け物じみた肉体強化は?」
「肉体強化の支援魔法というものもありますが……レイヴンの真骨頂は、完全に後者の【闘力】ですね」
カリナは綺麗な指を一本立てた。
「闘力は、己の『肉体の内側』にのみ作用させるエネルギーです。筋肉の繊維を爆発的に収縮させたり、皮膚や骨の密度を鋼鉄以上に硬化させたり、体幹と反射神経を極限まで引き上げたり……。傷の自然治癒力を異常な速度に高めるのも、闘力の応用です。……要するに、魔力が『外向きの魔法』、闘力が『内向きの身体強化』と考えると理解しやすいでしょう」
「なるほど……なんとなく分かってきたぞ」
「人間の得手不得手と同じです。足が速い人、腕力が強い人、頭の回転が速い人。……魔力や闘力にも、個人によって決定的な得意分野と不得意分野が存在します。火魔法しか使えない者、治癒術に特化した者、あるいはレイヴンのように、魔法は一切使えない代わりに、闘力だけで物理の頂点に至った者」
カリナは、自分の豊かな胸元にそっと手を当てた。
「私は、生まれつき【闘力】の素質が極めて高いのです。身体を滑らかに動かすこと、剣の振りを極限まで加速させることと相性がいい。
……魔力に関しては、光属性の聖なる魔法だけはそこそこ使えますが、それ以外の攻撃魔法などは全く使えません」
「……カリナの光魔法がそこそこなら、世の中の魔導士は全員廃業だな」
俺が呆れて呟くと、カリナは「お世辞ですか?」といたずらっぽく笑った。
「そして……気になっているのでしょう? 自分自身の力の正体が」
カリナの澄んだ青い瞳が、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
俺は生唾を飲み込み、黙って頷いた。
「正直に言いましょう。……貴方からは、魔力も、闘力も……不思議なほど一切感じられないのです」
「…………え?」
「ええ。貴方の生身の身体に宿る魔力と闘力の数値は……そこらの農夫や幼い子供よりも、遥かに低い。ほぼゼロと言ってもいいでしょう」
――ズコーーーッ!!
服の下で、ラナが腹を抱えて盛大に吹き出している気配が伝わってきた。
『ぶっはハハハハッ!! ごめん、ごめん相棒……ッ! だって……世界の命運を背負って戦ってる男の素のステータスが、村人以下って……ギャグでしょこれ!!』
(笑い事じゃねぇよ!! 俺だって薄々気づいてたけど、ハッキリ言われると傷つくだろ!!)
『いやいや、落ち込むところじゃないよ! だからこそでしょ!』
ラナの声が、一転して真真強い響きを帯びる。
「……そうですね……」
カリナもまた、ラナと同じ結論を俺に告げた。
「貴方の身の中に、本来溜まるはずだった魔力や闘力のキャパシティが存在しない。……いいえ、正確には『貴方のすべての容量が、死体を喰らい、その存在を全身で受け入れて武装化するためだけに特化して割かれている』と言ったところでしょうか」
「……容量が、全部そっちに持っていかれてる……?」
「ええ。普通の人間が、神獣といった規格外のモンスターの残滓を身に纏おうとすれば、その凄まじい魔力と闘力の濁流に耐えきれず、一瞬で全身の骨が砕け、肉体が内側から破裂して死んでしまうでしょう。……ですが、貴方は己の器がからっぽだからこそ、どれほど強大なモンスターの力であっても、摩擦を起こさずにそのまま自分という枠組みとして着込むことができる」
『そうそう! 普通の人間だったら、アタシを纏った瞬間に破滅してるよ。あんたがからっぽの雑用だったからこそ、アタシの二十倍の出力を受け止められたんだから!』
(なるほど……ガバガバだから、何でもぶっ込めるってわけか……)
『言い方…っ』
自分の情けないステータスの真相に苦笑しつつも、どこかすっと胸の仕えが下りていくのを感じた。
「貴方は、そういった意味で……この世界のどんな強者とも異なる唯一無二なのです。……だから、自分を卑下する必要など、最初からどこにも存在しないのですよ」
カリナはそう優しく締めくくると、まるで姉が弟を愛でるような、温かい笑顔を俺に向けたのだった。
出立の日の朝。王都の巨大な南門前には、早朝から噂を聞きつけた大勢の民衆が集まり、熱気とどよめきが渦巻いていた。
青地に金の獅子が躍るウルシア王国の軍旗。
カエサルへの果てしない道中に耐えうる、鉄板で頑丈に補強された長距離用の大型旅馬車。
そして、周囲を厳重に固める護衛のパラディン二人――大槍を背負った剛腕のバルドと、二本の短槍を腰に下げた鋭い目つきの女性騎士メルダ。
その中央に、使節団として三人の影が並び立つ。
二振りの神話の剣を腰に帯びた、第四王子ソー。
眩い光を纏い、威風堂々と佇む聖騎士カリナ。
上質な外交用の礼装に身を包み、肩から分厚い書類ケースを下げた第二王子ギリーエ。
そして――それら輝かしい強者たちの中心で、旅装のマントを羽織った名もなき雑用係の俺。
王城のバルコニーから、エルムンド王の重々しい声が王都の空へと響き渡る。
「ウルシア王国使節団よ! 軍事国家カエサルとの同盟は、迫り来る魔族復活の脅威に備えるための、人類にとっての絶対の一歩である! ……血を流し刀槍を交えるにあらず、共に剣を揃え、大地の平安を護るための会談となせ!!」
ワァァァァァッ……! と民衆から割れんばかりの歓声が沸き起こった。
その大歓声の真ん中で、ギリーエが隣の俺に向かって、聞こえるか聞こえないかの小声で囁いてきた。
「さあ、行こうか。……片道で丸々二ヶ月かかる、胃の痛むような長旅の始まりだ」
「なぁ、ギリーエ。本当にカエサルまで二ヶ月もかかるのか? 街道を最短距離で飛ばせば、一ヶ月強で着くって地図にはあったけど」
「ふふ、普通に走ればね」
ギリーエは糸のように細い目をさらに細め、黒い腹の底が見えない笑みを浮かべた。
「だが……今回はあえて、遠回りをする。途中に存在するモンスターに脅かされている街や村を、ひとつひとつ丁寧に救いながら進むのさ。……それが、今回の外交の最大のキモだよ」
「……恩売りってやつか?」
「そんな品のない言い方は好きじゃないな」
ギリーエは指先で眼鏡のフチをすっと直した。
「正確には……事前にたっぷりと貸しを作っておき、後から外交のテーブルで莫大な利益として回収すると言うんだよ」
(うわぁ……やっぱりこの人、最高に性格が悪い。いい意味でも悪い意味でも、完璧な政治家だ)
「カエサルの王族や軍部は、自国の領土の周辺情報に極めて過敏だ。我々がカエサルの国境に入る前に……ウルシア王国の使節団が、道中で凶悪な魔物を退治し、自国の商隊や貧しい村々を無償で救いながら進んでいるという美しい噂が彼らの耳に届いていれば……」
「会談のテーブルについた時、足を組み、頬杖をついてお話ができるってわけさ」
ギリーエが小さく笑い、カリナが言葉を引き継いだ。
「ギリーエ殿のやり方は清濁併せ呑みますが、非常に理にかなっています」
「お褒めにあずかり光栄だよ、聖騎士カリナ殿」
ギリーエは軽く一礼すると、俺の肩をポンと叩いた。
「というわけで、名無しの君。道中での君の出番はかなり多くなる。……あまり派手に暴れすぎてカエサルを必要以上に恐れさせない程度に、街道の魔物どもを綺麗に片付けてくれたまえ」
「……やるだけやってみるよ。都合のいい何でも屋としてな」
『いいじゃない、相棒!』
胸元のペンダントから、ラナの弾んだ声が頭の中に響く。
『理由はどうあれ、困ってる人を助けて回る旅なんて、すっごく勇者っぽくて素敵だよ!』
(俺は勇者じゃなくて雑用係だけどな)
心の中でボヤきながら、俺はしっかりと馬車に足を踏み入れたのだった。




