第11章:アーティファクト・ヒナワー1
ウルシア王城・謁見の間。
この威圧的で息が詰まるような大広間の赤い絨毯の上に立つのは、これで何度目だろうか。
最初にここへ連れてこられた時のような、胃が裏返りそうなほどの足の震えは、前より少しだけマシになった気がする。慣れとは恐ろしいものだ。
長い絨毯の先、一段高くなった黄金の玉座。
ウルシア王国国王――エルムンド三世が、深く、静かなサファイアの瞳で俺たち三人の顔を上から下まで見下ろしていた。
俺。
聖騎士カリナ。
そして――腰に相反する二振りの剣を帯びた第四王子、ソー・ウルシア。
彼の右の腰には、白銀の鞘に収まり蒼光を漏らす【聖剣ラナ】。
左の腰には、光を吸い込むような漆黒の鞘に収まった【魔剣オボロ】。
千年前の封魔戦争で魔族を封じ、そしてつい数日前、この国の最強戦力たちを次々と死の淵へ追いやった元凶の、神話級の武具が二つ。
それを当たり前の装備品のように無造作に帯びて、ソーは王の御前で優雅に片膝をついていた。
「ソー・ウルシア第四王子」
「はっ。御前に」
返事は静かで、どこまでも柔らかい。
これが彼の基本人格である善いほうのソー――ってやつだ。
普段は温厚で、言葉選びも丁寧。剣を握らなければ、こいつ一国の王子ってより、どこかの教会の神父かなにかだろと勘違いしそうになるほど、人畜無害なオーラを放っている。
「聖剣ラナと魔剣オボロ、二つの神話の刃に選ばれし者よ。そなたには、これよりアーティファクト・ヒナワ回収隊の隊長を命ずる」
カツン、と。エルムンド王の持つ重厚な杖が、玉座の台座を短く叩いた。
ヒナワ――。
昨日、オルテガ院長から聞かされた不吉な名前。
千年前に世界を救うために異世界から召喚された鉄砲鍛冶が作り上げたという、五つのアーティファクトの一つ。火薬と高度な魔法術式を融合させ、たった一撃で一国を灰燼に帰す理不尽な火力を持つ、最恐の戦略兵器。
その所在が、王国の諜報網によって大陸南方・海沿いの古代砦であるとほぼ確定した。
八咫烏に先んじてこれを回収、あるいは破壊するため、俺たちはここから四ヶ月にも及ぶ長い旅に出るのだ。
「聖騎士カリナ」
「ここに」
カリナはいつものように、定規を入れたかのように真っ直ぐ背筋を伸ばし、凛とした声で短く答えた。
淡い金色の髪を後ろでまとめ、白銀と純金で鍛え上げられた豪奢な鎧を身に纏う姿は、まさに騎士の理想形を絵に描いたようだ。
「そなたには、ソーの背中を守り、ヒナワを無事に回収し、この国の未来を絶対の盾として護り抜く任を与える」
「僭越ながら、その重任、我が命に代えましてお受けいたします」
「……そして、最後にお前だ」
エルムンド王の射抜くような視線が、最後に、末席で小さくなっていた俺へと向いた。
毎度おなじみ、国家の最高戦力の中に一人だけ混ざり込んだ謎の特別枠の俺。
「ミリアでの聖剣ラナの暴走を無傷で生き延び、魔剣オボロ回収任務にて、戻ることかなわなかった勇者やSランク冒険者たちの無念の代わりに、その二振りの剣を持ち帰った者よ」
「……もったいないお言葉です」
俺は深く頭を下げる。
正直に言えば、こうして公の場で功績として褒められるたびに、理不尽に死んでいったオルドやリュグナたちの顔が浮かんで、胃がキリキリと痛くなるのだ。
俺は何も守れなかった、ただ生き残っただけの結果論に過ぎないのに。
「そなたには、ヒナワ回収隊の三人目の正隊員として同行してもらう。……そなたの持つその異質な力――魔物の死骸を己の力として武装化する秘術も、我は国益として極めて高く評価している」
ビクンッ、と。俺の肩が不自然に跳ねた。
今までなんか変な力を持ってる凄い奴くらいにぼかされていた俺の能力の核心を、王がここであっさりと、そして極めて正確に言及してきたからだ。
この国の諜報網と分析力は、俺の想像以上に深いところまで俺の底を暴いているらしい。
「ヒナワの封印の地までは、片道で約二ヶ月、往復で四ヶ月にも及ぶ過酷な長期の旅となる。……八咫烏の影も、この王都の足元まで迫っている以上、道中での命のやり取りも日常茶飯事となろう。覚悟しておけ」
エルムンド王の声が、石造りの広間の天井に重く反響する。
「……それでも、行く覚悟はあるか?」
「もちろんです、陛下」
最初に答えたのは、ソーだった。
その声は相変わらず落ち着いていて、穏やかで、だが決して折れない鋼の芯がある。
「この二振りが、未熟な僕を選んでくれたのなら……僕も、命を懸けてそれに応えたい。ウルシアの、そしてこのイーリス大陸の未来を護るために」
彼の腰で、聖剣ラナの柄が、主の言葉に呼応するように微かに清らかな光を帯びたように見えた。
だが、その逆側の魔剣オボロは……気のせいか、ソーの別の何かに反応して、わずかに周囲の空気を冷たく歪ませた気がした。
「聖騎士カリナ、命に代えましても、王子の御命と、二振りの剣を護り、アーティファクトを必ずや回収してご覧に入れます」
カリナも迷いなく頭を垂れ、騎士の誓いを立てる。
そして、次は――俺の番だ。
「……俺も、行きます」
極度の緊張で、喉が少しだけひっついて乾いていた。
でも、言葉自体は、自分でも驚くほどすんなりと、淀みなく出た。
「ヒナワを回収して、魔族復活の芽を潰せるなら……俺のこの力も、全部使い切って役に立てたいです」
エルムンド王はしばし俺の目を見つめ、それから満足そうに小さく頷いた。
「よかろう。……三名に命じる! アーティファクト・ヒナワを八咫烏より先に回収し、この王都へ、必ずや持ち帰れ!!」
カツン、と。王の杖の音がもう一度、低く、力強く鳴った。
こうして――王国の威信と世界の命運を懸けたヒナワ回収隊は、正式に始動したのだった。
◆
ウルシア王都を出発したのは、その謁見からわずか二日後の早朝だった。
その二日間の間に、長期の旅支度だの、詳細なルートの地図の確認だの、経由する各国への通行許可証の手配だの、やることは山ほどあったが――。
それらの面倒な事務仕事や手配は、全部、カリナが超人的な速度で完璧に片付けてくれた。
「はい、これ。貴方の分の各国の通行許可証と、身分証明のギルドカードです」
「……手際良すぎないか? これ、文官の仕事だろ」
俺が束になった羊皮紙を受け取りながら呆れると、カリナはふふっと柔らかく笑った。
「慣れですね。聖騎士というのは、剣を振るうだけでなく、部隊の遠征管理や書類仕事も多いんですよ。……それに、貴方たち二人に任せていたら、いつ出発できるか分かったものではありませんから」
苦笑いするカリナの的確なツッコミに、俺は反論を諦めて旅装に袖を通す。
動きやすさを重視した上質な革の軽鎧、風雨を凌ぐための深い緑色のマント。腰には、相変わらずギルド支給の安物のサバイバルナイフと剣。
だが、その服の下に隠された本当の武装は、ただの冒険者のそれとは次元が違う。
右手の中指には、【クリスタルワイバーン】のリング。
左手の人差し指には、【アークサーペント】のリング。
左耳には、【黒龍】の黒いピアス。
そして、俺の首元で静かに脈打つのは――【ラナの心】の銀桜色のネックレス。
彼女の意識は、いつでもそこで、俺の脳内に直接繋がって静かに響いている。
『……ちょっと緊張してるでしょ、相棒』
(そりゃあ、ね。四ヶ月だぞ? 遠足じゃないんだ)
『大丈夫だよ。前もそうやってぶつくさ言いながら緊張して、最後はちゃんとやり切ったじゃない』
(あれは、ほぼ俺が死にかけて、お前に身体を明け渡したからだろ)
俺の卑屈な返しに、胸の奥でラナがくすっと楽しそうに笑う。
誰にも聞こえない、誰にも邪魔されない、俺と俺だけの最高の相棒。この声がある限り、俺は絶対に狂わないし、立ち止まらない。
「おーい、二人とも! そろそろ出発するよー!」
外から聞こえた明るい声に、俺はマントの留め具を締めて顔を上げた。
王都の巨大な南門の前。
長旅に耐えうるように補強された一台の頑丈な幌馬車と、二頭の屈強な軍馬。
馬車の御者台の横で、ソーが大きく手を振っていた。
彼もまた、豪華な王族の礼服から、戦闘での動きやすさを重視した上質な革の旅装へと着替えている。
だが、腰には相変わらず、聖剣ラナと魔剣オボロ。二振りの神話の柄が、左右で絶妙に重さのバランスを取るように収まっていた。
「じゃあ、行こうか。長い旅になるよ。……よろしく頼むね、名もなき冒険者くん」
ソーはいつもの、人を疑うことを知らないような穏やかな笑みを見せた。
これが、基本人格である善ソー。
門の向こうには、どこまでも続く乾いた土の道と、広く高い空。
二つの月はまだ空の端に薄く残っており、朝の眩しい光にゆっくりと溶け込み始めていた。
(四ヶ月、か……)
長いといえば、途方もなく長い。
でも――もう、腹の底で覚悟はできている。
俺たちは馬車に乗り込み、車輪を鳴らして、朝日に照らされる王都ウルシアを後にしたのだった。
ウルシアの平穏な領地を抜け、馬車は緩やかな丘陵地帯を進んでいく。
道中、かつて惨劇の舞台となった隣国ミリアの領地を通った。
車窓から覗く街並みは、あの聖剣ラナの暴走と神獣たちの乱舞で半壊したとは思えないほど、突貫工事での復興が進んでいた。新しい木材の匂いと、瓦礫を片付ける人々の声。
だが――俺の目には、果てたリード、カナ、ガロウたちのイメージが、頭の中から離れなかった。あの時、俺がもっと早く自分の力の扱いに気づいていれば、彼らは死なずに済んだのかもしれないという、消えぬ後悔が胸を刺す。
「……前にも、ここに来たことがあるんだよね?」
向かいの席に座るソーが、窓の外の流れる景色を見つめながら、静かに尋ねてきた。
「ああ。聖剣ラナが暴走して、街が半分崩れかけた時にな」
「……すまないね」
ソーは伏し目がちに、ポツリと呟いた。
自らが今引き継いだ聖剣が引き起こした凄惨な過去に対する、本気で申し訳なさそうな顔。
「いや、お前が謝ることじゃないだろ。悪いのは……誰でもない」
「でも……僕がもっと早くこの剣を制御できる器になっていれば、ミリアの悲劇も、君の仲間たちの死もなかったかもしれない」
ソーは少しだけ黙り込み、それから――ふっと、自分を自嘲するように笑った。
「だから……僕に償わせてよ」
「ん?」
「君が一度襲われ、仲間を奪われたその同じ剣で……今度は僕が、君を命懸けで守る」
さらりと、恐ろしいほどの重さと狂気を孕んだ言葉を口にする。
これが善のソーだ。自分の命を天秤に乗せることに微塵の躊躇いもなく、どこまでも純粋で、どこまでも異常な正義感。
俺が返答に窮して引きつった顔をしていると――突然、車内の空気が一変した。
――スッ……。
ソーの顔つきそのものは変わらない。だが、その青い瞳の奥から温かみが一瞬で消え去り、底なしのドス黒い殺意と蔑みがせり上がってきた。
「……で? 何しみったれたクソ面してんだよ、クソ雑魚が」
「……誰がクソ雑魚だ」
俺はため息をついて言い返した。人格の切り替わり――悪のソーのお出ましだ。
「お前だよお前。なんだそのへなちょこなクソ体幹は。これから越える山岳地帯は、ミリアまでのクソ平坦なクソ街道とはワケが違うんだぞ?
平原のガタつく馬車に揺られてるだけでクソ呼吸乱れてたクソ雑魚が、俺様の足引っ張ったらその場でクソ切り刻んで捨てていくからな」
「クソクソうるせぇんだよクソ!
平原で息なんて乱れてねぇよ! こっちだって伊達に修羅場くぐってねぇんだ、一応ギルド登録してる現役冒険者だぞ!」
「一応なんて前置きつけるクソの言葉なんか、クソの役にも立たねぇんだよ」
口を開けばクソのオンパレード。刃物のように尖った罵詈雑言。
だが、不思議と嫌な気はしなかった。こいつの吐き捨てる毒舌の裏には、仲間を死なせたくないという屈折した警戒心と、己の圧倒的な強さへの絶対の自負が張り付いているのが分かるからだ。
前の席で御者手綱を握りながら、カリナが振り返ってくすくす笑った。
「喧嘩は野営の準備が終わってからにしてくださいね〜」
「カリナさん、どっちの味方なんですか?」
「もちろん両方ですよ。ソー殿の悪いほうが出ている時は、貴方が上手く軽口で受け止めてくださるので、凄く助かっています」
「うわぁ、完全に俺を毒抜き用の打たせ付けサンドバッグ扱いしてやがる」
悪ソーが、ニヤリと口角を吊り上げた。
「ハッ、安心しろやクソ雑魚。俺様は口はクソ悪ぃが……お前を殺しにくるクソ雑魚どもを全員クソ細切れにするくらいには、クソ強ぇからなぁ!」
『ふふっ、なんだか賑やかで楽しい旅になりそうだね、相棒』
胸元のペンダントから、ラナのくすくす笑う声が脳内に響く。
(どこがだよ。二重人格の危険物と、超スペックの聖騎士と、異世界の俺だぞ? 地獄のトリオだろ)
こうして、泥臭い軽口の応酬と皮肉が、俺たちの旅の日常になっていった。
◆
ミリアの領地を抜け、さらに南西へ進むこと十数日。
次第に風の中に、塩の匂いと湿り気が混じり始め、街道の視界が一気に開けた。
眼下に広がるのは、どこまでも続く碧い海と、太陽の光を反射してキラキラと輝く巨大な港町。
「うわぁ……! 凄いなぁ……!」
馬車の窓から身を乗り出して最初に歓声を上げたのは、意外にもソーだった。




