第11章:アーティファクト・ヒナワー2
眼下に広がるのは、どこまでも続く碧い海と、太陽の光を反射してキラキラと輝く巨大な港町。
「うわぁ……! 凄いなぁ……!」
馬車の窓から身を乗り出して最初に歓声を上げたのは、意外にもソーだった。
【海洋国家オーシャン】。
大陸の南方に位置し、交易と漁業で栄える海沿いの大国。
港には色とりどりの巨大な帆船がひしめき、活気ある商人たちの怒鳴り声、巨大なマグロや水魔獣の肉を運ぶ荷馬車の音、空を舞う海鳥の羽音。王都ウルシアとは全く異なる、生々しく力強い熱気が街全体に充満していた。
「いいなぁ、こういう街。人々がみんなたくましくて、活気があって」
「チッ……クソ喧しい街だな」
途中で悪ソーが顔を出し、眉をひそめて吐き捨てる。だが、その眼光は退屈しのぎの獲物を探すように爛々と輝いていた。
「まあ……血と、生魚の脂と、金の匂いがして嫌いじゃねぇがな」
「一番最後のフレーズだけ物騒なんだよ、お前は」
カリナが苦笑しながら馬車を止めた。
「今日はこの港町の宿で一泊します。明日にはシルア方面へ向けて出立しますから、買い出しは手短に済ませてくださいね。……二人とも」
釘を刺すようなカリナの視線が、俺と悪ソーに向けられる。心当たりがありすぎて、二人して微妙に視線を逸らした。
港町の中央広場では、大勢の露天商と人々が集まり、盛大な競りが行われていた。
巨大な深海魚、水魔獣の乾燥肉、光る珍しい貝殻やサンゴ。
「おぉ……!」
俺は、二人とは全く別の意味でテンションが上がっていた。
こういう海沿いの交易都市には、時折、深海から打ち上げられた規格外のモンスターの死骸が流れ着くことがあるらしい。
(……まさか、こんな街中に神獣クラスなんて落ちてるわけがないよな)
そう思いつつも、長年の貧乏性と能力者の習性で視線を巡らせていると――競り台の最も端っこ、異様なほど静まり返った一角が目に入った。
「さあさあ! 次で本日の目玉だ! 沖合の渦潮から奇跡的に傷なしで打ち上げられた、幻の深海魔獣!セイレーンだぁッ!!」
ザワッ……! と競り市全体がどよめいた。
そこに横たわっていたのは、人間と魚が融合したような、不気味で美しい異形の死骸だった。
透き通るような美しい青い髪、尖った耳、頬に浮き出た美しい蒼い鱗。目は閉じられ、まるで静かに眠っているかのように見える。
完全に死んでいる。だが、その死骸からは、潮の匂いと共に強烈な高魔力の残り香が漂っていた。
『……ねぇ、相棒。あれ……触るでしょ?』
胸元で、ラナがニヤニヤした声で囁いてくる。
(……愚問だな。触らない理由がない)
競りにかけられる直前、保管のために一度布をかけられ、競り台の裏手へと運ばれていく。
今――あの人混みの隙間なら、いける。
「おっと、すいません! 人が多くて――」
俺はわざと足を滑らせたフリをして人混みに紛れ込み、競り台の裏手の影へサッと滑り込んだ。
管理人の目が逸れたコンマ一秒の隙を突き、布の隙間からセイレーンの冷たい肌へ、右手を滑らせる。
――スッ……。
瞬間、周囲の喧騒がピタリと消え去った。
波の音も、競り人の声も、すべてが水底に沈んだように遠のく。
手のひらを通じて、静かで澄み切った『音と波』の概念が、俺の体内へとスゥッと滑り込んできた。
何度も経験した、死体を喰らう武装化の感覚。
(来い――ッ!!)
セイレーンの死骸が意識の中で解け、俺の求める都合のいい形へと再構築されていく。
頭の中に流れてきた兵器のイメージ。
顔の下半分、鼻から顎にかけてを隙間なく覆う、流線型の細い面頬。
そして、両目を覆う、空間の屈折を補正し魔力の流れを視可化する透明なレンズ眼鏡。
水中での完全呼吸を可能とし、放たれた声を魔法を打ち消す音波へと変換する防具。
さらに、精神干渉や視覚系の幻術を完全にシャットアウトする特殊レンズ。
(よし……!装飾品化!)
俺は即座に形を収縮させ、右耳に一つの青い澄んだパールのピアスとして定着させた。
セイレーンの死骸は何事もなかったかのように元の位置に戻り、俺は何食わぬ顔で人混みの中へとシームレスに溶け込んだ。
『ふふっ、相変わらず手際だけは一流の泥棒さんだね、相棒』
(泥棒じゃない、有効活用だ。放置されて腐るより万倍マシだろ)
「おーい! 何やってんだよー!」
遠くからソーが能天気に手を振っている。
「いや、ちょっと人が多くて迷ってた」
俺は平然と嘘をつき、ポケットの中で右耳の新たなピアスを撫でたのだった。
◆
翌日。
海洋国家オーシャンを出発した俺たちは、街道を北東へと進み、エルフの国シルアの国境付近へと差し掛かっていた。
鬱蒼とした古代の森が広がる手前、少し小高くなった丘の上に差し掛かった時、カリナが馬車を止めた。
「ここに、この地方で有名な名所があるんです」
「名所?」俺が首をかしげる。
「はい。……観光名所と言ってしまうと少し語弊がありますが、古くからこの地に住む人々にとっては、当たり前の日常の風景だそうです」
丘の上に登ると、夕開けの赤い光の中に、数人の旅人や地元の人間が集まり、一定の距離を保ってそれを遠巻きに眺めていた。
そこにいたのは――一人の女性の影だった。
いや、人間ではない。
半透明で、夕開けの光が体を透けて向こう側の景色が見えている。輪郭はぼやけ、顔の造作までははっきりと見えない。
だが、長い髪と古い意匠のドレスの裾を風になびかせ、彼女は歌っていた。
音楽も何もない静寂の丘で。ゆったりと、優雅に、永久に終わりがないかのように。
両手を広げ、口を動かし、幻想的に。
「何千年も昔……この地に存在したという、古の王国の姫君の残像だと言われています」
カリナが静かに説明する。
「この場所で、ずっと一人で歌い続けているのです。物理的に干渉することもできず、害を及ぼされたという記録もありません。……人はただ、彼女の美しい輪郭を見る事しかできないのです」
「へぇ……何千年も歌い続けてるのか」
ソーが感心したように見入っている。
俺たちは吸い寄せられるように、その半透明の女性の近くへと歩み寄った。
その時だった。
女性の唇が、微かに動いた。
『――それでも、私は……あなたを、愛していたいのです』
――ッッ!?!?
全身の毛穴がブワッと開き、頭皮が痺れるほどの衝撃が走った。
日本語だ。
俺がこの世界に転移してくる前、現代日本で使っていた、完璧な母国語の日本語。
「……っ!? 今……何か言ったか!?」
俺が青ざめた顔で叫ぶと、ソーとカリナが驚いたように振り返った。
「え? 確かに何か音は発していた気がするけど……」
「昔から、時折太古の言語を喋っているとは言われていますが……その言葉の意味を理解できた者は歴史上に一人もいませんよ?」
カリナも不思議そうに首をかしげている。
(なんで……!? なんで数千年前の残像が、日本語を喋ってるんだ……!?)
俺の頭の中で、思考が激しく渦巻く。
半透明の女性の残像は、俺の方をゆっくりと向き、まるでそこに誰かがいるかのように、愛おしそうに深くお辞儀をした。
もちろん、その視線は俺を見ているのではない。何千年も昔、そこにいた誰かに向けられたもの。
だが――その切ない仕草と日本語の響きが、俺の胸を強く締め付けて離さなかった。
海洋国家オーシャンを後にした俺たちは、森と湖に囲まれたエルフの秘境――エルフの国シルアへと足を踏み入れた。
樹齢数千年の巨木が立ち並び、木々の間を縫うように繊細な白い石橋が掛けられた、神秘的な森の都。
だが、その美しい景色とは裏腹に、街道を行く俺たちに向けられるエルフたちの視線は、鋭く冷ややかな警戒心に満ちていた。
「まあ……身分の高そうな人間の王子が、聖剣と魔剣なんていう物騒極まりない兵器を二振りも腰にぶら下げて歩いていれば、警戒するなと言う方が無理ですね」
カリナが苦笑いしながら肩をすくめる。
「僕らは争いに来たわけじゃないんです! どうか古い資料を少しだけ読ませていただければ、それで――」
ソーが、エルフの警備兵たちに向けて丁寧に頭を下げ、必死に外交交渉を試みる。……が、その最中で。
「おいおいエルフの兄ちゃんたち、そんなにクソ細い目で睨みつけるなよ。ご自慢のクソ尖った耳が、俺たち人間様と同じ丸耳になっちまうぞ?」
――ズズッ、と悪ソーが顔を出し、凶悪な笑みを浮かべて挑発をぶち撒けるからややこしい。
「ソー様っ!!」
カリナの低い雷が落ちる。
「はーい、すみません。すぐ引っ込みまーす」
ソーは肩をすくめ、一瞬で爽やかな王子様の笑顔へと戻った。
(人格スイッチの切り替えが器用すぎて、こっちの胃がもたない……)
◆
シルアの最奥、巨木の根元に建てられた長老の館。
そこに鎮座していたエルフの長老は、数千年の時間をその身に宿した、筋金入りの世界の生き証人だった。
背は丸まり、髪は雪のように真っ白。だが、その深く澄んだ瞳だけは、目の前の俺たちすべてを見透かすような圧倒的な知性を宿している。
長老は、案内されて入ってきた俺の顔を見た瞬間――一瞬だけ息を呑み、まるで懐かしい亡霊でも目撃したかのように大きく目を見開いた。だが、次の瞬間には素早くいつもの厳格な表情へと戻る。
「人の子よ。……聖剣と魔剣、二つの災厄を同時に引き連れて森に入るのはやめておくれ」
「一本は聖剣ラナ。もう一本は魔剣オボロです」
カリナが静かに補足した。
「……状況は把握しておる。千年前の封魔戦争から時を経て、再び大地の底の封印が揺らいでおるのだろう?」
長老は重々しく立ち上がり、奥の棚から一枚の薄い古びた石板を携えて戻ってきた。
「これは……封魔戦争より、さらに千年前の時代に刻まれたとされる古の記憶だ。文字はすっかり風化して読めぬが……絵なら見れるだろう」
長老が石板をテーブルの上に置く。
そこに刻まれていた描画を見た瞬間、俺の全身の血が、一気に逆流した。
そこに描かれていたのは――三本の光る剣を掲げる、一人の人影とその周囲を囲む3人の人影。
そして、その人物の周囲を護るように並び立つ、巨大な神獣たち。ドラゴン、狼、大蛇、巨鳥。
さらに――その人物が、倒れた魔物の死骸の上に静かに手をかざし、その死体の影を鎧や武器として己の生身の肉体に纏っているような構図。
「――魔物を武装化する術」
長老のしわがれた声が、静かな部屋に響いた。
「この者は、千年前の封魔戦争よりも遥か古の時代において、世界を救ったとされる最初の封印者じゃ。
……倒した魔族の死骸すらも己の武具として喰らい纏い、絶対的な暴力となって世界の理を護った」
背筋に、激しい寒気が走り抜けた。
俺の異能。
ただの異世界人である俺が、当たり前のように使っていた死体を武装化する力。
それは――千年前の封魔戦争どころか、さらにその千年前の古代神話の時代に存在した最初の封印者と、寸分違わぬ同一の力だったのだ。
『ねぇ……相棒』
胸元のペンダントから、ラナの震える声が脳内に直接響く。
『あんた……一体、何者なの……?』
(知るかよ……! 俺はただの、日本のブラック企業で働いてた雑用係だぞ……!?)
「どうかしたかね、異界の若者よ?」
なぜか長老は、俺の動揺を見抜き、どこか愛おしそうに目を細めていた。
「あ、いえ……! ちょっと、絵の迫力に驚いただけです」
俺は慌てて誤魔化したが、隣に座るソーが、どっちの人格か分からない静かな、だが深遠な瞳で、俺の横顔をじっと見つめていたのだった。
◆
シルアの国を後にした俺たちは、一気に山岳地帯へと入った。
目指すは、最強のアーティファクト・ヒナワが眠る、古代の封印遺跡。
山を登るにつれて気温は一気に氷点下へと下がり、道端の岩肌には、不自然に削り取られた激しい爪痕や、黒く灼け焦げた戦闘の痕跡が目立ち始めていた。
「……これ、最近の戦闘痕か?」
俺が呟くと、カリナが馬車を降り、焦げた岩肌にそっと手を触れた。
「ええ。岩が衝撃で熔け、まだ生温かい熱を帯びています。それも……神獣クラスの巨体が一瞬で蒸発させられたような、途方もない破壊の痕跡です」
「チッ……クソ最近のもんだなァ」
いつの間にか前に出ていた悪ソーが、不敵に口角を吊り上げた。
「クソ削れた岩から、焦げた血と火薬の臭いがクソしやがる。……間違いねぇ、クソ八咫烏どもだな。俺たちの先回りをしやがったな」
『覚悟を決めるしかないみたいだね、相棒』
胸元のペンダントから、ラナの力強い声が響く。
(ああ。最初からそのつもりだ)
ヒナワを狙う八咫烏と、聖剣・魔剣を宿すソー。
奴らが先に遺跡へ侵入し、ヒナワを手に入れようとしているのなら――ここで叩き潰すしかない!
「参りましょう」
カリナが静かに聖剣の柄に手を置き、険しい山頂を見据えた。
「ここまで来て、引き返すという選択肢は存在しません」
「ハッ! クソ面白くなってきたじゃねぇかァ!!」
悪ソーが魔剣オボロを引き抜き、邪悪に笑う。
◆
やがて、山肌を乱暴に削り取って造られた、巨大な漆黒の古代石門が姿を現した。
周囲には、無数の神獣たちの骨すら残らぬ惨状の痕跡。
そして――その石門の頂上。
高さ数十メートルの門の縁に、足をブラブラと投げ出して座り込んでいる、二つの黒い影があった。
「あ~あ! 待ちくたびれたぜぇ~ッ! 聖剣と魔剣の王子様ぁ!!」
赤黒い髪を逆立て、狂暴な真紅の瞳をギラつかせた男――八咫烏レイヴン。
「本当に来ましたわね、ソー王子。それに……ふふっ、可愛い異能使いの男の子」
隣で、黒髪ロングの美しい髪をなびかせ、妖艶な微笑みを浮かべる女――八咫烏ヴラーナ。
二人は、王城での夜襲の時とは比べものにならないほどの、圧倒的な余裕と狂気を全身から発していた。
(最悪だ……)
「さぁて……ここからはッ!」
ヴラーナが、その細い手に携えていた一丁の美しい銃器を、俺たちに向けてゆっくりと掲げた。
(先を越された……っ)
黒と朱の漆黒の金属で彩られ、銃身の奥から国一つを焼き尽くすほどのドス黒い紅の魔力が、渦を巻いて溢れ出している、神話の火器――。
――【アーティファクト・ヒナワ】。
「聖騎士狩りと、王子狩りと……そして、この最高のアーティファクトの……盛大なお披露目会の始まりですわッ!!」
ドガアァァァァァァァンッッッ!!!!!
ヒナワの銃口から放たれた一筋の紅の光線が、俺たちの目の前の空間と山肌を、跡形もなく蒸発させたのだった。




