第10章:第四王子ソー・ウルシアー2
入室してきた青年の姿に、会議室の半数以上の人間が息を呑み、どよめきが走る。
金色の髪。
静かで深い、藍色の目元。
王族としての完璧な上品さと気品を纏う立ち居振る舞い。
以前、聖剣ラナ適合者選抜大会のときに見た、あの第四王子ソーだった。
だが、今の彼の腰には――白銀の聖剣と、漆黒の魔剣。
相反する二つの神話の武具が、まるで最初から彼の体の一部であったかのように、極めて自然に帯びられていた。
「殿下が……二振りの適合者に……?」
文官の一人が、信じられないものを見るように呟く。
「聖剣と魔剣、両方の呪いと祝福を、同時にその身に宿したのか……?」
ソーは一切の気負いを見せず、王の御前で滑らかに片膝をつき、静かに頭を下げた。
「陛下の命のままに。この身が砕け散るまで、ウルシアと世界のために剣を振るいましょう」
その声は、ひどく穏やかだった。
柔らかく、丁寧で、王子としての気品に満ち溢れている。
――だが。
『……出たね、ソー王子』
胸元のペンダントから、ラナがひどく警戒したような、冷ややかな声を落とした。
『あの人……魂の色が、極端に二つに分かれてる』
(色……?)
『そう。片方は、今喋ってるみたいな穏やかで優しい、蒼く澄んだ色。……でも、もう片方の奥底にへばりついてる色は――真っ黒に近い、ドロドロに濃い色。憎しみとか、怒りとか、純粋な殺意とか……そういう暴力に極めて近い何かだよ』
俺の背筋に、冷たい汗が伝う。
聖剣と魔剣。光と闇。相反する二つの武具を同時に握れるのは、善と悪、その両極端の狂気を同時に抱え込める異質な器を持つ者だけだ。
ソーの中には、二つの人格が同居している――以前、オルドが言っていた言葉が、嫌なリアリティを持って脳裏に蘇る。
「続いて、第二候補。……聖騎士カリナ」
王に名を呼ばれ、カリナは静かに一歩前に出て、深く一礼した。
「アーティファクト・ヒナワは、国一つを灰燼に帰す理不尽な無限の火力を持つ。ゆえに、万が一その力が暴走した際、それを正面から食い止めるための絶対の盾が必要だ。その重責は、我が国の最高戦力である聖騎士カリナに任せたい」
「謹んで、お受けいたします。我が命に代えても、光の盾となりましょう」
短い返事。そこには、一片の迷いも恐怖も存在しなかった。完璧なまでの騎士の完成形。
「そして――最後の一人」
王の視線が、ゆっくりと、だが確かな圧力を持って、末席に座る俺のほうへと向けられた。
部屋中の視線が一斉に俺に突き刺さる。
喉の奥が勝手に鳴った。
「ミリア防衛戦、聖剣ラナ暴走の鎮圧。魔剣オボロ回収任務の生還、並びに剣狂カシアンの討伐。そして――先日の八咫烏撃退戦における功労者」
王は一呼吸置き、静かに、だが大広間の全員に響き渡る声で宣告した。
「――名もなき異世界の迷い人よ」
「……かっこいいな、おい」
あまりにもファンタジー全開な二つ名に、俺は思わず小声で素のツッコミを入れてしまった。
静まり返っていた会議室のあちこちで、数人の騎士やギルド長が「ブッ」と吹き出すのを堪えるように肩を揺らし、エルムンド王の厳格な口元も、ほんの少しだけ面白そうに緩んだ。
「本人の強い希望もあり、その本名は公にはせぬ。……だが、あの地獄の連続を生き抜いたお主の力と判断力は、すでに歴戦の冒険者にも匹敵すると判断している。……ヒナワ回収隊、三人目のメンバーとして――王命を下す」
俺の立ち上がる両脚が、重圧で少しだけ震えていた。
『やったね、相棒! いよいよ堂々の主役ポジションじゃん!』
(……やった、じゃねぇよ。面倒事のド真ん中に括り付けられただけだろ)
「この人選に、異議のある者はいるか?」
王が問う。
ギルドマスターが顔の傷をさすりながら一瞬だけ考え、すぐに首を横に振ってニヤリと笑った。
「ありませんな。うちのギルドとしても、彼の底知れぬ生存能力は高く買ってますんで」
カリナも静かに俺を見て、信頼を込めるように一度だけこくりと頷く。
ソーは、どこか嬉しそうに、ほんの少しだけ口角を上げて微笑んでいた。
――三人。
聖と魔を同時に宿す二重人格の王子。
絶対の光を放つ聖騎士。
そして、死骸を貪り神獣を纏う、からっぽの異世界人。
王はゆっくりと、力強く言葉を結んだ。
「では――これより、アーティファクト・ヒナワ回収任務を、正式に発令する!!」
その瞬間。俺の胸のペンダントが、ふっと熱を帯びたように温かくなった。
『……行こう。相棒』
ラナの声は、不思議なくらい静かで、透き通った覚悟に満ちていた。
『あのカシアンを倒したんだ。……もっと自信持って、胸を張って行きなよ』
そうだ。
俺はもう、ただ逃げ回るだけの雑用係じゃない。
ラナと、オルド、リュグナ……理不尽に死んでいった仲間たちの“先”の景色を、俺のこの目で見届ける義務がある。
王都の外には、大陸南方への果てしなく長い道のりが待っている。
海沿いの国オーシャン。
森深きエルフの国シルア。
そして、最強の火器ヒナワが眠る古代砦――。
そこへ向かう本当の地獄の旅の始まりが、今、この会議室で正式に宣言されたのだった。
息が詰まるような御前会議が終わり、王城の長い石造りの回廊へ出た瞬間、俺はようやく肩の力を抜き、肺の底に溜まっていた重たい空気を大きく吐き出した。
アーチ状に連なる背の高い窓からは、昼下がりの柔らかな陽光が斜めに差し込んでいる。手入れの行き届いた中庭の木々が風に揺れ、石畳の上に落ちた木漏れ日が、まるで意思を持った生き物のようにゆらゆらと形を変えていた。
ほんの少し前まで、この城の地下で八咫烏との死闘が繰り広げられていたとは到底思えない。張り詰めた空気が漂う王城の中で、この回廊だけは嘘みたいに穏やかな時間が流れている。
「ついに、アーティファクトか……」
俺がぽつりとこぼした独り言に呼応するように、胸元のペンダント――桜色の宝石が、服越しに微かな温もりを持った。
『どうしたの? 新しい冒険にワクワクしてる?』
「正直、半々だな。新しい力を試してみたいワクワクが半分。理不尽な死地に放り込まれて死にたくないのが半分だ」
『ふふっ、相変わらずだね。でも、そういう臆病で慎重な君だから、あんな地獄をここまで生き残って来られたんだよ』
脳内に響くラナの声は、差し込む木漏れ日のように優しかった。
死んでなお、心だけを装飾品に変えて俺の相棒でいてくれる彼女。
その存在が、かつての俺のただ泥臭く死にたくないという虚無的な執着を、生きて、こいつと一緒に明日を見たいという少しだけ前向きなものに変えてくれている。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、光の差す回廊の先から、涼やかで上品な声が響いた。
「――やぁ。そこの君」
振り返ると、太い大理石の柱の陰から、一人の青年が歩み出てくるところだった。
窓から差し込む光を受けて、黄金の髪が柔らかく透けている。凛とした精悍な顔立ちに、どこまでも穏やかで深い青い瞳。
腰には、相反する力を放つ二振りの剣が帯びられている。
第四王子、ソー・ウルシア。
聖剣ラナと魔剣オボロ。二つの理不尽をその身に宿すことになった、聖魔の王子だ。
「少し、歩きながら話をしないかい?」
「あ、ああ。構わないけど」
俺が短く頷くと、ソーは護衛もつけずに、ごく自然な足取りで俺の隣に並んだ。
二人で、陽光と影が交互に織りなす回廊をゆっくりと歩き出す。微かに香る庭園の薔薇の匂いが、不思議と緊張を解してくれた。
靴音が数回響くほどの気まずい沈黙が続いた後、ソーがふと、前を向いたまま口を開いた。
「君が……あの地獄のミリアで、神獣を纏って聖剣と渡り合ったという結晶の剣士か」
「……やめてくれ、そのクソ恥ずかしい二つ名。誰が広めてんだよ」
俺は思わず顔をしかめた。
「否定はしないんだな」
「しないけど、肯定もしたくない。ただの成り行きで、死骸を拝借しただけだ」
ソーが、くす、と声を立てて笑う。その笑い方は、王族という息苦しい身分を感じさせないほど無防備で、不思議と親しみやすいものだった。
「安心したよ。これだけの功績を立てておきながら、少しも英雄ぶっていないところが、君らしい」
「話すの、初めてだよな? 俺ら」
「ああ。実際に言葉を交わすのはこれが初めてだ。見たのは大闘技場の観客席で一回、さっきの会議室で一回。……あと、噂話で十回くらいかな」
「噂?」
「うん。生前のラナが、君のことを凄く褒めていたからね」
その瞬間、胸のネックレスが『ビクンッ!』と生き物のように大きく跳ねた。
『えっ!? いつ!? どこで!? ア、アタシそんなこと一言も言ってないよ!?』
(……ふーーん。へぇー、そなんだー)
『ち、違うからね! ちょっと酒場で「あいつ、ただの雑用なのに目が死んでなくて面白いんだよねー」って軽く言っただけだから! 勘違いしないでよ!』
大慌てで弁明するラナの照れた声を胸の奥で聞き流しながら、俺は横を歩くソーの横顔を見た。
ソーは足を止め、アーチ窓から外の庭園を静かに見つめた。
その美しい横顔から、ふっと柔らかな笑みが消え、底知れぬ深みを持った、切実な真顔へと変わる。
「……ラナの仇を討ってくれて、本当にありがとう」
その一言は、風の音にかき消されそうなほど静かだったのに、妙に重い質量を持って俺の胸の奥底にまで響いた。
「僕は、あの日……王城から一歩も動けなかった。魔剣オボロの回収任務に志願したけれど、実力不足だと言われてメンバーに選ばれなかったんだ。……もし君がいなければ……今僕の腰にあるこの二振りは、今頃八咫烏か、剣狂カシアンの手の中にあったかもしれない。ラナの魂も、永遠に救われないままだった」
ソーは俺に向き直り、一国の王子という絶対的な立場を忘れたかのように、ただの一人の男として深く、深く頭を下げた。
「……やめろ、やめろって」
俺は慌てて首を振り、乱暴に頭を掻いた。
「そういう真っ直ぐすぎる感謝は苦手なんだよ。俺はただ、自分が死なないために――転がってた神獣にしがみついただけだ。誰かの仇を討つとか、英雄みたいな大層な理由なんて、俺の中には一つもない」
「それでも、結果は変わらないよ」
ソーはゆっくりと顔を上げ、再び柔らかく微笑んだ。
――だが。
その微笑みが、木漏れ日の影の部分に入った一瞬。ふっと、彼の瞳の奥に、深淵を覗き込むような暗くドス黒い色が帯びた。
「……だからこそ。命の恩人である君には、本当のことを伝えて、気をつけろと忠告しておく」
「は?」
「僕の中には、もう一人いるんだ」
ソーの声のトーンが、ほんの僅かに、だが決定的に低く落ちる。
「一人は今、君とこうして穏やかに話している僕だ。……だが、もう一人は――戦場に立ち、血の匂いを嗅ぎ、抜身の剣の前に立つと、どうしても殺戮を求めて顔を出したがる俺だ」
最後の3文字だけ明確に声色が変わった。
聖なる光の意思と、魔の深淵の呪い。
聖剣ラナと、魔剣オボロの二振りが、彼のその言葉に呼応するように、腰の鞘の中で微かにキィンと共鳴する音を立てた。
「もし……僕が制御を失って、ただの破壊を求める獣に成り果てたら。……その時は、君が迷わず僕を止めてくれ。――殺してでも、ね」
悲壮な覚悟を秘めた、王子からの残酷な頼み。
だが、俺は顔色一つ変えずに、ただ深く長いため息をついた。
「……気軽に言うなよ、王子様」
「え?」
「お前らは、どうしてこうも自分の命を簡単に天秤に乗せるんだよ。俺は、俺が生き残るために精一杯なんだ。お前の自爆スイッチのお守りまで、これ以上俺にさせないでくれ。……狂いたくないなら、自分で自分を必死に繋ぎ止めろ」
俺の一切の同情を切り捨てるぶっきらぼうな返答に、ソーは目を丸くして数秒間固まった。
そして――今日一番の、腹の底からの心底楽しそうな笑顔を見せた。
どこか悲壮感で張り詰めていた彼の肩の力が、すっと抜けたのが分かった。
「……君は、厳しいな。でも、仲間になる者には、どうしても最初から本当のことを伝えておきたかったんだ。……君なら、そう言って笑い飛ばしてくれる気がした」
ソーは再び歩き出す。その背中は、さっきよりも少しだけ、だが確実に軽く見えた。
「ヒナワ回収の旅、頼りにしているよ。……名もなき冒険者くん」
『……ソー、ちゃんとした良い王子だよね。優しいし、強いし、責任感あるし』
(もう一人の俺の方、早くも不安要素しかねぇんだけどな。絶対どこかで爆発するぞ、あれ)
そんな軽口を胸の中で交わしながら、俺は歩き去るソーの背中を静かに見送った。
窓の外を見上げると、抜けるような青空の中にうっすらと、この世界の象徴である二つの白い月が浮かんでいた。
封魔戦争の残響は、まだ終わっていない。むしろ――これからが、本当の地獄の始まりだ。
聖剣。魔剣。アーティファクト。
暗躍する八咫烏。
そして、まだその姿を見せない“魔王”。
終わりの見えない輪廻の唄は、まだ一節目を歌い終えたばかりだ。
ウルシア王国を離れ、海沿いの国オーシャン、エルフの国シルアを経て、最強火力のアーティファクト・ヒナワが眠る古代遺跡へ向かう長く険しい旅が、明日から始まる。
死にたくないからっぽの俺と、
死んでもなお戦い続けるラナと、
聖魔の狂気を宿す王子と、
絶対の光を放つ聖騎士。
暖かい木漏れ日の中、その四つの異質な影が、明日から始まる同じ方角へ向かって、ゆっくりと一つに重なり合おうとしていた。




