第8章:黒翼の影ー2
王の視線が、大広間の前庭に恭しく運び込まれた、布に包まれた二振りの長剣へと注がれる。
白銀と蒼光を放つ、絶対なる聖剣。
漆黒の暗気を纏い、空間を歪ませる悪魔の魔剣。
どちらも布を解かれることなく、重厚な台座の上に静かに横たえられていた。
「だが――いつまでも、哀悼に浸っておる猶予は我らにはない」
エルムンド王はゆっくりと玉座から立ち上がり、謁見の間に集った全臣下を見渡した。
「聖剣ラナ。そして、魔剣オボロ。……この二振りの神話の武具は、今後さらに激しさを増すであろう魔族封印の破綻において、我ら人類の存亡を決定づける絶対の鍵だ。
……故に、厳重に封印して死蔵することなど不可能。いざという時、いつでも解き放てる状態のまま、何者の手に渡ることも許さぬ絶対の厳戒体制の下で管理せねばならぬ」
王の目が、冷徹な光を宿す。
「これより、王城の最深地下に絶対不可侵の特級保管庫を構築する。……そしてその警護として、我が国が誇る最高峰の騎士パラディン三名、並びにSランク冒険者一名を常時駐留させる!!」
ざわめきが、波のように広間に広がった。Sランク冒険者とパラディン三名を常に常駐させるなど、一国の王城の防衛力を割くのに等しい破格の厳戒態勢だ。
だが、王の言葉はそれだけでは終わらなかった。
「そして――もう一人」
エルムンド王の鋭い視線が、再び真っ直ぐに俺の胸元を射抜いた。
「……そなたにも、その地下保管庫の警護陣形に加わってもらう」
一瞬、大広間の空気が完全にフリーズした。
「陛下……ッ!? この者はただのFランクの雑用係に過ぎません! そのような重任を――」
文官の一人が思わず声を上げたが、王は力強い一瞥でそれを一蹴した。
「だまるのだ。ミリアでの惨劇の生還。魔剣オボロ回収任務での生還。そして、魔剣を抜き味方を喰らった剣聖カシアンを死闘の末に討ち果たしたのは、他ならぬこの若者だ。
……聖剣と魔剣との実戦を経験し、その身で知る者は、現在のウルシアにおいて、この男ただ一人しか存在せぬ」
王の言葉の重みに、俺は呼吸をすることすら忘れていた。
断る選択肢など、最初から存在しない。
俺は深く、ゆっくりと石床に額を擦り付けた。
「……御意。……謹んで、その責務、果たさせていただきます」
本心は、どうなのか。
ただ平穏に生きたいと願っていたはずの俺が、なぜこんな地獄の真ん中に自ら留まろうとしているのか。自分でもよく分からなかった。
だが――胸元で優しく脈動する、桜色のペンダントの温もり。
それがある限り、俺はこの二振りの剣から目を背けるわけにはいかないのだ。
『ふふっ……格好つけちゃって。まあ、あんたが逃げ出そうとしたら、私が夢枕に立ち続けて寝不足にしてやるところだったけどね』
脳内で、ラナの澄んだ声が軽やかに笑う。
(……分かってるよ。お前の剣も、お前を殺した剣も……俺が最後まで見届けてやる)
こうして、国を挙げた勇者ラナの国葬の準備と並行し、王城地下における絶対防衛陣形の構築が、静かに、そして着実に動き出したのだった。
王城の地下へと続く階段は、どこまでも長く、そして冷たかった。
壁に掛けられた魔導ランプの薄明かりが、不気味な影を足元に落とす。
石壁には、千年前の封魔戦争の時代に描かれたとされる複雑な防衛魔法陣や重厚な呪印が隙間なく刻み込まれており、ここが王国の心臓部であることを無言で誇示していた。
階段を降りきった最深部。
そこに立ちはだかっていたのは、大人が十人は並んで通れるほど巨大な、漆黒の極厚気密鉄扉だった。
その扉の前には、すでに四人の影が佇んでいた。
「――お、来たな。あんたが噂の地獄からの生還者か」
気さくに声をかけてきたのは、革のコートを羽織り、どこか飄々とした雰囲気を纏った黒髪の男だった。
年齢は三十前後。無精髭を生やし、親しみやすい笑みを浮かべているが、その双眸の奥には、オルドと同種の眼光がギラリと宿っていた。
腰には、長短二本の異なる形状の剣。
「俺はSランク冒険者のグレンだ。王命で今日からここの一番きつい番犬を命じられた。よろしくな」
「……俺のことは、好きに呼んでくれ」
俺が掠れた声で返すと、グレンは「ハハッ」と楽しそうに肩を揺らした。
「いいねぇ、その適度な投げやり感。お前、オルドと気が合っただろ……」
その名が出た瞬間、地下の冷気が一段と増した気がした。俺の喉が不自然に引きつる。
「……オルドの知り合いか?」
「知り合いなんてもんじゃねぇよ。同じSランクとして、幾つもの不味い依頼を一緒に引き受けてきた腐れ縁さ」
グレンは干し肉を噛みちぎりながら、遠い目をした。
「あいつが……あのバカが、遺跡でどれほどの覚悟で戦ったか。お前の話を聞いて、よく分かったよ。……あいつらしい最期だ。よく、あの狂った剣聖の首を跳ねてくれたな」
グレンのその一言に、彼の深い憤怒と感謝が込められているのが伝わってきた。
そして、グレンの後ろに控えていた三人の騎士が、甲冑を鳴らして一歩前に出た。
「――パラディン、ゼガートだ」
五十前後の、鋼のような肉体と威厳を誇るベテラン聖騎士。
「王より、この保管庫の絶対防衛を命じられた。我が命に代えても、この扉を破らせはせん」
「パラディン、ミネル。……防御結界の構築を担当するわ」
黒髪を後ろで束ねた、冷徹な目つきの三十代の女騎士。背中には見上げるほど巨大なタワーシールドを背負っている。
「パラディン、フォルン! ……若輩者ですが、命を賭して任を果たします!」
二十代前半の金髪の青年聖騎士。リュグナを思わせる真っ直ぐな瞳。
Sランク冒険者一名、パラディン三名。
そして、惨劇を潜り抜けた雑用係の俺。
これ以上ない、王国の総力を挙げた絶対防護陣形。
「ゼガートさんよ」
グレンが二本の剣の柄に手を置き、ニヤリと可笑しそうに笑った。
「この雑用くんのことは、疑わなくていいぜ。こいつの胸の奥には、本物の覚悟を感じるぜ」
ゼガートの鋭い視線が、俺の胸元のペンダントへと注がれた。
「疑うつもりはない。だが、油断もせん」
ゼガートは冷徹に言い放った。
「聖剣も、魔剣も、人の心を喰らう魔物だ。選ばれぬ者が触れれば、誰であろうと一瞬で化け物へと成り果てる。……若者よ、もし君が魔剣の呪いに呑まれそうになった時は、私自らがその首を跳ねる。……覚悟しておけ」
冷酷な宣告。だが、そこには一切の悪意はなく、真摯な絶対の騎士道が存在していた。
「……ああ。それでいい」
俺は静かに頷いた。
「俺が狂ったら、躊躇なく殺してくれ」
『ちょっと! 勝手に死ぬ前提で話を進めないでよ! 私がついてるんだから、狂うわけないでしょ!』
胸元のペンダントから、ラナの呆れた叫びが脳内に直接届く。
(へいへい、頼りにしてるよ、勇者様)
「よし……では、解封する」
ゼガートが巨大な鉄扉の刻印へ手をかざした。
ブワァァァァァンッッ!!
重厚な魔法陣が青白く発光し、何重もの機械仕掛けの鍵が解かれ、地鳴りのような音と共に漆黒の鉄扉がゆっくりと内側へと押し開かれた。
広がるのは、一切の光を拒絶するような、静寂の石室。
その中央。重厚な二つの石の台座の上に――
布で固く巻かれた【聖剣ラナ】と【魔剣オボロ】が、恭しく鎮座された。
聖剣の清らかな蒼光。
魔剣の歪な漆黒の闇。
二つの真逆の絶対的な力が、狭い石室の中で互いに拮抗し、ピリピリと空気を震わせている。
「ここが……世界の運命の分岐点か」
グレンが低く呟き、鉄扉の前に腰を下ろした。
「ここを守り切れるかどうかで……これからの千年の歴史が変わる。……責任重大だな、お互いに」
俺は、その二振りの剣をじっと見つめた。
その時だった。
――ゾクッ……。
俺の背筋を、氷の刃で撫でられたかのような、強烈な悪寒が駆け抜けた。
地下の絶対の密封空間であるはずの場所に、不気味な『冷たい風』が通り抜けたような錯覚。
『……っ! 相棒……気を付けて!』
胸元のペンダントのラナが、一瞬で緊張の声を上げた。
(なんだ……!?)
俺は右手のクリスタルワイバーンの指輪と、左手のアークサーペントの指輪を無意識に固く握りしめた。
視線を感じる。
この分厚い王城の石壁、何重もの結界、そして地上で厳戒態勢を敷く何千人の兵士たちの目を潜り抜け――。
この地下保管庫の闇の向こう側から、俺たちと二振りの剣を覗き込む、恐ろしいほど冷酷で巨大な第三者の目。
聖剣六本。
魔剣四本。
アーティファクト五つ。
千年前の伝説のすべてを掻き集め、この大陸を再び地獄の底へと叩き落とそうと画策する、謎の闇の狂信者集団。
――【八咫烏】。
奴らの漆黒の影が、すでにこの王都ウルシアの足元にまで、静かに伸びてきている。
「来いよ……」
俺は誰にも聞こえない声で、低く、力強く呟いた。
「聖剣も、魔剣も……お前らなんかに渡さねぇ。……俺とラナが、ここで全部返り討ちにしてやる」
胸元の銀桜色のペンダントが、俺の言葉に応えるように、温かく、力強く脈動した。
静まり返る王城の地下。
伝説の武具を巡る、人類と闇の組織の真の決戦の幕が――今、静かに切って落とされたのだった。




