第13章:竜が統べる国ー1
アーティファクト・ヒナワが眠る古代砦の死闘から、ウルシア王都へ帰還を果たした時。街を吹き抜ける風は、ひとつ新しい季節の冷たさを帯びていた。
白銀の【聖剣ラナ】。
漆黒の【魔剣オボロ】。
そして、一国を灰燼に帰す最悪の火器【アーティファクト・ヒナワ】。
千年前の封魔戦争における絶対的な切り札とされた三つの神話が、今、このウルシア王国の手の中にすべて揃っている。
王都の空気は、戦勝の喜びに浮き立っているように見えて、その実、極限まで張り詰めた弓弦のようだった。
酒場では吟遊詩人が俺たちの英雄譚を無責任に歌い上げ、裏通りの暗がりでは他国の密偵や盗賊たちが不穏な噂を囁き合い、王城の尖塔には、昼夜を問わず警戒の魔導ランプが赤々と灯り続けている。
(……なんか、マジで引き返せないところまで来ちゃったな……)
俺は、重厚な絨毯が敷かれた王城の回廊を歩きながら、無意識のうちに自分の胸元を強く握りしめていた。
『んねー。つい数ヶ月前まで、ただの泥だらけの雑用係だったのにねぇ』
脳髄の奥で、銀鈴を転がすような少女の笑い声が弾んだ。
『世界の命運が、じわじわと自分の足元に迫ってきているってやつだよ。大出世じゃない! カッコいいよ、相棒!』
「どこがだよ。胃に大穴が空きそうだ」
小声でボヤくと、服の下のペンダント――【ラナの心】の銀桜色の宝石が、くすくすと温かい熱を放って笑った。
あの日。魔剣を握り狂気に堕ちたカシアンを斬り伏せ、ラナの亡骸に触れた瞬間。俺は神王獣ラナを武装化し、彼女の魂だけを抽出してペンダントに変えた。
それ以来、彼女の意識は俺の精神と繋がり、俺にだけその声が聞こえるようになっている。
慰めたり、からかったり、時々、かつての勇者としての酷く真面目な顔を覗かせたり。
……今のところ、このふざけた世界で俺が正気を保てているのは、わりとこの声のおかげだったりもする。
『ほら、着いたよ。背筋、伸ばして。相棒はもう、立派な勇者様なんだから』
「はいはい」
ちょうどタイミングよく、俺の目の前で、謁見の間の巨大な鉄扉が重々しい音を立てて開かれた。
◆
王城・大広間。
この威圧的な玉座の前に呼び出されるのは、もう何度目だろうか。
俺の視界の先には、白銀の鎧を磨き上げた聖騎士カリナ。
その隣に、第四王子ソー。
さらにその横には、線の細い見慣れない優男――第二王子ギリーエ。
そして、部屋の四隅を固めるように、二名のベテラン・パラディンであるバルドとメルダが控えている。
ソーの腰には、聖剣ラナと魔剣オボロが静かに収まっていた。
聖と魔。相反する二つの理不尽な絶望が、まるで当然のアクセサリーのように彼の両腰に並んでいる。
今のソーは、いつもの穏やかな表情――善の人格のほうだ。静かで、落ち着いていて、どこまでも礼儀正しい。
だが、その青い瞳の奥底で、もう一つの狂暴な殺意――“悪のソー”が、ひそかに血の匂いを求めて嗤っている気配が、俺にははっきりと感じ取れていた。
一段高い玉座から、エルムンド王が俺たちを静かに見下ろしている。
「ヒナワ回収の極秘任務、大儀であった」
重く、荘厳な声が広間に響く。
すると、線の細い優男――第二王子ギリーエが、滑らかな足取りで一歩前に出て、完璧な所作で頭を下げた。
「陛下のご威光と……我が弟ソー、そして聖騎士カリナ殿。それに……」
ギリーエの、細く理知的な瞳が、ちらりと俺を撫でた。
「彼の持つ、底知れぬ異能あってこその結果かと存じます」
「お、俺……?」
思わず素っ頓狂な声が出そうになったのを、必死に奥歯を噛んで飲み込む。
王は、そんな俺の狼狽を見て、わずかに口元を緩めた。
「謙遜は要らぬ。ヒナワ回収における事の顛末は、すでに詳細な報告を受けている。
八咫烏の最高幹部、レイヴンならびにヴラーナという二人の怪物との死闘。……そこから全員が五体満足で生還したばかりか、奴らを退けアーティファクトを奪取したのだ。奇跡と呼ぶほかない」
あの古代砦での、息も絶え絶えの死闘が脳裏にフラッシュバックする。
岩盤を消し飛ばすレイヴンの物理の極致。
視覚と精神を削り取るヴラーナの重層幻術と、ヒナワの超火力。
ソーの二刀流の絶技、カリナの極光の剣筋、そして俺のセイレーンの呪言による幻術破壊。
全部まとめて、思い出すだけで吐き気がするような、最高にぶっ飛んだ悪夢だった。
『でも、勝ったのは私たちだよ』
ペンダントのラナが、誇らしげにそっと囁く。
『アタシも、ちゃんと役に立てたでしょ? ……たぶん』
(たぶん、じゃねぇよ。お前がいなきゃ百回は死んでた)
俺が心の中で苦笑すると、ラナも「えへへ」と小さく笑い返した。
エルムンド王の視線が、ゆっくりと鋭さを増し、会場全体を舐めるように動いた。
「聖剣ラナ。魔剣オボロ。そして、アーティファクト・ヒナワ」
王は、その名前をひとつひとつ、噛みしめるように口にする。
「三つの封魔戦争の遺産を、我がウルシアは手にした。……だが、アーティファクトの中には、ヒナワのような大量破壊兵器だけでなく、世界の理そのものすら書き換えるほどのものも存在すると言われている。八咫烏は、それらすべてを狙い、世界を混沌へ叩き落とそうとしている」
理を書き換える。武器ですらない純粋な“機能”を持つ遺物。その恐ろしさに、広間の空気が一段と重くなる。
「三つの武具を抱え込んだということは、同時に――我が国が、世界中の野心ある国々や八咫烏からの最大の標的になったということでもある」
ざわっ、と。重臣たちの間に不安の波が立った。
「大陸北方――絶対的な武力を誇る【軍事国家カエサル】にも、すでにこの報は届いているだろう。
奴らの国土は、我が国の約一・六倍。軍事力および冒険者の総戦力は、我が国の倍以上だ。……さらには、ドラゴンの力をその身に宿す一騎当千の竜騎士が三名。近衛であるホワイトナイトが五十名。そして、我が国のSランク冒険者に匹敵する七つ星冒険者が三十名も駐留している」
俺は息を呑んだ。
数字として具体的に突きつけられると、その絶望的な戦力差がやたらと生々しく胃にのしかかってくる。
オルドやグレンのようなSランク冒険者級のバケモノが、三十人もいる国。狂っている。
「ゆえに――」
エルムンド王は、ゆっくりと姿勢を正し、王としての絶対の決断を下した。
「我々は、カエサル王国と正式に軍事同盟を結ぶ必要があると考える」
その一言で、謁見の間の空気が爆発したように揺れた。
驚き。賛同。そして、長年の仮想敵国に頭を下げることへの強い反発。さまざまな感情が入り混じり、目に見えない濁流となって渦を巻く。
「静まれ。カエサルは強国にして、覇権主義だ。だが、決して愚かではない」
王の低い一喝が、広間を制圧する。
「魔族復活の足音が聞こえるこの期に及んで、伝説の武具を巡り人類同士で疲弊するほど、奴らの視野は狭くないはずだ。……こちらも、同様にな」
王は、玉座の下に立つ線の細い優男――ギリーエを見た。
「第二王子ギリーエよ。……この極めて困難な外交の任、そなたに全権を委ねる」
「――謹んでお受けいたします、父上」
ギリーエは、流れるような美しい所作で静かに頭を下げた。
細い体つき。常に糸のように細められた鋭い目。
口元にはいつも柔らかな笑みが貼り付いているが、その奥の思考は全く読めず、常に何手も先を計算している冷徹な気配が漂っている。
外交の天才と呼ばれる男。
噂では、隣国との国境を巡る血みどろの小競り合いを、たった一度の酒席の雑談だけで、一滴の血も流さずに自国に有利な形で丸く収めたこともあるらしい。
嘘か本当かは知らないが、この男の底知れぬ笑みを見ていると、それを信じたくなるような不気味な説得力があった。
「カエサルへの使節団の護衛には、聖騎士カリナ。第四王子ソー。パラディン二名――バルドとメルダ。そして……」
エルムンド王が、一拍置いて、真っ直ぐに俺を見た。
「ヒナワ回収の立役者。……いい加減、名乗らんか?」
――ビクッ。
俺は肩をすくめた。
そういえば、と今さらながらに自覚する。俺は王城に出入りするようになってから、ずっと雑用だの糧食係だの異世界の迷い人だと、適当な肩書きでしか呼ばれていなかった。
俺が頑なに名を明かさないのには、理由があった。
この狂った異世界ファンタジーにおいて、この世界で自らの名を名乗るということは、己の魂を完全に定着させ、歴史という血みどろの歯車に完全に組み込まれてしまうような、得体の知れない恐怖があったからだ。
「……名乗るほどの、立派な人間じゃありませんので。俺はただの、通りすがりの男で十分です」
俺が頑なに伏し目がちにそう答えると、王は呆れたように小さく息を吐き、ゆっくりと頷いた。
「よかろう。……ならば、その得体の知れない名無しの存在そのものを、ウルシア王国代表の不気味な切り札として、カエサルの王族どもにたっぷりと刻み込ませてこい」
隣で、カリナとソー、そしてギリーエが、同時に可笑しそうに小さく笑う声が聞こえた。
こうして、俺の安息の時間は一瞬で終わりを告げ、軍事国家カエサルへの、ニヶ月にも及ぶ最も神経をすり減らす旅が決定したのだった。
謁見が終わった後。カエサルへの出発までに残された猶予は、わずか数日だった。
その数日間の間に、俺たちは報告書作成だの、旅の行程確認だの、細々とした膨大なデスクワークに追われることになった。
アーティファクト・ヒナワ回収の詳細な報告。
八咫烏レイヴン&ヴラーナとの凄惨な交戦記録。
そして、俺が戦闘で使用したセイレーン武装の概要。
さすがに俺の能力の武装化の全貌や、ラナの心がペンダントになって宿っていることまで書くわけにはいかないので、他人にバレても問題ない最低限の範囲だけを、第二王子ギリーエと相談しながら書類にまとめていく。
「いやぁ、助かるよ、名無しの君。君の口述説明は客観的で素直で、誇張が一切ない」
ギリーエは大量の書類を速読で捌きながら、細い指先で眼鏡の位置をすっと直した。
「外交の場において、真実というのは何よりも鋭い武器になる。妙な噂や安っぽい虚勢より、この男が何できて、何ができないかがはっきりしている方が、相手も足元を見誤らずに済むからね」
「……そんなに手の内を見せて、相手に騙されたり利用されたりしないのか?」
「最初からこちらを騙そうとしてくる相手にはね、何を見せたって無駄なんだよ」
ギリーエは優しく微笑んでいるが、その細められた瞳の奥は一ミリも笑っていなかった。
「カエサルの王族は、軍人であり、徹底した現実主義者だ。ならば、こちらも本当に使える切り札を正々堂々と見せた上で、対等に交渉のテーブルについた方がいい。……なに、裏技や隠し球なんてものはね」
ギリーエは書類から顔を上げ、糸のような目で俺をじっと見た。
「君が道中で、勝手に増やしてくれるんだろう?」
「……人を魔法の道具みたいに言うな」
『ふふっ、まぁまぁ。相棒、期待されるのは悪くないでしょ?』
胸元のペンダントから、ラナのくすくす笑う声が響く。
(悪くはないが……この第二王子、絶対俺のことを便利な都合のいい駒として数えてるぞ)
俺とギリーエが紙の上で血の出ない外交戦を繰り広げている一方――。
王城の広い中庭では、出立に向けた身体の慣らしとして、ソーとカリナが壮絶な模擬戦を繰り返していた。
カリナが放つ、周囲の空気を灼くような白銀の極光。
ソーが構える、相反する二振り――聖剣ラナと魔剣オボロ。
二人が刃を交えるたびに、凄まじい衝撃波が中庭の木々を揺らし、まるで千年前の封魔戦争のワンシーンをそのまま切り取ってきたかのような神々しい光景が広がっていた。
『ねぇ、相棒。見てるだけでいいの?』
ラナの声が、ふっと冗談めかした響きを捨て、少しだけ真面目なトーンに変わった。
『あの二人の領域……。このままだと私たち、ただの傍観者としては、隣に立っていられないレベルだよ』
(……分かってるよ)
俺は静かに、自分の掌をギュッと固く握りしめた。
世界の歯車が回り始めたのだ。俺がどれだけ死にたくない。ただの雑用だと逃げ回ろうとしても、俺のこの両手には、すでに死んでいった仲間たちの無念と、ラナの命が乗っかっている。




